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第一章 学園編
39.フェイク2
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フェイクの不気味な笑い声が、あまりにも歪に響き渡る。俯いているせいでその表情は窺えず、増々彼らは怪訝な眼差しを鋭くした。するとフェイクは、前髪を片手でかき上げると同時に、その顔を上げた。
笑ってはいるが、その鋭い瞳孔には隠し切れない憎悪の念が込められている。
「この世界の人間ときたら、有象無象も、勇者も、お前らのような偽善者もっ……何も知らない愚か者だというのに、あのお方のお気持ちを考えようともせず、平和ボケした面でのうのうと生きやがって……だから私たちがこんなクソみたいな世界を救う為に、身を粉にしているというのにっ」
フェイクは鬱陶しそうに前髪を片手でかき上げたまま、苛立ちを抑えるように頭皮に爪を立てる。鈍い痛みがフェイクの頭に走るが、その痛みが彼の精神を安定させるには必要な薬であった。
今まで溜め込んでいた鬱憤を晴らすように憤るフェイクだが、ティンベルには一つ不可解なことがあり、怪訝そうに首を傾げる。
「……?何故、わざわざ今、勇者様の名前を?勇者とはユウタロウ様のことですか?それとも過去の……」
「っ……」
ティンベルが尋ねた途端、フェイクは明らかに動揺の色を見せた。自らの失態に気づき、狼狽えているようで、ティンベルは増々疑問を募らせる。
(動揺した?どうして……)
ティンベルは先の質問でカマをかけたわけでは無く、純粋に疑問に思ったことを問いただしただけであった。故に、フェイクが勇者に関する問いに狼狽えた理由が分からず、少々困惑してしまう。
「……一つ、疑問なのだが」
「「?」」
今まで口を閉ざしていたアデルが唐突に声を上げたことで、彼らの視線は一斉に彼の元へ集まる。まるで、手足も覚束ない人形が、糸で操られているかのように。
「お主らの仲間である悪魔の愛し子は、口を利ける状態ではないのだろう?であればこの通り魔事件……本当にその愛し子が望んだことかは分からぬのではないか?」
「っ……」
ぴくっと、フェイクは眉を顰める。明らかな憤りが、その挙動には込められていた。
「最終的な目的は知らぬが、その人物は、目的を達するための手段として、罪のない人々を殺すことを良しとするような人なのであるか?」
「っ……貴様に、貴様にあのお方の何が分かると言うんだっ!
……っ、何も知らないお前がっ、知ったような口を利くなっ!」
鬼のような形相で怒鳴り散らすと、フェイクは勢いよく懐に手を突っ込んだ。瞬間、懐の中からカサっと、紙と紙が擦れるような音が微かに聞こえる。本能的にアデルは、彼が攻撃を仕掛けようとしていることを察知し、結界の強度を強める。
ティンベルたちを守る結界の強度を上げる為、アデル自身が生み出したジルを追加していると、フェイクの懐から五枚のお札のような物が取り出された。大きさは七夕の短冊程。材質は古紙のようで、僅かな衝撃でも簡単に破れてしまいそうな程ペラペラである。
フェイクはそのお札を、眠っている仮面の五人に向かって投げつける。すると、一枚一枚がそれぞれ、彼ら一人ずつの元へビュンっと一直線に進み、彼らの身体に貼りついた。
本来であれば紙を投げたところで、ふわりふわりと捉えどころのない動きで落下するだけだが、恐らくお札に含まれているジルを操って、俊敏な動きを可能にしたのだろう。
「「っ!」」
彼らの身体にお札が貼りついた瞬間、皓然とアデルは衝撃で目を見開いた。そのお札に、見覚えがあったからだ。
「フェイクだなんて……偽名もいいところですね。俺の同郷の癖に」
「あぁ……そう言えば君は、華位道国の出だったか……」
呆れる様に言った皓然に対し、フェイクは納得したような声を上げる。
この世界に存在する言語は二種類。一つはアンレズナの共通言語――アデルたちが普段会話で使用している言語。そしてもう一つは、皓然の祖国である華位道国独自の言語である。
華位道国の場合、言語はもちろんのこと、名前もその他の国とは全く異なっている。華位道国出身の人物の名前を、音として認識し、その名前を呼ぶことは誰にでもできるが、彼らの本名を文字として書くことは出来ないのだ。それこそ、華位道国の言語を習得している者でなければ。
