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−初秋−
1−8 全身全霊の愛にとまどう(1)
しおりを挟むどれほどの時が経ったのだろうか。
サヨはぼんやりと目を開ける。
窓から柔らかな光が差していたことで、いつの間にか夜が明けていたことを知った。
……そういえば、腹が、からっぽだ。
捕らえられたのは昨日の昼間だったが、いっさいの食事を拒否したのだった。
気をきかせた兵たちによって、屈辱ながらひとりで用は足せるようにしてもらえたけれど、手の拘束はゆるめられず、逃げようにも逃げ出せなかった。
そのうえ、かわるがわる皆が語るのは、サヨを捕らえた男のことだった。
――デ……名前は、なんだったか。
いや、もちろん何度も聞いているし、音の響きもわかる。
祖国でも噂で聞いていた英雄と名高い男と同一人物らしいことは理解した。
……理解したが、サヨにとって、その男――ディルヴェルトの名前は難しすぎたのだ。
共通言語で基本的な会話は通じるとはいっても、それぞれの国特有の言語に由来している名前は別だ。
彼の名前は、軻皇国ではどうにも慣れない響きで、おそらくまともに発音もできないだろう。
それにサヨにだって意地もある。
たとえ敵であろうとも礼節を尽くすのが正しい姿なのだろうが、あの男だけは話が違う。あのような外道、素直に名前を呼ぶことすら憚られる。そう、思っていたのに――。
「――――っんとうに!!! すまなかった!!!!!」
ごちーんっ! と、石造りの床に頭を打ち付けながらひれ伏す男は、見事と言えるほどの潔い土下座をきめていた。
サヨが目覚め、見張りの者たちが件の男を連れてきてすぐの出来事である。
あまりの事態に、サヨは目を見開く。
未だ手枷足枷猿轡どれもがっちりとはめられているため、返事などできない。
けれども、もし拘束されていなかったとしても、まともな反応はできなかったように思う。目の前の男の行動が予想外すぎて。
いや、たしかに昨日は、別れ際、何度も謝られた気がする。けれどもサヨはサヨでまともに頭が働いていなかったし、記憶も曖昧だ。
ただ、この男が怖くて、憎くて、自分が情けなくていっぱいいっぱいになっていたことはたしかだ。
だから、まさかその恐ろしい男が、こんな行動に出るとは露とも思わず――しかも、土下座の文化はシルギア王国にはないような気がするからに、サヨの流儀に合わせてくれているであろうことも驚愕で――。
「…………う?」
拍子抜けして間抜けな呻きをあげてしまった。
「戦場から連れ去ったことは謝るつもりはないが、それでも、オレは男として最低な行為をした。この通りだ。許してくれとは言わないが、せめて、君…………ちがうな……貴女と話す権利をオレにくれっ!!」
――???
サヨは何を言われているかわからなかった。
寝台の上でへたり込んだまま、でっかい図体を丸めた男の背中を見る。
男は微動だにせず、床に額を擦り付けていた。
おかしい。確かこの男、この砦を守る軍の大将ではなかったか?
その大将が、いち捕虜に、何をしているのだ。
返事をしようにも拘束された状態では難しく、サヨは周囲に視線を送った。
件の男を除くと、昨日ケーリッツと呼ばれていた青年のほかに、何名かの兵士がずらりと並んでいる。そんな彼らがだ、土下座する男の態度を見て、信じられないといった顔を見せている。
誰も彼もが口をあんぐりとあけたまま、ひれ伏す男を呆然と見ていた。
最初に正気に戻ったのはケーリッツだった。ハッとして顔を上げたところでサヨと目が合って、あっ、とつぶやく。
「ディル様、彼女、あのままですと、返事すらできませんよ?」
「…………ああ」
しばらくしてようやく顔を上げたディルと呼ばれた男の額には、くっきりと地面のあとがついてしまっている。
どうにも締まらない額で、でも真剣な様子の彼は、正座のまま少し考えるそぶりを見せた。
「拘束を、解いてやってくれ。……サヨ、抵抗しても良い。暴れてもいいから、死のうとすることだけはやめてくれないか」
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