海街メゾンで、小さく暮らそ。

ミラ

文字の大きさ
50 / 56
第七章 風子と小さな暮らし

打診

しおりを挟む
 
 中秋の名月を過ぎた頃、白良浜ラーメン屋さんの閉店作業を終えた私はミカミカさんに呼び出された。

「風子ちゃん、話あるねん。悪いけどちょっと来てや」
「はーい」

 エプロンを外しながら、店の奥の小上がりにあるミカミカさんの占い部屋に足を運んだ。店のホールから薄いレースのカーテンをくぐって中に入る。向かい合ったソファの奥の方に、ミカミカさんが座っていた。

 向かいのソファに腰をかけると、ミカミカさんが姿勢を整えてから大らかに笑った。

「まずは夏によう働いてくれたお礼をしたいねん」
「お礼ですか?」
「風子ちゃんだけやで、夏バテせんと皆勤したのは。特別ボーナス出させてもらうわ」
「え、いいんですか?!」

 私はつい前のめりになり、ミカミカさんに大きな声で確認してしまう。ホールまで響いてしまったかもしれない。ミカミカさんは何度も頷いた。

「うちは頑張ってくれた子にはようけ払いたいねん」
「ありがとうございます!」

 ミカミカさんに手渡された給与明細には臨時報酬に10万円と記載されていて、目が飛び出そうになった。私が息を飲んで明細を見つめていると、ミカミカさんがさらに書類を手渡した。

「何ですか?これ?」
「正社員雇用契約書や」
「正社員ですか?!」
「風子ちゃん良かったら、うちの店へ正式に就職せえへんか?」

 私は書類の一番上に書かれた「正社員」の文字に釘付けだった。

「夏の営業は大変やったやろ?大概みんな疲れて嫌な雰囲気になるねん。でも風子ちゃんはずっと笑顔やった。風子ちゃんみたいな接客のプロフェッショナルが前から欲しかったんや」

 書類から顔を上げて、ミカミカさんを見る。ミカミカさんは大きな窓の外の見える白良浜を眺めて、暑い夏をふり返っているようだった。

「風子ちゃんはしんどい時に、お客さんを全力で喜ばせる気力がある。しかも、仕事仲間に理不尽に当たったり、一回もせえへんかった」

 ミカミカさんが私を正面に見据え直す。

「むしろ、しんどい時に一緒にしんどい目にあって、そこでこそ笑ってくれる。あんたはそういう子や。うちは風子ちゃんともっと長く働きたいんや」

 ミカミカさんの全力の賞賛を受けて、目に熱さが宿る。こんな風に、私の仕事ぶりを評価してくれた人は今まで一人もいなかった。

「そんな風に言ってもらって、ありがとうございます」

 私はもらった書類で顔を隠しながら、そう小さく言うのが精いっぱいだった。

「正当な評価やで。自信持ちや」

 ミカミカさんの声には誇張が何もなく、平静な経営者の判断を告げてくれていた。

「厨房の東郷からの評判もええで。うちの店は大歓迎や。風子ちゃん、よう考えて返事ちょうだいや」 

 私は目頭に溜まったものを拭いて、ミカミカさんをまっすぐ見つめた。私はこれからクリームソーダの研究を続けながら、自分のカフェの開店資金を稼いでいきたいと思っている。

 前は同じ働くならばラーメン屋ではなく、カフェで働きたいと思っていた。

 けれど、今はやりたいことが明確にある。だから、私の枠はすでに定まっている。私のやるべきことは、カフェで働くことではなく「安定してお金を稼ぐこと」だ。

 正社員の打診はそれこそ喉から手が出るほど嬉しい申し出である。私は二つ返事だ。

「ゆっくり考えても結論は変わりません。ぜひ、これからもよろしくお願いします」

 ミカミカさんは二つ瞬きしてから、大きな笑顔を見せた。

「即決できるなんて、迷わんとしっかり生きてるんやなぁ。感心したわ!」

 私も、迷わなかった自分に感心していた。海街メゾンで宗一郎さんに鍛えられた暮らしルールのおかげだ。ミカミカさんが皺を刻んでにっかりと笑い、手でお金マークを作った。

「うちは給料ええから任せてや!」
「期待しちゃいます!」

 光満ちる占い小部屋で二人で笑い合ってから、私は大急ぎで海街メゾンへ帰った。

 白良浜を横目にメゾンへの道を抜けて、海街メゾンのサーモンピンクのドアを跳ね開け、夕暮れのリビングへ駆け込む。

「風子、そんな急いでどうしたんや?」

 ちょうどキッチンで水を飲んでいた宗一郎さんの前で立ち止まり、私は肩で息をしながら彼に言った。

「宗一郎さん!ミカミカさんが、私を正社員にしてくれるそうです!やりましたー!」

 私が大げさに自分で拍手しながら言うと、宗一郎さんもグラスを置いて両手で拍手してくれた。ゆるんだ笑顔だが、あまり驚きがないと直感する。私はやっと気がついた。

 宗一郎さんは白良浜ラーメン屋さんの経営陣の一人だ。正社員が一人増える予定を知らないわけがない。私は驚いてもらえると思っていたのに、がっくり肩を落とした。

「宗一郎さん、知ってたんですね……私一人で舞い上がっちゃって恥ずかしい……!」

 私は両手で顔を覆いたくなってしまった。

「そんなこと言いな。そうやって嬉しそうに報告して欲しかったから、黙ってたんやから」

 宗一郎さんは笑いながら何気なくそう言った。だが、私はきょとんとしてしまう。

 私が喜ぶところをわざわざ宗一郎さん自身が見たかったから、内緒にしたということか。いや、単にサプライズか。どう受け取るべきか判断できずにいると、宗一郎さんが先に話し始めた。

「風子、正社員の件はどうするんや」
「即決で、ミカミカさんにお世話になりますって返答してきました」

 宗一郎さんは満足そうにそうかと言って、落ち着いたら話があると澄んだ声で言われた。

 私の心臓がとくんと怯えるように冷たく跳ねた。


 宗一郎さんが話したい内容に、心当たりがあった。


 私の胸の中で、心臓が警鐘のように緊張した音を鳴らしていた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

わたしを幸せにする25のアイテム

白川ちさと
ライト文芸
 宮下みやび、二十五歳、は外車専門の中古車販売店に勤めていた。支店に転勤してきた岩梨悟という男に一目ぼれする。彼はミニマリストで部屋には何もない。彼に好かれようと、みやびもドンドン物を減らしていく。  しかし、ある日、岩梨悟が女性と仲良く歩いているところを目撃。失恋のショックと何もない部屋に愕然とする。  そんな折、みやびはコンビニで万引きをしようとしている女子高生を見つけてしまう。すんでのところで止めたみやび。彼女は失恋のショックで道を踏み外そうとしていたのだ。  失恋話で意気投合するみやびと、女子高生の翠。  翠は空っぽの部屋を見て、恩あるみやびを幸せにするための物を集めようと奮起する。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

地味男はイケメン元総長

緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。 GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。 お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが! 「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」 「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」 ヒミツの関係はじめよう? *野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。 野いちご様 ベリーズカフェ様 エブリスタ様 カクヨム様 にも掲載しています。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

処理中です...