97 / 119
第四章 王国へ
05 文官長は まるなげ を覚えた
しおりを挟む
──一体どういう風の吹き回しだ。
解散の騒めきに紛らせて部下から渡された紙片であったのに、一読して、文官長は、思わず宰相の方を見てしまった。
それに気付かれてしまったようで、仕方なくといった様子の宰相が、文官長のところへやって来る。歩きながら話をする二人の前後を宰相の秘書官が歩き、それとなく人払いをしている。
「この度はご迷惑をおかけします」
まず詫びを口にした宰相だった。
「いえ、迷惑などでは……、しかし……」
「妻は長年の療養の甲斐あり、ようやく外に目が向くほどには気力を取り戻してきておりまして」
白々しさは百も承知で宰相がそう曰うのに、文官長も「それはようございました」などと応える。
「妻は一度ならず二度も宮にあがるのを辞退申し上げたことから今更顔向けなど出来ぬと考えておりましたが、この度、方々からお声がけ頂き、陛下にお許し頂けるならばと決心した次第です」
「さようでございましたか。では明日の朝儀は」
「はい。図々しいことながら貴方にはできれば、ご息女とご息女のお仕えなさる方に免じてご助力を頂きたい。妻はお帰りなる女人方の助けに、ひいては陛下の助けなると」
「それはきっとそうなりましょう……」
文官長は請負いつつも困惑したままである。しかし、さすが文官の長を負って立つ者らしく、その先は口には出さなかった。
宰相夫人が、外向きの公務へも徐々に復帰すると言う。それは分かる。
だが、なぜ、その復帰の手始めがよりによって南の魔物退治なのか?
──「外向き」の意味が、大きく違うように思う。
文官長の疑問は口に出されずとも宰相に伝わったらしい。
「ここだけの話ですが」
宰相は諦め切った顔で言う。
「やんごとなきクマが、冬眠からお目覚めになってしまわれたようでして」
ぱっちりと目を開けた大きなクマさんを想像して、いや違うと文官長は遅れて、かの先代の東の宮を思い出す。
東の宮を辞してからの御仁の隠居暮しを「冬眠」といった宰相に、文官長はなるほどと納得してしまいそうになった。
その昔、当時の東の宮が敵国の将の首を引っ下げて都に来襲、時の宰相に面会を求めたことがあった。その対応に当たった若き日の文官長は、ああも火のように荒々しくありながら、内に湖のような静けさを抱える者を初めて見た。
無骨一辺倒に見えて奸智に長けることも匂わせつつ、あくまで正当な要求を突きつけてくる当時の東の宮との交渉は難航を極め、ついに自分の方が白旗を挙げたのは苦い思い出だ。
文官長は思う。
魔物ならば滅ぼせば良い。人ならば操れば良い。しかしクマが相手であれば致し方ない。今回、それを宰相の奥方が引き受けてくれるというなら頼むに限る。
「承知いたしました。かの方ならば如何な災も陛下から遠ざけましょう」
文官長が同意を示したのが宰相は意外だったらしい。しばしの沈黙の後、宰相は言った。
「早く片付けるに限ります」
出来ればザイが王国から帰る前に。
宰相がため息をつき、話は終わった。
秘書官らに遠ざけられた周りのものは、宰相と文官長が何事か結託したのを知るだけだった。その多くの者が、ザイとセラの結婚であろうと予想してしまうのだった。
※
ザイ一行は都を抜け、街道に入り、日が落ちる直前、初めの宿場に到着する。
馬を預けて一息つくザイに護衛の長が話しかける。
「ザイ様。妙ではありませんか? 魔物に全く出くわさなかったのですが」
護衛たちが首をひねっている。
「先触れで掃除はしてもらってますから」
「さようでしたか。さすがですな!」
ザイの言葉に護衛たちは納得したらしい。
が、ザイが言ったのは嘘である。
──碧のせい、いや、お陰、かな?
