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第二章 過去との対峙編
84.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか10
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「――ハヤテ。俺は絶対に、誰かに殺されたりしない」
「っ!」
頭上から降ってきた力強い言葉は、あまりにも明白に告げられた。思わずハヤテは身体を震わせるのも忘れて、徐に顔を上げる。
するとそこには、あまりにも真っ直ぐな眼差しでハヤテを見据えるユウタロウがいて、彼は思わずその姿に目を奪われた。
曇り無き眼にはハヤテしか映っておらず、その瞳の奥底に潜む光があまりにも純粋無垢で、ハヤテは再び涙を零してしまいそうになる。
「俺は強い。これからもっと強くなる。お前が心配する余地なんて無くなるぐらい、強くなる。ロクヤも、コイツらも、お前も、俺が絶対に守る。だから怖がるな」
「……でもっ……もし、俺たちを庇ったせいで、ユウタロウが死んだら……」
「なら。お前も一緒に強くなれ」
「っ!」
ユウタロウの言葉は、ハヤテを一つの答えへ導いてくれたような気がして、彼は目を見開いた。
ハヤテはずっと、母親の為だけに努力し続けてきた。
母親はいつも「勇者になれ」と、ハヤテに言い聞かせてきたから。
例え忌み色持ちでも、勇者になることが出来れば、母が謂れのない誹謗中傷を受けることも無くなるかもしれないと、微かな希望を持つことが出来たから。
ハヤテが勇者になるために全てを捧げることが出来たのは、母の存在があったからだ。
だがその母は、もういない。
ハヤテはもう、何の為に努力すればいいのかも。勇者一族という狂った組織の中で、何を糧に生きていけばいいのかも。分からなくなっていた。
「もう勇者になる為に強くなる必要はねぇ。ただ、大事な人を守る為に。その恐怖に打ち勝つために、俺と一緒に強くなろう。な?」
勇者になる為では無く、大切な存在を守る為に――。それが、ハヤテにとっての答えの様な気がした。
ハヤテの不安も、憂いも、躊躇いも、恐怖も。ユウタロウは、その笑顔ひとつでいとも簡単に掬い上げてしまった。
そんな優しい笑みを向けられてしまえば、猛烈に願ってしまう。乞いたくなってしまう。
じわっと涙を滲ませると、ハヤテは意を決したように、震える唇に鞭打って、その口を開いた。
「っ、ユウ、タロウ……」
「ん?」
「俺をっ……お前の家族にしてくれっ」
掌と瞼をぎゅっと閉じ、思いの丈を告げた刹那、ハヤテは強い衝撃を受ける。強くて、温かい、優しい衝撃だった。
ハヤテは呆けたようにゆっくりと瞬きすると、自分がユウタロウとロクヤに抱き締められていることに気づく。ユウタロウには片腕で肩を抱かれ、ロクヤには下腹部に抱きつかれていた。
「ユウタロウ…………ロクヤ……?」
「言われるまでもねぇよ。お前は俺のもんだ……俺らは家族だ」
「うぅっ……ひっく…………ハヤテくんっ……」
三人共感極まってしまい、ぎゅっと抱きしめ合ったまましばらく動けなくなった。
そんな三人を、双子は優しく見守るだけに止めた。この三人の仲に割って入ることなど、到底出来ないと思ったからだ。
三人には三人の形の絆があり、二人には双子特有の絆がある。どちらかが劣っている訳でも、違うからと言って蚊帳の外になるわけでも無い。
ただ今は、こうすることこそが最善なのだと。示し合わせずとも誰もがそう思ったからこそ、この空間は成立しているのだ。
「あ、そうだ。てめぇらも俺の仲間にしてやってもいいぜ」
しばらくして。ふと思い出したように双子の方を振り向くと、ユウタロウは上から目線でそんなことを言った。
「はぁ?やだよ」
