海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第五章 風子と小さな嵐

帰り道

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 いつまでも蒸し暑い夏の夕暮れの道をメゾン目指して二人で歩く。私は大事そうに本を胸に抱える莉乃ちゃんに質問した。

「莉乃ちゃん、さっき言ってた作家さんの本はどこで知ったの?」
「え、あーえーっと……」

 素早く鋭い返事ができる莉乃ちゃんが妙に言い淀むので、私の中の女子あるあるセンサーが働いてしまった。この言い淀み「良い人がいる」とき特有の香りがする。

 私はいつも莉乃ちゃんがしてくれるように、莉乃ちゃんの腕を取った。夏の半袖から伸びた腕同士が絡まる。私は莉乃ちゃんの耳元に囁いた。

「もしかして、気になる子が読んでた本が、その作家さんの本だったとか~?」
「ちょっ、別に、その……倉田のことそんな風に見たりなんて……」

 夕陽が当たる莉乃ちゃんの横顔に、たらりと汗が垂れる。私のみぞおちがきゅきゅっと縮んで照れる莉乃ちゃんを抱きしめたくなってしまった。

「へぇー倉田君か~どんな子か聞きたいなぁ~?」

 私が「お願い」と言うと、莉乃ちゃんはむずむずした顔をしたまま、小さな声で話し出した。莉乃ちゃんも話したかったのかもしれない。

「倉田って、うちのクラスの端っこで本読んでるような静かーな男なんだけど。図書委員一緒になって……毎週、本を読むルールがあるって言ったらその……すごい喜んで話してくれて」

 高校の図書室の棚の片づけをしながら、莉乃ちゃんが彼からおすすめ作家を活き活きと紹介される様子が見えた気がした。

 なんて眩しい青春の一瞬だろうか。

 そうして紹介された作者の本を今、莉乃ちゃんは胸に抱いている。そう思うともう、喉が詰まりそうなほど甘酸っぱかった。

 私は力が抜けたフリをして、歩きながら莉乃ちゃんの肩にしだれかかった。

「甘すぎる~」
「な、何が?別に、何にもないよ?」
「でもその本の感想、倉田君に言いたいんでしょ~?」
「う……まあ……せっかく読むんだし?」

 道の先にメゾンを捉えた私は、ぱっと姿勢を正した。この話はメゾンではできないなとすぐに察知した。言うなら今だ。私は莉乃ちゃんに顔をぐいと寄せて秘策を授けた。

「莉乃ちゃん、図書館には新刊が入って来ないって榎本君が言ってたでしょ?」
「うん、それがどうかした?」
「今日借りた本の感想を言うついでに、倉田君に新刊を貸してって言ってみれば?」

 莉乃ちゃんが猫目できょとんと驚く。私は莉乃ちゃんの可愛いほっぺたをつんと突いて笑った。

「この前、私の服を貸したみたいに、本を貸してもらったら買うより楽しいよ?」
「た、楽しそう!風子ちゃん天才!」
「枠の中で別の作戦をってのは、宗一郎さんの教えだけどね」
「ここで宗ちゃん?! 風子ちゃんの手柄で良いのに~」

 私たちは照れ笑いしてふざけ合いながら、メゾンへ帰りついた。海街メゾンの前の道では、宗一郎さんが夕方の水まきをしていた。宗一郎さんが迎えてくれる。

「おかえり」
「ただいまです」
「仲良いのはええけど、道でふざけたら危ないで」

 ホースを握って家の前の道に水を打つ宗一郎さんに、私は気をつけますとすんなり謝った。だが、莉乃ちゃんは素早くツンとした返事を繰り出す。

「宗ちゃん、何で水打ちするの?昔はそれで涼しくなったかもしれないけど、このありえない暑さで、それは無駄じゃない?」

 さっきの照れた莉乃ちゃんを見た後なので、反発もただ可愛く見えてしまう。ただいま、よりも先に飛び出る指摘が微笑ましい。宗一郎さんは淡々と答えた。

「こうしたら気持ちええから。それだけやで」

 水打ちは日本の風習の一つだ。

 莉乃ちゃんが言うように昔は涼しさを得るためのものだったが、今ではお清めやもてなしの意図の方が強い。私のお母さんも夕方になると水を打つ人だ。

 尖ったことを言う莉乃ちゃんの姿と過去の私が重なって、胸がちくりとする。

 莉乃ちゃんはさっさと家に入って行ってしまったが、私はしばらく宗一郎さんが家の前に水を打つ背中を見ていた。アスファルトに撥ねた飛沫が夕陽できらりと光る。

 水打ちが宗一郎さんの「小さな気持ち良いのコレクション」の一つなのだろうとわかる。

 傍からは意味のないように見えることをする。そこに、その人としての輪郭があるのかもしれない。

 お母さんも、そうなのかな。

 真夏の黄昏に立ち上がる、水の撒かれたアスファルトの匂いはとても、懐かしかった。


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