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第三章 風子と小さなラーメン屋
設立秘話
しおりを挟むぽつんぽつんと等間隔に、頼りない街灯があるだけの夜の遊歩道を進む。宗一郎さんの歩調は緩くて、まるで急いでなかった。
「風子」
「はい?」
呼ばれて顔を上げると、宗一郎さんの目線が斜め下を向いて私とかち合う。
「嫌なことがあったときはもちろんやけど、嬉しいことでも、しょうもないことでも。何でも俺に話しや」
あまりに耳に優しい声色の不意打ちだ。みぞおちが勝手にキュっとする。え、と首を傾げた。視線が繋がる時間が流れたあと、ふいと宗一郎さんは前を向く。白良浜の潮の香りをまとう風が遠のいて行った。
「人と話すのも、ストレス解消にはええんや。でも、友だちはなかなか時間合わんやろ」
大学時代の友だちと距離が開いている現実を、見透かされたようだった。宗一郎さんは本当によく見抜く。
「俺はいつでもメゾンにおるから、何でも話たらええ」
ご褒美回路の一端として、宗一郎さんに愚痴ってもいいということか。変な方向に受け取りそうになって恥ずかしかった。ふわっと浮かんだ淡い期待を一瞬で払拭する。
海街メゾンへ徒歩15分の道を歩きながら、私は風に流れるショートカットの髪を耳にかけ直して笑った。
「ありがとうございます。宗一郎さんってメゾンの皆にそう言うんですよね?」
宗一郎さんが私を見て頷く。
「メゾンの子らは俺の言う通り暮らす代わりに、俺に頼れる権利がある」
「難しい言い方しましたけど、特別に気にかけてるってことで良いですか?」
「そうやで。一緒に暮らしてるんやから当然や」
宗一郎さんは最初こそとっつきにくいが、実は全くそんなことはない。だから、紗理奈さんも莉乃ちゃんも「宗ちゃん」なんて親し気に呼ぶのだろうなとわかった。
私は宗ちゃんなんて呼ばない代わりに、ちょっと宗一郎さんを茶化したくなってしまった。
「でもいつでも俺に話しやなんて誰にでも言ってたら、彼女が嫌がりませんか」
海街メゾンなんて変わったことをしている宗一郎さんの彼女には興味津々だ。莉乃ちゃんともぜひ語りたいトピックである。宗一郎さんは街灯の下を通り続けながら、さっぱり言った。
「俺、モテへんねん」
「え?マジですか」
宗一郎さんは資産持ちの三十代、容姿は清潔感ばっちりだ。引く手がないとは考えにくかった。しかし、真顔の宗一郎さんが嘘をついているとも思えない。
「マジや。モテへんから海街メゾン作る気になってん」
「えぇ?海街メゾンの設立秘話……聞いてもいいですか?」
「別におもろい話やないけど」
「ぜひ」
歩調は一定のまま、前を向いた宗一郎さんは淡々と話し出した。
「俺の家は白浜では名が通ってるって言うたやろ?地元の中高やったら知らん子はおらんわ。そんでな、俺は惚れっぽかってん」
引力の強い導入に私はつい笑ってしまう顔を隠せなかった。
「いやいや、もうすでに面白いです。イメージ違いますよ?」
「そうか?今でも惚れっぽい方やと思うけど、まあ中高のころより断然理性あるわ」
「え、惚れっぽいってまさか、莉乃ちゃんに色目とか……」
面白い話が一瞬でひやりと傾いた。次の街灯の下で宗一郎さんのくっきりと歪んだ眉が目に入る。
「アホか。メゾンの子にはそんなん一切ないわ。そういう対象から外してしまえば、それまでや」
「宗一郎さんって理性の塊っぽいですもんね」
厳格なルールを敷いて、それを守るのも得意な宗一郎さんだ。メゾンの子はアウトとしてしまえば対象外となるのも理解できた。
つまり──私も対象外だ。
「今は理性に自信あるわ。でも、中学の時はアホやったから、早い者勝ちやと思ってて。惚れたらすぐ告白しとったんや。隣の席の子とか」
「えー……中学時代の宗一郎さん、可愛いです……」
「どこがやねん、アホなだけやろ」