「あ?何でだよ」
セッコウが顔を顰めて申し出を拒否すると、鏡に映しだしたような顰め面でユウタロウは尋ねた。
「誰がてめぇみたいな輩の下につくかよ。それにササノは俺のもんだ。てめぇなんぞにやるかよ」
「お前なぁ、そういうことじゃねぇだろうが。今めちゃくちゃいい雰囲気なんだから空気読めよ。ハヤテに悪いと思わねぇのか」
「思わねぇよ。ハヤテにはお前ら二人いりゃあ十分だろうが」
「その言い方はねぇだろ。ってか、別にお前の弟取ろうとか思ってねぇんだけど。いらねぇし」
「はぁっ?お前ササノを何だと……」
「ふふっ……あははっ!」
性懲りもなく二人が口論を始めると、ハヤテは堪え切れなくなったように哄笑した。心底楽しそうなハヤテの表情を目の当たりにした二人は、ばつが悪そうに顔を見合わせてしまう。
「ははっ……お前たちは、俺を笑わせる天才だなっ」
「「……」」
ハヤテが破顔したその姿には、今までの憂いや不安が一欠片も感じられず、ユウタロウたちは心底安堵することが出来た。
恐らく、ハヤテが母親を忘れることは出来ないだろう。あの日、ツキマの暴挙を止められなかったことを何度も後悔するだろうし、悪夢に魘される夜が綺麗に消え去ることもない。
それでも――。
朝目が覚めて、ユウタロウたちの存在を思って、ふっと破顔することが出来たのなら。
それだけでいいのではないか。ハヤテはもう大丈夫だと、誰もがそう思えた一日は、溶けるように過ぎていった。
********
それから一か月が過ぎた。
その間、ハヤテは修行を再開させ、勇者一族の日々は何の変化も無く過ぎていった。ただ一つ、ユウタロウたちが心の奥底に抱いた、ツキマに対する確執を除いて。
そしてこの日。勇者一族にとって、何より、ユウタロウたちにとって大きな変革をもたらす存在が屋敷にやって来た。
「コイツ、チサト。俺の女」
「「…………」」
若干の片言で突然そんなことを言われて、飲み込めと言う方が無理な話である。ハヤテもロクヤも双子も、これぞ当に茫然自失といった表情で固まっており、会話が一向に進む気配がない。
いつもの昼休み時間。紹介したい奴がいると言ってユウタロウが連れてきたのが、人型精霊のチサトであった。彼らにとっては当に青天の霹靂だったが、ハヤテは頭の隅で、ユウタロウが前々から〝落としたい女がいる〟とぼやいていたことを思い出し、それが彼女なのかもしれないと妙な納得感に襲われていた。
燦々と降り注ぐ陽射しを浴びる大木の下、ユウタロウの背に隠れるチサトは彼らをギロッと睨んでおり、友好的で無いことだけは理解できた。
美少女と呼んで相違ない程整った顔立ちに、ユウタロウらとの歳の差を感じさせない背丈。だが精霊は、己の体内に保持している核を破壊されない限り不老不死の存在である。故に、彼女の容姿から年齢を推測することはほぼ不可能であった。
「……お前、精霊術師になるつもりなのか?」
「あ?……あぁ、そうか。そういうことになるのか」
ハヤテの問いに対し、どこか間の抜けた返事をしたユウタロウ。それだけでハヤテは、彼の心情を大まかに察し、呆れるようにため息をついた。
「その様子だと……彼女に首ったけになるあまり、精霊契約の存在を完全に忘れていたな、お前」
「首ったけ?」
「夢中になるということだ」
「あぁ……まぁそんな感じだ」
図星を突かれたユウタロウは、どこか気恥ずかしそうに肯定した。
ユウタロウはただ単に、チサトという一人の女性に惚れ込み、口説き落としただけという感覚なので、今以上の戦闘力を手に入れる為に、精霊である彼女と契約するという選択肢が頭から抜け落ちていたのだ。
「これから基本的に一緒に行動するから、お前たちには紹介しとこうと思ったんだ」
「そうか……。
初めまして、俺はハヤテ。ユウタロウの……まぁ、家族のような者だ。よろしく頼む」
