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第一章 学園編
26.ハヤテの糸
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「っ……ここは……」
ゆっくりと瞼を開くと、眼前に広がるのは見慣れない一室。同じ廃墟のいずれかの部屋だとは思われるが、全体図を把握していないハヤテには、どの階のどの方向に位置する場所に転移したのか、判断することが出来ない。
辺りに仲間の気配がなく、この一瞬の間に入り口から別の場所に移動してしまったことを理解すると、ハヤテは警戒心を露わにする。
「転移系の仕掛けが施されていたのか?……だとすると、ライトが何かを踏んだ時に発動したのか……俺たちを分断させ、一人一人を確実に仕留めるつもりなのだろうか?……まぁ、ユウタロウを殺すのは無理だろうがな」
冷静に状況を把握し、推測を立て、これから何をすべきかハヤテは思考し始める。適当なユウタロウとは偉い違いであった。
「他の皆は無事だろうか?スザクが心配だな……早く探しに行かなければ」
仲間――最も心配なスザクとの合流を最優先事項にすると、ハヤテは早速行動に移す。廃墟内を探索する為、転移させられた部屋から飛び出すと、ハヤテは思わず眉を顰めた。
何故なら、ハヤテの進行を阻むように立ち塞がる、数え切れない程の仮面の軍勢が、廊下中に敷き詰められていたから。
「……今度はちゃんと人なのだな」
「あの人形のことか?あれは今、万全の状態では無いからな」
その気配から、仮面の軍勢が生きた人間であることを悟り、ハヤテはボソッと呟いた。それに答えたのは、軍勢の先頭に立つ男。仮面のせいで容姿までは分からないが、声から察するに若い男だと推測できる。
「スザクたちをどこにやった?」
「教える訳ねぇだろうが。アンタ、小綺麗な顔してる割に実は馬鹿か?」
「?……顔が何か関係あるのか?」
キョトンと、ハヤテは首を傾げた。
ハヤテはそもそも、自らの容姿が優れているという自覚がない。勇者一族で生きてきた彼は、容姿を褒められることよりも、その髪を揶揄されることが圧倒的に多かったからだ。
ハヤテは白髪の持ち主だというのに、所々黒髪が混じっているので、勇者一族の重鎮たちはそれを不吉と捉え、謂れの無い罵詈雑言を浴びせてばかり。故に彼は、顔の造形などというものにそもそも興味が無いのだ。
ハヤテの天然な部分を垣間見た相手は、鬱陶しそうに頭を掻きむしる。
「めんどくせぇなぁ……あぁ、もういい。……お前たち、やるぞ」
男が緊張感のある声で告げると、場の空気が一変する。
ハヤテ一人に向けられる、窒息しそうな程濃い殺気を放ちながら、各々が剣を抜き始めた。
これ程までの殺意を常人が向けられれば、失神してもおかしくないのだが、ハヤテはそこまで柔では無かった。平然と、寧ろ先刻より精悍な面持ちになると、倣うように彼は剣を抜く。
スッと、一本の線のように細く、鋭く、そして美しい剣である。その切っ先を、ハヤテは斜め下に向けた。
「っ?……何だその剣。ふざけてんのか」
「生憎とふざけてはいない」
変わった形状の剣を前に、男は怒りを露わにした。ハヤテが彼らの実力を見縊り、本気を出すつもりが無いのだと勘違いしたからだ。
ハヤテの剣は、一見するとレイピアのようではあるが、厳密に言うとレイピアではない。分かりやすく表現するのであれば、千枚通しを剣の形にしたような。切っ先にしか殺傷能力の無い、刃の存在しない剣だったのだ。
「っ……随分と舐められたもんだなっ!」
男が怒りのままに飛び出すと、後ろの彼らも一斉に襲い掛かる。彼らがその一歩を踏み出した瞬間、ハヤテは切っ先を地面に一度突き刺し、すぐに引き抜いた。
ハヤテが一体何をしているのか分からず、彼らは内心首を傾げるが、警戒して攻めをやめることはしなかった。
そう、彼らは気づけなかった。
地面に切っ先を突き刺した瞬間、目を凝らさなければ見えない程細い糸が埋め込まれたという事実に。そしてその糸が、彼らの侮った剣の切っ先と繋がっているということに。
ハヤテは颯爽と跳躍すると、まずは廊下の壁を伝い始めた。右側の壁から、反対の壁へ。止めどなく移動し続けたかと思うと、時には地面に着地し、人波の中を駆け抜ける。その瞬間を狙って仮面の彼らは攻撃を仕掛けるが、全て華麗に避けられてしまい、彼らは目を回した。
まるで舞っているかのように剣を滑らせ、あらゆる剣撃を受け止める。そして脚を滑らせ、敵の体勢を思い切り崩すこともしばしば。
人波を潜り抜けたかと思うと、再び壁へと跳躍して。その繰り返しである。
そして、先頭の男がある違和感に気づいた時には既に、ハヤテは事を終わらせていた。
(……糸?)
