海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第五章 風子と小さな嵐

魚屋

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 莉乃ちゃんがライトミステリーを読み始めた次の週、月曜の海鮮丼の日がやってきた。アルバイト帰りに行きつけの魚屋さんに寄って、好きなお刺身を買うのだ。

 白良浜と海街メゾンの中間にあるその魚屋は、ワンフロアスーパーの半分くらいの広さだ。コンクリート打ちっぱなしの実用的な店である。

 これだけ大きな魚屋が繁盛できるなんて、さすが海街だ。

 壁に大漁旗や魚拓が並ぶ魚屋を奥まで進むと、鮪のコーナーで達也さんに遭遇した。私はオープンケースの冷蔵庫の中を真剣に覗き込んでいる達也さんの肩をちょんと突いた。

「達也さん、お疲れ様です」
「あ、風子ちゃん!お疲れ~莉乃かと思った」
「莉乃ちゃんも来てるんですか?」
「うん、好きな刺身の新鮮さを見極めるって張り切ってたよ。僕が買ってくると鮮度が落ちてて気に入らないんだって」

 達也さんが後頭部をかいてあははと乾いた笑いをするので、私も何と言っていいものかと濁しながら笑った。

 莉乃ちゃんは口では気に入らないと言いつつ、張り切って達也さんと一緒に買い物に来る。そういうところがどうしても可愛い。私は達也さんに拳を向けて言った。

「私たちで莉乃ちゃんもびっくりな新鮮なやつ、選んじゃいましょうよ」
「風子ちゃんって何でもがんばるよね、見てると元気出るよ~」

 ほわほわ笑う横幅が大きな達也さんと一緒に、私たちなりに新鮮さを見極めて刺身を選んだ。そのあと、莉乃ちゃんの好きなイカコーナーへと足を運ぶ。

 少し離れたところから見つけた莉乃ちゃんの背中に、達也さんが声をかける。

「莉乃~良いのあった?」

 莉乃ちゃんが弾かれたように振り返って、顔を大きく歪めた。口パクで何か言った。けれど、私も達也さんも彼女が何を言っているのかわからなかった。

 達也さんが大きな歩幅で莉乃ちゃんに近寄っていく。

「ちょっと、こっち来ないでって……」

 莉乃ちゃんの小さな声が聞こえたのは、もうしっかり近づいた後だった。ここまで近づいて初めて、莉乃ちゃんの向こう側に眼鏡をかけた男の子が立っていることに気づいた。

 莉乃ちゃんは彼と立ち話をしていたみたいだ。

「あ、四ツ谷の家族の方ですか?こんにちは」

 「四ツ谷」は、莉乃ちゃんの苗字だ。相手は莉乃ちゃんの同級生だろうか。高校生くらいの彼は、達也さんと私に向かって軽く会釈してくれた。私はすぐ会釈を返した。

 だが、莉乃ちゃんの眉がぎゅっと歪んで、唇を噛んでいるのが気にかかる。

 達也さんは持ち前の人当たりの良さで腰を低くした。

「莉乃のお友だち?いつもお世話になってます。良かったら仲良くしてやってね」
「こ、こちらこそ……じゃあ、俺はこれで失礼します」

 髪型は垢抜けない感じだが、挨拶がきちんとできる好青年。

 もしかして彼が倉田君なのでは、と頭をよぎる。

 すでに買い物を終えていたらしい彼はぺこりと頭を下げて、莉乃ちゃんをちらりと見てから店の出口へと足を向けた。

 彼の背が見えなくなると、達也さんに向かって莉乃ちゃんの声が弾けた。

「お父さん!友だちにお父さんのこと見られたくないっていつも言ってるでしょ!何で近づいてくるの?!」
「あ、ごめん……でも今のは仕方ないよ。話してるの知らなかったんだ。無視するほうが感じ悪いでしょ?」
「一番、倉田に見られたくなかったのに!」

 やっぱり彼は倉田君だったようで、恥ずかしさが爆発したような莉乃ちゃんの口が止まらない。

「こっち来ないでって言った!」

 莉乃ちゃんは口パクで何かを伝えようとしていた。だが、あれは私にも伝わらなかった。達也さんが軽く息をつく。

「何言ってるかわかんなかったよ、あんなの」
「お父さんのバカ!もういい!」

 莉乃ちゃんはきゅっと唇を噛んで、好きな刺身も買わずに早足で店を出て行ってしまった。まだ明るい時間で、メゾンはすぐそこだ。追いかけなくても大丈夫だろう。達也さんは肩を落とした。

「ぼ、僕が悪かったのかなぁ」
「いや、事故みたいなものですよ……」

 背中を丸める達也さんに慰めを言いながら、ぽんと彼の肩を叩いた。

「莉乃ちゃんのイカ、選びましょうか」
「そうだね……ありがとう、風子ちゃん」

 達也さんに礼を言われて複雑な気持ちになってしまう。莉乃ちゃんのフォローをすると言うより、実は過去の私をフォローしている気持ちがあるからだ。

「いえ……過去の罪滅ぼしです」
「え、風子ちゃんの罪って?」
「私もお母さんの古い喫茶店を誰にも見られたくないとよく言っていたので……莉乃ちゃんの気持ちがわかるんですよね」
「あー僕も、親が恥ずかしいときあったよ。そう思うと……莉乃を責められないよね。僕、こんなだから」

 達也さんが自分の太ったお腹をぽんと叩き、眉をハの字にしながらも穏やかに笑う。親はしなやかに強いなと感心する。けれどやっぱり傷ついているのもわかる。

 大人になった今の私は、達也さんの気持ちも想像できるようになった。

 私はお母さんとケンカ別れしたままだから、二人には仲良くいてもらいたい。

 私にできることがあればいいなと思いながら、莉乃ちゃんのために新鮮なイカの刺身を懸命に選んだ。
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