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第二章
09 目を逸らす無視する見て見ぬふりをする
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今、ザイは宰相邸にいる。
宰相邸の主人だって、疲れたら癒されたい。それはザイもよく分かるのだが。
──わしゃわしゃわしゃわしゃ。
「王子、お部屋に戻ってらしたよ。落ち着かれたみたいだ」
「そうか」
──もふもふもふもふもふもふ。
「母さんに『これは殴っても痛くないですから』って、でっかい枕とか渡されて毒気抜かれたみたい」
「そうか。物に当たるなどということは、なさったことがないだろうな、あの方は」
はーっと盛大にため息を付く宰相は、ザイの報告を聞きながら、ずーっとハクの背を撫でてやっている。
……宰相もしばらく現実逃避が必要らしい。
気持ちよく撫でられているハクはご機嫌で、宰相の横にきちんとお座りしている。その周りを、自分も撫でて欲しいユキがウロウロしている。見かねてザイは言う。
「父さん、ユキちゃんも構ってあげて」
「ああ、そうか」
ひたすら愛犬たちをわしゃわしゃもふもふする宰相閣下の姿というのは、ちょっと悲しいものがある。ザイはそっと目を逸らした。
※
宰相に現実を突きつけられた第四王子は、突然、失礼する、と言って客間を出た。
その後居室に大人しく戻ったのを、今は夫人と秘書官が話し相手を務めながら見張っている。王子の自害を警戒してのことだ。シロとビャクも付いている。
それを確認して来たザイが客間に入ると、宰相はひたすら犬をわしゃわしゃもふもふしていたというわけであった。王子の様子を伝えたあと、しばらく無言になってしまったザイだったが、口を開く。
「父さん、いつか刺されるよ」
そんなザイに、宰相はうるさげに言う。
「急所は庇えるから何とかなる」
「何とかなるようにするのは父さんじゃない」
周りの身にもなってほしい。恐ろしいことを平気で言う父に、一瞬だけカイルのことが頭をかすめたザイは、少し怒って言う。宰相は苦い顔をしたが、発言を取り消す気はないらしい。
「母さんも怒ってたよ」
外見に似合わず愛妻家の父は、母を持ち出すと割とどうにかなることも多い。もちろんザイが息子だからこそ、だが。
これが他人であったら、父はその者を二度と寄せ付けないだろう。フーッと細い息を吐いた宰相が言う。
「無視されないだけマシだ」
「無視されたことあるの?」
「……ある。あった。割とな」
ザイは思う。不思議なくらい会話のないこの夫婦の「無視」ってどんなだろう?
「母さんの無視ってどんなの?」
「目を合わせてくれない。徹底的にだ。それがとても堪える」
「とても」
「シロたちにも逃げられる」
「あっ、それはつらい……」
宰相邸の番犬四頭の真の主人は、宰相夫人である。いつも家人にわしゃわしゃされるのを楽しみに寄ってくる可愛いシロたちに避けられる様を想像するだけで、ザイは涙目になれる。
お前を勘当した時は、ひと月だったか、あれは元女官の本領発揮だったと父は遠い目をする。
先々帝に仕えた女官は、主人との仲を疑われないために、主人とは言葉を交わすことはもちろんのこと、視線を交わすこともしてはならなかったそうだ。
どうやってそんなんでお仕えするのだと今上侍従のザイは思うが、昔は、特に女官というものは宮においてはそういうものだったらしい。先帝の時代になって随分変わり、今はそのようなことはないのだが。
それはさておき、王子である。ハクとユキを離した宰相が言う。
「誰かがはっきり申し上げねば、お認めにはなるまい」
恐らく王国では諌める者もいないだろう。
諌めたところで不興を買うだけだ。
第四王子にとっては、ここまでくれば気づかない方が幸せであるかもしれない。困るのは王妃と第四王子のみ。
王が諌めない限り、皆、見て見ぬふりをするのも当然だろう。
「それにもう、あの方は既にお客人ではないのだろう?」
宰相が言うのに、ザイは頷いた。
宰相邸の主人だって、疲れたら癒されたい。それはザイもよく分かるのだが。
──わしゃわしゃわしゃわしゃ。
「王子、お部屋に戻ってらしたよ。落ち着かれたみたいだ」
「そうか」
──もふもふもふもふもふもふ。
「母さんに『これは殴っても痛くないですから』って、でっかい枕とか渡されて毒気抜かれたみたい」
「そうか。物に当たるなどということは、なさったことがないだろうな、あの方は」
はーっと盛大にため息を付く宰相は、ザイの報告を聞きながら、ずーっとハクの背を撫でてやっている。
……宰相もしばらく現実逃避が必要らしい。
気持ちよく撫でられているハクはご機嫌で、宰相の横にきちんとお座りしている。その周りを、自分も撫でて欲しいユキがウロウロしている。見かねてザイは言う。
「父さん、ユキちゃんも構ってあげて」
「ああ、そうか」
ひたすら愛犬たちをわしゃわしゃもふもふする宰相閣下の姿というのは、ちょっと悲しいものがある。ザイはそっと目を逸らした。
※
宰相に現実を突きつけられた第四王子は、突然、失礼する、と言って客間を出た。
その後居室に大人しく戻ったのを、今は夫人と秘書官が話し相手を務めながら見張っている。王子の自害を警戒してのことだ。シロとビャクも付いている。
それを確認して来たザイが客間に入ると、宰相はひたすら犬をわしゃわしゃもふもふしていたというわけであった。王子の様子を伝えたあと、しばらく無言になってしまったザイだったが、口を開く。
「父さん、いつか刺されるよ」
そんなザイに、宰相はうるさげに言う。
「急所は庇えるから何とかなる」
「何とかなるようにするのは父さんじゃない」
周りの身にもなってほしい。恐ろしいことを平気で言う父に、一瞬だけカイルのことが頭をかすめたザイは、少し怒って言う。宰相は苦い顔をしたが、発言を取り消す気はないらしい。
「母さんも怒ってたよ」
外見に似合わず愛妻家の父は、母を持ち出すと割とどうにかなることも多い。もちろんザイが息子だからこそ、だが。
これが他人であったら、父はその者を二度と寄せ付けないだろう。フーッと細い息を吐いた宰相が言う。
「無視されないだけマシだ」
「無視されたことあるの?」
「……ある。あった。割とな」
ザイは思う。不思議なくらい会話のないこの夫婦の「無視」ってどんなだろう?
「母さんの無視ってどんなの?」
「目を合わせてくれない。徹底的にだ。それがとても堪える」
「とても」
「シロたちにも逃げられる」
「あっ、それはつらい……」
宰相邸の番犬四頭の真の主人は、宰相夫人である。いつも家人にわしゃわしゃされるのを楽しみに寄ってくる可愛いシロたちに避けられる様を想像するだけで、ザイは涙目になれる。
お前を勘当した時は、ひと月だったか、あれは元女官の本領発揮だったと父は遠い目をする。
先々帝に仕えた女官は、主人との仲を疑われないために、主人とは言葉を交わすことはもちろんのこと、視線を交わすこともしてはならなかったそうだ。
どうやってそんなんでお仕えするのだと今上侍従のザイは思うが、昔は、特に女官というものは宮においてはそういうものだったらしい。先帝の時代になって随分変わり、今はそのようなことはないのだが。
それはさておき、王子である。ハクとユキを離した宰相が言う。
「誰かがはっきり申し上げねば、お認めにはなるまい」
恐らく王国では諌める者もいないだろう。
諌めたところで不興を買うだけだ。
第四王子にとっては、ここまでくれば気づかない方が幸せであるかもしれない。困るのは王妃と第四王子のみ。
王が諌めない限り、皆、見て見ぬふりをするのも当然だろう。
「それにもう、あの方は既にお客人ではないのだろう?」
宰相が言うのに、ザイは頷いた。
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