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接触、和真と佑一
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安積が和真たちを目に止めて、立ち止まる。
「おい、君たちは学内だけでいい。研究所は我々が調べる、そう言ったはずだ」
「そうでしたっけ? けど、せっかく此処まで来たんだから、話しくらい聞いてかないと」
和真は悪びれる様子もなく、へらへらと笑いを浮かべてみせた。
「せっかくだが、充分だ。君たちは戻りたまえ」
「いや、そう言わずに…」
和真は安積の警告を無視して、歩を進めようとした。が、その前に、佑一が立ちふさがった。
「佑一……」
「安積さんが、帰れと言ってるだろう。戻れ」
「まあ、そう堅くなるなよ」
和真は軽く笑うと、脇を通り過ぎようとした。しかしその瞬間、和真は腰から落ちそうになり、慌てて踏ん張ろうとする。そこを、ぐるりと引き回され、後方に廻るように戻された。
「な…」
驚いた。柔道をやっていた和真は、足腰が強靭である。単に両肩を掴まれ後ろに引かれたのなら、掴んだ相手ごと引くくらいの力はある。また、習性として倒れそうになったら身体のバランスを整えるのが身に着いている。
その和真が後ろに倒れそうになったのは、それが力任せではなく、あくまで柔らかく、腰から崩すような技だったからである。何気ないが、その巧みな技量を和真は一瞬で認識したのだった。
ゆっくりと後ろを振り返ると、眼鏡をかけた佑一が、和真を静かに見つめている。
「ふうん……」
和真の口元に、笑みが洩れた。
「通させてもらうぜ」
和真はいきなり鋭い踏み込みをすると、佑一の腹部に中段突きを放った。
佑一は素早く下がりながら、腕を交差させて十字受けで和真の突きを下に払う。と、見た瞬間、右手の甲を向けて和真の顔面を襲った。指先まで鞭のようにしならせたスナップのきいた目つぶしである。和真はそれを左掌で受ける。
と同時に、身体を傾けながら、右の蹴りを佑一の腹部に放った。が、佑一はそれを僅かに踏み込んで威力を殺しつつ、左手で軽く抑えながら、右足のつま先で和真の急所に鞭のような蹴りを入れてきた。和真はそれを下段払いしながら、後方に跳び退る。
二人の距離が空いた。
和真は左手刀を縦にし、右手を水月辺りに添える構え。対する佑一は、右手を軽く指先まで開いて前に出し、軽く握った左手を顎の傍に添える構え。二人はそのまま、制止した状態で睨みあった。
「な――」
あまりの一瞬の攻防に、驚いていた安積が声をあげる。
「――何をしてるんだ、貴様!」
安積の声が響いても、二人はそちらを見ようともしない。しかしゆっくりと、和真が構えを解いた。
「やるな、佑一。しかし、妙な技だ。お前、何をやってたんだ?」
「アメリカにいた時、元軍人のインストラクターに戦闘術を教わった」
そう答えながら、佑一も構えを解いて腕を落とす。
「軍隊式格闘術か…なるほどね。目つぶし金的と、禁止技ばかり出てくるわけだ」
「気に入らんか?」
佑一の言葉に和真は笑ってみせた。
「いいや、実戦的でいいんじゃないか」
和真の言葉を聞くと、佑一の口元に微かに笑みが浮かんだ。
笑みを含んだ二人は、しばし見つめ合った。
「あ…あの~、和真先輩?」
今日子がおそるおそる声を出す。それを聴いて、和真は口を開いた。
「しょうがねえ、研究所は任せるよ。――行くか、中条」
「は、はい」
そう言って背を向けて歩き出そうとした和真に、安積の声が飛んだ。
「佐水! 貴様、問題にしてやるからな!」
和真が足を止めた。ゆっくりと振り返る。
その目付の圧に、安積の顔が怯んだ。
「…好きにすれば?」
それだけ言うと、和真はまた歩き出した。その横に並んで、今日子が歩く。しばらく過ぎてから、今日子が小声で囁いた。
「いいんですか、和真先輩。公安の人に喧嘩なんか売っちゃって」
和真は眉を上げて見せる。
「喧嘩なんか売ってねえよ」
そう言いながら、和真は笑みを浮かべながら歩いていた。
「……なんか、ご機嫌ですね」
「あいつの実力が判ったからな」
今日子は上目遣いに和真を見ながら、隣を歩いた。
「あの国枝さんて人、強かったって事ですよね」
「相当な――大した奴さ」
