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乱 江梨

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第四章 少女の恨み、万事塞翁が馬

少女の恨み、万事塞翁が馬6

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 文化祭も終わり、期末試験が迫ってくるこの時期。だがF組生徒や透巳はこのイベントで動じるような成績ではない。普段から遥音というスパルタ教師が常に控えているので、F組に課せられている学年十位以内という条件をクリアできないことはないのだ。そして透巳の場合は言わずもがなである。

 
「皆さん、朗報ですよ」
「?」

 
 その日。いつものようにF組を訪れていた透巳の発言に思わず全員が首を傾げた。相変わらず透巳は心底暑苦しい格好をしていたが、F組では最早ツッコむ者はいない。これが順応というものの恐ろしいところで、あの遥音でさえも透巳の格好を総スルーなのだ。


「ゆなちゃんが我が儘を言いました」
「……そうか。それは良い傾向かもしれんな」


 透巳の報告に他の面々が上手く反応できずにいる中、そう呟いたのは遥音だった。親からの虐待を受けていたゆなは、自分の意思を伝えることすら今まで満足にできていなかっただろう。そんなゆなが我が儘を言える――普通の子供らしく振る舞えるというのは良い変化と言えるのだ。


「え、なんて我が儘だったの?」
「はるとお兄ちゃんの家に遊びに行きたい……だそうです」
「それゆなちゃんのモノマネ?ど下手くそだね」
「にしてもまた随分と実現困難な我が儘っすね」


 明日歌の問いに透巳は何度か咳払いをした後、ゆなの声真似でそう答えた。声変わりした男の声帯で幼女を真似るのは流石に無理があったので、明日歌からは鋭い指摘を受けてしまう。

 一方巧実の意見に、遥音は難しい表情を窺わせた。

 ゆなは以前、誰の家で寝泊まりするかという問題になった際も、第一希望に結城邸を上げていた。それ程までに遥音に懐いているということなのかもしれないので、是非そんなゆなの望みを叶えてやりたいという気持ちは遥音にもある。

 だがやはり、遥音の家には警視総監である慎一がいつやって来るか分からない危険性があるので、ゆなの意思を尊重するのならあまり聞き入れられない願いなのだ。


「実現困難だから我が儘なんだ。もし俺の父親が刑事でなければ、そんなものは我が儘のうちに入らん」
「まぁそうっすけど」
「どうするんですか?」


 透巳の問いに口元を押さえながら熟考し始める遥音。数秒経った後、遥音はその場で立ち上がって口を開く。


「ゆなと話すか」

 ********

 自身の机で仕事に励む鷹雪は、時折ゆなの方に視線をやって様子を観察する。だがいつ見てもゆなはベッドの上に置かれているぬいぐるみを手の上で転がすばかりで、これと言った変化は見られない。


「せんせー、この子誰ー?超可愛いんですけど」
「あー、構うな構うな。サボりならよそでやっとけ」
「えー、良いじゃん少しぐらい」


 するとサボりで保健室を訪れてきた女子生徒がゆなの存在に気づき、鷹雪に声をかけてきた。ゆなはまだ人見知りが抜けないのか、ぬいぐるみをぎゅっと握りしめ、女子生徒と顔を合わせないようにしている。

 鷹雪がそんなゆなを心配して女子生徒を追っ払おうとすると、透巳たちがタイミングよく入室してくる。


「あぁほら。鬼が来たからさっさと逃げろ」
「おにぃ?……ゲッ、F組」


 鬼。つまり遥音を指差して言った鷹雪だったが、女子生徒にとっては遥音単体もF組も大した変わりはないようだ。女子生徒は顔を歪ませながらさっさと退室し、保健室にはいつもの日常が戻ってくる。


「なーんかあの感じ久々。そういえば私たちって嫌われてたね」
「良いタイミングで来たなぁ。お前ら」
「俺たちはバイ菌か何かか?」


 女子生徒の背中を目で追った明日歌はしみじみといった感じで呟いた。透巳や青ノ宮兄弟のようにF組と普通に接する存在がいるので忘れかけてしまうが、F組は基本的にこういう扱いである。元々いじめられっ子の集まりなので、そんな明日歌たちが徒党を組んで目立てば面白くないと思う存在は多数出てくるのだ。

 なので基本的にF組は嫌われ者という印象がついて回っている。


「……ゆな。俺の家に行きたいと神坂に言ったらしいな」
「……うん」


 迷うことなくベッドまで歩を進め、単刀直入に尋ねた遥音に、ゆなは俯き加減に首肯して返した。その表情を窺うことは出来ないが、その声音からゆながどこか後悔しているような印象を覚える。


