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第二章 過去との対峙編
77.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか3
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『生き恥を晒すぐらいなら死んだ方がいいわ』
「……」
翌日。
母親から浴びせられた暴言が、耳にこびりついて離れてくれず、ハヤテは訓練中も終始上の空であった。
(お母さんは、俺が死んだ方がいいのだろうか……?新しい子供が忌み色持ちじゃなかったら、俺はもう用済みになるのかな?)
重鎮が屋外での訓練に関する説明をしているが、その声もハヤテの耳には靄がかかったように聞こえ、内容に集中することができない。
頭を支配するのは悪い想像ばかりだが、それが真実であることも、ハヤテはとっくに気づいていた。
弟か妹が生まれれば、母は忌み色持ちのことなど忘れて、そちらに愛情を注ぐだろう。そうなれば、ハヤテの交友関係を調べることも、鍛錬不足を咎めることも無くなるかもしれない。
――勇者になれ。
そんな無理難題を押し付けてくることも、無くなるかもしれない。
一周回って考えると、それが一番穏便に済む方法なのではないか?もう母に重圧をかけられることも、勇者にならなけばという強迫観念に怯えることもない。自分のやりたいように生き、晴れて自由の身だ。
だがそれは同時に、ハヤテが誰からも期待されなくなることを意味していた。
『おい……』
自分は、期待されなくなるのが嫌なのか?母親から愛されないことが不満なのか?
いや、違う……俺は――。
「おいって!」
「っ!」
左耳を引っ張られ、よく開いた耳孔に声を吹き込まれたハヤテは、その唐突さとくすぐったさにビクッと肩を震わせる。目を見開き、首を左側に動かすと、ムスッと顔を顰めるユウタロウの姿が視界に飛び込み、ハヤテは一気に現実へと引き戻された。
「ユウ、タロウ……」
「お前大丈夫?頭打ったって言ってたけど、打ちどころ悪かったんじゃねぇ?」
「……そう、かもしれない」
ハヤテは一瞬だけ、ユウタロウが何を言っているのか理解できず、その間思考を停止させてしまった。だが即座に、ハヤテは今朝の出来事を思い出す。
ハヤテは頭の傷を隠すために包帯を巻いていたのだが、その原因をユウタロウにしつこく問い詰められた。その際ハヤテは咄嗟に「柱に頭をぶつけた」と嘘を言ったのだ。
「じゃあさっさと行こうぜ」
「行くって?」
「……お前本当に大丈夫か?いつもと立場が逆じゃねぇか」
呆けた面で首を傾げるハヤテを前に、ユウタロウは当惑してしまった。だが、この状況を未だに理解できていないハヤテの為、ユウタロウは説明をしてやる。
「今日の訓練は山登りだと。二人一組になって山を登っては下り、登っては下りを繰り返して、計十往復らしい。ま。全員ノルマ達成は無理だろうな」
「もしかして、俺とユウタロウが同じ組なのか?」
「当たり前だろうが。お前俺のだし」
「はぁ?いつ俺がお前のものになったんだ。人を物扱いするな」
「あぁ、はいはい。出た出た真面目が」
突拍子も無いことを言い出したユウタロウに対し、ハヤテは不快感を示すように眉を顰めた。すると、ユウタロウは死んだ魚の様な目でうすら笑いを浮かべた。
「論点をずらすな」
「てか早くいこーぜ。出遅れちまう」
