海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

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第六章 風子と小さな勇気

寝かす

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 けれど誰も急かさない。私は莉乃ちゃんに背を撫でられ続けてやっと、喉を開く。

「実は先週……大学で一番仲が良かった友だちから久しぶりに連絡が来て。子どもができたから結婚するって」

 莉乃ちゃんが目をぱちぱちと瞬いた。

「へぇ、おめでとうだね。それで?」
「それだけ……」
「え、それが風子ちゃんを焦らせる理由?」

 莉乃ちゃんは首を傾げた。

 私の動揺は、彼女にはまだぴんとこない感情のようだった。大学では横並びだった友だちと社会人になって連絡が遠のき、久しぶりの連絡が大きな決断の報告だ。

 もう彼女の人生にとって、私はさほど重要でないという事実に卑屈になる気持ちと、圧倒的な置いてきぼり感。

 それが親友の祝うべき門出の報告に対する、私の反応だ。そう反応する自分がどうしようもなく情けなかった。

「私は恋人がいないどころか、親とすら揉めていて……自分のことさえできてない」

 目に浮かぶお母さんの怒った顔にも、責められている気がした。

「だからせめて私は、目標を持ちたい。メゾンを卒業した先に夢を持ちたいの」

 莉乃ちゃんはふんふんと懸命に聞いてくれる。けれどやはり少し空振り感は否めなかった。私の言葉が出きったのを見計らって、宗一郎さんが言った。

「……夏祭り、行こか」

 宗一郎さんにしては間の抜けた言葉に聞こえた。莉乃ちゃんと私は驚いた顔を見合わせた。

「いきなり何言ってんの宗ちゃん」

 宗一郎さんはすっと立ち上がって、私の手から本を抜き取った。

 宗一郎さんは本棚にその本を収納し、違う本を一冊取り出した。振り返った宗一郎さんは莉乃ちゃんに新しく本を手渡す。「めっちゃ楽しもう!白良浜花火大会100%攻略!」という愉快な本だった。

「莉乃は祭りに行けへんのか?」

 莉乃ちゃんは本を受け取りつつ大きな声で言った。

「行くよ!ね、風子ちゃんも行くよね?夏祭り!白良浜の花火大会はすっごいんだから」
「え、う、うん……行きたい」

 急に祭りの話になってついていけないのだが、すっごい花火大会にはぜひ行きたい。宗一郎さんは微笑んで頷く。

「風子、今夜はもう何も考えんでええわ。祭りを楽しみにして寝てしまい」
「えー宗ちゃん、風子ちゃんは今話聞いて欲しいんだよ?」

 莉乃ちゃんが頬を膨らませるが、宗一郎さんに促されて私たちはソファから立ち上がった。

「莉乃、悩みは正面切って対処するだけが解決策やない。置いておけば、毎日の暮らしの中で勝手にすり減ることもあるんや」
「そんなことある?」
「そのうちわかるわ。『対応しようと躍起になること』自体を止めた方がええ時もある」

 莉乃ちゃんへの説明は、私にもよく響いた。宗一郎さんはリビングのスイッチに手をかけながら莉乃ちゃんを見送り、私の背に声をかける。

「風子、自分の気持ちは消そうとせんでええ。正直に胸に置いとき」

 私は振り返って、宗一郎さんの声を正面で受け取った。

 頑張らないのは逃げだと思っていたけれど、少し悩みを「寝かせておく」というやり方もあるのか。

「風子は毎日ちゃんとやってる。いつか向き合える日が、ちゃんと来る。だから、今は寝な」
「……はい、おやすみなさい宗一郎さん」

 部屋に戻った私は、ベッドに潜り込んだ。考え過ぎる頭に宗一郎さんがくれた「今夜は考えるな」の具体的な指示を与えて、ぐるぐるする思考を無理やり止めるよう努める。

 代わりに白良浜の花火大会はどんなものだろうかとか、浴衣着ようかなと想像しながら、深く眠った。

 次の日の朝、すっと気持ち良く起き上がれるほど、身体は整っていた。伸びをしながらローズクォーツ色のシーツから抜け出す。着替えながらクローゼットの鏡を覗けば、肌艶も良い。

 親友へのチリチリした気持ちは、昨夜と変わらず、今もここにある。けれど、昨夜ほどの重くない。

 まずは寝て、起き上がれる身体を準備することが、どれほど大切かを痛感した。

 他の人からすれば大したことがないことでも、私には大事件で、悩んで頭が大暴走する夜は必ずやってくる。

 そんな夜を、無理に勉強で埋めたり、甘い言葉で誘うマッチングアプリに登録したりせず、少し先に置いた小さな約束でやり過ごす。

 それもまた、暮らしには必要な仕組みなのだろう。

「宗一郎さんには、敵わないなぁ」

 カーテンを開けて、真っ青な朝空を見上げながら、私はまた宗一郎さんに教えられたのだと気がついた。

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