あのお札を認識した瞬間、皓然とアデルは彼が華位道国の人間であることに気づいた。だからこそ皓然は、彼の本名と思われる華位道国の名前とは、似ても似つかない偽名に呆れてしまったわけである。
「流石に知っていたようだね。――私のような人種のことを」
フェイクが不敵に笑って見せると、お札が貼りついた彼らの身体に変化が訪れた。
――ドクンっ。雷に打たれたような。心臓に強いショックを与えられたように身体が跳ね、カタカタとお札が鼓動を打ち始める。
段々とお札が赤みを帯びてきたかと思われたその時――それは、唐突に起こった。
グチャっ……。
一瞬にして五人全員の身体がぐにゃりと歪み、そのあまりにも酸鼻な光景に、ティンベルとナオヤは「ひっ……」と怯えた声を漏らす。
「「っ……」」
骨も、筋肉も、血液も、肉も。その概念すら歪ませているのではないかと思える程、その姿はおどろおどろしい。関節はあり得ない方向に曲がり、顔や身体のパーツも滅茶苦茶になっており、その状態になった後しか知らない者が見れば、人間であることに気づけない程である。
臓物の塊のような状態になったかと思うと、刹那の内にそれらはお札の中に吸収され、跡形も無く消え去ってしまった。次の瞬間、仮面の彼らを吸い上げたお札五枚は、フェイクの手元へと戻っていく。
あまりにも現実味の無いことが起こったせいで現状を理解しきれていないのか、理解した上で言葉を失っているのか。どちらとも取れる表情で、彼らはそのお札に視線を集めた。
「――そう。これが私の持ちうる力……華位道国の出である君なら、当然知っているだろう?」
「……陰陽術の使い手ですか。厄介ですね」
「あぁ。私はその陰陽術から派生した、呪いを専門とする術師でねっ……」
言い終えると同時に、フェイクはお札の内の一枚を、アデルの張った結界へと飛ばした。シュタっと、お札が結界に張り付いたコンマ数秒後、一瞬にして結界全体に毒々しい蜘蛛の巣のような物が張り巡らされる。思わず彼らは息を呑み、その変化に圧倒されるのみ。
毒に侵されるような。その侵食は留まるところを知らず、結界の内側にいる彼らの視界はどんどん狭まっていった。
じわじわと結界が塗り替えられて行く中、ピキッ……と、結界に僅かなヒビが入ると、それを認識する前に結界は連鎖的に崩壊していった。お札が貼られてからこれまで、僅か数秒のことである。そしてその札は、再びフェイクの手元へと戻っていった。
「っ、皓然、ディアン。二人のことは任せたのだ」
「「はっ」」
新たな結界を張る余裕など無いことを即座に判断すると、アデルは剣を抜きつつ二人に指示した。フェイクが二人では手に負えない程の実力者であることを理解しているからこそ、アデルは二人にティンベルたちの護衛を任せたのだ。
アデルが視線を前に戻すと、結界を壊した直後に飛ばしたと思われるお札が、彼の眼前に迫ってきていた。すると、アデルの抜刀した剣の切っ先が、流れる用にお札を切り裂く。
彼らがその光景を前にホッとしたのも束の間、二つに裂かれたお札がその刀身に巻き付き、アデルは衝撃で目を見開いた。
「っ……」
「悪魔の愛し子である君のことだ。どうせこの瞬間、即座にその札をはがす為、その札に込められているジルを操ろうとしているんだろう?でも無駄だよ。私の術はただの陰陽術じゃない……呪術だ。
私の力は生物の命を根源としている。その魂に宿った怨念や思いが強ければ強い程、強力な札を作り上げることが出来る……そして、魂その物を力とするこの術は、ジルの術と違うからこそ、どんな操志者であろうと、解くことは不可能だ」
フェイクは勝ち誇った様な笑みを浮かべ、自らの力について語った。
彼の行使する呪術の基となる陰陽術とは、華位道国の操志者の半数が行使できる術である。皓然や、彼の姉である林も華位道国の出身ではあるが、二人は純粋な力勝負の方が得意なので、あまり陰陽術を使うことはない。
陰陽術と呪術の共通項は、実はお札を使用する点のみである。確かに呪術は陰陽術から派生したものではあるが、両者には決定的に異なる点があるのだ。
それは、一体何を力の根源としているか、である。