そう言うと、ユウタロウは他の子供たちの後を追うようにして、屋敷の門へと向かった。思わずハヤテはため息をつくが、その内観念したようにユウタロウの後を追うのだった。
********
ユウタロウたちが今回登る山は、屋敷から徒歩十分ほどの場所に聳え立っている、標高二百メートル程の、平均的な高さの山である。
スタート地点から山を登り、決められたゴール地点まで向かう。ゴール地点には重鎮の一人が待ち構えており、そこで手の甲に印を押してもらうと、子供たちはスタート地点へと下山する。スタート地点に辿り着いたら、再び山を登り始める――これを計十往復。
これさえ満たしていれば、後は何でもありの訓練なのだ。登山の途中で休憩を挟むのも、山に潜む野獣を狩るも自由。例え陽が落ちて、時刻が天辺を回ったとしても、本人にリタイアの意思が無ければ訓練続行が可能になる。
「さて……どうすっかねぇ」
山の麓まで到着すると、ユウタロウは首を捻って呟いた。
外は子供たちを祝福しているかのような快晴で、今回の訓練にはうってつけであった。これが夏であれば地獄絵図と化していただろうが、幸いにも今はまだ涼しい春。子供らしい半袖姿の彼らなら、暑さに苦しむことは無いだろう。
「どうするもこうするも、地道に山を登るだけだろう?」
「走るか早歩きか。それが問題だ」
「……山を登るんだぞ?負担が大きすぎる。十往復もしないといけないというのに、走ったりして足が持つわけが無い」
歩くという選択肢を提示しないユウタロウに、ハヤテは苦虫を噛み潰したような表情を向けた。ハヤテはユウタロウの正気を疑っているが、彼の方は至って真剣である。
「身体強化術使えばいいだろ」
「……悪いが、俺はまだその術を使いこなせていない。ペアを組ませたということは、二人一緒に行動しなければならないのだろう?……足手纏いになって悪いが、俺は……」
「おめぇが足手纏いならここにいる全員足手纏いだよ。お前俺の次くらいに強いんだから、もっと自信持てよ」
「だが……」
そうは言われても、やはり自分がユウタロウに劣っている事実に変わりはない。昨日の母親との出来事も相まって、ハヤテは自身の力不足に打ちのめされ、シュンと俯いてしまった。
「なら俺がコツ教えてやるよ。もしそれで上手くいったら万々歳。もし途中できつくなったら言え。普通に歩いて登山すっからよ」
「……分かった。すまない」
「いちいち謝んじゃねぇよ。お前何も悪いことしてねぇじゃねぇか」
「っ……!……違う……俺は……」
「?」
ユウタロウにそう言われ、ハヤテは一瞬、瞳に一筋の光を灯した。だが、嬉し涙で滲んだその瞳は、すぐさま自らに対する嫌悪感で曇る。
――俺は、忌み色持ちに生まれたその瞬間から、一生償えない罪を犯している。
言いかけたその言葉を飲み込むと、ハヤテは耐え切れない程の苦々しさに顔を顰めた。ただ何となく、この言葉をユウタロウに聞かせるのは、良くないことだと思ったのだ。
「何でもない……」
そう言って誤魔化したハヤテに、ユウタロウがそれ以上追及することは無かった。言いかけた言葉を飲み込んだ人間にいくら問いただしても、本音を吐露してくれないことは、幼いユウタロウにも分かっていたから。
********
「っ……すまないっ。もう無理かもしれないっ」
「おう……じゃあちっと休憩すっか」
はぁっ、はぁっ……と息を切らしながら、両膝に手をつくハヤテを前に、ユウタロウはそんな提案をした。
ユウタロウの指導もあって、ハヤテは身体強化術を行使することは出来たのだが、それを長時間維持するのはやはり難しく、術がかかっている間とかかっていない間があり、ユウタロウよりも早く疲弊してしまっていたのだ。
