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第四章 王国へ
13 国王ですが/王妃ですが
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王太子に引きずられるようにして連れて行かれたザイを見送った王妃は、すぐに王に使いをやる。そうして深夜のこと。国王夫妻は再び顔を合わせた。
※
王妃の宮は煌々と灯された明かりでまるで昼のような有様である。それを眩しげにする王に、王妃は告げる。
「わたくしの初恋の方は、ヘタレだそうです」
「……そうですか。それはまた」
王にとっては聞きなれぬ言葉だが、あまり良い意味ではないということは王も知っている。
「正直で無神経で誠実で臆病で、優しい方です」
王妃はそう言って微笑む。ほんのりと上気した頬に甘い眼差し、苦い顔をしながらもどこか晴れ晴れとした様子だ。
王は少しの嫉妬を持って王妃の話を聞いている。いずれ時期が来たら手折るつもりでいた花、正室に迎えながら、王は触れることも叶わない。
反帝国派の重臣たちを宥める面倒を考えれば、他に愛妾を抱え気を紛らせる方がはるかに楽であった。
帝国に反感を持つ息子たちよりも若い神子を妻にしていれば、息子たちはもっと過激になっていただろう。
「国王様、お話の時間を頂いて良かったと思います。この度はわたくしのわがままをお許しくださりありがとうございました」
「あなたが礼を言うことではありません。あなたは神子だ。私があなたの願いを聞くことに、何の礼もいりません」
国王が穏やかに微笑んで言うのを、王妃はじっと見つめている。そして思い切ったように口を開いた。
「国王様、わたくしをあなた様の本当の妻にして頂けませんか?」
国王は心底驚いて、自分より二回りは年若い王妃を見る。
「神子、あなたはまだお若い。私が死んだ後、長い間お一人でお過ごしになるわけには参りますまい」
「いいえ、わたくしはもう良いのです」
「神子よ、それはよく考えてのことですか?」
「はい」
国王は痛ましそうに神子を見る。
「神子よ」
「この度のザイとのこと、国王さまには軽率なこととお感じになったやもしれません」
あの侍従と王妃の間に何もなかったことは知っている。いっそそうなって仕舞えば良いと考えていた王は肩透かしを喰らった格好であった。
そうなってしまっていたら、神子に帝国に一つ貸しができたと、いくらか自分の鬱屈も晴れたろう。なのにそうはならなかった。
「しかしわたくしはそれでも帝国の神子でございます。下賜なされるのはこの身には耐えられそうにございません。どうぞ哀れとお思いでしたら、せめてあなた様の妻に」
年頃になった神子に息子たちは多かれ少なかれ男として惹かれていた。一番執着しているのは、実のところは第二王子であろう。過ぎた自尊心は、第四王子に神子を追わせて貶めるという奇妙な形になってしまった。
神子には何の落ち度もないが、帝国の神子を戴かねば立ち行かぬとみられたことは、王には屈辱だった。自分の手に入れることはできないと思えば、憎くもある。王は息子たちの愚行を放っておいた。
その非をならされては困る。
「下賜などそのようなことは……。ああ、我が息子たちがすまなかった。あなたを追い詰めてしまった。本当に申し訳ない。あなたのお父上にも何と申しひらきもない」
苦しそうに声を絞り出す国王。それを見る王妃の頬に一筋涙が伝った。
※
王は謝るが、神子を妻にするとも言わず、息子たちを諌めるとも言わない。
王妃は思う。
この方はいつもそうだ。ご自分は一切手を汚さず、災難は過ぎるのを待ち、実りは人から掠め取る。
力を持たぬことこそが強国に囲まれた王国が生き延びる知恵。そう割り切ることもできず、帝国への不満を募らせる。
「国王様、どうかお顔をお上げくださいませ」
「神子」
「お許し下さいませ。わたくし、詰まらぬことを申し上げました。お忘れ下さい。至らぬわたくしをお導きくださり、ありがとうございます」
「ああ、神子。あなたに至らぬ所などありません。あなたはそのままで良いのです」
包み込むように微笑む王に王妃は恥ずかしそうに俯いた。
穏やかで寛容な海の王は、帝国の庇護の下で安穏と暮らしながら、帝国の凋落を願っている。
そんな男の横で綺麗に微笑むのはもう飽いた。夫婦となれなくとも共に国を守る者同士、力を合わせられるかもしれないとの期待は抱かなくなって久しい。
何もしないことも為政者として大切なことであるが、この王はそれが過ぎている。少なくとも王妃の考え方とは合わない。
──あの城、絵にはなるが防衛には今ひとつ。城下も込み入りすぎているし、一度更地にして港を広げた方が余程使い勝手がよかろう。
そう言って口の端を歪めたあの皇帝の方が、余程自分と気が合う。
己の鬱屈をあっさり見抜かれたことを、王妃は苦くも楽しく思い出したのだった。
※─────
・あの城、絵にはなるが防衛には今ひとつ。→第一章 19話「護衛二日目の夜 知らせる(1/2)」
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王妃の宮は煌々と灯された明かりでまるで昼のような有様である。それを眩しげにする王に、王妃は告げる。
「わたくしの初恋の方は、ヘタレだそうです」
「……そうですか。それはまた」
王にとっては聞きなれぬ言葉だが、あまり良い意味ではないということは王も知っている。
「正直で無神経で誠実で臆病で、優しい方です」
王妃はそう言って微笑む。ほんのりと上気した頬に甘い眼差し、苦い顔をしながらもどこか晴れ晴れとした様子だ。
王は少しの嫉妬を持って王妃の話を聞いている。いずれ時期が来たら手折るつもりでいた花、正室に迎えながら、王は触れることも叶わない。
反帝国派の重臣たちを宥める面倒を考えれば、他に愛妾を抱え気を紛らせる方がはるかに楽であった。
帝国に反感を持つ息子たちよりも若い神子を妻にしていれば、息子たちはもっと過激になっていただろう。
「国王様、お話の時間を頂いて良かったと思います。この度はわたくしのわがままをお許しくださりありがとうございました」
「あなたが礼を言うことではありません。あなたは神子だ。私があなたの願いを聞くことに、何の礼もいりません」
国王が穏やかに微笑んで言うのを、王妃はじっと見つめている。そして思い切ったように口を開いた。
「国王様、わたくしをあなた様の本当の妻にして頂けませんか?」
国王は心底驚いて、自分より二回りは年若い王妃を見る。
「神子、あなたはまだお若い。私が死んだ後、長い間お一人でお過ごしになるわけには参りますまい」
「いいえ、わたくしはもう良いのです」
「神子よ、それはよく考えてのことですか?」
「はい」
国王は痛ましそうに神子を見る。
「神子よ」
「この度のザイとのこと、国王さまには軽率なこととお感じになったやもしれません」
あの侍従と王妃の間に何もなかったことは知っている。いっそそうなって仕舞えば良いと考えていた王は肩透かしを喰らった格好であった。
そうなってしまっていたら、神子に帝国に一つ貸しができたと、いくらか自分の鬱屈も晴れたろう。なのにそうはならなかった。
「しかしわたくしはそれでも帝国の神子でございます。下賜なされるのはこの身には耐えられそうにございません。どうぞ哀れとお思いでしたら、せめてあなた様の妻に」
年頃になった神子に息子たちは多かれ少なかれ男として惹かれていた。一番執着しているのは、実のところは第二王子であろう。過ぎた自尊心は、第四王子に神子を追わせて貶めるという奇妙な形になってしまった。
神子には何の落ち度もないが、帝国の神子を戴かねば立ち行かぬとみられたことは、王には屈辱だった。自分の手に入れることはできないと思えば、憎くもある。王は息子たちの愚行を放っておいた。
その非をならされては困る。
「下賜などそのようなことは……。ああ、我が息子たちがすまなかった。あなたを追い詰めてしまった。本当に申し訳ない。あなたのお父上にも何と申しひらきもない」
苦しそうに声を絞り出す国王。それを見る王妃の頬に一筋涙が伝った。
※
王は謝るが、神子を妻にするとも言わず、息子たちを諌めるとも言わない。
王妃は思う。
この方はいつもそうだ。ご自分は一切手を汚さず、災難は過ぎるのを待ち、実りは人から掠め取る。
力を持たぬことこそが強国に囲まれた王国が生き延びる知恵。そう割り切ることもできず、帝国への不満を募らせる。
「国王様、どうかお顔をお上げくださいませ」
「神子」
「お許し下さいませ。わたくし、詰まらぬことを申し上げました。お忘れ下さい。至らぬわたくしをお導きくださり、ありがとうございます」
「ああ、神子。あなたに至らぬ所などありません。あなたはそのままで良いのです」
包み込むように微笑む王に王妃は恥ずかしそうに俯いた。
穏やかで寛容な海の王は、帝国の庇護の下で安穏と暮らしながら、帝国の凋落を願っている。
そんな男の横で綺麗に微笑むのはもう飽いた。夫婦となれなくとも共に国を守る者同士、力を合わせられるかもしれないとの期待は抱かなくなって久しい。
何もしないことも為政者として大切なことであるが、この王はそれが過ぎている。少なくとも王妃の考え方とは合わない。
──あの城、絵にはなるが防衛には今ひとつ。城下も込み入りすぎているし、一度更地にして港を広げた方が余程使い勝手がよかろう。
そう言って口の端を歪めたあの皇帝の方が、余程自分と気が合う。
己の鬱屈をあっさり見抜かれたことを、王妃は苦くも楽しく思い出したのだった。
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・あの城、絵にはなるが防衛には今ひとつ。→第一章 19話「護衛二日目の夜 知らせる(1/2)」
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