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第四章 風子と小さな休日
贅沢
しおりを挟む海街メゾンで二ヶ月を過ごして、初アルバイト代が入った私は、ひと月で宗一郎さんに7万円を返済できた。
白良浜ラーメン店は高時給で、もちろん家賃ゼロの旨味があるからだが、私はその額の大きさに驚愕した。
宗一郎さんの試算に拠れば、このリズムを保てばたった10ヶ月程度で私はメゾンから卒業できる。
宗一郎さんのルールに従って暮らした成果が数字としてくっきり表れていた。しかもお金を節制した暮らしに、そこまで憔悴していないのだ。
毎日2000円でご飯を食べて、10日に一度は豆の木に行って、休みの日には娯楽費で莉乃ちゃんと遊んでいる。
暮らしを節制されたというより、シンプルに組み替えられたような感覚だ。
みんなとダラダラお喋りするリビングは居心地が良くて、海街メゾンは楽しいと思うことも増えた。
だから懐疑的な莉乃ちゃんと違って、私は宗一郎さんの言うことに信憑性を感じてしまう。宗一郎さんの言うことは小さな暮らしの極意であり、私が生きやすくなるためのヒントだからだ。
宗一郎さんが間に入ってくれて、莉乃ちゃんの圧から解放された達也さんがポテチを摘まんだ。
「作る側に回れって言うけど、じゃあ例えば、宗ちゃんは何をつくってるの?」
宗一郎さんは檜テーブルに戻って席に座り、さらりと言う。
「海街メゾンやんか。手かかる子らと暮らすのは楽しくてしゃあないよ」
「あ、いつもお世話になってます~」
「こちらこそ」
達也さんが笑うと、宗一郎さんは本を開き直した。柔和に微笑む宗一郎さんの横顔を見て、私は肩を竦めた。
宗一郎さんにとってメゾンの子たちは庇護対象で対等ではない。それが悔しい気もした。すると私の気持ちを代弁するように、莉乃ちゃんが弾けた声を飛ばす。
「めちゃくちゃ子ども扱いされてるんですけど!」
「まだまだ子どもやん」
「もう大人みたいなもんだし!」
私は頬を膨らませる莉乃ちゃんの背中をぽんぽんと叩いた。気持ちはわかるが、宗一郎さんは正しい。宗一郎さんと対等になりたいなら、一人前になってメゾンを卒業すればいいのだ。
私は昂る莉乃ちゃんを収めるために、アイデアを出した。
「莉乃ちゃん、服は買いに行けないみたいだから、私の服を着てみる?趣味が合うかわからないけど、服はたくさん持ってるから貸してもいいし、気に入ったらあげるよ」
「え、風子ちゃんいいの?!」
「いや悪いよ、風子ちゃん」
すかさず遠慮した達也さんを、莉乃ちゃんがキッと睨む。達也さんは口を覆ってどんぐりみたいな目をぱちぱち瞬いた。父娘は難しい。私は達也さんに微笑んだ。
「服はいっぱいあるんですよ。整理になって私も助かりますから」
「ほんと?助かるよ、ありがとう風子ちゃん」
「いえいえ」
大人同士の了解が終わると、立ち上がった莉乃ちゃんは私の腕を引っ張った。
「服見せて!明日、どれ着るか決めたい!」
莉乃ちゃんが私の手を引いて期待した目で笑いながら、私を廊下の奥の部屋へと連れて行く。もう2時間のスマホタイムが終わるので、檜テーブルにスマホをトンと置いて私の部屋へ二人で入った。
莉乃ちゃんが私のクローゼットの服たちを見回して、猫っぽい目を見開く。
「風子ちゃんと服の趣味合うかも!シンプル可愛いだ!」
「そうそう、その路線を狙ってるの!」
クローゼットの服をベッドの上に並べて莉乃ちゃんと服を吟味し始めた。莉乃ちゃんはスマホの写真ではなく、現物の布に触れながら長いこと悩んだ。
「これがいい!」
莉乃ちゃんはさらりとした生地が軽い、ベビーピンクのワンピースを選んだ。私が大学生の頃に買ったものだ。クローゼットの鏡の前で試着した莉乃ちゃんが、どうかなとはにかむ。
「莉乃ちゃん似合う!それあげるよ。私にはもう甘すぎる色だから」
「いいの?!ありがとう、風子ちゃん!」
「どういたしまして」
「お父さんたちに見せてくる!」
部屋を走って出て行った莉乃ちゃんは、ワンピース姿をリビングの男性陣に見せびらかした。達也さんが横幅のある体で立ち上がり、拍手喝采してスマホを構えた。
「莉乃はお姫様みたいに可愛い~!」
「知ってる」
達也さんが全力で褒めてくれるのを、莉乃ちゃんは当然と受け取っていた。宗一郎さんは本から顔を上げて、ええなと一言だけ言って笑った。
「明日、風子ちゃんとこの服でデートする!」
ご機嫌になった莉乃ちゃんと手を取り合った私は、その服に似合うデートコースが頭にぽんぽん浮かんだ。
「その服でビーチ散歩してから、咲きの湯で露天風呂しようよ」
「それからカフェでまったりデザート分けっこだね!」
「莉乃ちゃん最高~!楽しみ!」
莉乃ちゃんがワンピースの裾を持ってベビーピンクの頬で笑う。ふわりと揺れたスカートがくるくる回ると、リビングに春が来たみたいだった。
ファッションショーを終えると消灯時間を迎えた。寝るかは自由だが、リビングの電気が落とされる時間だ。
私と莉乃ちゃんが檜テーブルの横を通り過ぎようとしたとき、電気スイッチに手をかける宗一郎さんが莉乃ちゃんを呼んだ。
「莉乃、風子と二人で今やったことが、作る方に回るってことやで」
「えー何それ、意味わかんない」
「まあ、よう考えや」
微笑む宗一郎さんに、莉乃ちゃんは宗ちゃん小うるさい!と言い残して廊下を突き進んで行った。私も挨拶をしてから部屋に戻る。
スマホもないので、部屋に戻ればもう寝るしかない。
海街メゾンの夜は静かなのだ。私はここに来てすっかり早寝になった。
ローズクォーツ色のベッドシーツに潜り込んだ私は、寝る姿勢を整えながら宗一郎さんの言葉の意味を考えた。静寂が揺蕩う夜は考え事に浸る余白がある。
私と莉乃ちゃんが作る方に回った、とはどういう意味だろう。
私たちがやったのは、服を買う消費ルートを回避して、私の服を貸したこと。そうして二人で予算内のデート計画を完成した。
休みの過ごし方を限度額の中で、ゲームみたいに工夫した感じだ。宗一郎さんが言うように、お金を使うとは違う、別のところが楽しかった。
こう、何かとても、良い時間を莉乃ちゃんと一緒に編み込んだような、そんな感覚だ。
枠を守って考えて、きちんと準備に向き合うと、明日がもっと素敵になる。
本当はこういうことを──贅沢っていうのかもしれない。
そんなことを思いながら、豊かなまどろみに身を委ねた。
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