「……」
ハヤテが右手を差し出して自己紹介をするが、チサトはユウタロウの背に隠れたまま微動だにせず、その場に息がつまるような沈黙が流れた。それを断ち切ったのは、面目なさそうな表情を浮かべるユウタロウである。
「わりぃな。コイツ人間嫌いで」
「構わない。それに、お前が惚れるぐらいだ。いい子なのだろう?」
「……いい子かは分からんが、まぁいい女だ」
ハヤテの問いから答えまで、微妙な沈黙があったことについて触れる者はいなかった。即答しなかったということは、つまりそういうことなのだろう。だが、ユウタロウが非人道的な存在を好くとも思えないので、本気で危惧している者も同時にいなかった。
恐らくこの中で最も、チサトと懇意にする意思のあるロクヤは、トロンと優しく微笑むと、ハヤテと同じように手を差し伸べる。
「よろしくね、チサトちゃん」
「……ふんっ」
だが、チサトから返ってきたのは、先刻とは比べ物にならない程の拒絶であった。迷いなく背けられた顔からは、最早敵対心すら窺えられ、ロクヤは内心強いショックを受けてしまう。
一貫して彼らと打ち解けようとする意思を見せないチサトをジト目で捉えると、セッコウは見切りをつけるように背を向けた。
「くだんねぇ。行こうぜ、ササノ」
「うぇっ?えっ?な、なんで?」
「俺、性悪女と友達ごっこするつもりねぇし」
「おい」
「いいの。ユウちゃん」
自身の愛しい人を性悪女扱いされ、ユウタロウは珍しく本気で憤慨したのか、ドスの利いた声で呼びかけた。だが、チサトが後ろからユウタロウの裾を掴んだことで、彼の怒りの熱は徐々に引いていった。
掴んだ裾をそっと離すと、チサトは自嘲気味に俯く。
「人間なんてみんな、心のどこかで精霊のことを蔑んでいるものよ。ユウちゃんが特殊なだけで」
「……俺、亜人だけど」
「……えっ…………?」
唐突な告白に、チサトは思わず呆けた面を上げて当惑した。告げられたその種族は、この世界アンレズナにおいて、精霊とは比べ物にならない程迫害の対象と成りうる存在。
今しがたチサトが口にした認識を嫌と言う程、身をもって理解しているはずの存在を前に、彼女は茫然自失とした。
「人間とか精霊とか。いちいちレッテル貼って差別してんのはそっちじゃねぇか」
「っ……」
「行くぞ。ササノ」
「ちょ、セッコウ兄っ……」
何の躊躇いも無くその場を立ち去るセッコウの背中をササノ一人が追う中、チサトはその背中に反論の一つも投げかけることが出来なかった。
セッコウの主張は至極当然のもので、誰よりも正しく、彼女は図星を突かれてしまったから。似た立場に置かれているはずなのに、セッコウはチサトの手の届かない場所にいるようで。その高潔さに、強さに、チサトは手も足も出なかった。
「チサト。少なくともコイツらは、お前を蔑んだりしねぇ。そうピリピリすんな」
「……分かった。ごめんなさい、ユウちゃん」
「俺に謝ってどうすんだよ」
チサトが陳謝すべき相手は、人間という枠組みに囚われるあまり、彼女がその性質を決めつけてしまったハヤテたちである。だが、初っ端から敵愾心を向けてしまった以上、今更態度を翻すなど、彼女にとっては愚の骨頂であった。
その為、チサトは駄々っ子のように押し黙ってしまい、気まずい沈黙が流れるが、ロクヤがそれを断ち切るように口を開いた。
「……ねぇ。皆、お腹空かない?そろそろお昼食べない?」
「あー、そう言われるとめちゃくちゃ腹減って来たわ。食おう食おう」
そう言うと、ユウタロウは早速地面に座り込んだ。それに倣うように、ハヤテたちも地面にしゃがみ込み、ロクヤは彼らの為に作って来た弁当を広げ始めた。
双子二人と一緒に食べることを想定して作ったせいか、その昼食は仰々しい重箱に詰め込まれていた。
