92 / 93
最終章 平凡的幸福論のメソッド
平凡的幸福論のメソッド9
しおりを挟む
『さてと。ここからが本題だ』
『……?』
取調室という密室には透巳と圭一の二人しかおらず、圭一に逃げ場など無かった。透巳から告げられた様々な真実で意気消沈してしまっている圭一は、自棄になったように透巳を見つめ返した。
『アンタさ、木藤友里の居場所。何か特定する手段持ってない?』
『だったらなんだ』
『まぁ別に今どこにいるか分かればいいんだけど。あとはコッチで勝手にやるからさ』
『……好きにしろ』
ボソッと透巳の要求を受け入れた圭一を目の当たりにし、透巳は心底娘の梓紗と似ている男だと痛感した。
梓紗も圭一も、勝ち負けで表すのであれば完全に透巳に負けてしまった。その上で今更足掻こうとは一切思っていないのだ。梓紗は透巳に父親の情報をやって自ら命を絶ち、圭一はメリットが無いというのに透巳の要求を呑んだ。
皮肉なほど同族嫌悪という言葉が似合う親子だと朧気に思いつつ、透巳は友里に関する情報を手に入れたのだった。
********
「まぁそんな感じで木藤友里の居場所を特定した後は、全部ぽっちーに任せたんだ」
「任せた?」
「うん。長期戦になると思ったし、発信器はバレる可能性があったから使いたくなかったんだ。だから廓井圭一がつけてた発信器を回収してもらってから、木藤友里の行動を監視してもらってたんだ」
「……この二年間ずっとか?」
発信器を仕掛ける期間が長ければ長いほど、本人に存在を悟られる可能性が高くなっていく。それよりは優秀な千流芭に常に尾行してもらって、居場所を把握した方が安全だと透巳は考えたのだ。
だがもしそんな長い間千流芭が友里のことを監視し続けていたのなら、千流芭の忠誠心が狂気的であることを認めざるを得ない程の執念である。
「いやまぁ、他にも頼み事したりしてたし。そういう用事がある時は発信器やら何か他の方法で見張ってただろうけど。手段はあっちに任せてるから知らないよ俺」
「はぁ……」
千流芭も学生で何かとすることがあるので、流石に二年間四六時中ということは無いが、時と場合によって手段を変えながら何とかやって来たのだろう。無理難題を押し付けたうえ放任主義な透巳の指示の下働いている千流芭は、さながらブラック企業の社畜である。
「あ、ちなみに今の今まで警察とかが見つけられなかったのは、俺が木藤友里にアドバイスしたせい」
「…………はっ?」
今日の今日まで友里に会ったことの無かった透巳が、彼女に助言したというのはあまりにも脈絡のない話で、慧馬は呆けたような疑問の声しか出すことが出来ない。
「廓井圭一が逮捕されたって世間に公表される前に、廓井圭一として彼女にメールしたんだよ。連絡先交換してたみたいだから」
「……は、どうやって?」
サラッと言った透巳だったが、その行為が実現不可能であることを慧馬は知っていた。逮捕された容疑者の携帯電話というのは、それが大した証拠品でなくても没収されるのが当たり前で、本人が自由に使えることはまずない。
つまり透巳が圭一から携帯を借りることも出来ないので、友里にメールを送ることなど出来るはずが無かった。例え圭一が彼女のメールアドレスを覚えていたとしても、透巳の携帯から送れば別人からのメールであるとすぐに分かってしまう。
それが理解できるからこそ、慧馬は当惑したように尋ねた。
「……取調室で廓井圭一と話した後、コッソリ新米刑事の振りして証拠品からくすめちゃった!テヘペロ」
「テヘペロじゃねぇよ。全然可愛くねぇんだよ」
「ごめんごめん。メール送った後ちゃんと戻したから許して」
「そういう問題じゃねぇんだよ……」
おちゃらけた様にとんでもない事実を吐露した透巳だったが、慧馬からしてみれば笑い事ではない。透巳は高校生なので、成人していると言い張ればきっぱり否定できない程度の印象だ。そこにスーツでも着てしまえば、確かに成人男性には見える。
そして透巳の場合は例外だが、普通の高校生は警視庁にそもそもいないというのが刑事たちの共通認識だ。透巳のことを知っている刑事は少ないので、その数少ない刑事たちの目を掻い潜ればバレる可能性は確かに低かった。
とは言え、事件の証拠品を誰にも気づかれず、怪しまれることなく回収してメールを打った透巳の荒業に、慧馬は絶句してしまう。
「あの……単純な疑問なのですが、アドバイスとは?」
透巳の助言内容というのがささには具体的に理解できず、彼女は今更ながらの質問を申し訳なさそうにした。
友里がこれまで警察に見つけられなかった理由と、透巳が圭一を装って与えたアドバイスが関係していることは分かっているのだが、その詳細がささには分からなかった。
「警察が捜査しそうな場所とか、交番の近くとか。とにかく見つかってしまう可能性がある場所を俺なりに推理して、そこを避けるように伝えただけですよ」
「……それって、〝だけ〟で済ませられることなんですか?」
「ハハ……そんなわけないでしょう。コイツがバケモンなんですよ」
何でも無い様に言った透巳に、ささは目をパチクリとさせて首を傾げた。一方、そんなささの問いに答えた慧馬は、死んだ魚の様な目で遠くを見つめている。
「まぁそんなこんなで俺は木藤友里を警察に差し出して、懸賞金ゲットで一件落着。おしまい」
「「……」」
驚きのあまり声が出ないとは当にこのことだった。あっけらかんとした声で透巳が話を終えたところで、車内に何とも言えない沈黙が流れる。
赤信号が青色に変わり車が再び動き出すと、慧馬はふと思い出したようにその沈黙を破った。
「そういやお前、木藤友里の懸賞金気にしてたな……クソ、そういうことか」
「まだまだだね。兄ちゃん」
「ハンドル握ってなかったら今ぶん殴ってたぞ」
満面の笑みで煽りまくってくる透巳に、慧馬は青筋を立てながら引き攣った笑みを浮かべた。
「……散々叱りたいところなんだが……お前の場合、善悪の判断が出来てないわけじゃ無いからややこしいんだよな。……俺はどうやって叱ればいいんだ?」
「叱る相手に聞かないでよ」
「……俺はそこら辺の人間よりは、お前のことよく知ってるつもりだ。だから透巳にとって、他人の死が心底どうでも良いことも分かってる。他人が殺されるって分かってても、理由が無ければ助ける気にもならない……というか、助けなくても罪悪感が生まれないことも分かってる。まぁそれが根本的に駄目なんだが」
頭を悩ませながら、慧馬は何とか透巳を叱るために言葉を紡いでいった。透巳はいつも自身の中で最善だと結論付けたことを、自身の信念に従って行っている。例えそれが世間一般的に異常な、悪と見做されるようなことでも。そういう人間を叱るというのは難題である。本人は他人に何を言われても、後悔も反省もしないからだ。
それは慧馬も透巳も理解していて、こんな会話は無意味なのかもしれないといつも思ってしまう。それでも慧馬は根気強く透巳に言葉を投げかけるし、透巳は黙ってそれを受け止めている。
「でもそれは生まれ持ったもので、性格とか考えを無理矢理変えろって言いたいわけじゃないんだ。やろうとしても無理だろうしな。……取り敢えず、今俺が言えることは…………俺以外の大事な人たちに、心配かけるんじゃねぇぞってことだ。あとお前は自分のことを話そうとする努力をしろ」
「……兄ちゃんがそんなんだから俺がつけあがるんだよ」
「お前が言うな」
慧馬の言葉は、言い換えてしまえば〝自分になら心配をかけても良い〟ということだった。こんな状況でも相変わらずお人好しな慧馬に、透巳は内心頭が上がらない気分だった。
いくら透巳が慧馬に隠れてとんでも無いことを仕出かしても、見捨てることなく何度も叱ってくれる優しい慧馬がいるからこそ、透巳が懲りないというのは否めなかった。そしてそれは慧馬も自覚しているのだが、それを透巳に指摘されるのは腹立たしかったようである。
「自分のことを話そうとする努力か……まぁ、ボチボチやってみる」
「おぉ。頑張れ」
透巳は聞かなければ自分のことを全く話さない上、内容によっては聞いてもはぐらかすことが多い。そのせいで慧馬は何度胃を押さえたことか数え切れないほどなのだ。