機嫌よく答える和真に、今日子は不審げな顔をみせた。
「それはそうと、国枝さんてアメリカ帰りなんですか?」
「そう。あいつは一旦は東大に入ったけど、半年後にスタンフォード大学に入り直したんだ」
「え~っ!」
驚く今日子に、和真は笑いながら言葉を続けた。
「ちなみに、あいつの親父さんは、警察庁長官官房の首席監察官、国枝光(みつ)佑(すけ)警視監。中条と同じキャリア二世だよ」
「え! そうなんですか! なんでキャリアじゃなくて、公安にいるんです?」
「帰国して、普通に警察学校に入ったからな。半年連れてるから、あいつとは同期じゃなかったけど」
今日子は人差し指を唇にあてながら、上を向く。
「能力はあるのに、敢えて現場――みたいな感じなんですかねえ。ちょっとカッコイイかも。…イケメンだし」
「ま、イケメンなのは認めるけどよ。――ん」
二人が車に到着した時、ちょうど車の無線が響いた。
「本部より、一号車」
今日子が自分を指さして、アピールする。和真は苦笑しながら頷いた。今日子は無線機をあげて応えた。
「はい、一号車、どうぞ」
「お、今日子ちゃんか。和真、海江田先生のところで検屍結果が出たって連絡があったぞ」
「判りました、そっちに向かいます」
無線先の仁に大声でそう言うと、和真は行く先を王日大学の法医学研究所に向けた。
王日大学の法医学研究所所長の海江田芳樹教授は、和真と一緒に現れた今日子の姿を見るなり、白い髭の下の口元をほころばせた。
「なんじゃあ、今日は娘さん連れか、新人かい?」
「はい、中条今日子です。今日子ちゃん、って呼んでください」
今日子がにっこり笑いながら挨拶する。海江田教授は嬉しそうに目を細めた。
「おお、そうか、そうかい」
「あ、言っときますけど、彼女はキャリアですから」
「何?」
海江田の顔が驚きに包まれる。
「あ、気にしないでください。和真先輩にも、新人として厳しく指導してもらってます!」
「……俺、別に厳しいとこないだろ」
和真がうんざりした顔で呟く。それをよそに海江田教授は、今日子に目を向けた。
「いやあ、しかし可愛らしいお嬢さんだ。こんな人が、日本の警察の明日を変えていくのかもしれんな」
「頑張ります!」
「大分、気がはえーよ。先生、それより検死結果は?」
和真に促され、海江田教授は写真のついた調書を取り出した。
「うむ。右前側頭部が陥没。しかし死因は頸椎骨折による神経損傷じゃな。陥没の度合いから見て、人の力で殴ったりしたものではなく、高所からの落下の際の衝撃によるものと思われる」
「803号室から落ちた時に、頭を打って首を折ったわけだな」
和真は目を細めた。今日子が口を挟む。
「自殺っぽいんじゃないですか?」
「うむ、掌に砂礫などの付着跡はないし、腕も折れてなく傷もない。地面に向けて手を出してないし、頭も庇ってない事は間違いない。覚悟を決めた飛び降り自殺の遺体に酷似しておる」
今日子の言葉に、海江田はそう返した。
「つまり落とされたなら、手を地面に向けたり頭を庇ったりしてるはずだって事だよな…」
和真は呟いた。
「身体には傷は?」
「目だった外傷はないが、右足は膝が割れて脛部が折れておる。これは落下の際の衝撃で折れたと思われる。打撲痕などの争った形跡は見当たらんな」
「……直接見ていいかい?」
「別に構わんが。――今日子ちゃんはどうする?」
「後学のために頑張ります!」
二人は全身に防護服をまとい、安置室へと入っていった。
かけられているシーツをはがすと、中から西村孝義の遺体が現れた。
「ひ……」
今日子が声をあげる。
「中条、無理そうだったら出ていいんだからな」
「は、はい」
頭部は陥没部周辺の髪を剃っている。綺麗な円状になっていた。
「この頭の凹み傷は、地面に接触した時の形だ。鈍器などで殴られたものではない」
和真は頷きながら、首元を見ていた。
「首に圧迫痕は?」
「ないな。首を絞め折るとしたら、指の後が残るはずだが、そういうものはない。それに、結構な怪力でないと、成人男性の頸椎を損傷させるのは難しかろう」
「そうでもないけどね」
不意に和真が、閉じている西村の眼を開かせる。その眼は充血していた。
「うむ、両目とも充血しておったな。しかし脳からの出血が逆流したものと思われるぞ。何か気になるのか?」
「絞め技かな、と思ってさ」
三人は安置室を出て、着替えた。海江田が和真に訊く。
「何か気になっとるんじゃな?」
「いや、頸椎を折ってから落としたり、気絶させて落としたら、自殺に見えるんじゃないかと思ってさ」
「ふむ。しかし血中にこれといった薬物反応もなかったぞ。――そうか、それで絞め技とな」
海江田は興味深そうな顔を見せると、白い髭を撫でた。和真は口を開いた。
「柔道の絞めは落とすための技だから、首の骨は折らない。けど型通りにやったら、襟で頸動脈を圧迫するんで、その圧迫痕は残る。けど、プロレスでみるような、腕全体で顎を包むようにホールドするスリーパーホールドだと、圧迫痕はつかないんだ」
「ふむ、なるほど」
和真は話しをしながら今日子の背後に回り込むと、促すように今日子の肩を抑えて身体を沈ませた。そこから腕全体で顎を包むようにホールドしてみせる。
「ちょ、和真先輩」
「落とすのが目的じゃない場合、このホールドした状態で、相手を下に沈ませながら胸で押してやるだけで、相手は首に相当の圧迫感があるんだ。これはかける側はそれほど力が要らないけど、やられる側はテコの原理で首に圧迫がかかって折られることになる。それに圧迫し続けてれば相手は落ちる」
「こんな背中からギューは嫌ですぅ」
「あ、悪い」
今日子が声をあげて、和真は離した。
「しかしそうなると、前側頭部の脳挫傷は頸椎損傷とは関係ないということになる。しかし、二つの痕跡を分けて考える必然性があるかな?」
海江田教授の問いに、和真は首を傾げた。
「確かにね。普通なら自殺で済みそうなんだけど……これは、他殺なんだそうだよ」
「なんじゃ、そりゃ? どういう事じゃ?」
「そう、公安さんが言ってるんですよ」
今日子が困り顔をしてみせた。和真は考えながら、口を開く。
「連中がそう言うんなら、他殺だと考えるそれなりの理由があるんだろうさ。ところで、死亡推定時刻は?」
「死亡推定時刻は昨日――五月十四日の24時前後といったところだ」
「なるほど、ありがとう先生。毎度の事だけど」
「なんの、なんの」
そう言って海江田教授は顔をほころばせた。
その時、和真の携帯が鳴り、和真は電話に出た。
「はい、佐水」
「佐水――」
声の主は、多胡課長である。
「お前は捜査から外す」
和真は眼を見開いた。
「おい、君たちは学内だけでいい。研究所は我々が調べる、そう言ったはずだ」
「そうでしたっけ? けど、せっかく此処まで来たんだから、話しくらい聞いてかないと」
和真は悪びれる様子もなく、へらへらと笑いを浮かべてみせた。
「せっかくだが、充分だ。君たちは戻りたまえ」
「いや、そう言わずに…」
和真は安積の警告を無視して、歩を進めようとした。が、その前に、佑一が立ちふさがった。
「佑一……」
「安積さんが、帰れと言ってるだろう。戻れ」
「まあ、そう堅くなるなよ」
和真は軽く笑うと、脇を通り過ぎようとした。しかしその瞬間、和真は腰から落ちそうになり、慌てて踏ん張ろうとする。そこを、ぐるりと引き回され、後方に廻るように戻された。
「な…」
驚いた。柔道をやっていた和真は、足腰が強靭である。単に両肩を掴まれ後ろに引かれたのなら、掴んだ相手ごと引くくらいの力はある。また、習性として倒れそうになったら身体のバランスを整えるのが身に着いている。
その和真が後ろに倒れそうになったのは、それが力任せではなく、あくまで柔らかく、腰から崩すような技だったからである。何気ないが、その巧みな技量を和真は一瞬で認識したのだった。
ゆっくりと後ろを振り返ると、眼鏡をかけた佑一が、和真を静かに見つめている。
「ふうん……」
和真の口元に、笑みが洩れた。
「通させてもらうぜ」
和真はいきなり鋭い踏み込みをすると、佑一の腹部に中段突きを放った。
佑一は素早く下がりながら、腕を交差させて十字受けで和真の突きを下に払う。と、見た瞬間、右手の甲を向けて和真の顔面を襲った。指先まで鞭のようにしならせたスナップのきいた目つぶしである。和真はそれを左掌で受ける。
と同時に、身体を傾けながら、右の蹴りを佑一の腹部に放った。が、佑一はそれを僅かに踏み込んで威力を殺しつつ、左手で軽く抑えながら、右足のつま先で和真の急所に鞭のような蹴りを入れてきた。和真はそれを下段払いしながら、後方に跳び退る。
二人の距離が空いた。
和真は左手刀を縦にし、右手を水月辺りに添える構え。対する佑一は、右手を軽く指先まで開いて前に出し、軽く握った左手を顎の傍に添える構え。二人はそのまま、制止した状態で睨みあった。
「な――」
あまりの一瞬の攻防に、驚いていた安積が声をあげる。
「――何をしてるんだ、貴様!」
安積の声が響いても、二人はそちらを見ようともしない。しかしゆっくりと、和真が構えを解いた。
「やるな、佑一。しかし、妙な技だ。お前、何をやってたんだ?」
「アメリカにいた時、元軍人のインストラクターに戦闘術を教わった」
そう答えながら、佑一も構えを解いて腕を落とす。
「軍隊式格闘術か…なるほどね。目つぶし金的と、禁止技ばかり出てくるわけだ」
「気に入らんか?」
佑一の言葉に和真は笑ってみせた。
「いいや、実戦的でいいんじゃないか」
和真の言葉を聞くと、佑一の口元に微かに笑みが浮かんだ。
笑みを含んだ二人は、しばし見つめ合った。
「あ…あの~、和真先輩?」
今日子がおそるおそる声を出す。それを聴いて、和真は口を開いた。
「しょうがねえ、研究所は任せるよ。――行くか、中条」
「は、はい」
そう言って背を向けて歩き出そうとした和真に、安積の声が飛んだ。
「佐水! 貴様、問題にしてやるからな!」
和真が足を止めた。ゆっくりと振り返る。
その目付の圧に、安積の顔が怯んだ。
「…好きにすれば?」
それだけ言うと、和真はまた歩き出した。その横に並んで、今日子が歩く。しばらく過ぎてから、今日子が小声で囁いた。
「いいんですか、和真先輩。公安の人に喧嘩なんか売っちゃって」
和真は眉を上げて見せる。
「喧嘩なんか売ってねえよ」
そう言いながら、和真は笑みを浮かべながら歩いていた。
「……なんか、ご機嫌ですね」
「あいつの実力が判ったからな」
今日子は上目遣いに和真を見ながら、隣を歩いた。
「あの国枝さんて人、強かったって事ですよね」
「相当な――大した奴さ」
機嫌よく答える和真に、今日子は不審げな顔をみせた。
「それはそうと、国枝さんてアメリカ帰りなんですか?」
「そう。あいつは一旦は東大に入ったけど、半年後にスタンフォード大学に入り直したんだ」
「え~っ!」
驚く今日子に、和真は笑いながら言葉を続けた。
「ちなみに、あいつの親父さんは、警察庁長官官房の首席監察官、国枝光(みつ)佑(すけ)警視監。中条と同じキャリア二世だよ」
「え! そうなんですか! なんでキャリアじゃなくて、公安にいるんです?」
「帰国して、普通に警察学校に入ったからな。半年連れてるから、あいつとは同期じゃなかったけど」
今日子は人差し指を唇にあてながら、上を向く。
「能力はあるのに、敢えて現場――みたいな感じなんですかねえ。ちょっとカッコイイかも。…イケメンだし」
「ま、イケメンなのは認めるけどよ。――ん」
二人が車に到着した時、ちょうど車の無線が響いた。
「本部より、一号車」
今日子が自分を指さして、アピールする。和真は苦笑しながら頷いた。今日子は無線機をあげて応えた。
「はい、一号車、どうぞ」
「お、今日子ちゃんか。和真、海江田先生のところで検屍結果が出たって連絡があったぞ」
「判りました、そっちに向かいます」
無線先の仁に大声でそう言うと、和真は行く先を王日大学の法医学研究所に向けた。
王日大学の法医学研究所所長の海江田芳樹教授は、和真と一緒に現れた今日子の姿を見るなり、白い髭の下の口元をほころばせた。
「なんじゃあ、今日は娘さん連れか、新人かい?」
「はい、中条今日子です。今日子ちゃん、って呼んでください」
今日子がにっこり笑いながら挨拶する。海江田教授は嬉しそうに目を細めた。
「おお、そうか、そうかい」
「あ、言っときますけど、彼女はキャリアですから」
「何?」
海江田の顔が驚きに包まれる。
「あ、気にしないでください。和真先輩にも、新人として厳しく指導してもらってます!」
「……俺、別に厳しいとこないだろ」
和真がうんざりした顔で呟く。それをよそに海江田教授は、今日子に目を向けた。
「いやあ、しかし可愛らしいお嬢さんだ。こんな人が、日本の警察の明日を変えていくのかもしれんな」
「頑張ります!」
「大分、気がはえーよ。先生、それより検死結果は?」
和真に促され、海江田教授は写真のついた調書を取り出した。
「うむ。右前側頭部が陥没。しかし死因は頸椎骨折による神経損傷じゃな。陥没の度合いから見て、人の力で殴ったりしたものではなく、高所からの落下の際の衝撃によるものと思われる」
「803号室から落ちた時に、頭を打って首を折ったわけだな」
和真は目を細めた。今日子が口を挟む。
「自殺っぽいんじゃないですか?」
「うむ、掌に砂礫などの付着跡はないし、腕も折れてなく傷もない。地面に向けて手を出してないし、頭も庇ってない事は間違いない。覚悟を決めた飛び降り自殺の遺体に酷似しておる」
今日子の言葉に、海江田はそう返した。
「つまり落とされたなら、手を地面に向けたり頭を庇ったりしてるはずだって事だよな…」
和真は呟いた。
「身体には傷は?」
「目だった外傷はないが、右足は膝が割れて脛部が折れておる。これは落下の際の衝撃で折れたと思われる。打撲痕などの争った形跡は見当たらんな」
「……直接見ていいかい?」
「別に構わんが。――今日子ちゃんはどうする?」
「後学のために頑張ります!」
二人は全身に防護服をまとい、安置室へと入っていった。
かけられているシーツをはがすと、中から西村孝義の遺体が現れた。
「ひ……」
今日子が声をあげる。
「中条、無理そうだったら出ていいんだからな」
「は、はい」
頭部は陥没部周辺の髪を剃っている。綺麗な円状になっていた。
「この頭の凹み傷は、地面に接触した時の形だ。鈍器などで殴られたものではない」
和真は頷きながら、首元を見ていた。
「首に圧迫痕は?」
「ないな。首を絞め折るとしたら、指の後が残るはずだが、そういうものはない。それに、結構な怪力でないと、成人男性の頸椎を損傷させるのは難しかろう」
「そうでもないけどね」
不意に和真が、閉じている西村の眼を開かせる。その眼は充血していた。
「うむ、両目とも充血しておったな。しかし脳からの出血が逆流したものと思われるぞ。何か気になるのか?」
「絞め技かな、と思ってさ」
三人は安置室を出て、着替えた。海江田が和真に訊く。
「何か気になっとるんじゃな?」
「いや、頸椎を折ってから落としたり、気絶させて落としたら、自殺に見えるんじゃないかと思ってさ」
「ふむ。しかし血中にこれといった薬物反応もなかったぞ。――そうか、それで絞め技とな」
海江田は興味深そうな顔を見せると、白い髭を撫でた。和真は口を開いた。
「柔道の絞めは落とすための技だから、首の骨は折らない。けど型通りにやったら、襟で頸動脈を圧迫するんで、その圧迫痕は残る。けど、プロレスでみるような、腕全体で顎を包むようにホールドするスリーパーホールドだと、圧迫痕はつかないんだ」
「ふむ、なるほど」
和真は話しをしながら今日子の背後に回り込むと、促すように今日子の肩を抑えて身体を沈ませた。そこから腕全体で顎を包むようにホールドしてみせる。
「ちょ、和真先輩」
「落とすのが目的じゃない場合、このホールドした状態で、相手を下に沈ませながら胸で押してやるだけで、相手は首に相当の圧迫感があるんだ。これはかける側はそれほど力が要らないけど、やられる側はテコの原理で首に圧迫がかかって折られることになる。それに圧迫し続けてれば相手は落ちる」
「こんな背中からギューは嫌ですぅ」
「あ、悪い」
今日子が声をあげて、和真は離した。
「しかしそうなると、前側頭部の脳挫傷は頸椎損傷とは関係ないということになる。しかし、二つの痕跡を分けて考える必然性があるかな?」
海江田教授の問いに、和真は首を傾げた。
「確かにね。普通なら自殺で済みそうなんだけど……これは、他殺なんだそうだよ」
「なんじゃ、そりゃ? どういう事じゃ?」
「そう、公安さんが言ってるんですよ」
今日子が困り顔をしてみせた。和真は考えながら、口を開く。
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「死亡推定時刻は昨日――五月十四日の24時前後といったところだ」
「なるほど、ありがとう先生。毎度の事だけど」
「なんの、なんの」
そう言って海江田教授は顔をほころばせた。
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