「一応聞きたいんだが、それはどうしてだ?」
「……え、えっと……」


 遥音の問いにゆなは何故か言い淀んだ。余程言い辛い理由なのか、それともただ恥ずかしがっているだけなのか判断することは出来なかった。


「言いたくないことなら無理に聞きはしない。安心しろ」
「…………」


 だが遥音は意外にもあっさりと諦め、ゆなの頭を撫でた。一方ゆなはどこか茫然自失としたように遥音を見上げていて、まんまるなその瞳は好奇心に似た色が混じっている。


「ゆな。お前が一番恐れているのは、また両親に酷いことをされることだな?」
「っ……うん」


 一気にその声に泣きそうな切迫感が出てくる。人は他人の気持ちを完全に理解することは出来ない。だからこそ、自分の気持ちを、自分の悩みを、自分の恐れているものを。ほんの少しでも誰かに気づいてもらえることは、その人にとってどんなものにも勝る救いになるのだ。

 そのたったほんの少しを、ゆなは遥音に与えられたような気がした。


「それが怖いから、警察には知られたくない。ということだな?」
「うん……」


 遥音の優しい問いかけに、ゆなはいつの間にか涙を浮かべていて、それを片手で拭いつつ答える。


「ゆなの頼みを聞きたいのは山々なんだが、俺の父親は刑事だ。しかもただの刑事じゃない。刑事の中で最も偉い、警視総監という役職についている人だ。だからもし俺の父親にバレれば、それはもう警察全体にゆなのことを知られることと同義なんだ。確かに父のいない時間に家に向かうのは可能だ。だが父が何らかの理由で突然帰宅する可能性もあるんだ。どちらかしか選べない。父にバレる危険を冒すか、自らの安全を守るか」


 ゆなは黙ったままその小さな頭で必死に考えた。たかだか知り合いの家に訪ねるぐらいで、これほどまで彼女が悩まなければいけなくなった最初の元凶に、遥音は沸き立つ怒りを抑えることができない。

 子供の安全は親が守るものだ。だがゆなの場合、親が守ってくれるどころか、親自身がゆなの安全を脅かす危険分子になっている。


「……我が儘言ってごめんなさい。やっぱり、いい」
「……ゆな」


 結論を出したゆなは細々とした声で陳謝した。そんなゆなの頭を遥音は眉を下げつつ優しく撫でる。目の前のか弱い存在に対する庇護欲と、自身への不甲斐なさで、遥音は苦渋を舐めたような相好になっている。


「我が儘を言うなということではない。寧ろゆなは言わなさすぎる。俺の知る暁明日歌という女は十七にもなって訳の分からぬ我が儘を散々喚き散らす。それに比べればゆなの方が百倍大人だ」
「物凄く貶されたけど今回は見逃そう」


 しんみりとした良いシーンのはずが、突如通常運転の遥音の毒舌が炸裂されたことで明日歌たちは苦笑いを浮かべる。


「それに大人になっても我が儘を言って良いんだ。我が儘は、弱った人間の特権だからな」
「「っ……」」


 そんな遥音の言葉に目を見開いたのはゆなだけではない。明日歌はその言葉に感銘を受けたというよりも、シンプルな驚きだけで硬直しているようだった。
 まるで何か大事なことを遥音に見透かされているような。それに対する驚きのような。


「まして、ゆなはまだ子供だ。いくらでも我が儘を言って良い。その後何故それが我が儘なのかキチンと考えることができるのならな」
「うん」
 

 遥音の教えを素直に聞き入れたゆなは困ったようにはにかみ、遥音を見上げる。その相好にはいろんな色が混じっていて、彼女の思考の大半が何を占めているか読むことは出来ない。そんなゆなを探るような視線で追っていたのは、透巳だけでは無かった。

 ********

 難しい話で疲れてしまったのか、ゆなは保健室のベッドでぐっすりと眠ってしまい、透巳たちはF組の教室への帰路に就いていた。

 ゆっくりと歩きながら、透巳はチラチラと遥音の様子を窺っていて何かを言いたそうな雰囲気を醸し出していた。


「遥音先輩。気を悪くしないで欲しいんですけど、ゆなちゃんには気をつけた方がいいかもしれません」


 突然そんなことを言い始めた透巳にほとんどの者が首を傾げる。だが遥音はそれを予期していたかのように黙りこくってしまい、その場に沈黙が流れる。


「……根拠を聞きたい」
「と、言うと?」


 遂に口を開いた遥音から出たのは疑問だった。


「俺もゆなに若干の違和感を感じてはいるんだ。だが何故そう思うのか、その明確な理由がわからない。神坂なら何か気付いているのではないかと思ってな」
「そうですね。最初に違和感を覚えたのは、ゆなちゃんが俺たちに助けてと言った時です」
「そこからか?」


