海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第五章 風子と小さな嵐

通知

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 病院の検査から帰宅した達也さんは、莉乃ちゃんの選んでくれた刺身を大喜びで平らげた。検査結果は一週間後だと報告してくれた。

 ぎこちないが久しぶりに父娘の会話が戻った夕飯を終えると、莉乃ちゃんも達也さんも早々に部屋に引き上げてしまった。緊張し続けていた二人はよほど疲れていたのだろう。

 夕飯の片づけを終えた私は、リビングで一人スマホタイムだ。

 宗一郎さんがお風呂に入っている間に、ラグをごろごろと転がりながらSNSを眺めていた。

「何か、達也さんのために……できること……」

 私はぶつぶつ言いながらカフェ写真をスクロールし続ける。

 達也さんの肥満を解消するのが、やはり一番達也さんのためになるはずだ。

 でもただのダイエットなんて続かない。宗一郎さんが私たちにするみたいに枠を作って、その中で楽しさを見出さないと暮らしは変わらない。

「ダイエット、筋トレ、腸活……うーん、グルテンフリーもありか?」

 ネットの海を漂ってワードを検索し続けていると、スマホの画面にヒュッと通知が入った。

「あ、振込通知」

 通知をタップしてみると、口座に入金があった。

 確認すると、前職のカフェオーナーから、最後の給料の振込だった。待っていて欲しいと言われて、待ち続けていたあれだ。勢いよく起き上がって、思わず声が出た。

「やったー!」

 ラグに座り込んで両手を天井に向けて突き上げると、いつの間にかキッチンで水を飲んでいた宗一郎さんと目が合った。

 見られていたと知って、突き上げた手をそそくさと戻す。

「何かええことあったんか?」
「そうなんですよ!見てください!宗一郎さん!」

 私は素早く立ち上がって、ぱたぱたとキッチンに走り込み、宗一郎さんの鼻先にスマホ画面を突き付けた。

「最後の給料の振込です!宗一郎さんが言ってたように、オーナーは悪い人じゃなかったです!良かったー!」

 顔の緩みが止まらないまま、宗一郎さんに捲し立てる。興奮してしまった私を見て、宗一郎さんはふっと笑ってくれた。

「風子にええことあったら、俺も嬉しいわ」
「ありがとうございます!振り込んでもらったお金、宗一郎さんへの返済に全部あてます!」
「卒業が早くなりそうやな」

 卒業が一歩近づいて、誇らしかった。私が信じた人は、私を裏切らなかったという事実に自信が湧いた。宗一郎さんのあったかい受け止めにますます笑みがこぼれる。

「今からオーナーに電話してお礼言います!」
「オーナーって……男か?」
「男の人です……けど、それって」

 意外な方向から来た宗一郎さんの問いに、私はちょっと考えた。だが、宗一郎さんの意図にすぐに合点がいった。

「もしかしてまた男に騙されるかもって心配してくれましたか?大丈夫ですよ!?」
「……風子の大丈夫は、ちょっとなぁ」

 安心してもらおうとにっこり笑いかけたのだが、宗一郎さんは目を逸らして返事を濁した。

 宗一郎さんはメゾンの保護者だ。信用がないのは辛いが、徐々に積んで行くしかない。

「ここじゃうるさいと思うので、部屋で電話かけますね。スマホタイムの制限時間内には戻りますから」
「あー……ええよ、ここでかけて」
「そうですか?じゃあビーズクッション抱っこしたいのでお言葉に甘えて」

 私はソファに戻り、お気に入りの空色クッションを抱きしめた。

 宗一郎さんは檜のテーブルについて、文庫本を捲り始める。スマホで電話をかけるとすぐにオーナーに繋がった。

「久しぶりですオーナー。振込ありがとうございました。お元気ですか?」

 オーナーは電話に出るなり平謝りで、久しぶりに交わした会話には花が咲いた。時おり宗一郎さんの視線を感じる気がしたが、やはりうるさかっただろうか。できるだけ小さな声で話すよう心がける。

 そして、オーナーとしばらく近況を話すうちに私はふと思いついた。

 オーナーはグルテンフリーに特化した料理のプロだ。

 カフェ経営自体は下手だったが、私が惚れこんだ味の製作者なのだ。グルテンフリーは健康的でダイエットに最適。しかも、見栄えが美しいのがオーナーの料理の特徴だ。

 健康的で、見栄えが良い。

 これは、莉乃ちゃんが図書館で借りていたレシピたちの共通項でもある。

 まず莉乃ちゃんが興味のある料理を楽しく作る。そして、娘のグルテンフリー手料理に大歓喜の達也さんのダイエットにも繋がる。

 これはもしかして、みんながハッピーな方法なのではないだろうか。

「オーナー、もし良かったら一度会えませんか?お願いしたいことがあって」

 私はすぐにオーナーに打診した。オーナーは快く会おうと言ってくれた。私はオーナーの料理の手伝いはしていたが、細かいレシピを伝授してもらっていない。

 オーナーが莉乃ちゃんや達也さんに料理を教えてくれたらと思ったのだ。

 本を読むために俯いていた宗一郎さんの顔が上がって、彼と目が合った。私はスマホから口を離して宗一郎さんに声をかけた。

「宗一郎さん、メゾンに人を呼ぶのってアリですか?」
「……ルール的にはあり。他の住人の許可を取りや。俺はええよ」

 宗一郎さんはやや重い口ぶりだったが、莉乃ちゃんと達也さんには後で了承を得ようと思ってオーナーと約束を取り付けた。

「詳細はラインしますね!助かります!」

 私は電話を切って気合いを入れる。

 莉乃ちゃんは喜んでくれるだろうかと考えるだけでワクワクした。宗一郎さんを見ると、さっきから本が一ページも捲られていないような気がした。

 私は立ち上がって、宗一郎さんの前の席に座り直した。顔を上げて正面の私を見つめる宗一郎さんに向かって、私は頭を下げた。

「宗一郎さん、さっき返済すると言った口で申し訳ないのですが……お金を貸してください!」
「……どうしてそうなったんか、じっくり話を聞かせてもらおか」

 何でやねんと一蹴しないところが彼の信用度の高さだ。宗一郎さんは本を閉じて、私の案を聞いてくれた。

 私の考えた「グルテンフリーのプロ料理家、海街メゾンへ出張講座」プランについてだ。

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