一段目にはおにぎりが。二段目にはサンドイッチが。三段目には色とりどりのおかずが詰め込まれており、とても五歳男児の手料理とは思えない程の出来である。
ユウタロウ、ハヤテがおにぎりに手を伸ばす中、チサトは指をくわえて傍観するばかりで、一向に食事に手を付ける様子が見られない。
「チサトも食えよ」
「いらない……人間の作ったご飯なんて。それにお腹空いてな」
ぐうううううううううううう。
言いかけたその言葉は、チサトの盛大な腹の虫の音によって遮られた。かぁっと顔を紅潮させ、必死にお腹を押さえるチサトだが、寧ろ腹の虫は活発になるばかり。
彼らは思わず、点にした目をチサトの臍辺りに向けた。
「「……」」
「意地張るなよ、可愛いな」
「おい。唐突に惚気るな」
「チサトちゃん。変な物は入ってないから安心して?それに、たくさん作っちゃったから減らすの手伝って欲しいんだ」
「……ふんっ、仕方ないわね。可哀想だから食べてあげるわよ」
ツンと顔を背け、片手でふわっと髪を靡かせると、チサトはストンと地面にしゃがみ込んだ。するとロクヤは、ぱぁっと表情を綻ばせ、心底嬉しそうに破顔一笑する。
「ありがとうっ、チサトちゃん」
「……ふんっ」
幼稚で理不尽な、意地と大差ない敵意を向けているというのに、ロクヤはそれに対して純粋な好意だけを返した。その好意には僅かな黒い染みも無く、隅から隅まで真っ白である。眩しい程の笑みを向けられたチサトは、自らの穢れを浮き彫りにされたと感じてしまい、極まりが悪そうに顔を背けるのだった。
「っ!」
頭上から降ってきた力強い言葉は、あまりにも明白に告げられた。思わずハヤテは身体を震わせるのも忘れて、徐に顔を上げる。
するとそこには、あまりにも真っ直ぐな眼差しでハヤテを見据えるユウタロウがいて、彼は思わずその姿に目を奪われた。
曇り無き眼にはハヤテしか映っておらず、その瞳の奥底に潜む光があまりにも純粋無垢で、ハヤテは再び涙を零してしまいそうになる。
「俺は強い。これからもっと強くなる。お前が心配する余地なんて無くなるぐらい、強くなる。ロクヤも、コイツらも、お前も、俺が絶対に守る。だから怖がるな」
「……でもっ……もし、俺たちを庇ったせいで、ユウタロウが死んだら……」
「なら。お前も一緒に強くなれ」
「っ!」
ユウタロウの言葉は、ハヤテを一つの答えへ導いてくれたような気がして、彼は目を見開いた。
ハヤテはずっと、母親の為だけに努力し続けてきた。
母親はいつも「勇者になれ」と、ハヤテに言い聞かせてきたから。
例え忌み色持ちでも、勇者になることが出来れば、母が謂れのない誹謗中傷を受けることも無くなるかもしれないと、微かな希望を持つことが出来たから。
ハヤテが勇者になるために全てを捧げることが出来たのは、母の存在があったからだ。
だがその母は、もういない。
ハヤテはもう、何の為に努力すればいいのかも。勇者一族という狂った組織の中で、何を糧に生きていけばいいのかも。分からなくなっていた。
「もう勇者になる為に強くなる必要はねぇ。ただ、大事な人を守る為に。その恐怖に打ち勝つために、俺と一緒に強くなろう。な?」
勇者になる為では無く、大切な存在を守る為に――。それが、ハヤテにとっての答えの様な気がした。
ハヤテの不安も、憂いも、躊躇いも、恐怖も。ユウタロウは、その笑顔ひとつでいとも簡単に掬い上げてしまった。
そんな優しい笑みを向けられてしまえば、猛烈に願ってしまう。乞いたくなってしまう。
じわっと涙を滲ませると、ハヤテは意を決したように、震える唇に鞭打って、その口を開いた。
「っ、ユウ、タロウ……」
「ん?」
「俺をっ……お前の家族にしてくれっ」
掌と瞼をぎゅっと閉じ、思いの丈を告げた刹那、ハヤテは強い衝撃を受ける。強くて、温かい、優しい衝撃だった。
ハヤテは呆けたようにゆっくりと瞬きすると、自分がユウタロウとロクヤに抱き締められていることに気づく。ユウタロウには片腕で肩を抱かれ、ロクヤには下腹部に抱きつかれていた。