男は自身の身体に接触する糸の感触に首を傾げると、周りの仲間たちにも同じ物が絡まっている事実に気づく。その瞬間、仮面の軍勢を追い越したハヤテは、そっと地面に降り立った。
「おいお前ら。この妙な糸を切……」
「もう遅い」
ハヤテが鋭く言い放った刹那、彼らに異変が起こる。
突如、苦悶の表情を浮かべる者。力がふっと抜けたように失神する者。強烈な痛みに叫喚する者。個人差はあれど、得体の知れない何かが彼らを襲っているのは確かであった。
「これは一体……っ!やべっ……」
突然の出来事に当惑する中、先頭の男は自らの危機を察知し、慌てて回避しようとする。彼と同じように、得体の知れないそれに襲われる前に気づき、回避した者が三人。ハヤテの攻撃から免れ、立っていられたのは合わせて四人だけであった。
「……既で回避したか。まぁ、これだけ数を削れれば大した問題でも無いが」
「てめぇ……何しやがった」
「ん?攻撃を回避したのだから、てっきり理解しているものだと思っていたが。他人を馬鹿呼ばわりする割には、大したお頭では無いのだな」
「っ……」
ハヤテに煽られた男は、悔しげにギリっと歯噛みする。その不快音は仮面越しでも聞こえてくる程盛大であった。
そんな彼の苛立ちを気にも留めず、ハヤテは袖口から超小型ナイフをスルリと落とすと、片手でそれを受け止める。まるで馬の手綱を引くように剣を動かすと、取り出したナイフで空を斬った。
ハヤテが斬り落とした物。それが、剣の切っ先から伸びていた糸であることに気づくと、男は漸く彼が何を仕掛けたのか理解する。
「……その糸を媒介にして、コイツらの体内のジルをいじったのか?」
「あぁ。君たち四人は既のところで気づいて、何とか耐えたみたいだが。まぁ他人のジルを操るより、自らのジルを操る方が容易いので、バレればあまり役に立たない方法ではあるんだ。だが、今回のように大勢相手の短期決戦にはとても使える。何せ操志者でない者は、糸をどうにかしない限り、回避不可能だからな」
まず、床に埋め込んだ糸を起点として、剣から糸を伸ばす。ハヤテの剣には、切っ先から糸を紡ぐ為のジルが元々蓄えてあるので、それを糸に変換したのだ。
壁を伝い、彼らと交戦している間、一人一人にその糸を絡める。そして全員が糸に触れていることを確認すると、糸を通して彼らの体内に含まれるジルを操って戦闘不能に陥らせた。
ハヤテの行ったことを簡単に説明すると、こんな感じである。
これがユウタロウであれば、例え身体に触れずとも相手のジルを操れるのだが、ハヤテにそれ程の技量は無い。だが、軽やかな身のこなしであれば誰にも負けないので、ハヤテはこのような方法で戦っているのだ。
「はっ。種が分かっちまえばコッチのもんだ。俺らだけでも何とか仕留めるぞ」
男が意気込むように言うと、残りの三人は深く頷いた。だが彼らの準備を待ってくれる程、ハヤテは余裕を持ち合わせてはいない。
再び地面に切っ先を突き刺したハヤテは、あっという間に彼らとの距離を詰めると、捉えどころのない動きで四人を翻弄する。
何とか彼の糸から逃れようとする三人だが、気づいた時にはもう身体に糸が絡まっていた。だが、彼らにはそれでも余裕があった。
何故なら、先刻の攻撃が彼らに通用しなかったから。最善は、ハヤテの糸を切ることではあるが、彼は糸を絡ませた瞬間に仕掛けてくるので、かなりの瞬発力が無ければそれは不可能だろう。
だから彼らは思った。先刻のように、自らのジルをハヤテの好きにさせなければいいのだと。
だが――。
「――貫け」
グサグサグサッ!!
