上 下
112 / 119
第四章 王国へ

20 帰途(1/2)

しおりを挟む
 今日は各国の使者が帰る日。

 王妃の宮の女官たちは、目の回る忙しさだ。使者たちの出立の時刻が迫って来ている。それでなくても女官たちは殺気立っていた。

 なぜか? 

 使者たちを──次はいつ会えるか分からない初恋の君を──お見送りになる王妃様を特別お美しくお支度しようと女官たちは意気込んでいたのに、第二王子が無粋なことを言い立てて、時間が押してしまったからだ。

 王妃には朝のお食事を、申し訳なくもいつもより短めに切り上げて頂き、お支度にかかる。

 パタパタと女官が行き交う中、その中心にいる王妃は、いつもならスッと伸ばされた背に、きらきらと輝く瞳で女官たちの働きを興味深げに見守っていらっしゃるのに、今日はどうにも、うつむきがちであられる。

 それを優しく上向かせ化粧をする女官が申し上げる。

「神子様、せわしないお支度になりまして、申し訳ございません」

 それに王妃が言う。

「まあ、そんなこと。わたくしの方こそ手間をとらせてしまったわ。それに……」

 いつもの王妃らしくなく、言い淀んでいる。時間が無いにもかかわらず、辛抱強く王妃のお言葉を待つ女官たちに、観念したかのように王妃は言う。

「わたくし、やはり顔が赤くなってしまっているのでなくて?」

 第二王子の「諫言」を意図せずぶった斬った王妃だったが、朝食の間、よくよく自分の言を思い出しているうちに恥ずかしくなってしまわれたらしい。

「殿下方はわたくしに呆れておしまいになったのではないかしら。一のお兄さまは、さぞやお困りでしたでしょう?」
「王太子様はお困りになるのがお仕事でございます。どうということもございません」

 年嵩の女官が言うのに、他の女官たちも静かに頷いている。

「そう? ああでも、二の殿下が皆様にお話になっていたらと思うと……」

 穴があったら入りたい、いや、自ら穴を掘ってでも入りかねない王妃に、化粧筆を持った女官が申し上げる。

「その心配はございませんでしょう」
「本当?」
「はい。ここにおります私ども、皆、そう申し上げますよ?」

 むしろ、「あれを吹聴できるなら遠慮なくどうぞ!」などと思う女官たちである。そうすれば、こちらも遠慮なく対応できるというものだ。それはもう色々と。

「お心安くお過ごし下さいませ」

 ニコニコと微笑む女官たちを不思議そうに見る王妃に、ミア女官が申し上げる。

「理由はいずれお話させて頂きます。さあ、王妃様、みなさま、お仕度の続きを」

 ミア女官の宣言に、王妃はひとつため息をつき「後の祭り」などと思いながら、じっとしているのだった。

 時々困ったようにパチパチと瞬きされる神子様のご様子に、女官たちは顔の筋肉を総動員して吹き出すのを堪えていた。

 ※

 仕上がりを鏡で見せられて、王妃はほっとする。

 だいぶ顔色も落ち着いたらしい。鏡の中には穏やかな顔をした帝国の神子がいる。

 さて、神子といえども、王妃はどのような情勢にも対処できるよう、閨については一通りのことは教えられている。

 しかし、初めてどれくらいかかるものなのか? と考えれば、より具体的なことまで気になってしまい、そうすると、あの夜、自分は一体ザイにどう思われたのか、など考え出して初めて、早まったかしらなどと王妃は思うのだった。

 ──ザイには、わたくしはどう見えたかしら?

 ザイにごまかされたのは、王妃にも分かる。先送りにされたのか、無かったことにされたのか、それは分からない。しかし、助かったとも思う王妃である。

 だが、先送りにされようが、無かったことにされようが、蒸し返す気満々の神子様には些細なことである。

 王妃は思う。
 だって相手はあのザイだもの。

 自分に対して逃げ腰なところなど、子供の頃とまるで変わっていない。それでも自分に向かって来ようとするところも。

 確かに自分より背が高くなっていたけれど。

 そして、ザイの装うあの笑顔は子供の頃には無かったもの。それでも、侍従となったのなら、カイルのような顔をするだろうと考えれば、それは意外なことでは無かった。

 しかし、予想外だったのは、自分を見るザイの目だ。ほんの一瞬だったけれど、帝国の屋上庭園で再会を果たしたときの愕然としたようなザイのあの目は、王妃も初めて見るものだった。

 ──あの時ザイは、何を思っていたかしら?

 王妃は鏡の中の自分を改めて見る。
 鏡の中から、父譲りの瞳が王妃を見返していた。
しおりを挟む

処理中です...