海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第二章 風子と小さな図書館

ボンボン

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「風子、もう本読んでるか?俺が見てる限り読んでないけど」
「本ですか?……まだ」
「風子がここに来て三日たったで。『一週間に一冊以上、本を読む』のがルールや。何を読むつもりか決まったんか?」
「えーと、その……本って読んだことがなくて」
「ないから何や?絵本でもええで」
「いや絵本はちょっと、それに本を買うお金もないし……」

 海街メゾンでの生活費は毎日2000円の現金支給のみだ。

 美容代も被服費も出ない。

 ルールを聞いたときは反発した。だが「まず今持っているものを全部使い切ったあと、購入相談に乗るわ」と宗一郎さんからきっぱり言われた。

 歯噛みしながら持ち物を整理してみれば、使いかけのコスメに、未使用の服もたくさん持っていた。半年は買わなくても不自由ないと気づいて驚いたものだ。

 宗一郎さんと一緒にクレジットカードは処分した。食費だけでほぼ消える現金2000円生活で、本は買えないという結論は揺るがない。

「リビングの本棚の本でもええで」
「いや、ざっと見ましたけど……難解です」

 リビングの本棚は洋書やビジネス書が多くを占めており、私の心をくすぐるものはなかった。そもそも何を読んでいいのかさっぱりわからない。私は燻る不満を口にする。

「それに、小さく暮らす方法として、本を読めのルールの意図がわからないです。本を読むかどうかなんて人の勝手では」
「本は安くてたっぷり楽しめる娯楽や。テレビやスマホ、つまり画面を通した娯楽よりも脳への好影響が……っていう研究に基づいた理論はあるけど、話そうか?俺のこの手の解説は長いで?」
「や!やめときます!」

 素直やなあと宗一郎さんはくすりと笑った。引っ越して来た日に宗一郎さんによるオリエンテーションで、「人はなぜスマホに依存してしまうか」という授業が2時間あった。

 簡潔に言うとスマホは、スロットマシンだそうだ。

 タップするたびにドーパミンが出まくるように設計されており、麻薬並みの依存性がある。という結果が研究で証明されているそうだ。

 ちょっとゾッとした。

 だが、それでもスマホで遊びたい気持ちが消えないのが、スマホの依存性を証明している。

 あの「スマホ怖いよ」の授業は必修だった。だが、今日の「なぜ本を読むべきか」の授業は受けるかどうか選べる。私は首を横に振った。

「ほな、とりあえず俺の言う通りに読み。なぜそうするかは、その艶良くなった肌みたいに体感で覚えたらええわ。理論は聞いてくれたらいつでも答えるで」

 宗一郎さんはうんちくを押し付けるようなことはしないが、門戸は常に開いているらしい。私が門戸を叩くことはないだろう。

「ここの本があかんやったら、図書館があるわ」
「……行ったことないです」
「歩いて10分くらいであるで。地図渡すわ。今日ヒマやろ?行っておいで」
「あ、いや雨だから」
「風子」

 名前を呼ぶ一声で、俯きかけた顔を上げさせられる。宗一郎さんの声には無視できない、ぴんとした張りがある。宗一郎さんの目に捕らえられ、改めて彼がきっちりと言い直す。

「行っておいで?」
「……はい」

 怒鳴るわけでもないのに、宗一郎さんの声には純度の高い圧がある。昨日、達也さんが宗一郎さんに何か注意されていたのを傍目に見たが、全く同じ状況だった。

 宗一郎さんのルール詰めに、海街メゾン住人は「はい」の返事しかできない。

 自室でしぶしぶのろのろ用意をして玄関へ向かうと、宗一郎さんは檜のテーブルの上に置いたノートパソコンに向かっていた。

 スクリーンタイムの2時間のうちに、スマホではなくパソコンを使うこともできる。

 宗一郎さんも海街メゾンのルールに従って2時間しか使わない。宗一郎さんは誰も見張ってなくてもルールを破らないだろう。彼は自然とそう思わせる存在だ。

 パソコンに向かう宗一郎さんの後ろ姿に、質問を投げた。

「もう10時過ぎですけど、宗一郎さんはお仕事に行かないんですか」

 宗一郎さんがパソコン用の眼鏡を取って、私に顔を向ける。

「今、仕事中やで」
「え、すみません。気がつかなくて」
「ええよ。よう考えて株を転がす仕事やから。忙しくはないねん」
「株?」
「俺の仕事、メインは資産運用や。トレーダーってわけやないけど、お金でお金を生んで利益を増やし続けてる。祖父の代から継いだ元金が多いから、欲をかかんで着実にやればそれなりになるんや」
「すご」

 私には一生縁がなさそうな仕事に、すごい以外に言葉が出ない。
 
「祖父が宝くじ当ててな。その金を白浜の観光発展のためにどんと使って、地域に恩を売ったのがうちの一家が白浜でよう名が通る理由や」

 宗一郎さんは真顔でさらっと言う。

「たまたま降って来た金をどう使うかに品格が宿るって、よう祖父は言うてたわ」

 宗一郎さんが海街メゾンを運営するのも、彼の祖父のお金流儀に似通うものがある気がした。

「今でも白浜の事業に投資してくれんかって話がくる。その対応も俺の仕事の一つや」

 古く続く地縁を引き継ぎ、宗一郎さんは今なお地域から頼りにされ続ける働きぶりということだ。彼はあまりに持てるもので、私はあまりに持たざるものだと痛感した。

「借金に苦しむ私には空の上みたいな話です……」
「でもまあ、ボンボンもええことばっかりやないで」

 宗一郎さんはふっと笑い、眼鏡をかけてパソコン画面に向き直った。私の微妙な揺らぎを見透かしたようなあっさりとした引き際。自慢の欠片もない「お金持ちで良いですね」と言われ慣れている慎み深い態度だ。

 また、胃の奥がチリリと焦げた。

 宗一郎さんが有り余るお金で、借金に苦しむ人を助けようという志は立派だ。

 だが、元からお金持ちの家系と聞いて、勝ち組だなとか、ずるいなとか。黒い染みのようなものがじわりと滲む。

 私は宗一郎さんに憐れみを向けられていて、彼より下の存在として扱われていると気づいてしまった。どうにも居心地が悪くなった私は、いってきますと告げて玄関を出た。

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