宗一郎さんは首を傾げる。だが、剣道部入部を防具の格好良さで決めたとか、すぐ好きになっちゃうとか。その年代らしい可愛らしさに親近感が湧いた。
私も前の席の男の子が振り返って話をしてくれる姿が好きだった。
「そんで片っ端から告白するから『これやからボンボンは』ってよう言われたわ。金あるからって好かれると思うなよって意味や」
「辛辣……中学生の女子ってばほんとにキツい……!」
純粋に好きな子に告白していた宗一郎さんは、さぞショックだっただろう。
だが私も先日、宗一郎さんの裕福さを僻んだ。ボンボンと揶揄した彼女たちを責められない。私は宗一郎さんと並んで歩きながら笑ったり、落ち込んだり忙しなかった。
つい遅れがちになる足を進めて、歩調を保つ宗一郎さんに並ぶ。
「ほんでまあ、高校でいい加減そういうのは止めようと思って、ルール作るようになったんや。好きになっても半年は告らんとか」
「やりそうです……」
「せやろ」
宗一郎さんの最初のルールは自分の惚れっぽさを諫めるためだったと聞くと、涙ぐましい。
「自分にルール課すの面白くなって、暮らし方にもこだわるようになったんや。大学でも勉強とかサークルとかボンボンの肩書に甘えんように努力したつもりや。そんで、長いこと想ってやっと告白した子がおったんやけど……」
「けど?」
「結局『ボンボンのくせに何もわかってない』て言われて」
「何でですかー!」
「俺のこと普通に嫌やったんちゃう?細かいとかうるさいとかよう言われたわ」
「ボンボンのくせに……ですか」
よく聞けばこの話、中高時代とは質が違うように思えた。
大学生くらいになると逆に金持ちアピールをする方がモテたかもしれない。
ブランド品をプレゼントするとか、海外旅行デートや高級車に乗せてあげるとかだ。
けれど宗一郎さんは金持ちの地位に甘えず、努力し、堅実だった。それが、逆に鬱陶しがられた気がしてきた。ボンボンの使いどころ、確かに難しい。
宗一郎さんは懐かしそうに頬を緩めながら前を向いていた。
「だからもういっそ、細かくてうるさいボンボンにしかでけへんことやったろうと思って」
「それで海街メゾン作ったんですか?」
「せっかく金持ちなんやから、お金で困ってる人の役に立つのが筋やろ?」
宗一郎さんは海外リゾート風平屋の海街メゾンを指先で示した。
昔話にのめり込んでいるうちに、海街メゾンの前まで帰って来ていたようだ。ぽんと点いた玄関灯がサーモンピンクの入口を照らしている。
「さすがに世界は救えんけど……両手いっぱいの人の助けになろうと思ったんや」
宗一郎さんは一旦足を止めて、海街メゾンを眺めてええ家やろと笑った。私は海街メゾンを端から全部視界に入れた。
白良浜近くの好立地に、借金持ち専用の肩代わりリゾートメゾン。
潤沢な資産を持つ人しか運営できないに決まっている。儲かる要素がない。
宗一郎さんが前に語った「余裕のある時の行動が人間の本性」という言葉を、彼自身が体現している。
宗一郎さんは社会人になった今なら資産アピールでお見合いすれば、モテるのなんて簡単だ。なのに、宗一郎さんはそれをせず、海街メゾンで人に寄り添う方を選ぶ。
宗一郎さんは清く正しく、尊敬できる人だ。
しかし、あえて海街メゾンに情熱を注いでしまうところが、宗一郎さんのモテない要因だなと腑に落ちた。私だってこんな謎メゾンのオーナーとは、あまりお付き合いしたくない。
いつも襟を正して誠実。なのに、モテないの一点が飛び抜けている。私は宗一郎さんの背中を見てくすくす笑ってしまう。
「宗一郎さんって、おもしろ過ぎません……?」
「俺がモテへん話でいつまで笑ってんねん。はよ帰るで」
宗一郎さんはドアを開けてメゾンへ入っていく。私がまだ外で笑っていると、宗一郎さんはドアからひょいと顔を出した。
「はよおいでや、風子」
私ははいと返事をして、小走りでメゾンの入口をくぐった。
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