「ユウタロウ…………ロクヤ……?」
「言われるまでもねぇよ。お前は俺のもんだ……俺らは家族だ」
「うぅっ……ひっく…………ハヤテくんっ……」
三人共感極まってしまい、ぎゅっと抱きしめ合ったまましばらく動けなくなった。
そんな三人を、双子は優しく見守るだけに止めた。この三人の仲に割って入ることなど、到底出来ないと思ったからだ。
三人には三人の形の絆があり、二人には双子特有の絆がある。どちらかが劣っている訳でも、違うからと言って蚊帳の外になるわけでも無い。
ただ今は、こうすることこそが最善なのだと。示し合わせずとも誰もがそう思ったからこそ、この空間は成立しているのだ。
「あ、そうだ。てめぇらも俺の仲間にしてやってもいいぜ」
しばらくして。ふと思い出したように双子の方を振り向くと、ユウタロウは上から目線でそんなことを言った。
「はぁ?やだよ」
「あ?何でだよ」
セッコウが顔を顰めて申し出を拒否すると、鏡に映しだしたような顰め面でユウタロウは尋ねた。
「誰がてめぇみたいな輩の下につくかよ。それにササノは俺のもんだ。てめぇなんぞにやるかよ」
「お前なぁ、そういうことじゃねぇだろうが。今めちゃくちゃいい雰囲気なんだから空気読めよ。ハヤテに悪いと思わねぇのか」
「思わねぇよ。ハヤテにはお前ら二人いりゃあ十分だろうが」
「その言い方はねぇだろ。ってか、別にお前の弟取ろうとか思ってねぇんだけど。いらねぇし」
「はぁっ?お前ササノを何だと……」
「ふふっ……あははっ!」
性懲りもなく二人が口論を始めると、ハヤテは堪え切れなくなったように哄笑した。心底楽しそうなハヤテの表情を目の当たりにした二人は、ばつが悪そうに顔を見合わせてしまう。
「ははっ……お前たちは、俺を笑わせる天才だなっ」
「「……」」
ハヤテが破顔したその姿には、今までの憂いや不安が一欠片も感じられず、ユウタロウたちは心底安堵することが出来た。
恐らく、ハヤテが母親を忘れることは出来ないだろう。あの日、ツキマの暴挙を止められなかったことを何度も後悔するだろうし、悪夢に魘される夜が綺麗に消え去ることもない。
それでも――。
朝目が覚めて、ユウタロウたちの存在を思って、ふっと破顔することが出来たのなら。
それだけでいいのではないか。ハヤテはもう大丈夫だと、誰もがそう思えた一日は、溶けるように過ぎていった。
********
それから一か月が過ぎた。
その間、ハヤテは修行を再開させ、勇者一族の日々は何の変化も無く過ぎていった。ただ一つ、ユウタロウたちが心の奥底に抱いた、ツキマに対する確執を除いて。
そしてこの日。勇者一族にとって、何より、ユウタロウたちにとって大きな変革をもたらす存在が屋敷にやって来た。
「コイツ、チサト。俺の女」
「「…………」」
若干の片言で突然そんなことを言われて、飲み込めと言う方が無理な話である。ハヤテもロクヤも双子も、これぞ当に茫然自失といった表情で固まっており、会話が一向に進む気配がない。
いつもの昼休み時間。紹介したい奴がいると言ってユウタロウが連れてきたのが、人型精霊のチサトであった。彼らにとっては当に青天の霹靂だったが、ハヤテは頭の隅で、ユウタロウが前々から〝落としたい女がいる〟とぼやいていたことを思い出し、それが彼女なのかもしれないと妙な納得感に襲われていた。
燦々と降り注ぐ陽射しを浴びる大木の下、ユウタロウの背に隠れるチサトは彼らをギロッと睨んでおり、友好的で無いことだけは理解できた。
美少女と呼んで相違ない程整った顔立ちに、ユウタロウらとの歳の差を感じさせない背丈。だが精霊は、己の体内に保持している核を破壊されない限り不老不死の存在である。故に、彼女の容姿から年齢を推測することはほぼ不可能であった。
