海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第五章 風子と小さな嵐

小さな嵐

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 倉田君バッタリ事件があってから数日、莉乃ちゃんは達也さんと口をきかない。

 こっそり莉乃ちゃんに聞いたところ、倉田君との関係は特に問題ないようだ。

 だが、莉乃ちゃんは達也さんへの頑なな態度を崩さない。傍から見ている分にはもう意地張らなくてもいいのに、と思う。だが、未だにお母さんに意地を張り続けている私に、それを言う資格はなさそうだ。

「い、いただきます……」

 スーパーで買ってきた鰯の唐揚げを前に、私の挨拶がリビングに虚しく響いた。各自がそれぞれ用意する夕食のタイミングが珍しく合い、達也さんと莉乃ちゃんの気まずい無言の夕食に巻き込まれてしまった。

 宗一郎さんも揃って、四人で檜のテーブルを囲んだものの、ぴりっとした空気が流れる。自作オムライスを口に運ぶ宗一郎さんが莉乃ちゃんに顔を向けて、正面から切り込む。

「莉乃はまだ意地張ってるんか……しゃあないなぁ」
「宗ちゃんは黙ってて!」
「はいはい」

 宗一郎さんはそれ以上何も言わなかった。ただの親子ケンカには宗一郎さんも入って来ない。

 食事が終わり、キッチンで私と宗一郎さんが並んで皿洗いをしているとき、達也さんが椅子から立ち上がった。

 ソファに寝転んで小説を読む莉乃ちゃんの側、ラグの上に達也さんが胡坐をかいて座る。私と宗一郎さんは顔を見合わせてから、二人を見守った。

「あのさ、莉乃……ちょっと話があって」
「私はない」

 莉乃ちゃんのチクチクした声に、達也さんの大きな背中が委縮する。私はつい皿を洗う手を止めて二人に見入る。達也さんはポケットから一枚の紙を取り出して、莉乃ちゃんに手渡した。

「何?これ」
「僕の健康診断の結果。肝臓の数値がかなり悪くて……精密検査しなさいって」

 莉乃ちゃんと同じように、私も口が半開きになってしまった。宗一郎さんが出しっぱなしだった水の蛇口をきゅっと止めた。莉乃ちゃんは起き上がってソファに座り直した。

「……それってどういうこと?」
「僕の体のどこかが、病気かもしれないってこと」

 達也さんが莉乃ちゃんを怯えさせないよう、柔らかい声を心掛けているのがわかる。莉乃ちゃんは達也さんが渡した健康診断の結果を読み始めた。

 莉乃ちゃんがキッと達也さんを睨む。

「太ってるからでしょ!? 肥満って書いてある!」
「う、うん……そうだよね。もちろんそれが悪いのはわかってる。でも今さら言っても」
「仕方なくない!ビール飲みまくってポテチ食べまくって!いつかこうなるのわかってたのに!何で今まで何もしなかったの?!」

 莉乃ちゃんの大きな声が雷のようにリビングを切り裂いた。

「何で何にも考えてないの?! 借金も、太り過ぎも病気も!全部お父さんが悪いんじゃん!」

 莉乃ちゃんの叫びが胸に痛かった。彼女の荒い声に混じっているのはきっと、怒りだけではない。声の震えに達也さんを心配する気持ちが見え隠れしている。

 怒りの根っこは、悲しみだ。

「莉乃、そのくらいにしいや」

 肩を揺らして激昂する莉乃ちゃんの隣に、宗一郎さんが静かに座った。私が立ち尽くしている間に、宗一郎さんは莉乃ちゃんの側に移動していたようだ。

「達也のこと見てみ」

 ラグの上で、達也さんはすっかり項垂れてしまっていた。莉乃ちゃんは宗一郎さんを睨む。

「何で、私が怒られるの……!」
「そこまで偉そうに言うんやったら、莉乃が達也にどうにかしてダイエットさせたらええやろ」
「どうして私がお父さんの世話をしなきゃいけないの?」

 莉乃ちゃんの言い分は最もだろう。子どもに、親を世話するなんて発想はない。けれど、宗一郎さんはきっぱり言う。

「困ってるからや。達也は莉乃の大事な人やで。一人ででけへんところは助け合えばええやんか。もう大人みたいなものなんやろ?」

 莉乃ちゃんはよく、子ども扱いを怒る。セットで「もう大人みたいなもの」はよく聞く台詞だった。宗一郎さんは普段の行いをきっちり突いてくる。

 宗一郎さんの声が一つ分、低くなった。

「莉乃、面倒なことが起こりそうな時だけ子どものフリするんか?」

 莉乃ちゃんはぷいと横を向く。

「どうして私が……」
「何もせえへんやったらそれでもええけど。自分は動けへんのに人の弱い所を責めるだけなら、野次馬と一緒やで」

 宗一郎さんに背を向けた莉乃ちゃんの肩が揺れた。宗一郎さんの凛とした声が通る。

「何もせえへんやったら、何も言うたらあかん。親子やからこそ、礼儀は守りや」

 黙り込んでしまった莉乃ちゃんの隣から立ち上がった宗一郎さんは、達也さんを呼んだ。

「達也、ちょっと話しようか。俺の部屋に先に行っておいてや」
「あ、うん……」

 達也さんはのそのそと立ち上がり、莉乃ちゃんを気にしつつも廊下の奥へ進んで行った。宗一郎さんはキッチンに寄って、まだ食器洗い中の私の隣に立った。

 宗一郎さんが私にそっと耳打ちする。

「莉乃には風子がおると思ったからな」
「え?」
「今回はわざとキツめに言うたんや。俺を悪者にしてくれてええから、悪いけど莉乃のこと頼むわ」

 達也さんの告白にショックを受けている莉乃ちゃんに、宗一郎さんの正論は手厳しかった。

 宗一郎さんはそれを自覚した上で、私がこの場にいることも考慮に入れて発言したのか。私にも役に立てることがあるようだ。

「……わかりました」

 私の返事を聞いた宗一郎さんは小さく頷いてから、自分の部屋へと戻って行った。濡れた手を拭いた私は、莉乃ちゃんの側へ行き、隣に座った。

「莉乃ちゃん……」

 やわらかいソファの上で、涙を溜めた真っ赤な目で泣くまいと耐えている彼女を、私はそっと抱き寄せた。
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