彼らを捕らえた糸から、無数の刃が一気に飛び出し、彼らの身体を容赦なく突き刺した。
「「っ……ぐああああああああああああああっ!!」」
「なっ……」
逃げ場のないその強烈な痛みに、耳を劈くような三人の叫び声が響いた。彼らを貫く刃は全て、当にハヤテの愛刀のような形状である。彼らの鮮血はその刃を伝いながら、床に雫を落としていく。一人残された男が言葉を失っている内に、彼らは意識を手放してしまった。
「お、おかしいだろっ……」
「おかしい?何がだ?」
「そんな細っこい糸に、それだけの刃を生み出せるだけのジルがあるわけ……」
「彼らを一掃した際、糸を通して体内のジルを吸い上げた。もちろん死なない程度の量だが、あれだけの人数だ。かなりのジルが溜まった。それを使わせてもらったまでだ」
「っ」
説明した途端、最後の一人を仕留めるべく駆け出したハヤテに気圧され、男は焦りながら剣を構えた。
ハヤテは今までと同じ戦法を使うために、地面を起点に糸を伸ばす。
だが、流石の彼も学習したのか、巻き付けられる前にその糸を剣で切った。糸を巻きつけられたら最後、自身の敗北が確定してしまうと理解したのだ。
ハヤテ自身も、この軍勢を指揮する男を十把一絡げにするつもりなど無く、糸を切られても動揺は見せなかった。再び切っ先を地面に埋めると、新たな糸を伸ばす。そしてまたその糸は、男によって切られてしまった。
「ゾレ!」
「っ?」
その最中、突如大声を上げた男を前に、ハヤテは首を傾げた。
刹那――。彼らの目の前に一匹の狐が、姿を現した。
狐、という表現は、厳密に言うと正しくない。ハヤテには分かったのだ。それが、狐の形をした精霊であることが。
狐の精霊が姿を現した途端、男は左手を突き出した。その親指には指輪が嵌められており、指輪の宝石が光を灯す。
瞬間、男は左手から燃え盛る炎を放った。咄嗟にハヤテは、後方に下がって攻撃を回避する。
(っ、なるほど。炎であれば糸を燃やすことができ、糸を使って精霊術に対抗する手も使えないということか。良い判断だ)
数ある選択肢の中から炎を選んだ男に感心していると、再び男の炎が牙をむく。
縦横無尽に襲ってくる炎を、ハヤテは上手く避けつつ、どう攻めたものかと思考を巡らせた。
本来であれば空気中のジルを集め、水に変換するところなのだが、相手が精霊術師である場合、その手はあまり使えない。精霊はジルを生み出すだけでなく、上位の精霊であればある程、その場のジルを掌握する力を持っている。
簡単に言うと、多くの操志者の使う〝空気中のジルを集める〟という行為がやりにくくなってしまうのだ。
「仕方ないっ……」
「っ?」
炎を対処しない限り、男の間合いに入ることは不可能。炎を消す唯一の方法を実行する決意を固めると、ハヤテは顔を顰めながら吐き捨てた。
思わず男が首を傾げると、ハヤテは炎の攻撃を避けながらどんどん距離を詰めていく。その勢いに男が気圧されていると、ハヤテはあっという間にすぐ傍までやって来た。
だが、当然ハヤテの眼前には、燃え盛る炎が迫る。すると――。
「なっ……」
「ぐっ……」
ハヤテは躊躇なく炎に左手を突っ込み、男の左手を力強く握り締めた。炎を生み出している側に炎によるダメージは無いが、ハヤテは全くの別問題。自ら進んで業火に身を焼かれているようなものなので、男は言葉を失っている。
だがそんな彼に気を取られている暇など、ハヤテには当然無かった。炎に左手で触れた瞬間、その炎のジルを水へと変換し、効率よく炎の勢いを弱めていく。そして、炎が完全に消滅したのを確認すると、間髪入れずハヤテは剣を突いた。
ハヤテの剣は男の左肩を貫き、彼は苦悶の声を漏らした。その勢いに任せて男を地面に押し倒すと、彼の肩を通して切っ先を地面に埋め込んだ。
「ぐあああああああああああっ!!」
剣が肩を貫通する激痛に男は呻くが、ハヤテはお構いなしに剣を引き抜いた。男の傷口から出て行ったのは剣だけでなく、彼の血に染まった細い糸も、地面から肩を通って飛び出している。
