レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第一章 学園編

37.彼女の知らないアデル・クルシュルージュ3

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 殺された妹への思いが強いあまり、ナオヤの悪魔に対する憎悪は留まるところを知らない。自然とアデルを睨む眼光も鋭くなり、彼の洗脳を解いて今にも飛びかかりそうな勢いである。


「……落ち着くのだ。我は、復讐は無意味だと言いたいわけでは無い。……お主のその復讐心は、我一人に向ければよいと、そう言いたかっただけである」
「……なん、だと?」


 想定外の発言に、ナオヤは一瞬怒りも忘れて呆けてしまう。ナオヤの誤解は解けたが、未だアデルの発言の真意は分からず、全員が首を傾げた。

 そんな空気を察したのか、アデルは僅かに躊躇いつつも、口を開く。
 その表情が、あまりにも悲痛で――。彼らは数え切れない程の棘に刺されたような、心臓を抉られたような錯覚に陥る。


「我も……昔、大事な人を理不尽に殺されたことがあるのだ」
「っ……!……で、出まかせをっ」
(えっ……)


 ズドンと、頭を殴打されたような衝撃をティンベルは受けた。
 知らなかった。アデルの負った心の傷も、彼の滲んだ瞳に映る、大事な人の正体も。

 その時、アデルは何を思ったのだろう。何を感じて、何をしたのか。寄り掛かれる人は、近くにいたのか。傷を癒してくれる存在はいたのか。
 ――何より、その傷を癒すことも、知ることすら出来なかった自分自身に、ティンベルはどうしようもない不甲斐無さを感じた。


「嘘ではない。……実の両親にすら忌避された我を拾い、育ててくれた……とても、とても大事な……親のような人であった」


 慈しむように、愛でるように、記憶の中のその人を思い起こすように、アデルは語った。温かく緩やかなその声を聞くと、自然と涙が零れてしまいそうになる。


(それって、もしかして……)

 ティンベルには、その人物に心当たりがあった。
 それ故に、ティンベルは強い衝撃を受け、一歩たじろいでしまう。

 ********

 かつて、もう一人の兄――ネオンに殺されかけた際、身を呈して守ってくれたのはアデルだ。だがアデルはティンベルを庇った際、重傷を負ってしまった。そんなアデルを治療し、ティンベルを実家である公爵家まで送り届けてくれた人物がいたのだ。

 その人物について、ティンベルは詳しいことなど一切知らない。ただ、幼少期の微かな記憶の中に、その人は確かに存在していた。

 アデルと一緒に落ちた崖の下から、公爵家の邸宅までの道のりを、ティンベルはその人物の腕の中で過ごしたのだ。意識を失っていたティンベルが目を覚ました時、彼女は既にその人物に抱えられており、規則的な振動が心地よかったことを覚えている。
 重い瞼を何とか開きつつ、ティンベルはその人物を見上げた。相手からすれば随分おかしな表情をしていただろうが、その時のティンベルに表情を繕う余裕は無かった。

 微睡む瞳が捉えたその人は、ティンベルがそれまで見てきたどんな貴族令嬢よりも、圧倒的に、比べるのも烏滸がましいほどに美しかった。内から芯の強さを感じ、目を離すことが出来ない程に。
 ターコイズの短い髪に、抹茶色の瞳をした、整った容姿。知的かつ穏やかな印象を覚えたが、男性か女性かの判別は出来なかった。

 その人の腕に抱えられながら進んだ道は決して長くは無かったが、ティンベルは今の今までその人のことを忘れたことは無かった。

 その出来事が印象的だったのも理由の一つではあるが、アデルがティンベルの元を離れる原因となった人物であることが、大きな原因だろう。


『――我はこの家を出て、我の命を救ってくれた恩人殿の下で暮らすことになったのだ』


 アデルとの別れの日。ティンベルだけに、アデルは伝えてくれた。

 一度は反射的に拒絶してしまったが、アデルの為を考えれば考える程、ティンベルは了承する他無かった。アデルがあの公爵家に居続けても、報われることは無いと分かりきっていたし、アデルを引き取ってくれるのは彼の命の恩人。ティンベルを送り届けてくれた心優しい人になら、アデルを任せても良いと思えた。

 だからこそ、ティンベルはアデルとの別れを決意したのだが――。

 ********

 その人物――アデルとティンベルにとっての恩人が殺されたなど、彼女にとって寝耳に水以外の何者でも無かった。

 ティンベルが呆然とする中、アデルは続けざまに口を開く。


「だが、我が十六になった年。その人は殺されてしまった……我の、目の前で」
「「っ……」」


 ひゅっと、息を呑む音が響き渡った。想像しただけで血の気が引き、全身が粟立つ感覚に震える。特にナオヤは、愛する妹を亡くした経験があり、それでも目の前で殺されるという酸鼻を極める状況では無かったからこそ、余計にリアルな想像をしてしまったのだ。

 目の前で、理不尽に、愛する者が殺される。そして、そんな酸鼻な光景を前にただ立ち尽くし、何もできない。それがどれだけ歯痒く、辛く、悲痛な出来事か、彼らには想像することしか出来ない。


「頭が、真っ白になったのを、よく……覚えているのだ。何も出来なかった自分も、その人を殺した相手にも、怒りが湧いて仕方がなかった。……その死を、信じたくなかった」


 淡々と、それでいてどこか哀愁を帯びた口調で、アデルは語った。

 信じたくなかった。その言葉を聞いた刹那、ナオヤは直感的に思った。
 ――この人は、自分と同じだ、と。

 ナオヤも、血を流して倒れるユヅキを見て思った。信じたくないと、悪い夢であって欲しいと。
 毎朝毎朝。目覚める度に現実だと思い知らされ、狂ったように咽び泣いた日など、最早数え切れない。

 アデルもそうだったのだろうか?と、ナオヤは何故か親近感を抱いていた。


「気づけば我は、復讐のことしか考えていなかったのだ。今の、お主のようにな」
「「っ」」


 ティンベルとナオヤの、ハッと息を呑む呼吸音が、彼らの耳にこびりつく。
 復讐。その単語を耳にした途端、ナオヤは思った。この人の話を、もっと聞いてみたい。この人が大事な人を失った時、何を思い、何を感じ、それからどうしたのかを知りたい、と。

 今、先の見えない暗闇を心許ない縄一本で渡っている様なナオヤには、縋りつくものが必要だったのだ。


「仇を殺すことを考えていないと、生きていく意味を見失いそうになったのも、理由の一つではあるが……やはり、純粋に……どうしても許せなかったのだ。我の、大事な人を理不尽に奪った奴を、生かしておけなかった」
「……それで、どうなったのですか?」


 いつの間にか、ナオヤは愛し子に対する憎悪や嫌悪感も忘れて、アデルの話に聞き入っていた。そのおかげで冷静になり、口調も本来の丁寧なものに戻るほど。

 一方、呆然とアデルの話を聞くことしか出来ずにいるティンベルも、その点は非常に気になっていた。育ての親のような存在を殺され、犯人への復讐心を募らせたアデルは一体どうしたのか――。

 答えは、あまりにも容易く、残酷に告げられる。


「殺したのだ。我自身の手で」
「「っ……」」


 目の前が真っ暗になったかのような錯覚に、ティンベルは曇った目を見開いた。一方のナオヤは、純粋な衝撃で言葉を失っている。

(嘘……アデル兄様、が……?)


 ティンベルは信じられなかった。信じたく無かったのではない。ただただ純粋に、信じられなかったのだ。

 あの心優しいアデルが。どんなに忌避され、蔑まれ、傷つけられても、怒るどころか愚痴の一つも零したことの無かったアデルが。父親から酷い虐待を受けても、反撃の一つもしようとしなかったアデルが――。

 ティンベルの知るアデルが、復讐を理由に人を殺すなど、どうしても信じられなかった。

 同時に、アデルに人殺しという一線を越えさせてしまう程、その人物がアデルにとっての唯一無二であることを思い知らされる。

 ――不意に、アデルの困った様な眼差しが突き刺さり、ティンベルはビクリと肩を震わせてしまう。


「すまぬ、ティンベル。軽蔑したであるか?」
「い、え……」


 今のティンベルには、そう答える他無かった。慕い続ける兄を軽蔑することなど、苦汁を飲むより辛いこと。その上、アデルが人を殺したという話を未だ信じ切れず当惑している状態で、明確な答えなど出るわけも無かった。


「……故に、我はお主の復讐心を否定などせぬ。……ただ、悪魔の愛し子に対する復讐心は、全て我だけに向けてくれぬか?我であれば、いくらでも受け止めることが出来る。
 もう……愛し子に容姿が似ている者や、レディバグを擁護する者に対する迫害は、やめてくれぬだろうか?」
「どうして、そこまで……」


