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第五章・雨。その帳の向こう
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「サエちゃん?」
気がつけば、友香がそう言って心配そうに顔を覗きこんでいた。
「ああ、ごめんね」サエは弾かれるように顔をあげると、親友の肩に手をのせた。「あんたの気持ち、わかって嬉しかった。ほら、行こ。もう映画始まっちゃって――」
言いながら踵を返しかけたサエは、そこで言葉と足取りを止めてしまった。
ふたりがやってきたトイレは本館の三階の端にあった。
全校生徒が集まっている体育館へ行くには一階まで降り、それから校舎の反対側にある渡り廊下を目指す必要がある。
そうして向いた先、音楽室や一般教室が並んだ廊下の先の角から、ひとりのスーツ姿の男性が姿をあらわしたのだ。
「友香……こっちから行こ」
サエはそう言って友人の手を取ると、すぐそばにある階段を目指した。肩越しに振り返ると、男が早足でこちらに向かってくる。
「早く」
言いながらサエは、友香の手をぐいぐいと引っ張るようにして足を早めた。
「どうしたの?」
「いや、わたしも楽しみになってきたんだ、映画」
友香が不審者の存在に気づいている様子はない。サエも友人を動揺させまいと、声が震えそうになるのを必至で抑えた。
そもそも彼女が体育館からもっとも離れたこのトイレを目指したのも、混雑を避けるためなどではなかった。
違和感を感じたのは友香と連れだって体育館から引き返していったときだった。あらかた生徒たちが出払って人通りも少なくなった頃、遅れて体育館に向かう教員たちに紛れてスーツを着た人間の姿が増え始めたのだ。
そこになんとなく薄気味悪さを感じたサエは、彼らを避けながら結果的に三階の校舎へと来てしまっていたのだ。
友香には黙っていた。これが単なる思い過ごしだったとき、恥ずかしい思いをしたくなかった、というのもあったが、もとより彼女にいらぬ心配をかけたくなかったからだ。それにあのスーツ姿の人物たちを、完全に不審者だと断定はできなかった。これまでも学校を出入りする業者や役場の職員などの姿を見かけたことはたびたびあったからだ。
それでもさしたる用も無さそうなのに校内をうろつく姿や、あの鋭い眼光を見てしまっては、警戒感を抱かずにはいられなかった。
早く体育館に行きたかった。
たとえ不自然なタイミングで映画上映会などが催されようと、クラスメイトたちのいる、日常に近い場所に身を落ち着けたかった。
「ダメ……」
一階に降りたサエは足を止めてそう言った。
目指すべき体育館の方向にある廊下の向こうでは、先ほどとは別のスーツ姿の人物が立っていた。
相手がこちらの存在に気づき、近づいてくる。女性だということはわかったし、体格も小柄ではあったが、全身から険しさがにじみ出ているのを感じた。
「ねえ、サエちゃん……あの人、誰かな?」
友香が空いていたほうの手で女性に指を指す。
「逃げるよ」
サエは汗がにじんだ手で友香の手をつかみなおすと、女性に背を向けて廊下を進んだ。足早に角を曲がると、背後から乾いた靴音が響いてきた。それを耳に、とうとうサエは走り出した。
昇降口が右手にあったが、それを無視して直進する。
正面の鉄扉は開いたままになっており、そこから短い渡り廊下に出ることができた。壁は無く、鉄柱のあいだを生ぬるい風が吹き抜けている。しのつく雨は密度を増し、もはや壁のような圧迫感すらおぼえさせる。
トタン屋根を打つ雨粒が万雷の拍手のような音をたてるなか、サエは友香とともに渡り廊下の終点にたどりついた。だが、本来別館に入れるはずの鉄扉はかたく閉ざされ、あまつさえ施錠されていた。
気がつけば、友香がそう言って心配そうに顔を覗きこんでいた。
「ああ、ごめんね」サエは弾かれるように顔をあげると、親友の肩に手をのせた。「あんたの気持ち、わかって嬉しかった。ほら、行こ。もう映画始まっちゃって――」
言いながら踵を返しかけたサエは、そこで言葉と足取りを止めてしまった。
ふたりがやってきたトイレは本館の三階の端にあった。
全校生徒が集まっている体育館へ行くには一階まで降り、それから校舎の反対側にある渡り廊下を目指す必要がある。
そうして向いた先、音楽室や一般教室が並んだ廊下の先の角から、ひとりのスーツ姿の男性が姿をあらわしたのだ。
「友香……こっちから行こ」
サエはそう言って友人の手を取ると、すぐそばにある階段を目指した。肩越しに振り返ると、男が早足でこちらに向かってくる。
「早く」
言いながらサエは、友香の手をぐいぐいと引っ張るようにして足を早めた。
「どうしたの?」
「いや、わたしも楽しみになってきたんだ、映画」
友香が不審者の存在に気づいている様子はない。サエも友人を動揺させまいと、声が震えそうになるのを必至で抑えた。
そもそも彼女が体育館からもっとも離れたこのトイレを目指したのも、混雑を避けるためなどではなかった。
違和感を感じたのは友香と連れだって体育館から引き返していったときだった。あらかた生徒たちが出払って人通りも少なくなった頃、遅れて体育館に向かう教員たちに紛れてスーツを着た人間の姿が増え始めたのだ。
そこになんとなく薄気味悪さを感じたサエは、彼らを避けながら結果的に三階の校舎へと来てしまっていたのだ。
友香には黙っていた。これが単なる思い過ごしだったとき、恥ずかしい思いをしたくなかった、というのもあったが、もとより彼女にいらぬ心配をかけたくなかったからだ。それにあのスーツ姿の人物たちを、完全に不審者だと断定はできなかった。これまでも学校を出入りする業者や役場の職員などの姿を見かけたことはたびたびあったからだ。
それでもさしたる用も無さそうなのに校内をうろつく姿や、あの鋭い眼光を見てしまっては、警戒感を抱かずにはいられなかった。
早く体育館に行きたかった。
たとえ不自然なタイミングで映画上映会などが催されようと、クラスメイトたちのいる、日常に近い場所に身を落ち着けたかった。
「ダメ……」
一階に降りたサエは足を止めてそう言った。
目指すべき体育館の方向にある廊下の向こうでは、先ほどとは別のスーツ姿の人物が立っていた。
相手がこちらの存在に気づき、近づいてくる。女性だということはわかったし、体格も小柄ではあったが、全身から険しさがにじみ出ているのを感じた。
「ねえ、サエちゃん……あの人、誰かな?」
友香が空いていたほうの手で女性に指を指す。
「逃げるよ」
サエは汗がにじんだ手で友香の手をつかみなおすと、女性に背を向けて廊下を進んだ。足早に角を曲がると、背後から乾いた靴音が響いてきた。それを耳に、とうとうサエは走り出した。
昇降口が右手にあったが、それを無視して直進する。
正面の鉄扉は開いたままになっており、そこから短い渡り廊下に出ることができた。壁は無く、鉄柱のあいだを生ぬるい風が吹き抜けている。しのつく雨は密度を増し、もはや壁のような圧迫感すらおぼえさせる。
トタン屋根を打つ雨粒が万雷の拍手のような音をたてるなか、サエは友香とともに渡り廊下の終点にたどりついた。だが、本来別館に入れるはずの鉄扉はかたく閉ざされ、あまつさえ施錠されていた。
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