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第五章 風子と小さな嵐
履歴
しおりを挟む白良浜ラーメン屋さんアルバイトが定休日の水曜。
同じく部活が定休の莉乃ちゃんと一緒に、図書館を訪れていた。夕時の静かな図書館には利用者がほぼいない。
けれど、リファレンスカウンターの席にはいつも、司書の榎本君が待ってくれている。私はリファレンスカウンターを挟んで座る榎本君に先日の件を持ち掛けた。
「それで、宗一郎さんが作る側に回れって言うので、私も何か作ってみたいなと思ってるんです」
「手始めに何を読もうか、相談に来てくれたんですね」
簡潔に話が通る榎本君の、目の下の隈は健在だ。
だが、近頃はゲームではなく、本に没頭して睡眠不足だと聞いている。図書館の入口には「何を読めばいいかわからない、そんな相談もお気軽に。街の司書がお聞きします」とリファレンス受付中のポスターが貼られた。
海街メゾンを出て行った榎本君も、彼なりの一歩を踏み出しているように見えた。今度、宗一郎さんに報告しようかなと思うのだが、お節介だろうか。
榎本君がノートパソコンで、今まで私が借りた本の履歴を閲覧し始める。
「そうですね……風子さんの借りた本の履歴から考えてみましょうか。履歴には嗜好が出ますので」
私の隣で大人しく座っていた莉乃ちゃんは、カウンターに頬杖をついてため息をつく。
「ほんっと風子ちゃんって素直だよね~私は宗ちゃんの言うことなんて聞く気にならないのに」
「僕も莉乃さんと同意見です」
榎本君は宗一郎さんと早々に決別したのだ。莉乃ちゃんと彼は気が合う。
二人は一ヶ月だけだが海街メゾンで一緒に暮らしていたので、顔見知りだ。莉乃ちゃんが私に問いかけた。
「どうして風子ちゃんは、そんなに早く宗ちゃんのやり方に馴染んじゃうの?」
莉乃ちゃんと榎本君の視線が一気に私に向いた。私はうーんと首を捻る。
「二人に比べれば、私の順応度は高い気がするけど……私はそれって良いことなのか、ちょっと考えちゃう」
榎本君が首を傾げる。
「柔軟性はある方がいいのでは?」
「だって私……好きだよって毎日言ってくれた彼氏の言う通りに課金して詐欺られて。前の仕事のオーナーが『最後の給料の支払い待ってね』って言うから、今も言う通りに待ってますよ?」
莉乃ちゃんも榎本君も顔を強張らせながら私を見た。
「風子ちゃん、素直過ぎ……」
「情が深いと言うのでしょうが……誰に情を向けるのかは、一考したいところですね」
二人の視線が私を心配しつつも、緩やかに「しっかりしろよ」と責めている。私は小さく肩を竦めた。
けれど、宗一郎さんは私のこういうところを「人間的に褒められるべきところ」と言ってくれたのだ。だから、私は私の持ち味のまま、磨いていく方にがんばりたい。
榎本君は止まっていた手を再び動かした。
「それを聞いて、風子さんが宗一郎さんにすぐ馴染んだ理由がよくわかりました」
莉乃ちゃんは何度も首を縦に振った。
「そんなクズたちに風子ちゃんの優しさをあげるくらいなら、バカ真面目な宗ちゃんの方が100倍良い」
「同意です」
私もそう思う。二人はお互いに頷き合って納得したようだった。宗一郎さんだけは曲がったことをしないと、海街メゾンのみんなが知っている。
それに、宗一郎さんと一緒に暮らしを立て直していくと、私は毎日ちょっとずつ私を好きになれる。
「では行きましょうか」
私の履歴を閲覧した榎本君が立ち上がり、本棚から次々と本を選び、以前のように閲覧テーブルに並べてくれた。
榎本君は本のジャンル分けをざっくり教えてくれる。写真集に、カフェ経営者のエッセイ、レシピ本に、ビジネス名言集。並ぶ本は色とりどりだが、嗜好の方向性ははっきり見えていた。
テーブルに並ぶ本たちを見て私は言った。
「本がカフェを作ってみては?って言ってる感じに見えますね」
「僕が意図したわけではないですけれど……風子さんの選書にはかなり偏りがあるので、僕にもそう見えますね」
私はずっと、将来はカフェをやりたいと思っていた。思っているだけで何のアクションも起こしていなかったが、本の並びの中には、私の夢があった。
特に目を惹いたのは「小さな店のつくり方」という本だ。
私はその本に触れたくなる手に従って、ページを指先で捲った。
小さな店、と聞くと実家のお母さんの店を思い出す。古くて野暮ったくて、昔から全くメニューが変わらないあの店に、私はもう三年も帰っていない。
私が本の目次を眺めていると、莉乃ちゃんが榎本君に言った。
「榎本くん、私も風子ちゃんみたいにレファレンスしてほしい」
「もちろん、いいですよ。こちらへどうぞ」
莉乃ちゃんはやったと微笑みながら、レファレンス席へ戻った。
私がじっくり本を選び終えたとき、二人が揃って戻ってきた。私のために出した本を片づけた榎本君は、大きく図書館を周回して、今度は莉乃ちゃんのための選書をテーブルに並べた。
並ぶ本を眺めた莉乃ちゃんがくすくす笑う。
「レシピ本ばっかりなんだけど」
「莉乃ちゃん、今までもたくさんレシピ本を借りてたってこと?料理好きなの?」
あっちこっちと歩き回る榎本君を遠くに見ながら、私は莉乃ちゃんに問いかけた。
莉乃ちゃんが海街メゾンのキッチンで料理をしているところは見たことがない。莉乃ちゃんは首を横に大きく振った。
「メゾンは週に一冊本を読めってルールでしょ?だからレシピ本ばっかり眺めてたの。楽だから」
けらけらと笑う莉乃ちゃんだが、選ばれた本たちをよく見れば「健康的で見栄えが良い」食事のレシピに偏っている。本たちは莉乃ちゃんが身体に良いものに興味があると主張していた。
レファレンスは面白いなと思っていると、榎本君が全く違うジャンルの本を並べ始めた。
「小説?」
「莉乃さんがライトミステリー作家さんの名前を上げたので、こちらもどうかなと思って」
「あ、この作者って他にも本あるんだ……新作は買えないなって思ってたんだけど」
「この作家さんはシリーズものもありますよ。うちの図書館で新刊は難しいですけれど、興味があるなら過去作も十分魅力的です」
榎本君が本についてすらすら話すのは頼もしかった。莉乃ちゃんも集中してよく話を聞いている。彼女は達也さんや宗一郎さんには反発しがちだが、榎本君とは程よい距離感で話が聞きやすいのかもしれない。
色んな大人のチャンネルがあるのは助かるなと思う。
莉乃ちゃんはレシピ本二冊とおすすめされたライトミステリーを一冊選んだ。私たちは榎本君に見送られて図書館を後にした。
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