透巳の返答はとてもでは無いが慧馬の胃痛改善にはならなそうだった。だが今の慧馬には他に言うことなど探しても無かったので、そんなありきたりな言葉しか返すことが出来なかった。
「ふふっ……」
前座席で会話する二人を優し気な瞳で見つめていたささは、突然楽しげな声を零して透巳の振り向きを誘った。
「どうかしましたか?」
「いえ……なんだか、本当の兄弟みたいだなって……そう思っただけです」
「やっぱりそう思う?俺コイツのためにかなり頑張ってる方だと思うんだけど……にしてはコイツの美形成分が俺に一切継承されないんだよなぁ……」
「何言ってんの?」
ささの意見に同調する様な声を上げた慧馬だったが、そのまま解消されるはずもない不満を吐露した。
血の繋がった兄弟よりも、弟のために奮起している慧馬は最早兄にしか見えない。だが兄弟と言うにはやはり容姿が違い過ぎるのが慧馬的には納得いかないようだ。
「兄ちゃんだってそこそこイケメンな方じゃん」
「お前に言われると皮肉にしか聞こえん」
「何で彼女出来ないんだろうね?性格もいいのに」
「俺が聞きてぇぐらいだよ……」
顔面偏差値がずば抜けている透巳に言われても説得力がまるで無いが、それは透巳の本心だった。慧馬は容姿が整っている方で、その上面倒見がよく性格が良い。慧馬が透巳に勝てるところがあるとするならば性格だろう。逆にそれは性格以外では勝てる部分が無いということでもあるのだが。
兎に角モテる要素は揃っているというのに、何故か生まれてこの方一度も恋人が出来たことが無いというのは、慧馬と透巳にとって解き明かすことの出来ない謎なのだ。
透巳が数年単位で実行した計画についての話から、よくもまぁこんな平和的な会話になったものだと、ささは感心してしまう。だがささにもそういった経験があるので、文句を言える立場では無かった。
そうこうしている内に車はささの家まで到着し、透巳もそのまま小麦の待つアパートへと帰っていった。
こうして、長かったような短かったような一日の夜は、何事も無かったかのようにあっさりと。終わりを迎えた。そしてまた、何でもないような一日が始まろうとしていた。何も知らない人々を置き去りにするようにして。
東京、夜が我が物顔で空を支配する午後八時ごろ。相変わらず星の見えない夜のことである。
********
木藤友里と木藤夏樹が逮捕されたからと言って、透巳の周りに大きな変化が起きたわけでは無い。
透巳は将来のための貯蓄を手に入れ、小麦との結婚の手立てが出来たが、それだけである。逆に言えば、それだけのためにあそこまでしてしまうのが神坂透巳である。
F組生徒や、卒業した明日歌たちが事の真相を知ることは恐らくない。透巳の計画を知るのは、あの時車に乗っていた二人だけである。
他に変わったことがあるとすれば、透巳に新たな猫好き友達が出来たことぐらいだろうか。
それから季節はどんどん過ぎていき、透巳たちは青ノ宮学園を卒業した。めでたいことに透巳や小麦だけではなく、F組全員が志望校に合格でき、晴れて大学生になった。
卒業と同時に、透巳は本当に小麦と婚姻届を提出して夫婦となった。有言実行が過ぎるので、知っていた慧馬たちも驚いてしまう程である。
だがいくら行動が突飛だろうと、その思考が理解しがたいものだろうとも。透巳はありふれた幸せのために動く一人の人間である。どこにでもいる、当たり前の存在である。
当たり前に生活をして、当たり前に家族を作り、当たり前に死んでいく。結局は多くいる人間の一人にしかすぎず、彼が何をしようと、彼の周りのほんの僅かな部分にしか影響は与えられない。
そんな当たり前でつまらないことでも、一つ一つに焦点を当ててみると、なかなかどうして面白いのが人間である。
これはそんなありふれた人間の一人。どこにでもいる一人の青年の物語。
彼が何を考え、何をして。何を思い、どう生きるのか。そしてどのようにして、彼にとっての平凡的な幸福論を形にするのか。
それを見届けるまでの物語である。
アクトコーナー
――完――
『……?』
取調室という密室には透巳と圭一の二人しかおらず、圭一に逃げ場など無かった。透巳から告げられた様々な真実で意気消沈してしまっている圭一は、自棄になったように透巳を見つめ返した。
『アンタさ、木藤友里の居場所。何か特定する手段持ってない?』
『だったらなんだ』
『まぁ別に今どこにいるか分かればいいんだけど。あとはコッチで勝手にやるからさ』
『……好きにしろ』
ボソッと透巳の要求を受け入れた圭一を目の当たりにし、透巳は心底娘の梓紗と似ている男だと痛感した。
梓紗も圭一も、勝ち負けで表すのであれば完全に透巳に負けてしまった。その上で今更足掻こうとは一切思っていないのだ。梓紗は透巳に父親の情報をやって自ら命を絶ち、圭一はメリットが無いというのに透巳の要求を呑んだ。
皮肉なほど同族嫌悪という言葉が似合う親子だと朧気に思いつつ、透巳は友里に関する情報を手に入れたのだった。
********
「まぁそんな感じで木藤友里の居場所を特定した後は、全部ぽっちーに任せたんだ」
「任せた?」
「うん。長期戦になると思ったし、発信器はバレる可能性があったから使いたくなかったんだ。だから廓井圭一がつけてた発信器を回収してもらってから、木藤友里の行動を監視してもらってたんだ」
「……この二年間ずっとか?」
発信器を仕掛ける期間が長ければ長いほど、本人に存在を悟られる可能性が高くなっていく。それよりは優秀な千流芭に常に尾行してもらって、居場所を把握した方が安全だと透巳は考えたのだ。
だがもしそんな長い間千流芭が友里のことを監視し続けていたのなら、千流芭の忠誠心が狂気的であることを認めざるを得ない程の執念である。
「いやまぁ、他にも頼み事したりしてたし。そういう用事がある時は発信器やら何か他の方法で見張ってただろうけど。手段はあっちに任せてるから知らないよ俺」
「はぁ……」
千流芭も学生で何かとすることがあるので、流石に二年間四六時中ということは無いが、時と場合によって手段を変えながら何とかやって来たのだろう。無理難題を押し付けたうえ放任主義な透巳の指示の下働いている千流芭は、さながらブラック企業の社畜である。
「あ、ちなみに今の今まで警察とかが見つけられなかったのは、俺が木藤友里にアドバイスしたせい」
「…………はっ?」
今日の今日まで友里に会ったことの無かった透巳が、彼女に助言したというのはあまりにも脈絡のない話で、慧馬は呆けたような疑問の声しか出すことが出来ない。
「廓井圭一が逮捕されたって世間に公表される前に、廓井圭一として彼女にメールしたんだよ。連絡先交換してたみたいだから」
「……は、どうやって?」
サラッと言った透巳だったが、その行為が実現不可能であることを慧馬は知っていた。逮捕された容疑者の携帯電話というのは、それが大した証拠品でなくても没収されるのが当たり前で、本人が自由に使えることはまずない。
つまり透巳が圭一から携帯を借りることも出来ないので、友里にメールを送ることなど出来るはずが無かった。例え圭一が彼女のメールアドレスを覚えていたとしても、透巳の携帯から送れば別人からのメールであるとすぐに分かってしまう。
それが理解できるからこそ、慧馬は当惑したように尋ねた。
「……取調室で廓井圭一と話した後、コッソリ新米刑事の振りして証拠品からくすめちゃった!テヘペロ」
「テヘペロじゃねぇよ。全然可愛くねぇんだよ」
「ごめんごめん。メール送った後ちゃんと戻したから許して」
「そういう問題じゃねぇんだよ……」
おちゃらけた様にとんでもない事実を吐露した透巳だったが、慧馬からしてみれば笑い事ではない。透巳は高校生なので、成人していると言い張ればきっぱり否定できない程度の印象だ。そこにスーツでも着てしまえば、確かに成人男性には見える。
そして透巳の場合は例外だが、普通の高校生は警視庁にそもそもいないというのが刑事たちの共通認識だ。透巳のことを知っている刑事は少ないので、その数少ない刑事たちの目を掻い潜ればバレる可能性は確かに低かった。
