海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第五章 風子と小さな嵐

父親

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 莉乃ちゃんが映えるように色彩まで配慮して盛りつけた鶏ハムプレートを、私はテーブルへ運んだ。

 大きな白プレートの皿の上に、緑豊かな葉物にプチトマトが踊り、メインにしっとり鶏ハムだ。

 切り分けられた鶏ハムの横には、大根おろしの和風ソースと、莉乃ちゃんオリジナル白浜蜜柑酢のさっぱり果肉ソースが二刀流で並ぶ。選択肢があると、食事の質は段違いに上がる。

 さらにオーナーレシピの木綿豆腐の揚げ焼きも添えられて、タンパク質しっかりでパリッと触感まで整っている。ヘルシーで目が喜ぶ映え感も携えたグルテンフリーワンプレートが完成していた。

 莉乃ちゃんは無差別の美味しい、ではなく「達也さんの身体に良いもの」という枠の中で、最大限に食べる楽しさを模索した。枠の中の遊び心が見事にプレートに乗っている。

「莉乃ちゃんはセンス抜群だね。カフェ百戦錬磨の私が太鼓判を押すよ」

 莉乃ちゃんはありがとうと照れて洗い物の手を進めた。このままバリエーションを増やしていけば、ものすごい特技になるだろう。

 やっと洗い物を終えた莉乃ちゃんが、キッチンにブランデーの瓶と炭酸水のペットボトルを並べた。

「次はこれで、ハイボールをつくる」

 莉乃ちゃんは図書館で借りたレシピ本を見ながら、ブランデーと炭酸水の配分を確認する。

 達也さん愛飲のビールは糖質の塊でヘルシーではない。だから、代替えとしてハイボールを考案したのだろう。今までレシピ本を読み続けてきた莉乃ちゃんは、何が何の代わりになるのかよく知っていた。

 どこで、何が、役に立つかわからない。

 だから、宗一郎さんは本を読めと言うのか。宗一郎さんのルールはある時ふと、腑に落ちる。

「達也さんがビール飲めなくてがっかりしないためだよね……莉乃ちゃんが健気で泣ける!」
「べ、別に……そんなんじゃない……こともない」

 抱きしめたくなるくらい可愛い莉乃ちゃんは、レシピ本をペラペラめくって照れ隠しした。莉乃ちゃん作のランチが完成したとき、玄関のドアが開く音がした。

「「帰って来た!」」

 私と莉乃ちゃんは弾かれるように玄関へ向かった。

「ただいま~」

 玄関では達也さんがほわほわ笑っていた。後ろには宗一郎さんが立っている。

「ど、どうだった?!」

 莉乃ちゃんが達也の前に立ってごくりと息を飲んだ。私も少し後ろから見守る。達也さんが両手でピースして見せた。

「要観察ってことで、とりあえず大きな病気はなかったよ~!」
「ああ、良かった!」

 私は大きな声を上げて、すぐに脱力した。けれど、莉乃ちゃんは両手で顔を覆って肩を震わせた。

「お、お父さんのバカー……もう今度こんなことあったら、絶対許さないんだから……ッ」

 覆われた口から聞こえるくぐもった声が、泣いていた。泣き顔を見せないようにする莉乃ちゃんの頭を、達也さんの大きくてぶ厚い手がよしよしと撫でた。

「ごめんね、莉乃。ありがとう、心配してくれて」

 達也さんの手の動きが綿を撫でるように柔らかかった。

 彼女が生まれてから、何千回、何万回と撫で続けたのだろう娘の頭を撫でる父親の仕草の自然さに、私の鼻もつんとしてしまった。

 達也さんの目にも涙が浮かんでいて、鼻をすする音がメゾンの広い玄関に響いた。

「……何かええ匂いがするな」

 鼻をすする親子の横を通り抜けて、切り替えるように宗一郎さんがそう口にした。私も鼻をすすって、その声に乗った。

「そうなんですよ、莉乃ちゃんがみんなのランチを作って待ってたんです!」
「え、そうなの莉乃?!嬉し過ぎる!見せて見せて!」

 達也さんが大げさな声で感嘆の声を上げると、莉乃ちゃんの両手が顔から離れた。真っ赤になった猫目が達也さんにキッと向いた。

「大口でバクバク食べて、味わわなかったら怒るからね!」
「はい!気をつけま~す!」

 莉乃ちゃんの愛情をまっすぐ確認したあとで、厳しく言われてもへっちゃらの達也さんは大らかに笑う。達也さんは莉乃ちゃんの肩を押して、リビングへ足取り軽く入って行った。


 リビングの大窓から、今日はエメラルドグリーンの海と青空が見える。爽快な夏景色を背景に、私たち四人はテーブルを囲んで食事を始めた。達也さんの絶賛が止まらない。

「うわあ~ほんとに美味しい!この蜜柑ソース好き!莉乃ってもしかして天才なんじゃない?!」
「ふふん、それ、私のオリジナルなんだ!もっと褒めていいよ!」

 四人で莉乃ちゃんの力作を食べて、乾杯した。ハイボールも莉乃ちゃんの案だと言うと、達也さんはハイボールが入ったグラスをぎゅと握って何度もありがとうと目を潤ませた。

 達也さんはいつもより小さい口でゆっくり、ご馳走を噛みしめていた。

 だが莉乃ちゃんは自分で作った鶏ハムを口にして、微妙な顔をした。

「ねぇ風子ちゃん、これ、オーナーさんのレシピだけど、あの日作ったのよりパサパサだよね」
「……ちょっと急いで作ったからかもね」

 達也さんや宗一郎さんは首を傾げていたが、私にも違いはわかった。莉乃ちゃんは鶏ハムを蜜柑酢ソースにつけながら言った。
 
「次はもっとうまく作るから、楽しみにしててね。お父さんのご飯、私が毎日作ってあげる」
「莉乃~!」

 感激する達也さんの隣で、宗一郎さんがハイボールを口にして軽く微笑む。きっと宗一郎さんは莉乃ちゃんが作る側に回ろうとするのが嬉しいのだろうと思う。

 けれど、達也さんは箸を丁寧に置いて姿勢を正し、莉乃ちゃんをまっすぐ見つめた。

「ありがとう、莉乃。すごく嬉しい。でも、毎日は作らなくていいよ」
「どうして?美味しくないから?」
「違うよ!すごく美味しい。でも、莉乃は高校生だから」
「高校生だから、できるんでしょ?」

 私も莉乃ちゃんと同じように首を捻る。達也さんは明るくはっきりと伝えた。

「高校生にはさ、高校生にしかできないこと、いっぱいあるんだ。料理は義務じゃなく、趣味にして楽しんで欲しい。莉乃が僕の身体のために努力したり、責任を感じたりする必要はない。僕が自分で、しっかりしなきゃね」

 達也さんがぶ厚い胸を自分でどんと叩く。

「僕は、僕をがんばるから。莉乃には莉乃の人生を楽しんで欲しい」

 莉乃ちゃんを深く想う達也さんの固く強い気持ちが、その言葉には余すところなく宿っていた。

 達也さんの声がリビングの空間に溶けて、静寂が落ちた。窓の外からはさっきまで聞こえなかった蝉の声が聞こえてきた。一瞬の静けさのあと、莉乃ちゃんは眉を顰めながらきょとんとした。

「え、なんか父親っぽいこと言った」
「父親だよ~!」

 宗一郎さんがふふっと声を出して笑い、私もつられて笑った。四人で笑い合ったランチの後には空っぽのお皿と、お腹いっぱいの満足感が残った。
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