 遥音はずっとグルグルと思考していたのだ。ゆなを大事にしてやりたいと思う気持ちの反面、彼女に違和感を覚えてしまう自分への不快感。そしてどうしてそう思ってしまうのか、明確な答えが見つからず悩んでいた。

 その答えを見つけるために遥音は透巳に尋ねたのだが、あまりにも早い段階で透巳が彼女に違和感を覚えていたことに遥音は目を見開いた。


「俺が思うに、ゆなちゃんの両親に対する恐怖は本物です。寧ろ両親に対する恐れが強すぎるぐらい。そんな子が両親から逃げようと思うでしょうか?警察に虐待を知られることすら怖がるあの子が、両親から逃げようと本当に決心できたでしょうか?もし逃げ切れず、両親に捕まってしまえば、どれ程の苦痛を与えられるか分かったものじゃないのに。この時点で多少の矛盾が生まれます」
「そうだな」
「それに。それらの矛盾に目を瞑ったとしても、あの瞬間全く知らない俺らに対して助けてと言えるでしょうか?あの時のゆなちゃんの世界には両親しかいません。そんな彼女が他の誰かに助けてもらうという発想になるでしょうか?」


 遥音に最も恐れていることを尋ねられた際のゆなが本物だと、透巳はそう思っている。あの恐怖は偽りでは無いと、経験上本能で察知したのだ。


「それに。会ったばかりの頃、遥音先輩の父親が警視総監だということを説明したのに、どうしてまたあんな要求をしてきたんでしょう?……もし、どうしても遥音先輩の家に行かなくてはいけない理由があるなら辻褄も合います……その理由は一体なんだと思いますか?」
「……それだけ、何かに追い詰められていたということか?」
「恐らく」


 ゆなは一度言われたことを理解できないような子供ではない。ゆなの両親に対する恐怖が本物なら、警察にバレる可能性のある行動は避けるはずだ。だが、それでもそうしなくてはいけない理由があったとすれば、話は変わってくる。

 その理由の詳細までは分からないが、遥音はその可能性に気づく。


「追い詰められているってことは、もしかして……」
「えぇ。彼女の両親が原因かもしれません」


 ふと気づき、目を見開いた明日歌の言葉ない問いかけに透巳は首肯して返した。ゆなが何かに追い詰められたことであんな我が儘を言い出したのなら、その何かはゆなの恐怖の対象である両親が関係している可能性は十分にあったからだ。


「まぁそんなわけですから、あまりゆなちゃんに気を許さない方が……」
「……神坂、怒るぞ」
「「……」」


 遥音は小さく、だが弱々しくはない声でそう言った。透巳は遥音の怒りが予想外だったのか、ほんの少し目を見開き、他のF組生徒たちもいつもとは違う遥音の怒りの声に当惑してしまう。


「……あぁ、すまない。お前が悪役を買って出てくれたのは分かっている。俺のために」
「……バレるとは、俺の演技力もまだまだでしたね」


 息も出来ない沈黙に気づいた遥音は、ハッとしてすぐに陳謝した。どうやら無意識のうちに先の発言をしてしまったようで、本人も困惑しているのが見てとれた。
 だが遥音は冷静な思考を保てていないわけでは無く、透巳の気持ちもキチンと察していた。

 ゆなが悪くないことは透巳は当然分かっている。ゆなこそが一番の被害者なのだから。だが、そう言い切ってゆなのことを無条件で信用するのは愚策である。もしそれが原因で何か問題が起これば、透巳は自分を許すことが出来ないだろう。だから透巳は敢えてそれを提言した。例え遥音に嫌われることになっても構わないからと。


「神坂のその気持ちは素直に嬉しい。有り難く受け取りたいところだ。だが、今この瞬間。この件が解決するその時までは、一番にゆなの心配をしてくれ。俺の心配はしなくていい。いや、するな。俺たちがしなくてはいけないことは、ゆなを救うことだ。あの、親を恐れるあまり自分の意思で動くことのできない、小さくか弱い存在のことだけを、一番に考えてやってくれ。頼む」


 そう言って、遥音は頭を下げた。その一切迷いのない動きに、目を奪われない者などいない。この潔い行動はこの男にしかできない。誰もがそう確信する。

 そんな遥音を目の前にして、彼の頼みを無下にできる者などいるはずも無かった。


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