海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第三章 風子と小さなラーメン屋

カスハラ

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 あちらこちらで「導きのひとこと」への笑いが起こる。光の多い店内を壁際から見守っていると、あるテーブルから手が上がった。私はすぐに席まで向かった。スペシャルセットメニューを頼んだカップルの席だ。

「食べ終わったんですけど、この後はどうしたら?」

 食後に私に声をかけてくれるようお伝えしていた。私はすぐに彼らを奥の小部屋へと案内する。

「ではこちらへどうぞ。白良浜占いラーメンセットメニューの特典へとご案内します」

 占いラーメンセットは、ラーメンとビールだけで3100円とかなり割高だ。だが、特典の占いが大人気の看板メニューである。

「わくわくするね」
「手相占いだって、何聞く?」
「もちろん、恋愛運!」

 腕を組んで歩くお二人を、ホールから一段上がった薄いレースのカーテンで仕切られた小部屋へと案内する。その奥で待つのはオーナーの美香子さん。


通称、占い師ミカミカだ。


 私はショートボブパーマに黒ワンピが映えるミカミカさんに会釈した。

「ミカミカさん、お願いします」
「いらっしゃい、三分しかないからな。どうぞ座って、可愛いカップルさんたち」

 ミカミカさんは和歌山駅の占い館でお世話になった占い師さんだ。

 普段は白良浜ラーメン屋さんの占い師として活躍しているが、たまには違う場所で占いたくて、和歌山駅に出張していたそうだ。


 なんと、彼女は宗一郎さんのお母さんである。


 この店で宗一郎さんから初めてミカミカさんを紹介されたとき、風子ちゃんやと大笑いされた。親子は顔を見合わせてから揃って「縁がある」と言い、快く白良浜ラーメン屋へと迎え入れられた。

 ロマンス詐欺の件をミカミカさんに報告したら、私の手相をもう一度見た彼女は「それでもやっぱり風子ちゃんは今年、男運最高」と譲らなかった。彼女が決して意見を曲げないので笑ってしまった。

 この白と光が満ちる店内に、どっしり座る黒ワンピのミカミカさんは異質で何かがありそうな雰囲気を存分に醸し出している。

 私はカップルのお二人がミカミカさんの前の真っ白ふかふかソファに座ったのを確認して、サイドテーブルに置いた砂時計をひっくり返した。

「白良浜の砂が落ち切るまで、どうぞミカミカの手相占いをお楽しみください」
「さあ、お二人さん、見て欲しいのは恋愛運やな」
「え、どうしてわかるんですか!」

 食いつく女性に、あははと男性は笑っていた。さすが、ミカミカさんの掴みは最高だ。


 私はレースのカーテンを出て店内に目を走らせる。よし、落ち着いている。

 昨日までは前任の方のサポートを受けていたが、今日から一人前だ。しょっぱなからミスはしたくないと気を張って確認していると、端の席から声がかかった。

「おねーさーん!お水おねがいしま~す!」

 やたらと大きな声に眉がぴくりと反応する。

 各テーブルに冷水ピッチャーを常備して、私が常に残量に気を配っている。空なわけがない。なのに、呼ばれた。

「はい、ただいま参ります」

 端の席は若い男性二人組だ。

 白良浜というリゾートで高揚感に満ちた若い彼らと、接客が親し気なスタイルのこの店だ。嫌な予感がびりびりする。しかし呼ばれたら行くしかない。これが接客業の辛い所だ。

「お客様、お水はテーブルにご用意しておりますが」
「あ、ホントだ~ごめんね、気がつかなくて!」
「お姉さん、関西弁じゃないね。どこ出身?」

 へらへらにやにや笑う若い二人組に向かって笑顔を張りつける。

「おいおい、お姉さんはお仕事中だぞ、ナンパやめろよ。それよりお姉さん、スキニー似合うよねぇ。お尻のぴったり感、良い!」

 この仕事は屈む体勢も多く、笑顔と愛想は常備必須。私を店員ではなく女として見る視線の発生は仕方ないものだ。こんなことでいちいちへこんでいられない。

 けれど、許したりもしない。

「さっき俺らのこと写真撮ったよね、今度はこっちの番ね。ハイ、白良浜~!」

 一人の男性が私に向けてスマホを向けてシャッターを押した。

「店員に対する無許可の撮影はご遠慮ください」
「あ、ごめんね~可愛かったから~今度は一緒に撮ろうよ!」
「それはいい考え!」

 タトゥーシールの入った腕が私の手首をぐいと掴んだ。

 ごつごつの手のひらに滲んだ汗と熱が私の手首にぺとりと張りついた。触れられた場所から、雑菌がむわっと繁殖しそうな湿気が湧く。

「やめてください」

 思い切り手を振り払うと、男性たちは顔を見合わせた。かっわい~と言いながらにやつく。

 こういうカスタマーハラスメント野郎は追い出して良いと、この店のルールが定まっている。

 ここは白良浜。一期一会の観光地。

 もう二度と来ない観光客が好き勝手しているのだ。客を失っても、客は次々やってくる。

 私はルールに則り、右手を天井に向けて高らかに上げて、毅然と笑った。客を追い出すときの方法もきっちり決まっている。

「ご退店、お願いいたしまーす!!」
「声、うるさ!」

 私の大声量が小さな店の隅々に響き渡って、店内のお客様たちの目がぎょっと私に向いた。カスハラ野郎たちは視線に居心地が悪くなったらしく、きょろきょろしていた。

 彼らの私に対する態度を見ていた人もいたのだろう。冷たい視線も集まった。

 私は彼らから一歩後ろずさって距離を取る。すると、のそりと大柄の男性が厨房から顔を出した。厨房長の東郷さんだ。

「風子さん……自分、手伝います」
「忙しいのに申し訳ありません。お願いしてもよろしいでしょうか」
「大丈夫です」

 東郷さんの鋭くて太い視線が、困った客へ、ゆらりと向いた。

 東郷さんの作る白良浜ラーメンは透き通っていて塩味が身体に優しい。けれど、彼は顔も身体も金剛力士なのだ。本人は睨んでいるつもりが全くないらしい。

 だが、彼の額には机の端でぶつけたという深い傷があり、顔面に迫力がある。東郷さんが厨房奥から出てきて、私の隣に立った。東郷さんの太い声が唸るように響く。

「お客様、ご退店いただいて、よろしいですか?」

 東郷さんの一声で、カスハラさんたちはすごすごと退店した。私は退店の挨拶を彼らの背中に投げかけた。

「ご来店ありがとうございましたー!」

 もう来なくて結構ですと内心でこぼした。掴まれた左手首を擦りながら、隣に立つ東郷さんを見上げる。

「助かりました、東郷さん」
「いえ、宗一郎先輩からこれも仕事とよく言われてますので、いつでも言ってください。ラーメンはいくらでも作り直せますが、風子さんは一人ですから」

 東郷さんの顔とはまるで似つかない柔らかい物言いにほっとする。

「店の用心棒ですね。かっこいいです」
「ケンカなんて、したことないですけどね」

 微笑んだのか怒ったのかよくわからない見事なしかめっ面で、東郷さんは厨房に戻って行った。私は小さく息をついてから笑顔を作り直して前を向いた。

「いらっしゃいませ!白良浜へようこそ~!」

 男の湿った感触が消えない手首のまま、私は次のお客様をもてなす。仕事中の切り替えはプロの務めだ。

 けれど、この手首に増殖する忌々しい雑菌は、仕事終わりにじんわり腐って来るのも、経験上知っていた。

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