「……お前、精霊術師になるつもりなのか?」
「あ?……あぁ、そうか。そういうことになるのか」
ハヤテの問いに対し、どこか間の抜けた返事をしたユウタロウ。それだけでハヤテは、彼の心情を大まかに察し、呆れるようにため息をついた。
「その様子だと……彼女に首ったけになるあまり、精霊契約の存在を完全に忘れていたな、お前」
「首ったけ?」
「夢中になるということだ」
「あぁ……まぁそんな感じだ」
図星を突かれたユウタロウは、どこか気恥ずかしそうに肯定した。
ユウタロウはただ単に、チサトという一人の女性に惚れ込み、口説き落としただけという感覚なので、今以上の戦闘力を手に入れる為に、精霊である彼女と契約するという選択肢が頭から抜け落ちていたのだ。
「これから基本的に一緒に行動するから、お前たちには紹介しとこうと思ったんだ」
「そうか……。
初めまして、俺はハヤテ。ユウタロウの……まぁ、家族のような者だ。よろしく頼む」
「……」
ハヤテが右手を差し出して自己紹介をするが、チサトはユウタロウの背に隠れたまま微動だにせず、その場に息がつまるような沈黙が流れた。それを断ち切ったのは、面目なさそうな表情を浮かべるユウタロウである。
「わりぃな。コイツ人間嫌いで」
「構わない。それに、お前が惚れるぐらいだ。いい子なのだろう?」
「……いい子かは分からんが、まぁいい女だ」
ハヤテの問いから答えまで、微妙な沈黙があったことについて触れる者はいなかった。即答しなかったということは、つまりそういうことなのだろう。だが、ユウタロウが非人道的な存在を好くとも思えないので、本気で危惧している者も同時にいなかった。
恐らくこの中で最も、チサトと懇意にする意思のあるロクヤは、トロンと優しく微笑むと、ハヤテと同じように手を差し伸べる。
「よろしくね、チサトちゃん」
「……ふんっ」
だが、チサトから返ってきたのは、先刻とは比べ物にならない程の拒絶であった。迷いなく背けられた顔からは、最早敵対心すら窺えられ、ロクヤは内心強いショックを受けてしまう。
一貫して彼らと打ち解けようとする意思を見せないチサトをジト目で捉えると、セッコウは見切りをつけるように背を向けた。
「くだんねぇ。行こうぜ、ササノ」
「うぇっ?えっ?な、なんで?」
「俺、性悪女と友達ごっこするつもりねぇし」
「おい」
「いいの。ユウちゃん」
自身の愛しい人を性悪女扱いされ、ユウタロウは珍しく本気で憤慨したのか、ドスの利いた声で呼びかけた。だが、チサトが後ろからユウタロウの裾を掴んだことで、彼の怒りの熱は徐々に引いていった。
掴んだ裾をそっと離すと、チサトは自嘲気味に俯く。
「人間なんてみんな、心のどこかで精霊のことを蔑んでいるものよ。ユウちゃんが特殊なだけで」
「……俺、亜人だけど」
「……えっ…………?」
唐突な告白に、チサトは思わず呆けた面を上げて当惑した。告げられたその種族は、この世界アンレズナにおいて、精霊とは比べ物にならない程迫害の対象と成りうる存在。
今しがたチサトが口にした認識を嫌と言う程、身をもって理解しているはずの存在を前に、彼女は茫然自失とした。
「人間とか精霊とか。いちいちレッテル貼って差別してんのはそっちじゃねぇか」
「っ……」
「行くぞ。ササノ」
「ちょ、セッコウ兄っ……」
何の躊躇いも無くその場を立ち去るセッコウの背中をササノ一人が追う中、チサトはその背中に反論の一つも投げかけることが出来なかった。
セッコウの主張は至極当然のもので、誰よりも正しく、彼女は図星を突かれてしまったから。似た立場に置かれているはずなのに、セッコウはチサトの手の届かない場所にいるようで。その高潔さに、強さに、チサトは手も足も出なかった。
「チサト。少なくともコイツらは、お前を蔑んだりしねぇ。そうピリピリすんな」