水、火、土、etc……これらの自然の力を札に込め、行使するのが陰陽術である。だが、そもそも水や火もそれその物にはジルが含まれているので、陰陽術自体はジル術から派生したものと考えることが出来る。
一方で、陰陽術の力の根源はジルではない。操志者はジルを操る他に戦う術を持たない。剣術と体術でなら話は別だが、剣が通用しないのは既に検証済みである。力の根源がジルで無いのなら、操志者に成す術は無い――フェイクの自信は的を射ていた。
フェイクが破顔した刹那、アデルの剣に巻き付いたお札から、先の毒々しい蜘蛛の巣のような物が張り巡らされる。そして、瞬きする間に剣からアデルの腕、全身へとその毒が回り、目に見えて血色が悪くなっていた。
「っ、ぐぁっ……!」
自らの身体を襲う呪術に対応しきれず、アデルは苦悶の声を漏らしながら膝をついた。思わずティンベルたちは血相を変えて駆け寄ろうとするが、
「アデル兄様っ!」
「「アデル様っ」」
「来るな!!」
「「っ」」
切迫した声で咎められ、彼らは思わず肩を震わせて立ち止まった。
「っ……あっ……来れば、お主らにもっ、影響がっ……」
「あっ……アデル兄様……」
苦し気に呼吸するアデルを目の当たりにしたティンベルは、思わず涙を浮かべながらその声を震わせた。苦しむ兄をただ黙って見ていることなど、ティンベルには耐えられない。だが、近づいたところで何も出来ないどころか、足手纏いになるだけだと理解しているからこそ、彼女は情けない嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
「くっ……」
苦しむアデルと、そんな彼の身を案じるティンベルを前に、我慢の限界に達した皓然とディアンは、自らの手でフェイクを倒そうと思い立ち、一歩踏み出そうとするが――。
「おっと。動かない方がいいよ?」
「「っ」」
フェイクにその思惑を看破され、皓然とディアンは忌々し気に立ち止まった。
「さっき見て分かっただろう?君たちのだぁいすきなアデル様でも防ぎきれなかった術を、君たち如きが看破できるわけ無いじゃないか。折角お優しいアデル様が、君たちの死期をほんのちょっぴりだけ遅くしてくれているんだから、自殺するような真似はよそうよ」
「「っ……」」
フェイクの発言を言い換えると〝アデルを殺している間だけは、まだ死なずに済むのだから大人しくしていろ〟という意味になる――その、皓然たちに対する明確な嘲りに、彼らは悔しげに唇を噛みしめた。
その間にもアデルを蝕む毒はどんどん身体中を巡り、ティンベルは心配のあまり顔面蒼白になっていた。
そして、そんなティンベルや皓然たちの思いを踏みにじるように、フェイクはアデルに近づいていく。
「さてと。もう彼動けないみたいだから、さっさと首を刎ねて殺すか」
「いやっ、やめっ……」
涙混じりの悲痛な声を漏らすと、ティンベルは一歩だけ前に出る。フェイクに立ち向かおうと踏み出したわけでは無く、脚がガクガクと震える反動で勝手に動いてしまったのだ。そして何より、アデルを殺されてしまうのではないかという恐怖が、彼女の足を無理矢理動かしたのだろう。
フェイクが、抜刀した剣を振り下ろそうとした、その時――。
――ガシッ。
徐に伸びたアデルの右腕が、フェイクの左足首を掴んだ。
「あ?」
突然の出来事に思わず、フェイクは呆けた声を漏らした。自身の左足首を痛いぐらいに締め付けられ、その不快感にフェイクは思わず、倒れるアデルを見下ろす。
フェイクにとって鬱陶しいアデルの右手には、未だに毒々しい紋章が巡っていた。だが、いくら足に力を込めても、その手を振り払えないどころか、左脚を一ミリも動かすことが出来ない。
思わずフェイクは眉を顰め、一方のティンベルたちは、呆けた表情でアデルに熱い視線を送っている。
「……っ、生物の命――魂を根源とした術……であったか」
低く凛とした声音で言うと同時に、アデルはフェイクの足首から手を離した。フェイクがホッとしたのも束の間、アデルは両手を地面について起き上がり、毒に蝕まれ変色した瞳で彼を見下ろしてくる。
「っ、おいっ、待て……どうして動ける?」
一体何が起きているのか理解できず、未知に対する恐怖で、フェイクは一歩後退った。一方のティンベルたちも、現状況を理解できていないのは同じなのだが、彼女たちが抱いているのは、恐怖では無く、希望。
