32 / 56
第五章 風子と小さな嵐
通知
しおりを挟む病院の検査から帰宅した達也さんは、莉乃ちゃんの選んでくれた刺身を大喜びで平らげた。検査結果は一週間後だと報告してくれた。
ぎこちないが久しぶりに父娘の会話が戻った夕飯を終えると、莉乃ちゃんも達也さんも早々に部屋に引き上げてしまった。緊張し続けていた二人はよほど疲れていたのだろう。
夕飯の片づけを終えた私は、リビングで一人スマホタイムだ。
宗一郎さんがお風呂に入っている間に、ラグをごろごろと転がりながらSNSを眺めていた。
「何か、達也さんのために……できること……」
私はぶつぶつ言いながらカフェ写真をスクロールし続ける。
達也さんの肥満を解消するのが、やはり一番達也さんのためになるはずだ。
でもただのダイエットなんて続かない。宗一郎さんが私たちにするみたいに枠を作って、その中で楽しさを見出さないと暮らしは変わらない。
「ダイエット、筋トレ、腸活……うーん、グルテンフリーもありか?」
ネットの海を漂ってワードを検索し続けていると、スマホの画面にヒュッと通知が入った。
「あ、振込通知」
通知をタップしてみると、口座に入金があった。
確認すると、前職のカフェオーナーから、最後の給料の振込だった。待っていて欲しいと言われて、待ち続けていたあれだ。勢いよく起き上がって、思わず声が出た。
「やったー!」
ラグに座り込んで両手を天井に向けて突き上げると、いつの間にかキッチンで水を飲んでいた宗一郎さんと目が合った。
見られていたと知って、突き上げた手をそそくさと戻す。
「何かええことあったんか?」
「そうなんですよ!見てください!宗一郎さん!」
私は素早く立ち上がって、ぱたぱたとキッチンに走り込み、宗一郎さんの鼻先にスマホ画面を突き付けた。
「最後の給料の振込です!宗一郎さんが言ってたように、オーナーは悪い人じゃなかったです!良かったー!」
顔の緩みが止まらないまま、宗一郎さんに捲し立てる。興奮してしまった私を見て、宗一郎さんはふっと笑ってくれた。
「風子にええことあったら、俺も嬉しいわ」
「ありがとうございます!振り込んでもらったお金、宗一郎さんへの返済に全部あてます!」
「卒業が早くなりそうやな」
卒業が一歩近づいて、誇らしかった。私が信じた人は、私を裏切らなかったという事実に自信が湧いた。宗一郎さんのあったかい受け止めにますます笑みがこぼれる。
「今からオーナーに電話してお礼言います!」
「オーナーって……男か?」
「男の人です……けど、それって」
意外な方向から来た宗一郎さんの問いに、私はちょっと考えた。だが、宗一郎さんの意図にすぐに合点がいった。
「もしかしてまた男に騙されるかもって心配してくれましたか?大丈夫ですよ!?」
「……風子の大丈夫は、ちょっとなぁ」
安心してもらおうとにっこり笑いかけたのだが、宗一郎さんは目を逸らして返事を濁した。
宗一郎さんはメゾンの保護者だ。信用がないのは辛いが、徐々に積んで行くしかない。
「ここじゃうるさいと思うので、部屋で電話かけますね。スマホタイムの制限時間内には戻りますから」
「あー……ええよ、ここでかけて」
「そうですか?じゃあビーズクッション抱っこしたいのでお言葉に甘えて」
私はソファに戻り、お気に入りの空色クッションを抱きしめた。
宗一郎さんは檜のテーブルについて、文庫本を捲り始める。スマホで電話をかけるとすぐにオーナーに繋がった。
「久しぶりですオーナー。振込ありがとうございました。お元気ですか?」
オーナーは電話に出るなり平謝りで、久しぶりに交わした会話には花が咲いた。時おり宗一郎さんの視線を感じる気がしたが、やはりうるさかっただろうか。できるだけ小さな声で話すよう心がける。
そして、オーナーとしばらく近況を話すうちに私はふと思いついた。
オーナーはグルテンフリーに特化した料理のプロだ。
カフェ経営自体は下手だったが、私が惚れこんだ味の製作者なのだ。グルテンフリーは健康的でダイエットに最適。しかも、見栄えが美しいのがオーナーの料理の特徴だ。
健康的で、見栄えが良い。
これは、莉乃ちゃんが図書館で借りていたレシピたちの共通項でもある。
まず莉乃ちゃんが興味のある料理を楽しく作る。そして、娘のグルテンフリー手料理に大歓喜の達也さんのダイエットにも繋がる。
これはもしかして、みんながハッピーな方法なのではないだろうか。
「オーナー、もし良かったら一度会えませんか?お願いしたいことがあって」
私はすぐにオーナーに打診した。オーナーは快く会おうと言ってくれた。私はオーナーの料理の手伝いはしていたが、細かいレシピを伝授してもらっていない。
オーナーが莉乃ちゃんや達也さんに料理を教えてくれたらと思ったのだ。
本を読むために俯いていた宗一郎さんの顔が上がって、彼と目が合った。私はスマホから口を離して宗一郎さんに声をかけた。
「宗一郎さん、メゾンに人を呼ぶのってアリですか?」
「……ルール的にはあり。他の住人の許可を取りや。俺はええよ」
宗一郎さんはやや重い口ぶりだったが、莉乃ちゃんと達也さんには後で了承を得ようと思ってオーナーと約束を取り付けた。
「詳細はラインしますね!助かります!」
私は電話を切って気合いを入れる。
莉乃ちゃんは喜んでくれるだろうかと考えるだけでワクワクした。宗一郎さんを見ると、さっきから本が一ページも捲られていないような気がした。
私は立ち上がって、宗一郎さんの前の席に座り直した。顔を上げて正面の私を見つめる宗一郎さんに向かって、私は頭を下げた。
「宗一郎さん、さっき返済すると言った口で申し訳ないのですが……お金を貸してください!」
「……どうしてそうなったんか、じっくり話を聞かせてもらおか」
何でやねんと一蹴しないところが彼の信用度の高さだ。宗一郎さんは本を閉じて、私の案を聞いてくれた。
私の考えた「グルテンフリーのプロ料理家、海街メゾンへ出張講座」プランについてだ。
55
あなたにおすすめの小説
イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。
楠ノ木雫
恋愛
蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
わたしを幸せにする25のアイテム
白川ちさと
ライト文芸
宮下みやび、二十五歳、は外車専門の中古車販売店に勤めていた。支店に転勤してきた岩梨悟という男に一目ぼれする。彼はミニマリストで部屋には何もない。彼に好かれようと、みやびもドンドン物を減らしていく。
しかし、ある日、岩梨悟が女性と仲良く歩いているところを目撃。失恋のショックと何もない部屋に愕然とする。
そんな折、みやびはコンビニで万引きをしようとしている女子高生を見つけてしまう。すんでのところで止めたみやび。彼女は失恋のショックで道を踏み外そうとしていたのだ。
失恋話で意気投合するみやびと、女子高生の翠。
翠は空っぽの部屋を見て、恩あるみやびを幸せにするための物を集めようと奮起する。
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
地味男はイケメン元総長
緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。
GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。
お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが!
「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」
「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」
ヒミツの関係はじめよう?
*野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。
野いちご様
ベリーズカフェ様
エブリスタ様
カクヨム様
にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる