海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第一章 風子と小さなご褒美

予感

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 彼がドアを出た音が響いたあと、宗一郎さんがゆっくりとした足取りでリビングに戻って来た。

 宗一郎さんは大窓を背にした私の正面、ラグの上に胡坐をかいて座った。

 鋭いはずの彼の目が少し、揺れていた。

「待たせて悪かったな。話、聞こえてたやろ?」
「え、あ……はい。すみません……あの、追いかけなくていいんですか?」
「追いかける理由が、もうないわ」

 宗一郎さんはきちんと線を引いていた。おそらく、宗一郎さんに肩代わりしてもらった「借金を返済したら卒業」というルールなのだろう。

 しばらく沈黙した後、軽く息をついた宗一郎さんは綺麗に顎を引いて語った。

「あの子は入居一ヶ月くらいで、まだまだこれからやったんや。でも、俺のやり方とどうしても合わん子はおるからな。途中で出て行く子も多いねん」

 宗一郎さんはちらりと一度玄関を見やってから、また私に向き合った。

「俺が肩代わりした借金さえ返してくれたら。いつでも出て行ってええで。踏み倒そうとしたら法的手段を取らせてもらう」

 返済すれば出て行ける自由は保障されている。だが、借金は返さなくてはいけない。真っ当なルールだ。理解したと頷くと、宗一郎さんも頷いて説明を始めた。

「海街メゾンは『小さく暮らす方法』を習うところや」
「小さく暮らす方法、ですか?」
「借金っていうのは、自分の身の丈よりもサイズオーバーしてしまった暮らし方によって起こるものやねん」

 宗一郎さんは居住まいを正して凛と言う。

「サイズオーバーした暮らしに合わせて、収入を伸ばすのは今の時代、簡単やない。だから、暮らし自体をサイズダウンして、収入に収まるように小さく暮らす。これが海街メゾンの方針や」

 宗一郎さんの暮らし哲学は、小さな枠を語っている。聞くからに窮屈そうだ。

 けれど、宗一郎さんの後ろで窓枠に切り取られたリビングの青空はなぜかとても、自由に見えた。私はその眩しさに目を細める。

「今まで『暮らし方』なんて考えたことないです……」
「そういう人が多いやろうな。特別なことやない」

 初めて、今までの暮らし方に思いを馳せてみる。

 仕事、疲れた体、癒しのご褒美。

 その連続の中でなんとなく過ごしてきた。

 私はその日を何とか生き長らえているうちに、いつの間にかサイズオーバーが止まらなくなっていたようだ。

「さっき見た通り、海街メゾンは逃げ出したくなるほど嫌なことも、ストレスも確実に多い。俺が定める暮らしの『枠』を強制するからや」

 出て行った彼の痛ましい表情を思い出して、キュッとみぞおちが縮んだ。

「枠を厳守してもらうために俺が見張って、指導も叱責もする。でもな、その『枠』を身に着けたら」

 宗一郎さんの芯のある声が、耳を打った。


「風子は生きやすくなると思うで」


 耳の奥がじんと痺れる。紗理奈さんみたいに立派になれるよと、言われるのかと思った。

 けれど、宗一郎さんがゴールとして示す、小さな暮らしの先にあるもの。それは彼女のような「成功」ではなく、私の「生きやすさ」だった。


そうか、私は──生きづらかったのか。


 ユン君に付け入られた心の隙間や、カフェに課金し続ける癖、ご褒美の乱立が次々と思い浮かんだ。私は窓の外の高い青空を見上げて、心の中を探るように言葉を並べた。

「振り返ってみれば……どの出費も胸のスカスカを埋めようとしたものだったのかもしれません」

 宗一郎さんは口を結んだまま、私の声に耳を傾けてくれた。私はずっと何かに満たされたくて必死に足掻いていた。

「楽になろうとして、たくさんお金を使ってきたのに……スカスカは今もあって、解放されてません。本当はずっとしんどかったのかも」

 私は宗一郎さんの鋭くて強い目を見つめた。まっすぐに見つめ返される。

「もし、海街メゾンで『小さく暮らせば』私は……私のことを好きになったりできるんでしょうか」

 宗一郎さんの涼やかな口端がゆるやかに上がった。

「やってみたら、わかるんちゃうか」

 彼の声は穏やかだったのに、耳にくっきりと残った。私はふふっと笑ってしまう。

「ずるい言い方ですね。やってみたくなるじゃないですか」
「俺はずるいことせえへんよ。ずるいことしたら、切腹するらしいからな」

 紗理奈さんが言ったジョークを再び持ち出す宗一郎さんに、肩の力が抜けた。私はラグの上に正座し直し、宗一郎さんにお世話になりますと頭を下げた。

「人が逃げ出すのを見た直後やのに、そう言うのは正直……驚いたけど。歓迎するで。風子」

 宗一郎さんの角のない和やかな関西弁に、ほわっとした心地をもらった。

 ルールの全容は把握できず、脱退者を目の当たりにした。正直ちょっと怯えている。

 けれど、海街メゾンで暮らして、今よりきちんと背筋が伸びた私を想像すると、逃げたいよりもワクワクが勝った。窓枠に切り取られたリビングの大きな青空を見つめて、ビーズクッションを抱きしめる。


 やってみよう、挑戦してみよう、がんばってみよう。


 そんな気持ちが私の奥から奥からわき上がって、緊張していた指先にぽかぽかと体温が通い始めた。


 ──私はきっと、ここからちゃんと、生き直せる。


 そんな予感は、何かにお金を払うときよりもずっと、私のスカスカを満たした。

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