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第五章・雨。その帳の向こう
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「河岸をあがったそいつは敷地を横切り、あそこから牛舎に入ってきた。それからガスを撒くと、誰にも邪魔されることなく食事をはじめたんだ」
「食事……」呟いたあと、黒川は息を呑んだ。
「そう、食事だ」高岡は頷いた。「いま牛の頭の中に残ってるのはせいぜいその残骸ぐらいだ」
「食べカスって、事ですか?」訊ねる黒川は目に見えて気分が悪そうだ。
「ああ。解剖するまでもないな。ここにいる牛はみんなそうやって脳みそを食い散らかされてるはずだ。まったく大したけ食欲だよ」
「この、目玉はなんなんですか?」
「おそらく脳を吸い出されたとき、内側に引っ張られたんだろう。脳と目は神経で繋がっているからな。で、吸いこむ力に堪えきれなくなって視神経がちぎれて外に転がり出す。そのあいだ、目玉は眼窩の中に引っ張られてこんな形にゆがむんだろう。瞬間的にかなりの力がかかったはずだ。シェイクを飲むのとは訳が……おい、大丈夫か?」
暗がりのなかでもわかるほど、黒川の顔は青ざめていた。
迂闊だった、高岡はそう思った。こんな現場仕事に長く携わっていると、一般的な感覚というものは鈍化してしまう。彼女と自分との反応の差がその好例だ。
無理もない。こうして平静ではいられるものの、高岡も身動きのできない牛が脳みそを吸われる光景を思い描いて内心ぞっとしていた。そしてその標的が人間にとって変わるかもしれないということには、背筋が凍る思いだった。
「こいつはレギオンの仕業と見て間違いないだろう。問題はここから先だ。おれたちはやつを追跡し、目撃者を最低限に止めて事態の収集にあたらねばならん。ここは<アウターガイア>と違って自由がきかないからな」
「けど、どうやってやつの居場所をつかむんですか?」
「昔ながらの現場百遍……とはいかないが、手がかりならここにいくらでもある」
高岡は牛舎の一角、少し離れたところに打ち捨てられた別の牛の死骸を指さした。先ほど邪魔をされた蠅の群れが、別のビュッフェで食事の続きに勤しんでいた。
「イエバエだ。この国のみならず、世界中に広く分布している。この牛舎にも元から住んでいたんだろうが、ここまで大量にはいなかったはずだ。おそらくこれだけの牛の死骸を産卵場所にしようと短い時間で大量に集まったんだろう。だが、これだけの数の蠅がいるのに幼虫……つまり蛆がほとんどわいていない。ここからなにが見えてくる?」
現場指導の一環として訊ねてみたものの、正直あまり期待はしていなかった。
種々の組織を渡り歩き、それなりの経験と技能を持っているはずの黒川が、この場の雰囲気に呑まれているのが明らかだったからだ。
高岡は続けた。
「通常、卵が孵化するまでは半日から一日かかる。つまり、牛たちが襲われてからはまだそんなに時間が経っていないはずだ」
「はい」黒川が顔をしかめながら続ける。「牛舎を閉めるのは毎日午後七時前後、それから午後十時、就寝前にもう一度ご主人が牛舎を確認しましたが、どちらのときも異常は無かったそうです」
「通報があったのは?」
「午前一時過ぎです」
「となると現場の状況とも矛盾は無いな。犯行時刻は午後十時から午前一時までのあいだということか」
犯行時間か……言ったあとで高岡は首を横に振ると、懐から取り出した端末を操作した。タッチパネル式の画面のバックライトが、死に包まれた牛舎にペンライトとは違った明かりをもたらす。
彼は外部から保護されたネットワークを経由して<特務管轄課>の統合データベースにアクセスした。
「食事……」呟いたあと、黒川は息を呑んだ。
「そう、食事だ」高岡は頷いた。「いま牛の頭の中に残ってるのはせいぜいその残骸ぐらいだ」
「食べカスって、事ですか?」訊ねる黒川は目に見えて気分が悪そうだ。
「ああ。解剖するまでもないな。ここにいる牛はみんなそうやって脳みそを食い散らかされてるはずだ。まったく大したけ食欲だよ」
「この、目玉はなんなんですか?」
「おそらく脳を吸い出されたとき、内側に引っ張られたんだろう。脳と目は神経で繋がっているからな。で、吸いこむ力に堪えきれなくなって視神経がちぎれて外に転がり出す。そのあいだ、目玉は眼窩の中に引っ張られてこんな形にゆがむんだろう。瞬間的にかなりの力がかかったはずだ。シェイクを飲むのとは訳が……おい、大丈夫か?」
暗がりのなかでもわかるほど、黒川の顔は青ざめていた。
迂闊だった、高岡はそう思った。こんな現場仕事に長く携わっていると、一般的な感覚というものは鈍化してしまう。彼女と自分との反応の差がその好例だ。
無理もない。こうして平静ではいられるものの、高岡も身動きのできない牛が脳みそを吸われる光景を思い描いて内心ぞっとしていた。そしてその標的が人間にとって変わるかもしれないということには、背筋が凍る思いだった。
「こいつはレギオンの仕業と見て間違いないだろう。問題はここから先だ。おれたちはやつを追跡し、目撃者を最低限に止めて事態の収集にあたらねばならん。ここは<アウターガイア>と違って自由がきかないからな」
「けど、どうやってやつの居場所をつかむんですか?」
「昔ながらの現場百遍……とはいかないが、手がかりならここにいくらでもある」
高岡は牛舎の一角、少し離れたところに打ち捨てられた別の牛の死骸を指さした。先ほど邪魔をされた蠅の群れが、別のビュッフェで食事の続きに勤しんでいた。
「イエバエだ。この国のみならず、世界中に広く分布している。この牛舎にも元から住んでいたんだろうが、ここまで大量にはいなかったはずだ。おそらくこれだけの牛の死骸を産卵場所にしようと短い時間で大量に集まったんだろう。だが、これだけの数の蠅がいるのに幼虫……つまり蛆がほとんどわいていない。ここからなにが見えてくる?」
現場指導の一環として訊ねてみたものの、正直あまり期待はしていなかった。
種々の組織を渡り歩き、それなりの経験と技能を持っているはずの黒川が、この場の雰囲気に呑まれているのが明らかだったからだ。
高岡は続けた。
「通常、卵が孵化するまでは半日から一日かかる。つまり、牛たちが襲われてからはまだそんなに時間が経っていないはずだ」
「はい」黒川が顔をしかめながら続ける。「牛舎を閉めるのは毎日午後七時前後、それから午後十時、就寝前にもう一度ご主人が牛舎を確認しましたが、どちらのときも異常は無かったそうです」
「通報があったのは?」
「午前一時過ぎです」
「となると現場の状況とも矛盾は無いな。犯行時刻は午後十時から午前一時までのあいだということか」
犯行時間か……言ったあとで高岡は首を横に振ると、懐から取り出した端末を操作した。タッチパネル式の画面のバックライトが、死に包まれた牛舎にペンライトとは違った明かりをもたらす。
彼は外部から保護されたネットワークを経由して<特務管轄課>の統合データベースにアクセスした。
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