海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

文字の大きさ
36 / 56
第六章 風子と小さな勇気

悩み

しおりを挟む
 
 火曜日の仕事の後、私は十日ぶりに紗理奈さんの店「豆の木」を訪れた。

 カフェ貯金は仕事で嫌なことがあった日に備えて貯めている。だが、私は1000円貯まるとすぐに豆の木に来てしまう。定期的なガス抜きの方が私に合っているからだ。

 紗理奈さんがいつもの笑顔で私にデザートセットを運んで来てくれた。

「風子ちゃん、いつもご来店ありがとうございます。こちらデザートセットに、ミニランタンです」

 夜の豆の木はやや照明が落ちて昼間よりも雰囲気が大人っぽくなる。そしてデザートセットを頼むと、小さなランタンランプが付いて来るのだ。

 小さく淡く揺らぐミニランタンの灯りを眺めながらのディナーは格別だ。紗理奈さんの小さなおもてなしに心安らぐ。私は待ち侘びた時間を前に声が大きくなる。

「ランタンが今日も可愛い!楽しみにしてました!」
「楽しんでもらえると嬉しいわ。今日はもう客足も落ち着いてるからゆっくりしていってね」

 紗理奈さんの笑みにお礼を言うと、彼女はカウンターの奥へ戻って行った。

 今夜は一度メゾンに帰ってから出直したので、すでに客足のピークは過ぎていた。時間をずらすだけで、客と客の距離が広く、豆の木をゆったり味わえるのだ。

 私はカウンター席のお気に入りの青い椅子に座って、デミグラスオムライスを頬張る。

「美味しい……!」

 バター香るチキンライスを包むのは半熟のやさしい卵焼き。その上に紗理奈さんの笑顔みたいにまろやかな甘みのデミグラスソースがかかった一品だ。

 すべてが夜の癒しのひとときに相応しい。

「私にはこのオムライス、作れないな」

 つい小声で本音が漏れた。紗理奈さんと私の料理の腕の違いを思い知る。

 大好きな紗理奈さんのオムライスを堪能しながら、豆の木をぐるんと見渡した。

 当然のように美味しい料理と、栗皮色の壁や床を基調に紗理奈さんのこだわりが行き届いた極上の雰囲気。ゆったりと動く店員さんの微笑みまで完璧だ。

 これぞ私の理想とするカフェの在り方である。

「紗理奈さんはすごいなぁ……」

 今まで何となく気に入っていただけの紗理奈さんの店を「もし私がカフェを経営するなら」という視点で見直す。するとあまりによくできた店だと気づかされる。

 私は食後のコーヒーを飲みながら、「小さな店のつくり方」の本を静かに捲り始めた。

 夢はカフェ経営。

 そう言いながらカフェ巡りだけは続けてきた。だが、ただの夢想だった。本当に何か起こそうとしたことはない。

 でもこの本を読みながら、たくさん考えるのだ。

 紗理奈さんのレストランカフェ、前職のグルテンフリーカフェ、そしてお母さんの小さな喫茶店。

 もし、私がカフェをするなら、どんな店──と。

 しばらく本の字を追っていると、うっかり時間が過ぎていた。顔を上げるともう客はすっかり引いていて、私一人になっていた。慌てて本を閉じて帰り支度を始める。

 最後の客になったので、紗理奈さんがレジで会計をしてくれた。紗理奈さんは現金を受け取りながら私に話しかける。

「風子ちゃん、宗ちゃん最近変わったところない?」

 私は予想外の質問を受けてよく考えてみたが、思い当たらなかった。

「いや、別に……元気ですよ?」

 宗一郎さんはいつも通り淡々としている。紗理奈さんも私と同じように考えているようだ。

「宗ちゃんね、ここに来て本を開くけど、一ページも進まないの。あれは何かお悩み?かな」
「宗一郎さんって即断即決って感じで、悩むことなそうですけど」
「それね。宗ちゃんって出会った時からずっとそう」

 紗理奈さんがくすくす笑いながら立ち話を始めた。私が最後の客なので他の人に迷惑になることもなかった。

 話を聞くと、宗一郎さんと紗理奈さんは大学の頃の友人を介して知り合ったそうだ。

 紗理奈さんは起業セミナーで大金を騙し取られ、海街メゾンで立て直しを図ったという。メゾンを卒業してから結婚して、店を持った経緯までをさらっと教えてくれた。

「宗ちゃんのおかげで、店持って、結婚もできてね。宗ちゃんに直接言わないけど、感謝してるのよ」

 紗理奈さんは懐かしみながらそう語った。同じようにメゾンで立て直し中の私は、彼女が宗一郎さんに寄せる気持ちがよくわかる。

「何かわかったら教えてね。今度は私が、宗ちゃんの役に立ちたいから」

紗理奈さんは大げさにウインクして笑った。宗一郎さんに悩みがあるなんて発想もなかったが、私も心に留めておくことにした。

しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

わたしを幸せにする25のアイテム

白川ちさと
ライト文芸
 宮下みやび、二十五歳、は外車専門の中古車販売店に勤めていた。支店に転勤してきた岩梨悟という男に一目ぼれする。彼はミニマリストで部屋には何もない。彼に好かれようと、みやびもドンドン物を減らしていく。  しかし、ある日、岩梨悟が女性と仲良く歩いているところを目撃。失恋のショックと何もない部屋に愕然とする。  そんな折、みやびはコンビニで万引きをしようとしている女子高生を見つけてしまう。すんでのところで止めたみやび。彼女は失恋のショックで道を踏み外そうとしていたのだ。  失恋話で意気投合するみやびと、女子高生の翠。  翠は空っぽの部屋を見て、恩あるみやびを幸せにするための物を集めようと奮起する。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

地味男はイケメン元総長

緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。 GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。 お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが! 「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」 「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」 ヒミツの関係はじめよう? *野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。 野いちご様 ベリーズカフェ様 エブリスタ様 カクヨム様 にも掲載しています。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

処理中です...