ユウタロウたちは今、二往復目に突入しており、三分の二程度登ったところである。まだ開始から一時間程度しか経過していないので、当然ユウタロウたちが最前を進んでいた。
「なぁハヤテ。梅干しと鮭どっちがいい?」
「突然何の話だ」
大木を背にしゃがみ込んだ途端、前置きも無くそんなことを尋ねて来たユウタロウに、ハヤテは怪訝な眼差しを向けた。
するとユウタロウは、小さめの背嚢から弁当箱を取り出し、蓋を開けてハヤテの眼前にその中身を広げた。
「ロクヤが軽食用におむすび握ってくれたんだよ」
「ロクヤが?すごいな……」
ハヤテの視界に映ったのは、俵型に握られたおにぎり四つが、弁当箱にぎっちりと詰め込まれた光景だ。出汁で炊きこまれたような、薄茶色のおにぎりが二つと、ハヤテの髪のように真っ白なおにぎりが二つである。両方とも海苔が綺麗に巻かれていて、とても五才の男児が作った物には見えない。
感嘆の声を漏らし、キラキラとした瞳でおむすびを見つめるハヤテに、ユウタロウは再度尋ねる。
「で?どっちがいいんだよ」
「……梅干し」
「じゃ。取り敢えず俺は鮭食うわ」
そう言うと、ユウタロウは白い米のおむすびを差し出し、自分は薄茶色のおむすびの方を頬張った。おむすびを受け取り、ジッとそれを見つめたハヤテは、ふと気づく。
真っ白な米に、真っ黒な海苔……それはまるで自分のようで、一瞬だけ目を逸らしたくなった。よく考えると、中に入っているのは真っ赤な梅干しで、増々縁起が悪い。
おむすび如きで何を自分は憂いているのだと、心の内で自身を叱責すると、ハヤテは勢いよくおむすびにかぶりつく。瞬間、舌に広がった想像以上の旨味を前に、ハヤテは目を輝かせた。
(美味しい……)
この気持ちを共有したくて、ハヤテはユウタロウを見つめるが、彼は既に一つ目を完食しており、ハヤテはスンとした表情を晒した。恐らくユウタロウは普段からロクヤの手料理を食べているから新鮮味が無いのかもしれないが、それにしたってもう少し味わって食べるべきでは?と、ハヤテは不満を覚えてしまう。
きっとロクヤは、過酷な訓練に挑むハヤテたちを心配して、わざわざおむすびを作ってくれたのだろう。こんなにも愛情の詰まった、自分の為だけに作られた料理を食べるのは初めてで、ハヤテは呆けてしまいそうになる。
同時にハヤテは、自らの身体に起きた僅かな変化に気づいた。
「……なんだか、身体の疲労が取れた様な……」
全身の疲労感、息切れ、脚に感じていた強烈な負担――それら全てがつい先刻より軽くなったように感じ、ハヤテは首を傾げた。普段であればこんなにも早く回復しないので、彼の疑問は当然である。
「あぁ。やっぱそう思うか?」
「やっぱりって……心当たりがあるのか?」
「なんかロクヤの飯食うと身体の調子がすこぶるいいんだよな……アイツ独自の力かもしれねぇ」
「……それ、結構……というか大分、凄いことなのでは?」
ユウタロウがあまりにもケロッと言ってのけたせいで反応が遅れてしまったが、彼の推測が事実なら、こんな場所でおむすび片手に談笑する内容ではない。それこそ、勇者一族の歴史を揺るがしかねない事態である。
何せ、修行も儘ならない程身体の弱いロクヤに、稀有な力が備わっている可能性があるのだから。
「そうなんだよなぁ……でもまだ確証ねぇし、色々試してみねぇと何とも言えねぇよな」