 アデルが何を考えているのか分からず、ナオヤは疑念に震える声で尋ねた。
 何故アデルは、自らを犠牲にしてまでナオヤの憤りに付き合おうとしてくれるのか。何故無理矢理従わせず、下手から願い出るのか。


「お主が、あの理事長に騙されているからである」
「……えっ」


 サァっと、ナオヤの顔から血の気が引いていく。思いがけない方向から衝撃的な事実を聞かされ、理解が追い付いていないのだ。


「理事長……という表現には誤りがある。お主が何度も対面している男は、本物の理事長では無い。理事長に扮した、ここに転がっている彼らの仲間である」

 冷たい瞳で眠っている彼らを見下ろすと、アデルは淡々と告げた。

「……う、嘘だ」
「嘘ではありません」


 現実から目を逸らすよう、首を横に振り続けるナオヤに追い打ちをかけるのは、ティンベルの凛とした声。思わずナオヤは、ギョッとした表情を彼女に向ける。


「私の知る理事長と、つい最近お会いした理事長では、仕草、利き手、敬称のつけ方などに決定的な違いがあり、別人なのは明白でした」
「そっ、そん……な……」


 ナオヤは一歩後退ると、何かに呪われてしまったかのように震えだした。脂汗か、冷や汗かも分からない大量の汗が、毛穴という毛穴から吹き出し、心地の悪い奇妙な感覚が彼を襲う。ぐわんぐわんと、眩暈がする感覚に打ちひしがれ、真面に思考することも儘ならない。

 真っ白になった頭を押さえ込むように、ナオヤは両手で頭を抱える。


「じゃあ、私は……ユヅキを殺した組織に、利用されてっ……。
 何の為に……私は一体、何の為にあんなことをして……」


 妹の仇をとるはずが、その仇の計画に加担していたという事実に打ちのめされ、ナオヤはだらっと項垂れ、ふらついてしまう。

 ――その時、アデルは思わぬ方向から鋭い殺気を感じ、咄嗟に彼らを覆い隠す程の結界を張った。刹那、三発の弾丸がその結界に弾かれ、結界の向こう側でカランカランっと落下していく。

 結界のすぐ傍にいたナオヤは、顔面ギリギリで弾丸が結界と衝突するのを目の当たりにしてしまい、その衝撃と視界が歪むほどの熱に圧倒され、その場に尻餅をついてしまう。


「っ……」
「はぁ……これだから悪魔の愛し子は嫌だな。そこのガキを殺して災害級野獣の餌にする計画が台無しだ」


 突如現れたその人物に、アデルは鋭く冷たい眼差しを向ける。ティンベルたちは警戒心を露わにし、ナオヤは逡巡入り混じる視線を向けた。

 壁の向こう側から拳銃を撃ち込み、その壁を壊しながら奇々怪々と侵入してきたのは、今まさに彼らの頭を支配していた人物――偽理事長である。


「……り、理事長……そ、そんなっ……ほ、本当に私を、騙していたのですかっ?……理事長っ!」
「全く、何がどうなっているのやら。どういう仕組みかな?確かに君は先刻まで理事長室にいたはずだというのに」


 ナオヤは声を震わせながら、訴えかけるように尋ねたが、その問いに対する返答は無い。

 偽理事長はまるで、ナオヤの声など聞こえていないような態度で、一瞥すらくれなかった。そして何事も無かったかのような相好で、アデルとヒメが入れ替わった謎について尋ねた。


「り、理事長……?」
「はぁ……今、私が彼に尋ねているんだ。邪魔をしないでくれないか?耳障りだね」
「っ……」


 再度問いかけると、理事長は漸くナオヤを視界に捉えた。だが、心底鬱陶しそうなため息をつくと、冷たい言葉で突き放し、ナオヤを怯えさせる。

 そんな偽理事長を射抜くような眼差しで捉えていたアデルだが、相手の出方を窺おうと、その眼差しを柔和にして尋ねた。


「貴様らの目的を交換条件にするのであれば、仕組みを教えてやっても良いぞ?」
「ははっ。とても釣り合うとは思えないな」


 アデルの提案を笑い飛ばした偽理事長の声に、嘲りや皮肉の意は込められていない。心の底から、交換条件としてはお笑い草だと思っているのだろう。

 するとティンベルは不意に、真剣な面持ちで一歩ずつ、偽理事長の元へと歩み寄り始めた。


「ティンベル……?」


 全員の視線が彼女に集まる中、ただ一人――誰よりも彼女の身を案じるアデルは、不安げな瞳でティンベルの背中を見つめるのだった。


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