アデルの未知なる力に対する、目を瞠るまでの希望だったのだ。
笑ってはいるが、その鋭い瞳孔には隠し切れない憎悪の念が込められている。
「この世界の人間ときたら、有象無象も、勇者も、お前らのような偽善者もっ……何も知らない愚か者だというのに、あのお方のお気持ちを考えようともせず、平和ボケした面でのうのうと生きやがって……だから私たちがこんなクソみたいな世界を救う為に、身を粉にしているというのにっ」
フェイクは鬱陶しそうに前髪を片手でかき上げたまま、苛立ちを抑えるように頭皮に爪を立てる。鈍い痛みがフェイクの頭に走るが、その痛みが彼の精神を安定させるには必要な薬であった。
今まで溜め込んでいた鬱憤を晴らすように憤るフェイクだが、ティンベルには一つ不可解なことがあり、怪訝そうに首を傾げる。
「……?何故、わざわざ今、勇者様の名前を?勇者とはユウタロウ様のことですか?それとも過去の……」
「っ……」
ティンベルが尋ねた途端、フェイクは明らかに動揺の色を見せた。自らの失態に気づき、狼狽えているようで、ティンベルは増々疑問を募らせる。
(動揺した?どうして……)
ティンベルは先の質問でカマをかけたわけでは無く、純粋に疑問に思ったことを問いただしただけであった。故に、フェイクが勇者に関する問いに狼狽えた理由が分からず、少々困惑してしまう。
「……一つ、疑問なのだが」
「「?」」
今まで口を閉ざしていたアデルが唐突に声を上げたことで、彼らの視線は一斉に彼の元へ集まる。まるで、手足も覚束ない人形が、糸で操られているかのように。
「お主らの仲間である悪魔の愛し子は、口を利ける状態ではないのだろう?であればこの通り魔事件……本当にその愛し子が望んだことかは分からぬのではないか?」
「っ……」
ぴくっと、フェイクは眉を顰める。明らかな憤りが、その挙動には込められていた。
「最終的な目的は知らぬが、その人物は、目的を達するための手段として、罪のない人々を殺すことを良しとするような人なのであるか?」
「っ……貴様に、貴様にあのお方の何が分かると言うんだっ!
……っ、何も知らないお前がっ、知ったような口を利くなっ!」
鬼のような形相で怒鳴り散らすと、フェイクは勢いよく懐に手を突っ込んだ。瞬間、懐の中からカサっと、紙と紙が擦れるような音が微かに聞こえる。本能的にアデルは、彼が攻撃を仕掛けようとしていることを察知し、結界の強度を強める。
ティンベルたちを守る結界の強度を上げる為、アデル自身が生み出したジルを追加していると、フェイクの懐から五枚のお札のような物が取り出された。大きさは七夕の短冊程。材質は古紙のようで、僅かな衝撃でも簡単に破れてしまいそうな程ペラペラである。
フェイクはそのお札を、眠っている仮面の五人に向かって投げつける。すると、一枚一枚がそれぞれ、彼ら一人ずつの元へビュンっと一直線に進み、彼らの身体に貼りついた。
本来であれば紙を投げたところで、ふわりふわりと捉えどころのない動きで落下するだけだが、恐らくお札に含まれているジルを操って、俊敏な動きを可能にしたのだろう。
「「っ!」」
彼らの身体にお札が貼りついた瞬間、皓然とアデルは衝撃で目を見開いた。そのお札に、見覚えがあったからだ。
「フェイクだなんて……偽名もいいところですね。俺の同郷の癖に」
「あぁ……そう言えば君は、華位道国の出だったか……」
呆れる様に言った皓然に対し、フェイクは納得したような声を上げる。
この世界に存在する言語は二種類。一つはアンレズナの共通言語――アデルたちが普段会話で使用している言語。そしてもう一つは、皓然の祖国である華位道国独自の言語である。
華位道国の場合、言語はもちろんのこと、名前もその他の国とは全く異なっている。華位道国出身の人物の名前を、音として認識し、その名前を呼ぶことは誰にでもできるが、彼らの本名を文字として書くことは出来ないのだ。それこそ、華位道国の言語を習得している者でなければ。
あのお札を認識した瞬間、皓然とアデルは彼が華位道国の人間であることに気づいた。だからこそ皓然は、彼の本名と思われる華位道国の名前とは、似ても似つかない偽名に呆れてしまったわけである。
「流石に知っていたようだね。――私のような人種のことを」
