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乱 江梨

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第二章 能ある鷹は完全犯罪を隠す

能ある鷹は完全犯罪を隠す4

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 ささと初めて会ったあの日から、百弥は何だかんだで彼女と遭遇する機会があり、その内名前で呼び合う関係になった。名前と言ってもささの場合、百弥のことを〝ももくん〟という愛称で呼んでいるのだが。

 遭遇するというのも、青ノ宮学園と彼女が通う中学校が割と近い距離にあり、登下校ですれ違うことが多々あるのだ。

 そんなわけで初めて会ったあの日から約一か月で百弥とささは、なし崩し的に友人関係になったのである。

 ********

 だが百弥とささが一緒に登下校するようになったある日、その事件は起きた。

 夏にしては涼しい風の吹くその日、百弥とささは下校ついでに街を散策していた。途中で見つけた可愛らしいアイスクリーム店でささがソフトクリームを買い食いしたところで、百弥は尿意を催しコンビニのトイレに向かった。

 ささはベンチに座りながらアイスを口にし、百弥の帰りを待つことになる。そして、この時百弥はささを一人にして、コンビニまで連れて行かなかったことを酷く後悔することになるのだった。

 
「……ささ?」


 コンビニからささの待つベンチへ戻った百弥は、目の前に広がる光景にただただ目を見開く。ベンチでちょこんと座り込んでいるはずのささはおらず、残っていたのは虚しく地面に落ちているソフトクリームの残骸だけだった。

 ソフトクリームがまだ溶け切っておらず、その形を保っていることから、落としたのがついさっきであることは一目瞭然である。

 つまりささがいなくなったのも今しがたということだ。それを一瞬で理解した百弥の行動は早かった。

 辺りを見回し、ささの姿を探す百弥は走り出した。いくら見回してもささの姿は見えず、百弥はしらみつぶしに探すしかないと判断したのだ。

 だが走り出した先に、真っ赤なリボンが落ちていることに気づいた百弥は一心不乱にそれを拾い上げる。それは普段ささが髪を結っているリボンで、百弥はそれを力強く握りしめると血眼になって再び走り出した。

 走りながら携帯電話の存在を思い出した百弥は、縋るような思いでささに電話をかけた。刹那、ささの携帯電話の着信音をその耳で捉えた百弥は、音のする方へ駆け出す。

 
「おい、携帯の電源切っとけよ!」
「わ、悪い」


 着信が途絶えたその時、百弥はサングラスとマスクで顔を隠した男二人に抱えられているささの姿を発見した。ささは気を失っているようで、今まさに男二人の車に連れ込まれんとする最中だ。

 慌てた様子でささの携帯電話を地面に捨てた男はささを車に乗せたところで、こちらを射殺すような眼光で睨んでいる百弥の存在に気づく。


「お、おい……」
「お前ら…………ささに、何してやがる」


 男二人からしてみれば、百弥はただの小さな中学生。だが百弥には彼らを震え上がらせるだけの気迫があり、彼らは思わず足を竦ませてしまう。

 
「おい、早く逃げ……」


 直感的に逃げなくてはいけないと感じた男たちは車に乗り込もうとするが、百弥がそれを許してくれるはずもなかった。

 百弥は近くに転がっていたブロック塀の残骸を拾い上げると、何の躊躇もなく右側にいた男の方へ力強く投げた。硬く重いブロック塀は男の頭にガツンと当たり、彼を倒れさせるには十分すぎる衝撃だった。


「なっ……」


 頭から血を流して倒れた仲間を目の当たりにしたもう一人の男は、その光景に言葉を失ってしまう。倒れた男に気を取られたせいで、彼は自分に迫る危機に即座に反応することが出来ない。

 百弥は男に飛びかかって頭突きをかますと、勢いそのままに男を押し倒す。地面に男を押さえ付けたまま、百弥はそれから何度も何度も男の顔を殴った。その衝撃で男のサングラスとマスクは明後日の方向へ飛んでいく。


「がっ……!」


 怒りで我を忘れている百弥は自身の行動を制御することが出来ず、勢いそのままに男を殴り続けた。男が呻き声を上げようが、口から血を吐こうが、自分の拳が傷つこうが関係ない。

 目の前の悪をただ裁くだけ。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 最早この制裁に終わりなど無いのではないかと思えるほど、百弥は何度も男の顔を殴り続けた。百弥は男が気絶しない様な絶妙な力加減で殴り続けているので、相手は意識を手放すことも許されずただ与えられる痛みに耐えるしかない。

 男の顔が元の面影をすっかり失くした頃、車の中で眠っていたささは彼の呻き声で目を覚ました。だが無我夢中の百弥はそれに気づくことも、周りのあらゆる音を感じることも出来なくなっていた。

 大事な友人に手を出されたことに対する怒りで頭が沸騰するように熱く、正常な思考をすることが出来ない。頭も身体も殴る拳も、全てが熱くて痛々しい。


「……ももくん?」


 今の百弥にはささのか細い声は届かない。まるで耳鳴りのように、怒りが脳を支配しているのだ。それでもささは諦めず、車から降りると再び口を開く。


「ももくん……」
「…………」
「ももくん」
「…………」


 百弥を呼ぶささの声は僅かに震えている。だがそれは当たり前のことだ。何度も何度も呼び掛けても百弥は男を殴ることでしか返してくれず、ささの方を一切見ようとしないのだから。

 それでもめげずに、ささは百弥のことを呼び続ける。自身の声が百弥にキチンと届くように。


「ももくん!」
「…………っ……ささ?」


 再び男を殴ろうと振り上げられたその腕を必死の思いで掴んだささは、のどが潰れても構わないと思えるほどに声を張り上げた。

 その声は漸く百弥に届き、彼はぎこちない動きでささの方を振り返る。百弥の目に映る彼女は僅かに涙を浮かべ、震え、くしゃくしゃの顔で歯を食いしばっていた。

 同時にそれは、百弥に気づかせてしまった。自分がまた同じ過ちを犯してしまったことを。

 呆けた様にささを見つめていると、百弥に跨られていた男がその場から逃走した。男を拘束していた力が思わず抜けたせいだが、同時に最初に倒した男もいつの間にかいなくなっていたことには、流石の百弥も少々面食らってしまう。


「……ささ」
「…………帰りましょう」


 地面にしゃがみ込んだまま、硬直したように動けなくなった百弥はポツリとささの名を呼ぶ。そんな百弥に眉を下げつつ小さな笑みを向けたささは、彼の傷ついて血塗れになった拳を優しく包み込んだ。

 百弥の拳の傷に、心の痛みに。優しく優しく触れるように。

 ********

 ささと会ってから、百弥は喧嘩らしい喧嘩をしてこなかったので彼女からの手当てはこれで二度目である。場所は同じくささの両親が働いている神社。

 静かな風がゆるやかに流れ、鈴緒も僅かに揺れている。百弥とささの二人も長らく一言も話しておらず、この神社の中で二人の世界が作り上げられているようだ。


「…………」
「……ささ」


 最初に沈黙を破ったのは百弥だ。震えながら傷の手当てをしてくるささを見ていられず、観念したように口を開いたのだ。百弥の声にゆっくりと反応したささは、落ち着いた相好で彼を見上げる。


「俺は、お前に怖い思いさせてまで、友達でいたいとは思わない」


 百弥が恐れていたこと。それは自身の暴力的な一面をささが知った時、彼女に拒絶されることだった。だがささは何も言わず、いつも通りに接してくれている。だがそれが百弥にとって最も辛いことだというのを彼は理解してしまった。

 ささが恐怖の感情を抑え込み、無理をして自分と関わるぐらいなら二度と会わない方が百弥にとっては気持ちが楽だったのだ。


「……ももくん。好きな人の全部が好きだなんて、そんなこと本当にあると思ってる?」
「え……」


 思わず呆けた様な声を出し、俯いていた顔をささに向けた百弥。するとささは再び視線を落とし、百弥の手当てを続行する。


「ももくん、私はももくんが怪我するのを見るのが嫌。ももくんが誰かを殴ったりするのも、怖いの」
「っ……」
「でもね、それでも私。ももくんのこと好きだよ」


 突然のことで百弥は当惑したが、ささの表情からそれが色めき立つような感情ではないことは明らかだった。ただささは純粋に、青ノ宮百弥という一人の人間の話をしているのだ。


「怖い一面を持ってても、それはやっぱりももくんだもん。それに、ももくんが怒って暴力を振るうのはいつだって誰かのためだってこと、私分かってるから。ももくんが優しくて、純粋で、ああいう手段しか知らないってこと、分かってるから」