そのままその糸を男の身体に絡ませると、ハヤテは切っ先を地面に突き刺した。男は地面に縫い付けられたような状態になったが、その真の恐ろしさには未だ気づけていない。
「クソっ……こんなもの……っ!?……どうして糸が切れないっ?」
身体に絡まる糸を切ろうと試みた男だが、まるで鋼のような硬さでそれを拒まれ、動揺を露わにした。
「切るのは不可能だ」
「なにっ?」
「その糸は君の身体と繋がっている。時間が経てば経つ程、糸は体内のジルを吸い上げ、その強度を増していくが、対する君は反比例するように体力を奪われ、力も弱まっていく。もう分かるだろう?」
「っ……!てめっ……なんつー性格わりぃ技……つかい、やが……る…………っ」
男が失神したのを確認すると、ハヤテは即座に小型ナイフで、強度を弱めた糸を切り落とす。そうしなければ糸が際限なく体内のジルを吸い上げ、彼が死んでしまう可能性があったからだ。
ホッとため息をつくと、ふと。ハヤテは、自らを威嚇する狐の精霊の存在に気づいた。契約主を害されたのだから当然の反応である。精霊とは言え、暴走すれば手に負えなくなってしまうので、早急の対処が必要となる。
心はほんの少し痛んだが、ハヤテは精霊を力強く蹴り上げると、その意識を手放させた。
「はぁ……少し疲れたな」
ふらつきつつ、ため息交じりに呟くと、ハヤテは左手に激痛が走っている事実にようやく気付く。
「……火傷してしまったな……ん?……人差し指の爪がどこかに逝ってしまったな……道理で痛いわけだ。
ここまでいくと、ユウタロウとチサトに頼まなければ完治は無理そうだな。まぁ、取り敢えず応急処置だけはしておくか」
爛れた皮膚に、剥がれてしまった指の爪。勝利の代償はそれなりにあった。
ハヤテはうんざりしながらも、集めたジルで簡単な治癒術を左手に施す。そして――。
「それにしても、精霊術師か……ふっ、ユウタロウの同類じゃないか」
治癒の最中、気絶中の敵を不意に見下ろしたハヤテは、苦笑交じりにそんな呟きを零すのだった。
ゆっくりと瞼を開くと、眼前に広がるのは見慣れない一室。同じ廃墟のいずれかの部屋だとは思われるが、全体図を把握していないハヤテには、どの階のどの方向に位置する場所に転移したのか、判断することが出来ない。
辺りに仲間の気配がなく、この一瞬の間に入り口から別の場所に移動してしまったことを理解すると、ハヤテは警戒心を露わにする。
「転移系の仕掛けが施されていたのか?……だとすると、ライトが何かを踏んだ時に発動したのか……俺たちを分断させ、一人一人を確実に仕留めるつもりなのだろうか?……まぁ、ユウタロウを殺すのは無理だろうがな」
冷静に状況を把握し、推測を立て、これから何をすべきかハヤテは思考し始める。適当なユウタロウとは偉い違いであった。
「他の皆は無事だろうか?スザクが心配だな……早く探しに行かなければ」
仲間――最も心配なスザクとの合流を最優先事項にすると、ハヤテは早速行動に移す。廃墟内を探索する為、転移させられた部屋から飛び出すと、ハヤテは思わず眉を顰めた。
何故なら、ハヤテの進行を阻むように立ち塞がる、数え切れない程の仮面の軍勢が、廊下中に敷き詰められていたから。
「……今度はちゃんと人なのだな」
「あの人形のことか?あれは今、万全の状態では無いからな」
その気配から、仮面の軍勢が生きた人間であることを悟り、ハヤテはボソッと呟いた。それに答えたのは、軍勢の先頭に立つ男。仮面のせいで容姿までは分からないが、声から察するに若い男だと推測できる。
「スザクたちをどこにやった?」
「教える訳ねぇだろうが。アンタ、小綺麗な顔してる割に実は馬鹿か?」
「?……顔が何か関係あるのか?」
キョトンと、ハヤテは首を傾げた。
ハヤテはそもそも、自らの容姿が優れているという自覚がない。勇者一族で生きてきた彼は、容姿を褒められることよりも、その髪を揶揄されることが圧倒的に多かったからだ。
ハヤテは白髪の持ち主だというのに、所々黒髪が混じっているので、勇者一族の重鎮たちはそれを不吉と捉え、謂れの無い罵詈雑言を浴びせてばかり。故に彼は、顔の造形などというものにそもそも興味が無いのだ。
ハヤテの天然な部分を垣間見た相手は、鬱陶しそうに頭を掻きむしる。
「めんどくせぇなぁ……あぁ、もういい。……お前たち、やるぞ」
男が緊張感のある声で告げると、場の空気が一変する。
ハヤテ一人に向けられる、窒息しそうな程濃い殺気を放ちながら、各々が剣を抜き始めた。
これ程までの殺意を常人が向けられれば、失神してもおかしくないのだが、ハヤテはそこまで柔では無かった。平然と、寧ろ先刻より精悍な面持ちになると、倣うように彼は剣を抜く。
スッと、一本の線のように細く、鋭く、そして美しい剣である。その切っ先を、ハヤテは斜め下に向けた。
「っ?……何だその剣。ふざけてんのか」
「生憎とふざけてはいない」
変わった形状の剣を前に、男は怒りを露わにした。ハヤテが彼らの実力を見縊り、本気を出すつもりが無いのだと勘違いしたからだ。
ハヤテの剣は、一見するとレイピアのようではあるが、厳密に言うとレイピアではない。分かりやすく表現するのであれば、千枚通しを剣の形にしたような。切っ先にしか殺傷能力の無い、刃の存在しない剣だったのだ。
「っ……随分と舐められたもんだなっ!」
男が怒りのままに飛び出すと、後ろの彼らも一斉に襲い掛かる。彼らがその一歩を踏み出した瞬間、ハヤテは切っ先を地面に一度突き刺し、すぐに引き抜いた。
ハヤテが一体何をしているのか分からず、彼らは内心首を傾げるが、警戒して攻めをやめることはしなかった。
そう、彼らは気づけなかった。
地面に切っ先を突き刺した瞬間、目を凝らさなければ見えない程細い糸が埋め込まれたという事実に。そしてその糸が、彼らの侮った剣の切っ先と繋がっているということに。
ハヤテは颯爽と跳躍すると、まずは廊下の壁を伝い始めた。右側の壁から、反対の壁へ。止めどなく移動し続けたかと思うと、時には地面に着地し、人波の中を駆け抜ける。その瞬間を狙って仮面の彼らは攻撃を仕掛けるが、全て華麗に避けられてしまい、彼らは目を回した。
まるで舞っているかのように剣を滑らせ、あらゆる剣撃を受け止める。そして脚を滑らせ、敵の体勢を思い切り崩すこともしばしば。
人波を潜り抜けたかと思うと、再び壁へと跳躍して。その繰り返しである。
そして、先頭の男がある違和感に気づいた時には既に、ハヤテは事を終わらせていた。
(……糸?)
男は自身の身体に接触する糸の感触に首を傾げると、周りの仲間たちにも同じ物が絡まっている事実に気づく。その瞬間、仮面の軍勢を追い越したハヤテは、そっと地面に降り立った。
「おいお前ら。この妙な糸を切……」
「もう遅い」
ハヤテが鋭く言い放った刹那、彼らに異変が起こる。
突如、苦悶の表情を浮かべる者。力がふっと抜けたように失神する者。強烈な痛みに叫喚する者。個人差はあれど、得体の知れない何かが彼らを襲っているのは確かであった。
「これは一体……っ!やべっ……」
突然の出来事に当惑する中、先頭の男は自らの危機を察知し、慌てて回避しようとする。彼と同じように、得体の知れないそれに襲われる前に気づき、回避した者が三人。ハヤテの攻撃から免れ、立っていられたのは合わせて四人だけであった。
「……既で回避したか。まぁ、これだけ数を削れれば大した問題でも無いが」
「てめぇ……何しやがった」
「ん?攻撃を回避したのだから、てっきり理解しているものだと思っていたが。他人を馬鹿呼ばわりする割には、大したお頭では無いのだな」
「っ……」
ハヤテに煽られた男は、悔しげにギリっと歯噛みする。その不快音は仮面越しでも聞こえてくる程盛大であった。
そんな彼の苛立ちを気にも留めず、ハヤテは袖口から超小型ナイフをスルリと落とすと、片手でそれを受け止める。まるで馬の手綱を引くように剣を動かすと、取り出したナイフで空を斬った。
ハヤテが斬り落とした物。それが、剣の切っ先から伸びていた糸であることに気づくと、男は漸く彼が何を仕掛けたのか理解する。
「……その糸を媒介にして、コイツらの体内のジルをいじったのか?」
「あぁ。君たち四人は既のところで気づいて、何とか耐えたみたいだが。まぁ他人のジルを操るより、自らのジルを操る方が容易いので、バレればあまり役に立たない方法ではあるんだ。だが、今回のように大勢相手の短期決戦にはとても使える。何せ操志者でない者は、糸をどうにかしない限り、回避不可能だからな」
まず、床に埋め込んだ糸を起点として、剣から糸を伸ばす。ハヤテの剣には、切っ先から糸を紡ぐ為のジルが元々蓄えてあるので、それを糸に変換したのだ。
壁を伝い、彼らと交戦している間、一人一人にその糸を絡める。そして全員が糸に触れていることを確認すると、糸を通して彼らの体内に含まれるジルを操って戦闘不能に陥らせた。
ハヤテの行ったことを簡単に説明すると、こんな感じである。
これがユウタロウであれば、例え身体に触れずとも相手のジルを操れるのだが、ハヤテにそれ程の技量は無い。だが、軽やかな身のこなしであれば誰にも負けないので、ハヤテはこのような方法で戦っているのだ。
「はっ。種が分かっちまえばコッチのもんだ。俺らだけでも何とか仕留めるぞ」
男が意気込むように言うと、残りの三人は深く頷いた。だが彼らの準備を待ってくれる程、ハヤテは余裕を持ち合わせてはいない。
再び地面に切っ先を突き刺したハヤテは、あっという間に彼らとの距離を詰めると、捉えどころのない動きで四人を翻弄する。
何とか彼の糸から逃れようとする三人だが、気づいた時にはもう身体に糸が絡まっていた。だが、彼らにはそれでも余裕があった。
何故なら、先刻の攻撃が彼らに通用しなかったから。最善は、ハヤテの糸を切ることではあるが、彼は糸を絡ませた瞬間に仕掛けてくるので、かなりの瞬発力が無ければそれは不可能だろう。
だから彼らは思った。先刻のように、自らのジルをハヤテの好きにさせなければいいのだと。
だが――。
「――貫け」
グサグサグサッ!!
彼らを捕らえた糸から、無数の刃が一気に飛び出し、彼らの身体を容赦なく突き刺した。
「「っ……ぐああああああああああああああっ!!」」
「なっ……」
逃げ場のないその強烈な痛みに、耳を劈くような三人の叫び声が響いた。彼らを貫く刃は全て、当にハヤテの愛刀のような形状である。彼らの鮮血はその刃を伝いながら、床に雫を落としていく。一人残された男が言葉を失っている内に、彼らは意識を手放してしまった。
「お、おかしいだろっ……」
「おかしい?何がだ?」
「そんな細っこい糸に、それだけの刃を生み出せるだけのジルがあるわけ……」
「彼らを一掃した際、糸を通して体内のジルを吸い上げた。もちろん死なない程度の量だが、あれだけの人数だ。かなりのジルが溜まった。それを使わせてもらったまでだ」
「っ」
説明した途端、最後の一人を仕留めるべく駆け出したハヤテに気圧され、男は焦りながら剣を構えた。
ハヤテは今までと同じ戦法を使うために、地面を起点に糸を伸ばす。
だが、流石の彼も学習したのか、巻き付けられる前にその糸を剣で切った。糸を巻きつけられたら最後、自身の敗北が確定してしまうと理解したのだ。
ハヤテ自身も、この軍勢を指揮する男を十把一絡げにするつもりなど無く、糸を切られても動揺は見せなかった。再び切っ先を地面に埋めると、新たな糸を伸ばす。そしてまたその糸は、男によって切られてしまった。
「ゾレ!」
「っ?」
その最中、突如大声を上げた男を前に、ハヤテは首を傾げた。
刹那――。彼らの目の前に一匹の狐が、姿を現した。
狐、という表現は、厳密に言うと正しくない。ハヤテには分かったのだ。それが、狐の形をした精霊であることが。
狐の精霊が姿を現した途端、男は左手を突き出した。その親指には指輪が嵌められており、指輪の宝石が光を灯す。
瞬間、男は左手から燃え盛る炎を放った。咄嗟にハヤテは、後方に下がって攻撃を回避する。
(っ、なるほど。炎であれば糸を燃やすことができ、糸を使って精霊術に対抗する手も使えないということか。良い判断だ)
数ある選択肢の中から炎を選んだ男に感心していると、再び男の炎が牙をむく。
