23 / 56
第四章 風子と小さな休日
カフェ女子会
しおりを挟む
咲きの湯から出て、すっきりした体で向かったのはお待ちかねの豆の木だ。
もう昼時で豆の木は大混雑の時間。
けれど、事前に紗理奈さんに席の予約をお願いしていたので、豆の木でもまるでお嬢様のようにスムーズにソファ席に案内された。
紗理奈さんが丸い笑顔で注文を取りに来てくれる。
「風子ちゃん、莉乃ちゃんいらっしゃい。さっき宗ちゃんも来てたのよ。今から二人が来るって言ったらさっさと帰っちゃったけど」
「えーなにそれ、感じ悪い!」
莉乃ちゃんがお冷やを飲みながらつんと膨れる。ランチデザートセットを注文して、紗理奈さんが注文を伝票に書き込みながら笑う。
「ほんと、宗ちゃんって愛想ないわよね」
含み笑顔の紗理奈さんがごゆっくりと言いながら下がったあとも、莉乃ちゃんがお冷やを見つめてむすっとしている。
「宗ちゃん、私たちに会いたくなかったのかな。私が文句ばっかり言うから?嫌われてる?」
莉乃ちゃんは宗一郎さんに文句たらたらだが、外でも会いたいなんて、そういうところが可愛いらしい。莉乃ちゃんは何だかんだ宗一郎さんに懐いているのは一目瞭然だ。
高校受験を控えていた莉乃ちゃんは昨年、達也さんの事情で海街メゾンにやってきたそうだ。けれど、塾に通うお金がなかったので、宗一郎さんが無償で勉強を見てくれたという。
莉乃ちゃんは無事志望校の公立高校に受かり、今は健やかに通っている。
莉乃ちゃんにとって宗一郎さんは腹も立つが、恩もあるお兄さんという感じだろう。私もお冷やでこくりと喉を潤しながら、カウンターの端っこの席を見やった。
今は空席だが、宗一郎さんの豆の木での定位置である。
「宗一郎さんが私たちに会わないように帰ったのは……気を遣ったんじゃないかな」
「どういうこと?」
「さっきミカミカさんも言ってたけど、休みの日に上司の顔なんてみたくないでしょっていう配慮だよ」
「宗ちゃんは上司じゃないけど……まあ顔見たら自由じゃなくなる感じはある」
「でしょ?ミカミカさんもたぶん、仕事が休みの私に気を遣って、莉乃ちゃんに占いをやってくれたんだと思う」
「うーん……特別サービスってこと?」
首を傾げる莉乃ちゃんに、私は頷いた。
ミカミカさんと宗一郎さん。
似てないと思ったけれど、管理者として気を使うところは似ているようだ。莉乃ちゃんはお冷やの氷を口に入れて笑う。嫌われていないとわかって安心したのかもしれない。
「でも、今さら気を使ってもダメ!今日は宗ちゃんをぎゃふんとするから」
「それ、やっぱり止めた方が」
「いいの!風子ちゃんだってたまには、宗ちゃんがびっくりするところとか見たいでしょ!?」
「うーん」
莉乃ちゃんが断固として譲らない。私にはどうにも止められないようだ。彩り豊かな野菜たっぷりトルティーヤランチが運ばれてきて、莉乃ちゃんはころっと機嫌が直った。
朝からのデートは全部思い通りに済んで、ほんのり心地いい疲れと充足感を抱えて帰路についた。帰りの途中で、メゾンの近くにある地元密着の魚屋さんで刺身を買って帰った。
海街メゾンで暮らすようになってから、この魚屋さんの刺身の夕飯にすることが多くなった。
莉乃ちゃんと二人で刺身の袋を下げてメゾンまでの帰路を並んで歩く。
「月曜でもないのに晩ご飯、刺身にしちゃったね」
海街メゾンには月曜日に「海鮮丼の日」を設けている。
月曜日は私も達也さんも魚屋さんで刺身を買って帰るのだ。刺身は夕飯のメインであり準備が楽、栄養満点、海街の白浜では安い食材の一つなのに高級感があるという満点食材だ。
「私、メゾンに来てから刺身ばっかり食べてるけど、飽きないんだよね。莉乃ちゃんは飽きてきた?」
月曜日が海鮮丼の日なのは、週初めの特にぐったりした日に「夕食の献立を何にしようか」という悩みから解放されるためだと解釈している。
達也さんが月曜日は楽というのを何度も聞いたことがあった。同感だ。私は月曜以外にも、疲れて何もしたくない日は魚屋で刺身を買う習慣がついた。
「莉乃も刺身は飽きなくて、好き。なんか冷食とか買って来た弁当よりずっと食べた感じするから」
「わかる。海鮮丼は何の手間もないのに、しんどくても『きちんと夕食準備をした私は偉い』みたいな感じをくれるのも好き」
「なにそれ?美味しいかどうかじゃないの?」
「すごく大事なんだよ?」
「えー大人わかんない」
二人でくすくす笑いながら、何の刺身が好きかを言い合って歩いた。
「私は私なりにきちんとして偉い」の積み重ねがいつしか「私は大丈夫」になっていく気がする。
そういう小さなきっかけを宗一郎さんはいくつも作って、手渡してくれてるのだ。宗一郎さんのルールには意味がある。
曜日ルールにはもう一つ「映画の日」がある。
それが土曜日、今夜なのだ。
土曜の夜、自由参加ではあるが、リビングに大きなスクリーンを垂らして映画観賞会をする。
住人が順繰りに映画サブスクから好きな作品を指定できる。課金が必要な作品の場合でも、宗一郎さんが課金してくれるというサービス行事だ。
今日の映画選択権は莉乃ちゃんにある。
つまり、選べるのだ。
宗一郎さんの弱点だという、ホラー作品を。
もう昼時で豆の木は大混雑の時間。
けれど、事前に紗理奈さんに席の予約をお願いしていたので、豆の木でもまるでお嬢様のようにスムーズにソファ席に案内された。
紗理奈さんが丸い笑顔で注文を取りに来てくれる。
「風子ちゃん、莉乃ちゃんいらっしゃい。さっき宗ちゃんも来てたのよ。今から二人が来るって言ったらさっさと帰っちゃったけど」
「えーなにそれ、感じ悪い!」
莉乃ちゃんがお冷やを飲みながらつんと膨れる。ランチデザートセットを注文して、紗理奈さんが注文を伝票に書き込みながら笑う。
「ほんと、宗ちゃんって愛想ないわよね」
含み笑顔の紗理奈さんがごゆっくりと言いながら下がったあとも、莉乃ちゃんがお冷やを見つめてむすっとしている。
「宗ちゃん、私たちに会いたくなかったのかな。私が文句ばっかり言うから?嫌われてる?」
莉乃ちゃんは宗一郎さんに文句たらたらだが、外でも会いたいなんて、そういうところが可愛いらしい。莉乃ちゃんは何だかんだ宗一郎さんに懐いているのは一目瞭然だ。
高校受験を控えていた莉乃ちゃんは昨年、達也さんの事情で海街メゾンにやってきたそうだ。けれど、塾に通うお金がなかったので、宗一郎さんが無償で勉強を見てくれたという。
莉乃ちゃんは無事志望校の公立高校に受かり、今は健やかに通っている。
莉乃ちゃんにとって宗一郎さんは腹も立つが、恩もあるお兄さんという感じだろう。私もお冷やでこくりと喉を潤しながら、カウンターの端っこの席を見やった。
今は空席だが、宗一郎さんの豆の木での定位置である。
「宗一郎さんが私たちに会わないように帰ったのは……気を遣ったんじゃないかな」
「どういうこと?」
「さっきミカミカさんも言ってたけど、休みの日に上司の顔なんてみたくないでしょっていう配慮だよ」
「宗ちゃんは上司じゃないけど……まあ顔見たら自由じゃなくなる感じはある」
「でしょ?ミカミカさんもたぶん、仕事が休みの私に気を遣って、莉乃ちゃんに占いをやってくれたんだと思う」
「うーん……特別サービスってこと?」
首を傾げる莉乃ちゃんに、私は頷いた。
ミカミカさんと宗一郎さん。