「そうか……もしロクヤに特別な力があるのなら、一族を追い出されずに済むかもしれないな。……優しいあの子らしい、いい力だ」
ふわっと微笑すると、ハヤテはおむすびをもう一口頬張った。
昼食用と夕食用の弁当は全員に支給されているが、途中で限界が来る可能性もあるので、ハヤテたちは梅と鮭のおむすびを一つずつ残すと、水筒に注がれた経口補水液を摂取し始めた。
「このペースなら、何とか今日中に終わりそうだな……」
「なぁ、ユウタロウ」
「あ?」
「どうしてお前は……こんなに頑張れるんだ?……勇者に、なりたいわけじゃないんだろう?」
「おう。俺、勇者選定戦に出るつもりねぇし」
ハヤテの静かな問いに対し、ユウタロウはケロッと答えた。
勇者選定戦は強制参加ではない。拒否することもできるが、まず拒否する人間などいない。何故なら、勇者一族に生まれた者は、勇者選定戦で優勝して勇者になる為だけに、幼少から辛く苦しい訓練に耐えなくてはならないから。選定戦に出場しないというのは、何年にも渡る努力をドブに捨てるような行為。その為、選定戦出場を拒否すれば、一体何のために今まで修行してきたんだ?という話になってしまうのだ。
「ならどうして……」
「俺、強くなったら……一族を変えたいんだ」
「一族を、変える?」
「凶暴な言い方をすると、ぶっ壊してぇ」
「っ!」
ユウタロウの爆弾発言に目を見開くと、ハヤテは咄嗟に彼の口を手で覆ってしまった。こんな話を誰かに聞かれれば、ユウタロウにどんな処分が下るか分かったものでは無いので、身体が本能的に動いたのだ。
「馬鹿ッ!重鎮の誰かに聞かれたらどうするんだっ。殺されたいのかっ!?」
「大丈夫だよ。周りに人いねぇのは気配で分かってる」
「はぁ……。
それにしても、どうしてそこまで一族を毛嫌いするんだ?何か理由でも……」
ハッと目を見開き、ハヤテはそれ以上の問いを紡げなくなる。視界に映るユウタロウが、あまりにも悲痛な表情で笑みを浮かべていたから。笑っているのに、そこに温かみも光も無く、愁色に満ちた表情からは、誰に向けられたものかも分からぬ嘲りまで感じられる。
一体何を経験すれば、何を感じれば、そんな佇まいになるのか。
一体誰が、ユウタロウにこんな笑い方をさせたのか。
ユウタロウの抱える何かを前に、ハヤテはただただ息を呑むのだった。
「……」
翌日。
母親から浴びせられた暴言が、耳にこびりついて離れてくれず、ハヤテは訓練中も終始上の空であった。
(お母さんは、俺が死んだ方がいいのだろうか……?新しい子供が忌み色持ちじゃなかったら、俺はもう用済みになるのかな?)
重鎮が屋外での訓練に関する説明をしているが、その声もハヤテの耳には靄がかかったように聞こえ、内容に集中することができない。
頭を支配するのは悪い想像ばかりだが、それが真実であることも、ハヤテはとっくに気づいていた。
弟か妹が生まれれば、母は忌み色持ちのことなど忘れて、そちらに愛情を注ぐだろう。そうなれば、ハヤテの交友関係を調べることも、鍛錬不足を咎めることも無くなるかもしれない。
――勇者になれ。
そんな無理難題を押し付けてくることも、無くなるかもしれない。
一周回って考えると、それが一番穏便に済む方法なのではないか?もう母に重圧をかけられることも、勇者にならなけばという強迫観念に怯えることもない。自分のやりたいように生き、晴れて自由の身だ。
だがそれは同時に、ハヤテが誰からも期待されなくなることを意味していた。
『おい……』
自分は、期待されなくなるのが嫌なのか?母親から愛されないことが不満なのか?
