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乱 江梨

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第四章 少女の恨み、万事塞翁が馬

少女の恨み、万事塞翁が馬10

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 その言葉を聞いた時ようやく、透巳にも理解できた。そう言われてみれば今まで気づかなかったのが不思議なぐらいである。明日歌と結菜の母親は顔の特徴が類似していた。そして親戚関係になる明日歌と結菜も、ほんの少しではあるが似ているのだ。

 結菜の母親の名前は暁雪那ゆきな。明日歌の唯一の姉である。


「明日歌……」
「な、に……してるの」
「……ほんとに、あなたたちのせいで全て終わりよ」
「なに、言って……」

 
 明日歌は自身の姉から忌々しげに見つめられる理由が分からなかった。分かりたくなかったと言う方が適切である。この状況では、分からざるを得ないから。

 遥音は全員の注目が明日歌と雪那に集まっているうちに、男が落としたナイフを使って自身を拘束する縄を切り始めた。


「どこ、行ってたのよ……家出て、ずっと……音信不通で……」
「この人と駆け落ちしただけよ。そんな大ごとに言わないで」
「そもそも何でこんなこと……」

 
 雪那は倒れている結菜の父親に視線を向けると、何でも無い様に言ってのけた。

 それに応えた明日歌の〝こんなこと〟は、全てを意味していた。どうしてそんな男を好きになったのか。どうして娘を虐待したのか。どうして遥音にこんなことをしたのか。どうして、自分たち家族を捨てたのか。


「悪いけど、そんなこと説明する程、余裕ないのよ!」
「っ!」


 カチャ、という聞き馴染みのない音が雪那から聞こえた。雪那が取り出した音の源――拳銃に、全員が息を呑む。僅かに震えるその黒い塊に、全員の言葉が吸い込まれているようだ。穴が空いたようなその黒色は、存在だけで人を黙らせる力があった。
 結菜の父親を縄で拘束していた透巳も驚きでその動きを止めるほどに。ただ透巳の驚きは、雪那に対するどうしようも無い呆れからくるものだ。

 何故ならここで明日歌たちを殺したところで、透巳の呼んだ警察に捕まるだけだからだ。そしてそれは相手も理解しているはずだった。


「そんなことしても……」
「すぐ警察に捕まるって言いたいんでしょう?……それならやってきた刑事も全員殺すだけよ」
「あ?」


 透巳の殺気に思わず怯んだ明日歌の姉。刑事を殺す――それは即ち透巳にとって、慧馬を殺すと言われることと同義である。そんなことを透巳が許すはずもなく、殺意を向けるだけでも彼は言いようのない怒りを沸かせた。


(この女……パニクっててまともな判断ができてないな)


 遥音はナイフで縄を解きながら思わず歯噛みする。正常な判断ができるうちは対処のしようもあるが、何を仕出かすか分からない精神状態の人間を相手にするのはなかなか骨が折れるのだ。

 大変なことが起きてしまう前に何とかしなければと、遥音は縄を切る手に力を込める。


 だがその瞬間、雪那が透巳にその銃口を向けた。そして全員が驚く暇さえ与えずにその引き金を引いた。

 心臓が飛び出てしまうような轟音に、結菜は思わず両耳を塞いでしゃがみ込む。一方、明日歌たちは銃口を向けられた透巳の安否を確かめる。

 透巳は弾丸を見事に避けていて、明日歌たちは思わずホッと胸を撫で下ろす。実際はほんの少し髪の毛が掠っていたのだが、そんなものはかすり傷にもならない。
 その代わり、避けた反動で体勢を崩してしまった透巳はその時、雪那の本来の目的を察して顔を歪めた。

 
「っ……明日歌先輩避けて!!」
「え……?」


 地面に片手をつくことで転ぶことを防いだ透巳は、枯れてしまう程の大声でそう叫んだ。そしてその大声を向けられた明日歌は、何が何やら分からず茫然自失としてしまう。

 雪那は透巳の身体能力の高さを目の当たりにしていたので、いくら明日歌たちを殺そうとしても透巳によって防がれるのではないかと思った。だから最初に透巳を狙った。そうすれば一瞬でも透巳に隙が生まれて、明日歌たちを助けるのが一歩遅れると考えたのだ。


 明日歌にはこの状況全てが理解できない。透巳に避けろと言われているのも。自身の姉に銃口を向けられていることも。こんな形で慕っていた姉に再会していることも。全てが夢の中の出来事の様で、重力のような現実感がどこか欠けていた。

 ぼぉっとした視界に移る姉の相好は歪んでいて、それ以上見たくないと明日歌は思った。途端、本当に雪那の姿は見えなくなった。思わず明日歌は首を傾げ、その理由を探ろうとする。


「ぐっ…………ちっ……」
「……え」


 ポカンと口を開けた明日歌の視界はその時、妙にクリアになった。そして様々な情報が激流のように頭に駆け巡る。

 耳を塞ぎたくなるほどの銃声が再び聞こえたこと。その直後、明日歌の視界に突如遥音が映ったこと。遥音がナイフを使って拘束の縄を解いていたこと。遥音が苦悶の声を漏らして、その場に倒れこんでしまったこと。


「遥音……?」


 声をかけても遥音は反応してくれず、いつもの毒舌さえ聞こえてこない。目の前で倒れているのが本当に遥音なのか疑ってしまう程に、無音の状態が続いた。

 明日歌は膝を折ると、倒れた遥音の背中を揺する。


「ねぇ遥音……何してんの?……ねぇって……」


 明日歌は気づけていなかった。もしかすると、あまりのショックで脳が強制的に理解しないように機能したのかもしれない。本当のことは分からないが、とにかく明日歌は遥音が何か冗談を仕掛けているのだと思ってしまう。

 質の悪い冗談だと。そうであって欲しいと。

 それでも、地面に滲む生温かいものが明日歌の膝にまで流れてきたことで、明日歌は気づかざるを得ない。ふと、遥音の背中をさすっていた右手に目をやった明日歌はあまりの恐ろしさに、ひゅっと息を呑んだ。

 遥音は背中から銃弾を撃ち込まれていた。その傷口から、嫌になるほどリアルな鮮血が流れている。そしてその赤色が明日歌の右手にべったりと付着していた。

 明日歌は結城遥音という人間の性質をよく理解している。だからその結論に至るのは必然だった。その必然とは、明日歌のことを庇って、遥音が傷ついてしまったという純然たる事実だ。


「ねぇ、遥音……やめてよ…………ホントに、やめてってば…………遥音……ねぇ……起きて…………起きてよ…………起きてよ!!」


 耳を塞ぐのをやめた結菜の耳に、またしても塞ぎたくなるような悲痛すぎる声が一直線に届いた。その時初めて今の状況を把握した結菜は、物言わぬ遥音を目の前に茫然自失とする。


「はると、お兄ちゃん?」


 小さくか細いその声が、透巳たちの耳には妙に鮮烈に聞こえてきた。

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