とは言え、事件の証拠品を誰にも気づかれず、怪しまれることなく回収してメールを打った透巳の荒業に、慧馬は絶句してしまう。
「あの……単純な疑問なのですが、アドバイスとは?」
透巳の助言内容というのがささには具体的に理解できず、彼女は今更ながらの質問を申し訳なさそうにした。
友里がこれまで警察に見つけられなかった理由と、透巳が圭一を装って与えたアドバイスが関係していることは分かっているのだが、その詳細がささには分からなかった。
「警察が捜査しそうな場所とか、交番の近くとか。とにかく見つかってしまう可能性がある場所を俺なりに推理して、そこを避けるように伝えただけですよ」
「……それって、〝だけ〟で済ませられることなんですか?」
「ハハ……そんなわけないでしょう。コイツがバケモンなんですよ」
何でも無い様に言った透巳に、ささは目をパチクリとさせて首を傾げた。一方、そんなささの問いに答えた慧馬は、死んだ魚の様な目で遠くを見つめている。
「まぁそんなこんなで俺は木藤友里を警察に差し出して、懸賞金ゲットで一件落着。おしまい」
「「……」」
驚きのあまり声が出ないとは当にこのことだった。あっけらかんとした声で透巳が話を終えたところで、車内に何とも言えない沈黙が流れる。
赤信号が青色に変わり車が再び動き出すと、慧馬はふと思い出したようにその沈黙を破った。
「そういやお前、木藤友里の懸賞金気にしてたな……クソ、そういうことか」
「まだまだだね。兄ちゃん」
「ハンドル握ってなかったら今ぶん殴ってたぞ」
満面の笑みで煽りまくってくる透巳に、慧馬は青筋を立てながら引き攣った笑みを浮かべた。
「……散々叱りたいところなんだが……お前の場合、善悪の判断が出来てないわけじゃ無いからややこしいんだよな。……俺はどうやって叱ればいいんだ?」
「叱る相手に聞かないでよ」
「……俺はそこら辺の人間よりは、お前のことよく知ってるつもりだ。だから透巳にとって、他人の死が心底どうでも良いことも分かってる。他人が殺されるって分かってても、理由が無ければ助ける気にもならない……というか、助けなくても罪悪感が生まれないことも分かってる。まぁそれが根本的に駄目なんだが」
頭を悩ませながら、慧馬は何とか透巳を叱るために言葉を紡いでいった。透巳はいつも自身の中で最善だと結論付けたことを、自身の信念に従って行っている。例えそれが世間一般的に異常な、悪と見做されるようなことでも。そういう人間を叱るというのは難題である。本人は他人に何を言われても、後悔も反省もしないからだ。
それは慧馬も透巳も理解していて、こんな会話は無意味なのかもしれないといつも思ってしまう。それでも慧馬は根気強く透巳に言葉を投げかけるし、透巳は黙ってそれを受け止めている。
「でもそれは生まれ持ったもので、性格とか考えを無理矢理変えろって言いたいわけじゃないんだ。やろうとしても無理だろうしな。……取り敢えず、今俺が言えることは…………俺以外の大事な人たちに、心配かけるんじゃねぇぞってことだ。あとお前は自分のことを話そうとする努力をしろ」
「……兄ちゃんがそんなんだから俺がつけあがるんだよ」
「お前が言うな」
慧馬の言葉は、言い換えてしまえば〝自分になら心配をかけても良い〟ということだった。こんな状況でも相変わらずお人好しな慧馬に、透巳は内心頭が上がらない気分だった。
いくら透巳が慧馬に隠れてとんでも無いことを仕出かしても、見捨てることなく何度も叱ってくれる優しい慧馬がいるからこそ、透巳が懲りないというのは否めなかった。そしてそれは慧馬も自覚しているのだが、それを透巳に指摘されるのは腹立たしかったようである。
「自分のことを話そうとする努力か……まぁ、ボチボチやってみる」
「おぉ。頑張れ」
透巳は聞かなければ自分のことを全く話さない上、内容によっては聞いてもはぐらかすことが多い。そのせいで慧馬は何度胃を押さえたことか数え切れないほどなのだ。
透巳の返答はとてもでは無いが慧馬の胃痛改善にはならなそうだった。だが今の慧馬には他に言うことなど探しても無かったので、そんなありきたりな言葉しか返すことが出来なかった。