いや、違う……俺は――。
「おいって!」
「っ!」
左耳を引っ張られ、よく開いた耳孔に声を吹き込まれたハヤテは、その唐突さとくすぐったさにビクッと肩を震わせる。目を見開き、首を左側に動かすと、ムスッと顔を顰めるユウタロウの姿が視界に飛び込み、ハヤテは一気に現実へと引き戻された。
「ユウ、タロウ……」
「お前大丈夫?頭打ったって言ってたけど、打ちどころ悪かったんじゃねぇ?」
「……そう、かもしれない」
ハヤテは一瞬だけ、ユウタロウが何を言っているのか理解できず、その間思考を停止させてしまった。だが即座に、ハヤテは今朝の出来事を思い出す。
ハヤテは頭の傷を隠すために包帯を巻いていたのだが、その原因をユウタロウにしつこく問い詰められた。その際ハヤテは咄嗟に「柱に頭をぶつけた」と嘘を言ったのだ。
「じゃあさっさと行こうぜ」
「行くって?」
「……お前本当に大丈夫か?いつもと立場が逆じゃねぇか」
呆けた面で首を傾げるハヤテを前に、ユウタロウは当惑してしまった。だが、この状況を未だに理解できていないハヤテの為、ユウタロウは説明をしてやる。
「今日の訓練は山登りだと。二人一組になって山を登っては下り、登っては下りを繰り返して、計十往復らしい。ま。全員ノルマ達成は無理だろうな」
「もしかして、俺とユウタロウが同じ組なのか?」
「当たり前だろうが。お前俺のだし」
「はぁ?いつ俺がお前のものになったんだ。人を物扱いするな」
「あぁ、はいはい。出た出た真面目が」
突拍子も無いことを言い出したユウタロウに対し、ハヤテは不快感を示すように眉を顰めた。すると、ユウタロウは死んだ魚の様な目でうすら笑いを浮かべた。
「論点をずらすな」
「てか早くいこーぜ。出遅れちまう」
そう言うと、ユウタロウは他の子供たちの後を追うようにして、屋敷の門へと向かった。思わずハヤテはため息をつくが、その内観念したようにユウタロウの後を追うのだった。
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ユウタロウたちが今回登る山は、屋敷から徒歩十分ほどの場所に聳え立っている、標高二百メートル程の、平均的な高さの山である。
スタート地点から山を登り、決められたゴール地点まで向かう。ゴール地点には重鎮の一人が待ち構えており、そこで手の甲に印を押してもらうと、子供たちはスタート地点へと下山する。スタート地点に辿り着いたら、再び山を登り始める――これを計十往復。
これさえ満たしていれば、後は何でもありの訓練なのだ。登山の途中で休憩を挟むのも、山に潜む野獣を狩るも自由。例え陽が落ちて、時刻が天辺を回ったとしても、本人にリタイアの意思が無ければ訓練続行が可能になる。
「さて……どうすっかねぇ」
山の麓まで到着すると、ユウタロウは首を捻って呟いた。
外は子供たちを祝福しているかのような快晴で、今回の訓練にはうってつけであった。これが夏であれば地獄絵図と化していただろうが、幸いにも今はまだ涼しい春。子供らしい半袖姿の彼らなら、暑さに苦しむことは無いだろう。
「どうするもこうするも、地道に山を登るだけだろう?」
「走るか早歩きか。それが問題だ」
「……山を登るんだぞ?負担が大きすぎる。十往復もしないといけないというのに、走ったりして足が持つわけが無い」
歩くという選択肢を提示しないユウタロウに、ハヤテは苦虫を噛み潰したような表情を向けた。ハヤテはユウタロウの正気を疑っているが、彼の方は至って真剣である。
「身体強化術使えばいいだろ」
「……悪いが、俺はまだその術を使いこなせていない。ペアを組ませたということは、二人一緒に行動しなければならないのだろう?……足手纏いになって悪いが、俺は……」
「おめぇが足手纏いならここにいる全員足手纏いだよ。お前俺の次くらいに強いんだから、もっと自信持てよ」
「だが……」
そうは言われても、やはり自分がユウタロウに劣っている事実に変わりはない。昨日の母親との出来事も相まって、ハヤテは自身の力不足に打ちのめされ、シュンと俯いてしまった。
「なら俺がコツ教えてやるよ。もしそれで上手くいったら万々歳。もし途中できつくなったら言え。普通に歩いて登山すっからよ」
「……分かった。すまない」
「いちいち謝んじゃねぇよ。お前何も悪いことしてねぇじゃねぇか」
「っ……!……違う……俺は……」
「?」
ユウタロウにそう言われ、ハヤテは一瞬、瞳に一筋の光を灯した。だが、嬉し涙で滲んだその瞳は、すぐさま自らに対する嫌悪感で曇る。
――俺は、忌み色持ちに生まれたその瞬間から、一生償えない罪を犯している。
言いかけたその言葉を飲み込むと、ハヤテは耐え切れない程の苦々しさに顔を顰めた。ただ何となく、この言葉をユウタロウに聞かせるのは、良くないことだと思ったのだ。
「何でもない……」
そう言って誤魔化したハヤテに、ユウタロウがそれ以上追及することは無かった。言いかけた言葉を飲み込んだ人間にいくら問いただしても、本音を吐露してくれないことは、幼いユウタロウにも分かっていたから。
********
「っ……すまないっ。もう無理かもしれないっ」
「おう……じゃあちっと休憩すっか」
はぁっ、はぁっ……と息を切らしながら、両膝に手をつくハヤテを前に、ユウタロウはそんな提案をした。
ユウタロウの指導もあって、ハヤテは身体強化術を行使することは出来たのだが、それを長時間維持するのはやはり難しく、術がかかっている間とかかっていない間があり、ユウタロウよりも早く疲弊してしまっていたのだ。
ユウタロウたちは今、二往復目に突入しており、三分の二程度登ったところである。まだ開始から一時間程度しか経過していないので、当然ユウタロウたちが最前を進んでいた。
「なぁハヤテ。梅干しと鮭どっちがいい?」
「突然何の話だ」
大木を背にしゃがみ込んだ途端、前置きも無くそんなことを尋ねて来たユウタロウに、ハヤテは怪訝な眼差しを向けた。
するとユウタロウは、小さめの背嚢から弁当箱を取り出し、蓋を開けてハヤテの眼前にその中身を広げた。
「ロクヤが軽食用におむすび握ってくれたんだよ」
「ロクヤが?すごいな……」
ハヤテの視界に映ったのは、俵型に握られたおにぎり四つが、弁当箱にぎっちりと詰め込まれた光景だ。出汁で炊きこまれたような、薄茶色のおにぎりが二つと、ハヤテの髪のように真っ白なおにぎりが二つである。両方とも海苔が綺麗に巻かれていて、とても五才の男児が作った物には見えない。
感嘆の声を漏らし、キラキラとした瞳でおむすびを見つめるハヤテに、ユウタロウは再度尋ねる。
「で?どっちがいいんだよ」
「……梅干し」
「じゃ。取り敢えず俺は鮭食うわ」
そう言うと、ユウタロウは白い米のおむすびを差し出し、自分は薄茶色のおむすびの方を頬張った。おむすびを受け取り、ジッとそれを見つめたハヤテは、ふと気づく。
真っ白な米に、真っ黒な海苔……それはまるで自分のようで、一瞬だけ目を逸らしたくなった。よく考えると、中に入っているのは真っ赤な梅干しで、増々縁起が悪い。
おむすび如きで何を自分は憂いているのだと、心の内で自身を叱責すると、ハヤテは勢いよくおむすびにかぶりつく。瞬間、舌に広がった想像以上の旨味を前に、ハヤテは目を輝かせた。
(美味しい……)
この気持ちを共有したくて、ハヤテはユウタロウを見つめるが、彼は既に一つ目を完食しており、ハヤテはスンとした表情を晒した。恐らくユウタロウは普段からロクヤの手料理を食べているから新鮮味が無いのかもしれないが、それにしたってもう少し味わって食べるべきでは?と、ハヤテは不満を覚えてしまう。
きっとロクヤは、過酷な訓練に挑むハヤテたちを心配して、わざわざおむすびを作ってくれたのだろう。こんなにも愛情の詰まった、自分の為だけに作られた料理を食べるのは初めてで、ハヤテは呆けてしまいそうになる。
同時にハヤテは、自らの身体に起きた僅かな変化に気づいた。
「……なんだか、身体の疲労が取れた様な……」
全身の疲労感、息切れ、脚に感じていた強烈な負担――それら全てがつい先刻より軽くなったように感じ、ハヤテは首を傾げた。普段であればこんなにも早く回復しないので、彼の疑問は当然である。
「あぁ。やっぱそう思うか?」
「やっぱりって……心当たりがあるのか?」
「なんかロクヤの飯食うと身体の調子がすこぶるいいんだよな……アイツ独自の力かもしれねぇ」
「……それ、結構……というか大分、凄いことなのでは?」
ユウタロウがあまりにもケロッと言ってのけたせいで反応が遅れてしまったが、彼の推測が事実なら、こんな場所でおむすび片手に談笑する内容ではない。それこそ、勇者一族の歴史を揺るがしかねない事態である。
何せ、修行も儘ならない程身体の弱いロクヤに、稀有な力が備わっている可能性があるのだから。
「そうなんだよなぁ……でもまだ確証ねぇし、色々試してみねぇと何とも言えねぇよな」
「そうか……もしロクヤに特別な力があるのなら、一族を追い出されずに済むかもしれないな。……優しいあの子らしい、いい力だ」
ふわっと微笑すると、ハヤテはおむすびをもう一口頬張った。
昼食用と夕食用の弁当は全員に支給されているが、途中で限界が来る可能性もあるので、ハヤテたちは梅と鮭のおむすびを一つずつ残すと、水筒に注がれた経口補水液を摂取し始めた。
「このペースなら、何とか今日中に終わりそうだな……」
「なぁ、ユウタロウ」
「あ?」
「どうしてお前は……こんなに頑張れるんだ?……勇者に、なりたいわけじゃないんだろう?」
「おう。俺、勇者選定戦に出るつもりねぇし」
ハヤテの静かな問いに対し、ユウタロウはケロッと答えた。
勇者選定戦は強制参加ではない。拒否することもできるが、まず拒否する人間などいない。何故なら、勇者一族に生まれた者は、勇者選定戦で優勝して勇者になる為だけに、幼少から辛く苦しい訓練に耐えなくてはならないから。選定戦に出場しないというのは、何年にも渡る努力をドブに捨てるような行為。その為、選定戦出場を拒否すれば、一体何のために今まで修行してきたんだ?という話になってしまうのだ。
「ならどうして……」
「俺、強くなったら……一族を変えたいんだ」
「一族を、変える?」
「凶暴な言い方をすると、ぶっ壊してぇ」
「っ!」
ユウタロウの爆弾発言に目を見開くと、ハヤテは咄嗟に彼の口を手で覆ってしまった。こんな話を誰かに聞かれれば、ユウタロウにどんな処分が下るか分かったものでは無いので、身体が本能的に動いたのだ。
「馬鹿ッ!重鎮の誰かに聞かれたらどうするんだっ。殺されたいのかっ!?」
「大丈夫だよ。周りに人いねぇのは気配で分かってる」
「はぁ……。
それにしても、どうしてそこまで一族を毛嫌いするんだ?何か理由でも……」
ハッと目を見開き、ハヤテはそれ以上の問いを紡げなくなる。視界に映るユウタロウが、あまりにも悲痛な表情で笑みを浮かべていたから。笑っているのに、そこに温かみも光も無く、愁色に満ちた表情からは、誰に向けられたものかも分からぬ嘲りまで感じられる。
一体何を経験すれば、何を感じれば、そんな佇まいになるのか。
一体誰が、ユウタロウにこんな笑い方をさせたのか。
ユウタロウの抱える何かを前に、ハヤテはただただ息を呑むのだった。
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そう誓い、辺境の村で農業を始めたはずが、飢饉に苦しむ人々を見過ごせない。前世の知識とポイントで交換した現代の調味料で「奇跡のプリン」を生み出し、村を救った功績は、やがて王都の知るところとなる。
これは、ポイント稼ぎに執着する元社畜が、温かい食卓を夢見るうちに、うっかり世界の謎と巨大な悪意に立ち向かってしまう物語。最強農民の異世界改革、ここに開幕!
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