フェイクが不敵に笑って見せると、お札が貼りついた彼らの身体に変化が訪れた。
――ドクンっ。雷に打たれたような。心臓に強いショックを与えられたように身体が跳ね、カタカタとお札が鼓動を打ち始める。
段々とお札が赤みを帯びてきたかと思われたその時――それは、唐突に起こった。
グチャっ……。
一瞬にして五人全員の身体がぐにゃりと歪み、そのあまりにも酸鼻な光景に、ティンベルとナオヤは「ひっ……」と怯えた声を漏らす。
「「っ……」」
骨も、筋肉も、血液も、肉も。その概念すら歪ませているのではないかと思える程、その姿はおどろおどろしい。関節はあり得ない方向に曲がり、顔や身体のパーツも滅茶苦茶になっており、その状態になった後しか知らない者が見れば、人間であることに気づけない程である。
臓物の塊のような状態になったかと思うと、刹那の内にそれらはお札の中に吸収され、跡形も無く消え去ってしまった。次の瞬間、仮面の彼らを吸い上げたお札五枚は、フェイクの手元へと戻っていく。
あまりにも現実味の無いことが起こったせいで現状を理解しきれていないのか、理解した上で言葉を失っているのか。どちらとも取れる表情で、彼らはそのお札に視線を集めた。
「――そう。これが私の持ちうる力……華位道国の出である君なら、当然知っているだろう?」
「……陰陽術の使い手ですか。厄介ですね」
「あぁ。私はその陰陽術から派生した、呪いを専門とする術師でねっ……」
言い終えると同時に、フェイクはお札の内の一枚を、アデルの張った結界へと飛ばした。シュタっと、お札が結界に張り付いたコンマ数秒後、一瞬にして結界全体に毒々しい蜘蛛の巣のような物が張り巡らされる。思わず彼らは息を呑み、その変化に圧倒されるのみ。
毒に侵されるような。その侵食は留まるところを知らず、結界の内側にいる彼らの視界はどんどん狭まっていった。
じわじわと結界が塗り替えられて行く中、ピキッ……と、結界に僅かなヒビが入ると、それを認識する前に結界は連鎖的に崩壊していった。お札が貼られてからこれまで、僅か数秒のことである。そしてその札は、再びフェイクの手元へと戻っていった。
「っ、皓然、ディアン。二人のことは任せたのだ」
「「はっ」」
新たな結界を張る余裕など無いことを即座に判断すると、アデルは剣を抜きつつ二人に指示した。フェイクが二人では手に負えない程の実力者であることを理解しているからこそ、アデルは二人にティンベルたちの護衛を任せたのだ。
アデルが視線を前に戻すと、結界を壊した直後に飛ばしたと思われるお札が、彼の眼前に迫ってきていた。すると、アデルの抜刀した剣の切っ先が、流れる用にお札を切り裂く。
彼らがその光景を前にホッとしたのも束の間、二つに裂かれたお札がその刀身に巻き付き、アデルは衝撃で目を見開いた。
「っ……」
「悪魔の愛し子である君のことだ。どうせこの瞬間、即座にその札をはがす為、その札に込められているジルを操ろうとしているんだろう?でも無駄だよ。私の術はただの陰陽術じゃない……呪術だ。
私の力は生物の命を根源としている。その魂に宿った怨念や思いが強ければ強い程、強力な札を作り上げることが出来る……そして、魂その物を力とするこの術は、ジルの術と違うからこそ、どんな操志者であろうと、解くことは不可能だ」
フェイクは勝ち誇った様な笑みを浮かべ、自らの力について語った。
彼の行使する呪術の基となる陰陽術とは、華位道国の操志者の半数が行使できる術である。皓然や、彼の姉である林も華位道国の出身ではあるが、二人は純粋な力勝負の方が得意なので、あまり陰陽術を使うことはない。
陰陽術と呪術の共通項は、実はお札を使用する点のみである。確かに呪術は陰陽術から派生したものではあるが、両者には決定的に異なる点があるのだ。
それは、一体何を力の根源としているか、である。
水、火、土、etc……これらの自然の力を札に込め、行使するのが陰陽術である。だが、そもそも水や火もそれその物にはジルが含まれているので、陰陽術自体はジル術から派生したものと考えることが出来る。
一方で、陰陽術の力の根源はジルではない。操志者はジルを操る他に戦う術を持たない。剣術と体術でなら話は別だが、剣が通用しないのは既に検証済みである。力の根源がジルで無いのなら、操志者に成す術は無い――フェイクの自信は的を射ていた。