「……分かった。ごめんなさい、ユウちゃん」
「俺に謝ってどうすんだよ」
チサトが陳謝すべき相手は、人間という枠組みに囚われるあまり、彼女がその性質を決めつけてしまったハヤテたちである。だが、初っ端から敵愾心を向けてしまった以上、今更態度を翻すなど、彼女にとっては愚の骨頂であった。
その為、チサトは駄々っ子のように押し黙ってしまい、気まずい沈黙が流れるが、ロクヤがそれを断ち切るように口を開いた。
「……ねぇ。皆、お腹空かない?そろそろお昼食べない?」
「あー、そう言われるとめちゃくちゃ腹減って来たわ。食おう食おう」
そう言うと、ユウタロウは早速地面に座り込んだ。それに倣うように、ハヤテたちも地面にしゃがみ込み、ロクヤは彼らの為に作って来た弁当を広げ始めた。
双子二人と一緒に食べることを想定して作ったせいか、その昼食は仰々しい重箱に詰め込まれていた。
一段目にはおにぎりが。二段目にはサンドイッチが。三段目には色とりどりのおかずが詰め込まれており、とても五歳男児の手料理とは思えない程の出来である。
ユウタロウ、ハヤテがおにぎりに手を伸ばす中、チサトは指をくわえて傍観するばかりで、一向に食事に手を付ける様子が見られない。
「チサトも食えよ」
「いらない……人間の作ったご飯なんて。それにお腹空いてな」
ぐうううううううううううう。
言いかけたその言葉は、チサトの盛大な腹の虫の音によって遮られた。かぁっと顔を紅潮させ、必死にお腹を押さえるチサトだが、寧ろ腹の虫は活発になるばかり。
彼らは思わず、点にした目をチサトの臍辺りに向けた。
「「……」」
「意地張るなよ、可愛いな」
「おい。唐突に惚気るな」
「チサトちゃん。変な物は入ってないから安心して?それに、たくさん作っちゃったから減らすの手伝って欲しいんだ」
「……ふんっ、仕方ないわね。可哀想だから食べてあげるわよ」
ツンと顔を背け、片手でふわっと髪を靡かせると、チサトはストンと地面にしゃがみ込んだ。するとロクヤは、ぱぁっと表情を綻ばせ、心底嬉しそうに破顔一笑する。
「ありがとうっ、チサトちゃん」
「……ふんっ」
幼稚で理不尽な、意地と大差ない敵意を向けているというのに、ロクヤはそれに対して純粋な好意だけを返した。その好意には僅かな黒い染みも無く、隅から隅まで真っ白である。眩しい程の笑みを向けられたチサトは、自らの穢れを浮き彫りにされたと感じてしまい、極まりが悪そうに顔を背けるのだった。
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最強の凡人――追放され、転生した蘇我頼人。
新たな世界で、彼は『ライト・ガルデス』として再び生を受ける。
※※※※※
1億年の試練。
そして、神をもしのぐ力。
それでも俺の望みは――ただのスローライフだった。
すべての試練を終え、創世神にすら認められた俺。
だが、もはや生きることに飽きていた。
『違う選択肢もあるぞ?』
創世神の言葉に乗り気でなかった俺は、
その“策略”にまんまと引っかかる。
――『神しか飲めぬ最高級のお茶』。
確かに神は嘘をついていない。
けれど、あの流れは勘違いするだろうがっ!!
そして俺は、あまりにも非道な仕打ちの末、
神の娘ティアリーナが治める世界へと“追放転生”させられた。
記憶を失い、『ライト・ガルデス』として迎えた新しい日々。
それは、久しく感じたことのない“安心”と“愛”に満ちていた。
だが――5歳の洗礼の儀式を境に、運命は動き出す。
くどいようだが、俺の望みはスローライフ。
……のはずだったのに。
呪いのような“女難の相”が炸裂し、
気づけば婚約者たちに囲まれる毎日。
どうしてこうなった!?
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