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第五章・雨。その帳の向こう
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地面に降り立った勇三は、膝をついた姿勢のまま口吻の残骸に歯を立て、左手から一気に引き抜いた。それから迸る血にも頓着せず、不自由な右腕をつかむと、真下へと引っ張る。右肩の皮膚の下でいびつな蠕動が起こったかと思うと、縮んで戻ろうとする筋肉の反動で外れた肩が元の位置におさまった。
(危なかった!)
頭の中を鉄球が転がるような感覚のなか、勇三は荒々しく息をついた。その傍らには拳銃が転がっている。それを見た途端、思い出したように太腿を焼くような痛みが襲ってきた。傷口から血があふれ、あたりの水溜りに不吉な紋様を描く。
ガスを吸って昏倒しかけた勇三は、レギオンに拘束されながらもこの拳銃で自分の足を撃ち抜いたのだ。この気付けの方法を咄嗟に思いつけたこと、そして予想通りの効果をもたらしたことは、彼にとって幸運だった。消音器が銃声も消してくれ、レギオンにその意図を悟られずに反撃することもできた。
遠のいていく意識にしがみつきながら、勇三は右手で自分のこめかみを何度も殴りつけた。殴るたびに脳みそがひっくり返りそうな気分になったが、視界は少しずつ元に戻りつつあった。
だが顔をあげた瞬間、レギオンの右手が頭を鷲掴みにしてきた。
視界を遮られ、自分の頭蓋骨が軋む音を聞きながら、勇三は身体を持ち上げられまいと両脚を踏ん張った。
「ふざけやがって!」
叫ぶと同時に、勇三は自分の頭を掴むレギオンの右手首を両手で包むと、握力だけで押し潰し、神経と骨とをひとつの塊にした。
さらに右手を振りほどき、レギオンの低い股下に手を差し込んだ。体重が一トンになんなんとする巨体が浮き、担ぎあげられる。背骨が軋むような重量の下、勇三は怒号とともにレギオンの身体を地面に叩きつけた。
衝撃が、轟く雷鳴のような音となってあらわれる。
だが、勇三の攻勢もそこまでだった。
突如全身の力が抜け、彼はレギオンと並んで地面に突っ伏した。それまでの苛烈さが嘘のように、身体をほとんど動かすことができなかった。
(くそ!)
全身を駆け巡るアドレナリンのせいか、意識ばかりが冴えわたるなかで勇三は思った。
視野も開けており、低い位置からでもグラウンドの端どころか、落ちていく雨の一粒一粒までよく見えた。そしてうずくまっていたレギオンの身体が動き、やがてゆっくりと立ち上がる様子までもが。
だが立ち上がろうとする勇三の意志に反して、怪物が襲ってくることはなかった。
レギオンは背を向けたまま、全身を引きずるようにしてゆっくりと離れていった。
「待て……」掠れた声で言う。「逃げるな! 勝負しろ!」
しかしレギオンは歩みを止めなかった。ただその丸い肩越しにこちらを見やっただけだった。
その一瞥を向けられた瞬間、勇三の背筋を戦いの熱を奪い去るような寒さが走った。レギオンが向けた視線に、狡猾な光が宿っていたのだ。
それはある種、会敵するよりも恐ろしいことだった。一瞬で獲物を昏倒させる無味無臭の毒ガスは、不意打ちのときにこそ最大の威力を発揮する。身を潜め、傷を癒したレギオンはまた人間を襲ってくるに違いないことを、勇三は確信した。
ましてやここは地上なのだ。サエや友香のように、戦う術をもたない人たちが大勢いる。
ここでレギオンを逃がすわけにはいかなかった。だが勇三の身体はいまになって、無理をしたツケを払わされていた。
伸ばしかけた右手のそばに、取り落とした拳銃が転がっているのが見えた。だがいくら手負いとはいえ、九ミリの弾丸であのレギオンを足止めできるとは思えなかったし、そもそも拳銃を拾い上げることすらできそうになかった。
そのあいだにも、レギオンは遠くへ離れようとしている。勇三はなにもできないまま、視界の中で小さくなっていく背中を睨みつけることしかできなかった。
(危なかった!)
頭の中を鉄球が転がるような感覚のなか、勇三は荒々しく息をついた。その傍らには拳銃が転がっている。それを見た途端、思い出したように太腿を焼くような痛みが襲ってきた。傷口から血があふれ、あたりの水溜りに不吉な紋様を描く。
ガスを吸って昏倒しかけた勇三は、レギオンに拘束されながらもこの拳銃で自分の足を撃ち抜いたのだ。この気付けの方法を咄嗟に思いつけたこと、そして予想通りの効果をもたらしたことは、彼にとって幸運だった。消音器が銃声も消してくれ、レギオンにその意図を悟られずに反撃することもできた。
遠のいていく意識にしがみつきながら、勇三は右手で自分のこめかみを何度も殴りつけた。殴るたびに脳みそがひっくり返りそうな気分になったが、視界は少しずつ元に戻りつつあった。
だが顔をあげた瞬間、レギオンの右手が頭を鷲掴みにしてきた。
視界を遮られ、自分の頭蓋骨が軋む音を聞きながら、勇三は身体を持ち上げられまいと両脚を踏ん張った。
「ふざけやがって!」
叫ぶと同時に、勇三は自分の頭を掴むレギオンの右手首を両手で包むと、握力だけで押し潰し、神経と骨とをひとつの塊にした。
さらに右手を振りほどき、レギオンの低い股下に手を差し込んだ。体重が一トンになんなんとする巨体が浮き、担ぎあげられる。背骨が軋むような重量の下、勇三は怒号とともにレギオンの身体を地面に叩きつけた。
衝撃が、轟く雷鳴のような音となってあらわれる。
だが、勇三の攻勢もそこまでだった。
突如全身の力が抜け、彼はレギオンと並んで地面に突っ伏した。それまでの苛烈さが嘘のように、身体をほとんど動かすことができなかった。
(くそ!)
全身を駆け巡るアドレナリンのせいか、意識ばかりが冴えわたるなかで勇三は思った。
視野も開けており、低い位置からでもグラウンドの端どころか、落ちていく雨の一粒一粒までよく見えた。そしてうずくまっていたレギオンの身体が動き、やがてゆっくりと立ち上がる様子までもが。
だが立ち上がろうとする勇三の意志に反して、怪物が襲ってくることはなかった。
レギオンは背を向けたまま、全身を引きずるようにしてゆっくりと離れていった。
「待て……」掠れた声で言う。「逃げるな! 勝負しろ!」
しかしレギオンは歩みを止めなかった。ただその丸い肩越しにこちらを見やっただけだった。
その一瞥を向けられた瞬間、勇三の背筋を戦いの熱を奪い去るような寒さが走った。レギオンが向けた視線に、狡猾な光が宿っていたのだ。
それはある種、会敵するよりも恐ろしいことだった。一瞬で獲物を昏倒させる無味無臭の毒ガスは、不意打ちのときにこそ最大の威力を発揮する。身を潜め、傷を癒したレギオンはまた人間を襲ってくるに違いないことを、勇三は確信した。
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ここでレギオンを逃がすわけにはいかなかった。だが勇三の身体はいまになって、無理をしたツケを払わされていた。
伸ばしかけた右手のそばに、取り落とした拳銃が転がっているのが見えた。だがいくら手負いとはいえ、九ミリの弾丸であのレギオンを足止めできるとは思えなかったし、そもそも拳銃を拾い上げることすらできそうになかった。
そのあいだにも、レギオンは遠くへ離れようとしている。勇三はなにもできないまま、視界の中で小さくなっていく背中を睨みつけることしかできなかった。
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