フェイクが破顔した刹那、アデルの剣に巻き付いたお札から、先の毒々しい蜘蛛の巣のような物が張り巡らされる。そして、瞬きする間に剣からアデルの腕、全身へとその毒が回り、目に見えて血色が悪くなっていた。
「っ、ぐぁっ……!」
自らの身体を襲う呪術に対応しきれず、アデルは苦悶の声を漏らしながら膝をついた。思わずティンベルたちは血相を変えて駆け寄ろうとするが、
「アデル兄様っ!」
「「アデル様っ」」
「来るな!!」
「「っ」」
切迫した声で咎められ、彼らは思わず肩を震わせて立ち止まった。
「っ……あっ……来れば、お主らにもっ、影響がっ……」
「あっ……アデル兄様……」
苦し気に呼吸するアデルを目の当たりにしたティンベルは、思わず涙を浮かべながらその声を震わせた。苦しむ兄をただ黙って見ていることなど、ティンベルには耐えられない。だが、近づいたところで何も出来ないどころか、足手纏いになるだけだと理解しているからこそ、彼女は情けない嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
「くっ……」
苦しむアデルと、そんな彼の身を案じるティンベルを前に、我慢の限界に達した皓然とディアンは、自らの手でフェイクを倒そうと思い立ち、一歩踏み出そうとするが――。
「おっと。動かない方がいいよ?」
「「っ」」
フェイクにその思惑を看破され、皓然とディアンは忌々し気に立ち止まった。
「さっき見て分かっただろう?君たちのだぁいすきなアデル様でも防ぎきれなかった術を、君たち如きが看破できるわけ無いじゃないか。折角お優しいアデル様が、君たちの死期をほんのちょっぴりだけ遅くしてくれているんだから、自殺するような真似はよそうよ」
「「っ……」」
フェイクの発言を言い換えると〝アデルを殺している間だけは、まだ死なずに済むのだから大人しくしていろ〟という意味になる――その、皓然たちに対する明確な嘲りに、彼らは悔しげに唇を噛みしめた。
その間にもアデルを蝕む毒はどんどん身体中を巡り、ティンベルは心配のあまり顔面蒼白になっていた。
そして、そんなティンベルや皓然たちの思いを踏みにじるように、フェイクはアデルに近づいていく。
「さてと。もう彼動けないみたいだから、さっさと首を刎ねて殺すか」
「いやっ、やめっ……」
涙混じりの悲痛な声を漏らすと、ティンベルは一歩だけ前に出る。フェイクに立ち向かおうと踏み出したわけでは無く、脚がガクガクと震える反動で勝手に動いてしまったのだ。そして何より、アデルを殺されてしまうのではないかという恐怖が、彼女の足を無理矢理動かしたのだろう。
フェイクが、抜刀した剣を振り下ろそうとした、その時――。
――ガシッ。
徐に伸びたアデルの右腕が、フェイクの左足首を掴んだ。
「あ?」
突然の出来事に思わず、フェイクは呆けた声を漏らした。自身の左足首を痛いぐらいに締め付けられ、その不快感にフェイクは思わず、倒れるアデルを見下ろす。
フェイクにとって鬱陶しいアデルの右手には、未だに毒々しい紋章が巡っていた。だが、いくら足に力を込めても、その手を振り払えないどころか、左脚を一ミリも動かすことが出来ない。
思わずフェイクは眉を顰め、一方のティンベルたちは、呆けた表情でアデルに熱い視線を送っている。
「……っ、生物の命――魂を根源とした術……であったか」
低く凛とした声音で言うと同時に、アデルはフェイクの足首から手を離した。フェイクがホッとしたのも束の間、アデルは両手を地面について起き上がり、毒に蝕まれ変色した瞳で彼を見下ろしてくる。
「っ、おいっ、待て……どうして動ける?」
一体何が起きているのか理解できず、未知に対する恐怖で、フェイクは一歩後退った。一方のティンベルたちも、現状況を理解できていないのは同じなのだが、彼女たちが抱いているのは、恐怖では無く、希望。
アデルの未知なる力に対する、目を瞠るまでの希望だったのだ。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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