似てないと思ったけれど、管理者として気を使うところは似ているようだ。莉乃ちゃんはお冷やの氷を口に入れて笑う。嫌われていないとわかって安心したのかもしれない。
「でも、今さら気を使ってもダメ!今日は宗ちゃんをぎゃふんとするから」
「それ、やっぱり止めた方が」
「いいの!風子ちゃんだってたまには、宗ちゃんがびっくりするところとか見たいでしょ!?」
「うーん」
莉乃ちゃんが断固として譲らない。私にはどうにも止められないようだ。彩り豊かな野菜たっぷりトルティーヤランチが運ばれてきて、莉乃ちゃんはころっと機嫌が直った。
朝からのデートは全部思い通りに済んで、ほんのり心地いい疲れと充足感を抱えて帰路についた。帰りの途中で、メゾンの近くにある地元密着の魚屋さんで刺身を買って帰った。
海街メゾンで暮らすようになってから、この魚屋さんの刺身の夕飯にすることが多くなった。
莉乃ちゃんと二人で刺身の袋を下げてメゾンまでの帰路を並んで歩く。
「月曜でもないのに晩ご飯、刺身にしちゃったね」
海街メゾンには月曜日に「海鮮丼の日」を設けている。
月曜日は私も達也さんも魚屋さんで刺身を買って帰るのだ。刺身は夕飯のメインであり準備が楽、栄養満点、海街の白浜では安い食材の一つなのに高級感があるという満点食材だ。
「私、メゾンに来てから刺身ばっかり食べてるけど、飽きないんだよね。莉乃ちゃんは飽きてきた?」
月曜日が海鮮丼の日なのは、週初めの特にぐったりした日に「夕食の献立を何にしようか」という悩みから解放されるためだと解釈している。
達也さんが月曜日は楽というのを何度も聞いたことがあった。同感だ。私は月曜以外にも、疲れて何もしたくない日は魚屋で刺身を買う習慣がついた。
「莉乃も刺身は飽きなくて、好き。なんか冷食とか買って来た弁当よりずっと食べた感じするから」
「わかる。海鮮丼は何の手間もないのに、しんどくても『きちんと夕食準備をした私は偉い』みたいな感じをくれるのも好き」
「なにそれ?美味しいかどうかじゃないの?」
「すごく大事なんだよ?」
「えー大人わかんない」
二人でくすくす笑いながら、何の刺身が好きかを言い合って歩いた。
「私は私なりにきちんとして偉い」の積み重ねがいつしか「私は大丈夫」になっていく気がする。
そういう小さなきっかけを宗一郎さんはいくつも作って、手渡してくれてるのだ。宗一郎さんのルールには意味がある。
曜日ルールにはもう一つ「映画の日」がある。
それが土曜日、今夜なのだ。
土曜の夜、自由参加ではあるが、リビングに大きなスクリーンを垂らして映画観賞会をする。
住人が順繰りに映画サブスクから好きな作品を指定できる。課金が必要な作品の場合でも、宗一郎さんが課金してくれるというサービス行事だ。
今日の映画選択権は莉乃ちゃんにある。
つまり、選べるのだ。
宗一郎さんの弱点だという、ホラー作品を。
50
あなたにおすすめの小説
ループ25 ~ 何度も繰り返す25歳、その理由を知る時、主人公は…… ~
藤堂慎人
ライト文芸
主人公新藤肇は何度目かの25歳の誕生日を迎えた。毎回少しだけ違う世界で目覚めるが、今回は前の世界で意中の人だった美由紀と新婚1年目の朝に目覚めた。
戸惑う肇だったが、この世界での情報を集め、徐々に慣れていく。
お互いの両親の問題は前の世界でもあったが、今回は良い方向で解決した。
仕事も順調で、苦労は感じつつも充実した日々を送っている。
しかし、これまでの流れではその暮らしも1年で終わってしまう。今までで最も良い世界だからこそ、次の世界にループすることを恐れている。
そんな時、肇は重大な出来事に遭遇する。
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる