海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第一章 風子と小さなご褒美

海街メゾン

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「風子、俺のうちに来るか?」


 あまりに驚いてぽかんと口が開いてしまった。紗理奈さんがぽんと手を打つ。

「そうよ、つい取り乱してうっかりしちゃったわ。その手があるじゃない!宗ちゃんちが良いわ!」

 紗理奈さんがもろ手を上げて賛成した。私は驚きを飲み込めないまま訊ねた。

「わ、私が宗一郎さんの家に、ですか?」
「俺はメゾンのオーナーや。入居者募集中やで」

 宗一郎さんはまだ若いのにメゾン持ちだなんて、相当のお金持ちだと直感する。私は答えた。

「私は部屋を借りるお金がないから困っているので……」
「さっき紗理奈が言ってたけど、うちの『海街メゾン』はかなり変わってるんや」
「ど、どんなふうに?」

 おそるおそる聞くと、宗一郎さんが真顔で言う。

「家賃はタダや」
「た、タダ?!」
「メゾンって言うても、俺の家の個室に居候の形やから家賃はタダにできる。入居条件は『借金で生活が苦しいこと』や」
「私にぴったり……」

 私は宗一郎さんの話に食い入った。そんなメゾンがあるというならぜひ入りたい。

 けれどさすがにユン君に騙されたばかりだ。私の中の危険センサーが点滅している。


 怪し過ぎる、海街メゾン。


 宗一郎さんは続けた。

「海街メゾンに入るなら、俺が借金を肩代わりしたる。そうしたらもうリボ払いの割高な利息からは解放されるで。俺は利息を取らへん。だから、俺が決めたペースで元本だけ返済してくれたらええ」

 宗一郎さんに全く利益がない話だったので、さすがに勘ぐった。

「そんなことするってことは、わ、私に何か要求するんですよ、ね……?」

 宗一郎さんは大きく頷く。

「当然や。俺が借金肩代わりして家賃ゼロで海街メゾンに住むなら、その代わりに」
「その代わりに……?」

 ごくりと唾を飲み込んだ。宗一郎さんがきりりと言い放つ。

「『俺の言う通りに』暮らしてもらう」
「お、俺の言う通りってことは、つまり……服従みたいなことですか?」
「まあ、そうともとれるな。海街メゾンの住人は、俺が定めたルールを徹底して守らなあかん」

 清廉そうな宗一郎さんが、堂々と独裁を敷いていると宣言する海街メゾン。強烈な場所であることはわかった。

 借金肩代わりで、家賃無料。

 正直言ってものすごく助かる条件だ。だが私が女である以上、男性の言いなりという場所には住めない。私が断ろうとすると、隣で紗理奈さんが軽く手を上げた。

「あのね、風子ちゃん。私は海街メゾンの卒業生なのよ」
「紗理奈さんが?」
「そうなの。実は、私も若い頃はその……風子ちゃんみたいに首が回らなくなったことがあって……」

 恥ずかしそうに目を伏せる紗理奈さんに驚いた。こんなに素晴らしいカフェを経営する紗理奈さんに、借金沼に陥った過去があるのか。

「でも海街メゾンのおかげでね、何とか立て直して。今このカフェがあるのよ」

 紗理奈さんはえへへと笑ってから、私の肩にそっと手を当てた。

「宗ちゃんの誘いが怪しいと思うのは、ものすごーくわかるけど!」
「誰が怪しいねん」

 軽く言い返す宗一郎さんと紗理奈さんの間には、常に確かな信頼の空気がある。

「宗ちゃんは倫理的にアウトなことは絶対にしないわ。これは私が保証する。倫理的にアウトなことをしたら自ら切腹するタイプよ。だから一度、海街メゾンに住むこと考えてみて」

 やわらかく微笑む紗理奈さんは、私の背をとんとんと叩いた。

「これ以上、風子ちゃんが苦しい状況になるのを見るのは嫌なの。大事なお客様っていうのはもちろんそうなんだけど、昔の自分みたいだから何だか……放っておけないのよ」
「紗理奈さん……」

 海街メゾンはとても怪しい。

 だが、紗理奈さんが本当に私を想ってくれているのはしっかりと伝わって来た。ただの一人の客なのに、こんなに親身になってくれる紗理奈さんは私の尊敬する人だ。私は宗一郎さんをちらりと伺い見る。


 それに「誠実じゃない方が悪いに決まっている」と断じた宗一郎さんが、悪い人には思えなかった。


 紗理奈さんに向かって小さく頷くと、宗一郎さんが席からさっと立ち上がった。

「ほな、今から海街メゾンに見学においで。またリボする前に早く決めなあかんやろ」

 宗一郎さんはすたすた歩いて行って、ドアを開けて振り返った。

「風子、ついておいでや」

 ドアの隙間から白浜の明るい青空が覗いた。

 外からあったかい風が吹き込み、私の頬を撫でる。澄んだ声で私を呼んだ宗一郎さんに導かれるように、私の重い腰がふわっと持ち上がる。

「は、はい!行きます!」

 これ以上落ちたらリボ地獄。宗一郎さんはそんな私の前に急に現れた風だ。

 私は紗理奈さんにお礼を言ってドアを一歩出る。紗理奈さんがドアの前までやってきて、大きな声で見送ってくれた。

「風子ちゃん!海街メゾンは信じられないほどエグいところだけど、最高だから負けないでー!」

 不穏なお見送りだったが、私は青い空の下を迷いなく歩いて行く宗一郎さんの背中を追った。

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