 ささの言葉に百弥は思わず目を見開く。ささの正直さに百弥は無性に泣きたくなり、思わずそっぽを向いてしまう。

 ささは百弥の凶暴性を恐れている。そんなことは彼女の反応を見れば一目瞭然だった。百弥はささがこの時、上辺だけの優しさで嘘を言わなかったことに、言いようのない嬉々とした感情を沸き立たせた。

 怖くないと、言うのは簡単だ。だがそれは百弥の一部を否定することにもなる。だからささは百弥の大事な一部を受け入れ、その上で彼のことを大事に思っていることを伝えたのだ。


「駄目なところも、嫌いなところも。誰にだってあるよ。どんなに仲のいい相手でもね。だから、そんな顔ももくんがする必要無いんだよ」
「ささ……」


 優しいいつもの笑顔で、百弥の不安を包み込んだささに彼はありがとうもごめんも言わなかった。ささにとってそれが当たり前のことで、特別なことでも何でもないことを理解したからだ。

 この日から、百弥は自身を偽ることは絶対にしないと心に誓った。いくら怖がられても正義の執行を成し遂げたいという己の願いから目を逸らさなくなった。
 だが当然それだけ暴力沙汰は増えたが、あの神社に行けばいつでもささが笑顔で迎え入れてくれた。

 毎度毎度、大怪我をしてくる百弥に小言を言いながらも「仕方ないなぁ」と、笑ってその傷を癒してくれるささの存在があったからこそ、百弥は自分の意思を貫くことが出来たのだ。

 ********

 余談だが、ささを気絶させてどこかに連れ込もうとした男二人は薔弥の差し金によるものだ。薔弥に金で雇われた二人は彼女に何かしようとした訳では無く、ただ連れ去って百弥の怒りを買うように指示されただけなのだ。

 大した報酬でもないというのにあそこまでボコボコにされてはとんだブラック企業だが、薔弥に簡単に騙されてしまったのは自業自得しか言いようがない。

 何故薔弥がこんなことを仕出かしたのか。理由を語ってしまえば、百弥のことを揶揄ってやりたかったから。これに尽きてしまう。

 薔弥はこの頃百弥が珍しく特定の相手と親しくしていることを知り、その相手がどんな人物が見極めるためと、百弥がどれだけ怒り狂うか見てみたいという欲求でささにちょっかいを出したのだ。

 この事実を知ることになるのはささだけで、百弥は高校生になっても未だ知らないままだ。だが薔弥がささに興味本位で行った酷いこととは、このことではない。

 百弥とささが出会ってから一年後。それは薔弥とささが初めて出会った頃に起こった。

 ********

「こんにちは」
「……こんにちは」


 よく晴れた春の日、散り始めた桜の花びらを竹箒で集めていたささは、突然話しかけてきた薔弥に当惑したような相好を向ける。

 一方いつもの胡散臭い笑みを向けた薔弥は、探るようにささの反応を観察している。


「もしかして、ももくんのお兄さんですか?」
「ほぉ、よぉ分かったな。自慢やあらへんが、俺と百弥は似てへんっちゅうことで有名なんやがな」
「ももくんから、お兄さんはエセ関西弁を使うって聞いたことがあったので」


 先刻の〝こんにちは〟のイントネーションの違いで、ささは薔弥が百弥の兄であることを見抜いたようだ。

 薔弥と百弥は顔も性格も何一つ似ている点が無いと言っていい程似ていない。なのでそれを瞬時に見抜いたささに、薔弥は感嘆の声を漏らした。


「なるほどな。あぁ、そういえば一年前ぐらいに自分、変な男二人に連れ去られそうになったやろ?」
「あー、はい。そんなこともありましたね」
「あれ指示したんの俺やで」


 薔弥は正直楽しみにしていた。この事実を知り、ささが一体どんな反応を示すのかそれが気になったのだ。驚愕し言葉を失うか、恐怖で顔を強張らせるか、それとも大して気にした素振りを見せないか。

 それを見たいがために、薔弥はわざわざここまで来て赤松ささという少女のことを知ろうとしたのだ。


「……お兄さんは、ももくんのことが大好きなんですね」
「……は?」


 だが、ささから返ってきた言葉は薔弥の想定の遥か斜め上を行くもので、彼は思わず呆けた様な声を漏らしてしまった。

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