「ふふっ……」
前座席で会話する二人を優し気な瞳で見つめていたささは、突然楽しげな声を零して透巳の振り向きを誘った。
「どうかしましたか?」
「いえ……なんだか、本当の兄弟みたいだなって……そう思っただけです」
「やっぱりそう思う?俺コイツのためにかなり頑張ってる方だと思うんだけど……にしてはコイツの美形成分が俺に一切継承されないんだよなぁ……」
「何言ってんの?」
ささの意見に同調する様な声を上げた慧馬だったが、そのまま解消されるはずもない不満を吐露した。
血の繋がった兄弟よりも、弟のために奮起している慧馬は最早兄にしか見えない。だが兄弟と言うにはやはり容姿が違い過ぎるのが慧馬的には納得いかないようだ。
「兄ちゃんだってそこそこイケメンな方じゃん」
「お前に言われると皮肉にしか聞こえん」
「何で彼女出来ないんだろうね?性格もいいのに」
「俺が聞きてぇぐらいだよ……」
顔面偏差値がずば抜けている透巳に言われても説得力がまるで無いが、それは透巳の本心だった。慧馬は容姿が整っている方で、その上面倒見がよく性格が良い。慧馬が透巳に勝てるところがあるとするならば性格だろう。逆にそれは性格以外では勝てる部分が無いということでもあるのだが。
兎に角モテる要素は揃っているというのに、何故か生まれてこの方一度も恋人が出来たことが無いというのは、慧馬と透巳にとって解き明かすことの出来ない謎なのだ。
透巳が数年単位で実行した計画についての話から、よくもまぁこんな平和的な会話になったものだと、ささは感心してしまう。だがささにもそういった経験があるので、文句を言える立場では無かった。
そうこうしている内に車はささの家まで到着し、透巳もそのまま小麦の待つアパートへと帰っていった。
こうして、長かったような短かったような一日の夜は、何事も無かったかのようにあっさりと。終わりを迎えた。そしてまた、何でもないような一日が始まろうとしていた。何も知らない人々を置き去りにするようにして。
東京、夜が我が物顔で空を支配する午後八時ごろ。相変わらず星の見えない夜のことである。
********
木藤友里と木藤夏樹が逮捕されたからと言って、透巳の周りに大きな変化が起きたわけでは無い。
透巳は将来のための貯蓄を手に入れ、小麦との結婚の手立てが出来たが、それだけである。逆に言えば、それだけのためにあそこまでしてしまうのが神坂透巳である。
F組生徒や、卒業した明日歌たちが事の真相を知ることは恐らくない。透巳の計画を知るのは、あの時車に乗っていた二人だけである。
他に変わったことがあるとすれば、透巳に新たな猫好き友達が出来たことぐらいだろうか。
それから季節はどんどん過ぎていき、透巳たちは青ノ宮学園を卒業した。めでたいことに透巳や小麦だけではなく、F組全員が志望校に合格でき、晴れて大学生になった。
卒業と同時に、透巳は本当に小麦と婚姻届を提出して夫婦となった。有言実行が過ぎるので、知っていた慧馬たちも驚いてしまう程である。
だがいくら行動が突飛だろうと、その思考が理解しがたいものだろうとも。透巳はありふれた幸せのために動く一人の人間である。どこにでもいる、当たり前の存在である。
当たり前に生活をして、当たり前に家族を作り、当たり前に死んでいく。結局は多くいる人間の一人にしかすぎず、彼が何をしようと、彼の周りのほんの僅かな部分にしか影響は与えられない。
そんな当たり前でつまらないことでも、一つ一つに焦点を当ててみると、なかなかどうして面白いのが人間である。
これはそんなありふれた人間の一人。どこにでもいる一人の青年の物語。
彼が何を考え、何をして。何を思い、どう生きるのか。そしてどのようにして、彼にとっての平凡的な幸福論を形にするのか。
それを見届けるまでの物語である。
アクトコーナー
――完――
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる