海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第二章 風子と小さな図書館

小さな図書館

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 サーモンピンクのドアの前で細雨を降らす灰色の空を見上げて、傘を広げた。

 買っただけで埃を被っていたレインブーツで初めてのお出かけだ。まだ固い真新しいレインブーツで一歩踏み出し、ぴちゃぴちゃと雨の道を進む。

 歩きながら、先ほどの宗一郎さんとの会話を反芻する。

 宗一郎さんは経済的に余裕があるからこそ、困っている私を助けてくれているのだ。

 なのに、私の胸は雨さーさーで湿気がひどい。

 感謝すべきなのにじめじめ。そんなくだらない自分に嫌気がさす。

 でも、海街メゾンは実際とても窮屈で、生まれつきの金持ちは羨ましくて、やっぱりちょっと妬ましい。そんな濁りが私の繕わない気持ちだ。

 資産家の宗一郎さんが教える小さな暮らしなんて「貧乏人は贅沢言わずに枠内で暮らせ」と解釈してしまう。

 がんばろうと思って海街メゾンに来たのに、もう萎えている自分の頼りなさも堪える。

「ああもう……しんどいなぁ」

 私は、じめじめを抱えながら、雨のぬかるんだ道をゆっくり歩いた。


 ぱしぱしと傘に打つ雨音を聞きながら、レインブーツで徒歩10分。白浜市立図書館はあった。私は平べったくて長い石造りの建物を見て、ふうと息をついた。

「古いし、小さい……これで図書館?」

 古めかしい石壁に橙色の瓦屋根だ。レトロ可愛いというには足らず、どうも陰気に見える。大した本はなさそうだと予想しながら、重いドアを開けて中に入った。濡れた顔をハンカチで拭きながら、図書館の中を見回す。

 ワンフロアの館内は、一目で奥まで見渡せるほどの大きさだ。どれほど汚いかと思ったが、中は小綺麗で明るかった。

 一番に目につくのはカラフルな絵本で、種類も豊富そうだ。

 学校の時間だからか、絵本コーナーには誰もいない。閲覧テーブルの周りに高齢者男性が数人、新聞を読みながら座っているだけでひっそりとしたものだ。

 小さな図書館だ。だがそれでも私には、本が無数にあるように思えた。特に何の本を読みたいわけでもないので、入口で立ち尽くしてしまう。

 すると、貸出カウンターの中から声をかけられた。

「何かお手伝いしましょうか」
「あ、その……恥ずかしながら、何の本を読んでいいかわからなくて」

 私は助かったと思いながらカウンターの中に顔を向ける。すると、そこには最近見た顔があった。思わず声が零れる。

「あ、あの時の」
 
 目の下の隈が濃い彼のネームプレートには「司書 榎本大和」と書いてある。

 私と同年代くらいの榎本君は、私が海街メゾンに見学に行った日にリタイアして出て行った、あの猫背の彼だ。

 宗一郎さんは彼がここで働いているのを知っていただろう。一言、言っておいてくれたら良かったのに。

「どこかでお会いしましたか?」

 新聞を読むおじいさんたちの視線がちらりとこちらに注がれたのを感じた。地元の小さな憩いの場だ。余所者の登場には敏感だろう。

 それに、海街メゾンは借金持ち専用の住居だ。外聞が悪いかもしれない。榎本君のプライバシーに配慮して、私は小声で言った。

「あの、海街メゾンで、すれ違ったんですが……」
「え、あー……あのときの、あー……レファレンスをお受けしますね。奥へどうぞ」

 榎本君はぎこちなく微笑みながら私を案内した。返却カウンターをぐるっと回った裏には、レファレンスと立て札が置かれたカウンターがあった。

「レファレンスって、何ですか」
「本に関する相談を受けることですよ。この本はどこだ、から、こういう本はあるかとか。おすすめはとか。何でも聞きます」

 そんな仕事があるのかと感心しながら席に着いた。私にはとても助かるサービスだ。私たちはカウンターを挟んで向かい合って座った。パリっとはしていない白ワイシャツの榎本君が咳払いしてから、こそこそ話し始めた。

「もしかして宗さんに言われて来たんですか?僕をメゾンに連れ戻せとか……?」

 宗さんとは宗一郎さんのことだろう。榎本君がやや怯えたように言うので、私は素早く首を振った。

「いえ、宗一郎さんは何も」
「そう、ですか……」

 榎本君はほっとしたような息を吐いたが、ハの字に下がった眉は残念そうにも見えた。

 途中で辞めたのは彼だけれど、彼は宗一郎さんに気にかけても欲しかったのかもしれない。メンドクサイ人だなと思いながらも、彼の気持ちはわかる。

 私も似たようなものだ。

「私は、私の読む本を探しに来ただけなんです。本なんて読んだことがないのに週に一冊読めって言われて、困ってしまって」
「あーわかります……宗さんのルールってもう、本当にその……強烈ですからね。僕は週に七冊読めって言われてました」
「一日一冊……!」

 海街メゾンのルールの大枠は全員に課せられるが、宗一郎さんは人によってルールを多少カスタマイズしている。私たちは深いため息を交わし合った。

 そして顔を見合わせて、ふっと笑い合ってしまった。

「僕はもう出ましたが、大変ですよね」
「そうなんですよ、全然慣れなくて」

 宗一郎さんのルールに対する愚痴は万能だ。住人であれば、あの自由を奪われた気詰まりな感覚が何を言わずとも伝わって、つい親近感が湧いてしまう。

 榎本君はくっきりした隈を携えた顔で笑いながら、カウンターに置いたノートパソコンに手をかけた。

「さっきは口実っぽく言いましたけど、良かったらレファレンスしてみますか?」
「いいんですか?助かります」
「じゃあご相談は『どんな本を読めばいいかわからない』でよろしいですか」
「あ、はい。お願いします」

 不健康そうに笑う榎本君は、私にいろんな角度から質問してくれた。何が好きかとか、何に一番お金をかけるかとか、好きな歌や出身地なんかも聞かれた。

「自己紹介みたいなのを聞いて、読みたい本がわかるんですか?」
「ドンピシャで当てるのは難しいですけど、あたりをつけて色々おすすめしますね。こちらへどうぞ」

 立ち上がってカウンターの中から出てきた榎本君の背中について行く。

 海街メゾン繋がりなので、榎本君は借金持ちのはずだ。

 借金があると聞けば、ダメな人のイメージになる。私は文字通りだが、司書のお仕事中の彼は中々テキパキとしていて頼りがいがある。

 榎本君の案内で私はエッセイや写真集、ビジネス書などが並んだ棚の前にやってきた。小さい図書館なのでカテゴリの幅が狭くて密集している。

 榎本君はスラックスを履いた脚でしゃがみこみ、下の棚から数冊本を取り出した。

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