縦横無尽に襲ってくる炎を、ハヤテは上手く避けつつ、どう攻めたものかと思考を巡らせた。
本来であれば空気中のジルを集め、水に変換するところなのだが、相手が精霊術師である場合、その手はあまり使えない。精霊はジルを生み出すだけでなく、上位の精霊であればある程、その場のジルを掌握する力を持っている。
簡単に言うと、多くの操志者の使う〝空気中のジルを集める〟という行為がやりにくくなってしまうのだ。
「仕方ないっ……」
「っ?」
炎を対処しない限り、男の間合いに入ることは不可能。炎を消す唯一の方法を実行する決意を固めると、ハヤテは顔を顰めながら吐き捨てた。
思わず男が首を傾げると、ハヤテは炎の攻撃を避けながらどんどん距離を詰めていく。その勢いに男が気圧されていると、ハヤテはあっという間にすぐ傍までやって来た。
だが、当然ハヤテの眼前には、燃え盛る炎が迫る。すると――。
「なっ……」
「ぐっ……」
ハヤテは躊躇なく炎に左手を突っ込み、男の左手を力強く握り締めた。炎を生み出している側に炎によるダメージは無いが、ハヤテは全くの別問題。自ら進んで業火に身を焼かれているようなものなので、男は言葉を失っている。
だがそんな彼に気を取られている暇など、ハヤテには当然無かった。炎に左手で触れた瞬間、その炎のジルを水へと変換し、効率よく炎の勢いを弱めていく。そして、炎が完全に消滅したのを確認すると、間髪入れずハヤテは剣を突いた。
ハヤテの剣は男の左肩を貫き、彼は苦悶の声を漏らした。その勢いに任せて男を地面に押し倒すと、彼の肩を通して切っ先を地面に埋め込んだ。
「ぐあああああああああああっ!!」
剣が肩を貫通する激痛に男は呻くが、ハヤテはお構いなしに剣を引き抜いた。男の傷口から出て行ったのは剣だけでなく、彼の血に染まった細い糸も、地面から肩を通って飛び出している。
そのままその糸を男の身体に絡ませると、ハヤテは切っ先を地面に突き刺した。男は地面に縫い付けられたような状態になったが、その真の恐ろしさには未だ気づけていない。
「クソっ……こんなもの……っ!?……どうして糸が切れないっ?」
身体に絡まる糸を切ろうと試みた男だが、まるで鋼のような硬さでそれを拒まれ、動揺を露わにした。
「切るのは不可能だ」
「なにっ?」
「その糸は君の身体と繋がっている。時間が経てば経つ程、糸は体内のジルを吸い上げ、その強度を増していくが、対する君は反比例するように体力を奪われ、力も弱まっていく。もう分かるだろう?」
「っ……!てめっ……なんつー性格わりぃ技……つかい、やが……る…………っ」
男が失神したのを確認すると、ハヤテは即座に小型ナイフで、強度を弱めた糸を切り落とす。そうしなければ糸が際限なく体内のジルを吸い上げ、彼が死んでしまう可能性があったからだ。
ホッとため息をつくと、ふと。ハヤテは、自らを威嚇する狐の精霊の存在に気づいた。契約主を害されたのだから当然の反応である。精霊とは言え、暴走すれば手に負えなくなってしまうので、早急の対処が必要となる。
心はほんの少し痛んだが、ハヤテは精霊を力強く蹴り上げると、その意識を手放させた。
「はぁ……少し疲れたな」
ふらつきつつ、ため息交じりに呟くと、ハヤテは左手に激痛が走っている事実にようやく気付く。
「……火傷してしまったな……ん?……人差し指の爪がどこかに逝ってしまったな……道理で痛いわけだ。
ここまでいくと、ユウタロウとチサトに頼まなければ完治は無理そうだな。まぁ、取り敢えず応急処置だけはしておくか」
爛れた皮膚に、剥がれてしまった指の爪。勝利の代償はそれなりにあった。
ハヤテはうんざりしながらも、集めたジルで簡単な治癒術を左手に施す。そして――。
「それにしても、精霊術師か……ふっ、ユウタロウの同類じゃないか」
治癒の最中、気絶中の敵を不意に見下ろしたハヤテは、苦笑交じりにそんな呟きを零すのだった。
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