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第六章 風子と小さな勇気
打ち明け話
しおりを挟む「私は何を打ち明けたらいいんですか?」
宗一郎さんは少し沈黙した後、空っぽになったクリームソーダのカップを持ち上げて言った。
「お母さんに言いたいことを、お母さんに打ち明けたらどうや」
「お、お母さんに……?」
宗一郎さんに打ち明け話をするのだと思っていたら、思わぬ方向からの提案だった。
「ずっと連絡しづらかったんやろ。でも今の風子やったら、お母さんに言えることあるんとちゃうか?」
「そ、それは……」
ぬるい潮風が吹いて私の髪飾りを揺らした。この風はお母さんのところまで行くだろうか、と考える。お母さんの喫茶店を理解しようとせず知ったようなことを言った私が謝るべきで、怒りなんてとうに風化していた。
お母さんに電話できなかったのは、きっかけと、勇気がないから。
宗一郎さんが私をまっすぐ見つめて返事を待っている。彼がわかりやすいきっかけをくれた。前髪が海風に揺れた宗一郎さんは静かに微笑む。
「お母さんに電話した後で見る花火は、綺麗やと思うで?」
電話して、許してもらえなかったとしても。何かはすっきりして花火はより美しく見えるのだろう。宗一郎さんは私に希望を見せるのが上手だ。
打ち明け話をする花火大会の夜。
お母さんに電話をするなら、きっと今しかない。今を逃したら私は逃げ続ける。私は一度深く息をついてから顎を引いた。
小さな巾着バッグからガラホを取り出す。お母さんの番号を選ぶ指先が小さく震える。
「宗一郎さん、そこにいてくださいね」
ガラホの画面に映る「お母さん」の字を見て心細さからそう言うと、宗一郎さんの安定した返事がある。
「どこも行けへんよ」
私は宗一郎さんの顔を見る余裕もないまま、通話ボタンを押した。しばらくコールしたあと、耳に当てたガラホから三年ぶりのお母さんの声が聞こえた。白良浜の海を見つめる私の顔に、海風が真正面からぶつかった。
「風子?」
お母さんの声が懐かしい。けれど、叱られると身構えて震える指先が、つい何かに縋ろうとする。
私の指は何か熱のあるものをきゅっと掴んだ。
私は指先に力を入れ直して、やっと声を出せた。
「あの、お母さん……私」
電話の向こうから、息を飲むような詰まったような音が聞こえたかと思うと、さっきよりずっと細い声でお母さんが言った。
「風子……元気にしてるの?」
お母さんの最初の問いが、私を心配するものであったことに目蓋の裏が焼けたように熱くなった。私は熱い喉の奥から声を絞り出した。
「うん……元気。あの、私……あの日、ごめんね」
やっと言えた一言に、お母さんからすぐに返答があった。
「もうそんなこと忘れたよ。今度いつ帰って来れそうなの?お母さんもお父さんもずっと待ってるんだからね」
涙声で鼻をすすりながらそう言ったお母さんのやさしい声に、私の意地は全部溶けた。溶けて流れた涙が頬を伝って、お母さんのお下がりの浴衣をぽつぽつと濡らした。
二人で電話を通して泣き合ってから、私は照れ隠しするために言った。
「お母さん、今度帰ったら、クリームソーダ作ってくれる?」
「もちろん、いつでも用意してあるよ」
「今でもあるんだ?」
「あたり前だよ。子どもには、良い想いしてもらわないとね」
お母さんの自慢げな笑顔が見えた気がした。私はまっすぐに海を見つめてくしゃりと笑った。
「さすがお母さん」
また連絡すると言って電話を切ると、海から来る風が私の涙を乾かすように撫でて通り過ぎた。
胸のつかえがとれた気持ちで風を感じてぼんやりしてしまう。
「風子」
呼ばれた声にはっと振り向く。電話の間ずっと何かを掴んでいた手が、きゅっと握り返されるのを感じた。
「え」
宗一郎さんの顔を見てから視線を下げると、私の手が宗一郎さんの手を握ってしまっていた。
「あ、すみません……!」
慌てて手を離した。だが、一度、握り返された感触があったのは気のせいか。
宗一郎さんは以前、莉乃ちゃんにメゾンの子には触らないと決めていると言い切っていた。触ってしまった。お叱りかと思って目を瞑ると、やわらかい声が届く。
「良かったな、お母さんと話できて」
怒られないのか。不思議に思ったが、宗一郎さんはゆるやかに微笑んだ。
そういえば、スーパーで「例外」について聞かれたことがあった。
今回はお母さんに電話するなんて最難関問題に立ち向かった非常時だ。例外として許してもらえたのかもしれない。
「背中押してもらって……ありがとうございました」
宗一郎さんにしっかり頭を下げると、何もしてへんよといつも通りの返答だ。宗一郎さんが腕時計を確認する。
「もうすぐ花火の時間やわ。その前に、俺の打ち明け話をしとこうか」
「あ、ぜひ聞きたいです」
「俺の打ち明け話は最初から決まってるんや」
「な、何でしょう」
宗一郎さんの秘密の魅惑に胸が高鳴った。私の期待に反して、なぜか宗一郎さんは悪戯っぽい顔をしていた。
「花火大会の日に、打ち明け話するのが白浜の決まりってのは嘘や」
「えぇ?!」
「嘘ついてごめんやで」
潮の香りを含んだ夜風に吹かれた宗一郎さんの前髪が揺れ、彼が悪びれずにからりと笑う。すると同時に、お腹の中から爆発するような轟音が響いた。
夜空に大輪の花火が打ち上がる。視線は空の花に釘付けだ。浜辺に集う人たちの拍手やささやかな歓声が聞こえてきた。
息をつかせる間もなく打ち上がる火の花を見上げながら、宗一郎さんの嘘が方便であることは説明されなくてもわかった。大きな音と花火の間に、私は隣に座る宗一郎さんに声をかける。
「宗一郎さん」
「ん?」
今夜のことが頭を駆け巡って、凪いだ気持ちに満ちていった。
「私、今夜の花火のこと忘れたくないです」
同じように空を見上げる宗一郎さんの声が、圧倒的な音にかき消される。
「……そうやったら、嬉しいわ」
両手のヨーヨー、夜店のクリームソーダ屋さん、お母さんに届いた電話。こうやって、宗一郎さんと浜辺に並んで座ったこと。
全部を包み込み、何度でも打ちあがる夜空の花は彼の言った通り
──綺麗だった。
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