魔山の下りで全く魔物に出会わなかったことを思い出しながら、ザイは冷や汗をかいていた。
何はともあれ、予定よりやや早く王国に着きそうである。
解散の騒めきに紛らせて部下から渡された紙片であったのに、一読して、文官長は、思わず宰相の方を見てしまった。
それに気付かれてしまったようで、仕方なくといった様子の宰相が、文官長のところへやって来る。歩きながら話をする二人の前後を宰相の秘書官が歩き、それとなく人払いをしている。
「この度はご迷惑をおかけします」
まず詫びを口にした宰相だった。
「いえ、迷惑などでは……、しかし……」
「妻は長年の療養の甲斐あり、ようやく外に目が向くほどには気力を取り戻してきておりまして」
白々しさは百も承知で宰相がそう曰うのに、文官長も「それはようございました」などと応える。
「妻は一度ならず二度も宮にあがるのを辞退申し上げたことから今更顔向けなど出来ぬと考えておりましたが、この度、方々からお声がけ頂き、陛下にお許し頂けるならばと決心した次第です」
「さようでございましたか。では明日の朝儀は」
「はい。図々しいことながら貴方にはできれば、ご息女とご息女のお仕えなさる方に免じてご助力を頂きたい。妻はお帰りなる女人方の助けに、ひいては陛下の助けなると」
「それはきっとそうなりましょう……」
文官長は請負いつつも困惑したままである。しかし、さすが文官の長を負って立つ者らしく、その先は口には出さなかった。
宰相夫人が、外向きの公務へも徐々に復帰すると言う。それは分かる。
だが、なぜ、その復帰の手始めがよりによって南の魔物退治なのか?
──「外向き」の意味が、大きく違うように思う。
文官長の疑問は口に出されずとも宰相に伝わったらしい。
「ここだけの話ですが」
宰相は諦め切った顔で言う。
「やんごとなきクマが、冬眠からお目覚めになってしまわれたようでして」
ぱっちりと目を開けた大きなクマさんを想像して、いや違うと文官長は遅れて、かの先代の東の宮を思い出す。
東の宮を辞してからの御仁の隠居暮しを「冬眠」といった宰相に、文官長はなるほどと納得してしまいそうになった。
その昔、当時の東の宮が敵国の将の首を引っ下げて都に来襲、時の宰相に面会を求めたことがあった。その対応に当たった若き日の文官長は、ああも火のように荒々しくありながら、内に湖のような静けさを抱える者を初めて見た。
無骨一辺倒に見えて奸智に長けることも匂わせつつ、あくまで正当な要求を突きつけてくる当時の東の宮との交渉は難航を極め、ついに自分の方が白旗を挙げたのは苦い思い出だ。
文官長は思う。
魔物ならば滅ぼせば良い。人ならば操れば良い。しかしクマが相手であれば致し方ない。今回、それを宰相の奥方が引き受けてくれるというなら頼むに限る。
「承知いたしました。かの方ならば如何な災も陛下から遠ざけましょう」
文官長が同意を示したのが宰相は意外だったらしい。しばしの沈黙の後、宰相は言った。
「早く片付けるに限ります」
出来ればザイが王国から帰る前に。
宰相がため息をつき、話は終わった。
秘書官らに遠ざけられた周りのものは、宰相と文官長が何事か結託したのを知るだけだった。その多くの者が、ザイとセラの結婚であろうと予想してしまうのだった。
※
ザイ一行は都を抜け、街道に入り、日が落ちる直前、初めの宿場に到着する。
馬を預けて一息つくザイに護衛の長が話しかける。
「ザイ様。妙ではありませんか? 魔物に全く出くわさなかったのですが」
護衛たちが首をひねっている。
「先触れで掃除はしてもらってますから」
「さようでしたか。さすがですな!」
ザイの言葉に護衛たちは納得したらしい。
が、ザイが言ったのは嘘である。
──碧のせい、いや、お陰、かな?
魔山の下りで全く魔物に出会わなかったことを思い出しながら、ザイは冷や汗をかいていた。
何はともあれ、予定よりやや早く王国に着きそうである。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました
かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」
王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。
だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか——
「では、実家に帰らせていただきますね」
そう言い残し、静かにその場を後にした。
向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。
かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。
魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都——
そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、
アメリアは静かに告げる。
「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」
聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、
世界の運命すら引き寄せられていく——
ざまぁもふもふ癒し満載!
婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。
樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。
ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。
国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。
「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる