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第三章
23 無意味な死と無意味な遊び
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御前で何があったか、今上ガレスは先代の宮には一切知らせてこなかった。東の宮に伝えられたのも、「カイルが病に倒れた」ただ、それのみである。
それが嘘だとわかる先代は、カイルは自身を殺させたか、自死したか、どちらかだと考えていた。
どちらにせよ、カイルの思い通りではあっただろう。
御前を死で穢すことによって、カイルは宮から己の名を消した。ひいては先帝の名を。
新帝ガレスには大き過ぎる先帝の名を完全に消し、真の意味での譲位を果たしたのだろう。
先代は思う。
それに、どれほどの意味がある?
お前の弟子はお前の名より弱いか?
俺の甥は、それほど頼りなかったか?
もし、そう尋ねられたなら、事実がどうであろうが「そうですよ?」とあっさり肯定するカイルが目に浮かぶ先代は、わしゃわしゃと頭を掻く。
結局は、分からないのだ。
死んだ奴を勝手にあれこれ想像した所で、今更済んだことだ。
むしろ、なんの意図もなく、このように先代の関心を宮から外させないためにそうしたのでないかとさえ思えてくる。
限られた情報の中で先代が分かるのは、カイルは誰に殺されたのでもなく、自分で終わらせたという事。
──それが先帝によって選ばされたものであったとしても、カイルのそれまでの生を考えれば「マシな死に方」であったかもしれぬ。
先代の東の宮は、自身をそう納得させようとする。奴自身にはそれで良かったのだ、と。
だが、そんな「カイルの死に方」は、恐らくザイを深く傷付けた。
ザイが酷い有り様であったことは、皇帝からも宰相からも知らされていた。カイルの死と無関係ではあるまい。
ザイが耐えられるだろうと判断してのカイルの決断だろうが、全く侍従という奴は。
──死んだ後まで面倒くさい奴だ。
ザイの不調も含め、その後の宮の面倒は宰相が引き受けさせられた。
そんな宰相を気の毒に思いかけて、いや、違うか、と先代は考える。
──まあ、あやつら二人の間では、それで貸し借り相殺となったかもしれん。
宰相も内心は思うことは様々あっただろうが、それに振り回されるような奴ではない。宮なんぞで長いこと蹴落とされずにいる奴は、大抵そうだろう。
だが、ザイは違う。カイルの死の悲しみに呑まれ苦しみ、そして傷つき悩んだまま。
未熟で弱い。
しかし、強い。
誰もがカイルの名を忘れるように努める帝国で、一人抗っている。
東の先代は口の端を吊り上げる。
いずれコイツが、ガレスにも抗う事になれば?
突如膨れ上がった先代の闘気にリヒトが飛び退く。
ザイは、空いていた手で砂を掬いざまに高く撒き散らす。その目眩しを気にもかけぬ先代の大上段を、ザイは体を捻ってかろうじて避け、次の一閃は懐刀で凌ぐ。
「ほう! カイルの技か」
吸い込んだ砂を唾と共に吐き捨てて、先代が言う。その声には喜色が滲む。
ザイは食べかけのパンを口にくわえたまま、先代との距離を取る。休憩の際、敵意がないことを示すために槍を離れた所に置いてあったのが幸いした。槍を手にして、馴染じんだ重さを確かめて、ザイは周りをザッと見渡す。
先代の後ろには避難したリヒトが見える。先代の宮に忠実な諜報は、しかし、両手を上げて、隠し手がないこと、自分は参戦する気はないことをザイに知らせている。
「また見に参りますんで!」
では! そう言ってリヒトは退散。敷物だの食糧だのはしっかり回収している。流石の逃げ足だとザイは感心し、さて、と先代に向き直る。
ザイはパンをくわえたままであるのを思い出し、慌ててパンを飲み込む。仕方なく砂も一緒に飲み下す。
口の中の水分を持っていかれる感覚に情けない顔になったザイを見て、先代は大笑いする。
「いいぞザイ! 旨いもまずいも全て飲み下してこそ侍従だ!」
先代は喜ぶ。自分のもう一太刀を躱した。あの至近距離から先代の手を逃れる者はそう多くない。ガレスかリヒト、カイルぐらいである。
カイルは死んだ。だが目の前にカイルの槍を受け継ぎ、さらに超えて化けそうな若者がいる。
精霊の力まで得てカイル以上に脅威となるこの侍従を、ガレスが使いこなせるか。
──老いぼれの自分には関係のないことだ。
なぜなら、ガレスは先代の手を離れたからだ。東の宮は弟に託したからだ。長年の重圧から自由になった男は考える。暇ほど体に悪いことはない。
「俺は面白そうな事をやるだけだ。ザイよ、隠居の暇つぶしに暫し付き合え」
ザイの返事も待たず、東の先代はザイに再び斬りかかった。
※
リヒトが東の宮の元に着いた時、東の宮は届いたばかりの書状に目を通していた。
「また勅書ですか? 何ておっしゃってます?」
リヒトが東の宮の手元をヒョイと覗き込むのに、これ、行儀の悪いことをするなと東の宮はリヒトの頭をはたく。そうされながらも内容を確認したリヒトが言う。
「こういうのも保管なさるんで?」
「まあ、一応。御宸筆であるからな」
勅書にはただ一言、デカデカと書いてあった。
『やらん』
なかなか達筆になってきたな、と東の宮は感心している。
「ザイ君を先代様にはやらんってことですよね? 先代様は期日までには返すとおっしゃってましたが」
「兄上がそう言うならそうなるだろう。そう伝えよう」
そうして東の宮は勅書を畳んで側仕えに渡し、書庫に収めるよう命じた。
それが嘘だとわかる先代は、カイルは自身を殺させたか、自死したか、どちらかだと考えていた。
どちらにせよ、カイルの思い通りではあっただろう。
御前を死で穢すことによって、カイルは宮から己の名を消した。ひいては先帝の名を。
新帝ガレスには大き過ぎる先帝の名を完全に消し、真の意味での譲位を果たしたのだろう。
先代は思う。
それに、どれほどの意味がある?
お前の弟子はお前の名より弱いか?
俺の甥は、それほど頼りなかったか?
もし、そう尋ねられたなら、事実がどうであろうが「そうですよ?」とあっさり肯定するカイルが目に浮かぶ先代は、わしゃわしゃと頭を掻く。
結局は、分からないのだ。
死んだ奴を勝手にあれこれ想像した所で、今更済んだことだ。
むしろ、なんの意図もなく、このように先代の関心を宮から外させないためにそうしたのでないかとさえ思えてくる。
限られた情報の中で先代が分かるのは、カイルは誰に殺されたのでもなく、自分で終わらせたという事。
──それが先帝によって選ばされたものであったとしても、カイルのそれまでの生を考えれば「マシな死に方」であったかもしれぬ。
先代の東の宮は、自身をそう納得させようとする。奴自身にはそれで良かったのだ、と。
だが、そんな「カイルの死に方」は、恐らくザイを深く傷付けた。
ザイが酷い有り様であったことは、皇帝からも宰相からも知らされていた。カイルの死と無関係ではあるまい。
ザイが耐えられるだろうと判断してのカイルの決断だろうが、全く侍従という奴は。
──死んだ後まで面倒くさい奴だ。
ザイの不調も含め、その後の宮の面倒は宰相が引き受けさせられた。
そんな宰相を気の毒に思いかけて、いや、違うか、と先代は考える。
──まあ、あやつら二人の間では、それで貸し借り相殺となったかもしれん。
宰相も内心は思うことは様々あっただろうが、それに振り回されるような奴ではない。宮なんぞで長いこと蹴落とされずにいる奴は、大抵そうだろう。
だが、ザイは違う。カイルの死の悲しみに呑まれ苦しみ、そして傷つき悩んだまま。
未熟で弱い。
しかし、強い。
誰もがカイルの名を忘れるように努める帝国で、一人抗っている。
東の先代は口の端を吊り上げる。
いずれコイツが、ガレスにも抗う事になれば?
突如膨れ上がった先代の闘気にリヒトが飛び退く。
ザイは、空いていた手で砂を掬いざまに高く撒き散らす。その目眩しを気にもかけぬ先代の大上段を、ザイは体を捻ってかろうじて避け、次の一閃は懐刀で凌ぐ。
「ほう! カイルの技か」
吸い込んだ砂を唾と共に吐き捨てて、先代が言う。その声には喜色が滲む。
ザイは食べかけのパンを口にくわえたまま、先代との距離を取る。休憩の際、敵意がないことを示すために槍を離れた所に置いてあったのが幸いした。槍を手にして、馴染じんだ重さを確かめて、ザイは周りをザッと見渡す。
先代の後ろには避難したリヒトが見える。先代の宮に忠実な諜報は、しかし、両手を上げて、隠し手がないこと、自分は参戦する気はないことをザイに知らせている。
「また見に参りますんで!」
では! そう言ってリヒトは退散。敷物だの食糧だのはしっかり回収している。流石の逃げ足だとザイは感心し、さて、と先代に向き直る。
ザイはパンをくわえたままであるのを思い出し、慌ててパンを飲み込む。仕方なく砂も一緒に飲み下す。
口の中の水分を持っていかれる感覚に情けない顔になったザイを見て、先代は大笑いする。
「いいぞザイ! 旨いもまずいも全て飲み下してこそ侍従だ!」
先代は喜ぶ。自分のもう一太刀を躱した。あの至近距離から先代の手を逃れる者はそう多くない。ガレスかリヒト、カイルぐらいである。
カイルは死んだ。だが目の前にカイルの槍を受け継ぎ、さらに超えて化けそうな若者がいる。
精霊の力まで得てカイル以上に脅威となるこの侍従を、ガレスが使いこなせるか。
──老いぼれの自分には関係のないことだ。
なぜなら、ガレスは先代の手を離れたからだ。東の宮は弟に託したからだ。長年の重圧から自由になった男は考える。暇ほど体に悪いことはない。
「俺は面白そうな事をやるだけだ。ザイよ、隠居の暇つぶしに暫し付き合え」
ザイの返事も待たず、東の先代はザイに再び斬りかかった。
※
リヒトが東の宮の元に着いた時、東の宮は届いたばかりの書状に目を通していた。
「また勅書ですか? 何ておっしゃってます?」
リヒトが東の宮の手元をヒョイと覗き込むのに、これ、行儀の悪いことをするなと東の宮はリヒトの頭をはたく。そうされながらも内容を確認したリヒトが言う。
「こういうのも保管なさるんで?」
「まあ、一応。御宸筆であるからな」
勅書にはただ一言、デカデカと書いてあった。
『やらん』
なかなか達筆になってきたな、と東の宮は感心している。
「ザイ君を先代様にはやらんってことですよね? 先代様は期日までには返すとおっしゃってましたが」
「兄上がそう言うならそうなるだろう。そう伝えよう」
そうして東の宮は勅書を畳んで側仕えに渡し、書庫に収めるよう命じた。
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