アクトコーナー

乱 江梨

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最終章 平凡的幸福論のメソッド

エピローグ

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 私の名前は鈴木菜乃葉すずきなのは、一五才。成績も、運動神経も、容姿も普通な、どこにでもいる学生。友達もそこそこいて、そこそこ楽しく生きていたと思う。

 でもどこで間違えたのだろう。何を間違えたのだろう。

 気づけば私はクラス中の嫌われ者になっていた。

 教室に入っただけで笑われる。嫌な顔をされる。おはようと挨拶をしても返事など返ってこない。机には目を瞑りたくなるような罵詈雑言が、書き殴られている。

 よくぶつかって来られるし、悪口はわざと私に聞こえるように吐かれる。班分けの時は私が孤立するように仕向けられるし、弁当はよく捨てられていた。

 黒板に悪口を書かれたこともある。授業の時間になっても消されなかったので、教師はそれに気づいたけれど、何事も無かったかのように消しただけで、授業を始めてしまった。
 絶望しかなかった。教師は見なかったことにしたんだ。当たり前であるかのように振舞った教師が、心底怖かった。

 仕方が無い。卒業までの我慢だ。期待したって無駄だと気づいた。無駄なら黙って苦しみが過ぎ去るのを待てばいいだけ。何かすればもっと酷いことになる。誰も助けてなんてくれない。期待しなければいいんだ。期待しなければ、落ち込むことも無いから。

 ********

 あ、教科書が無い。大丈夫、いつものこと。探しに行けばいい。昼休みの間に見つけられるかな?

 クラスの女子がこちらを見てクスクス笑っている。いつも私を苛めてくるグループだ。関わり合いたくないクラスメイトは基本的に無視しているし、男子たちは「女子こえー」とか言って他人事。アイツらだって私を話題に下品な話をしているっていうのに。目糞鼻糞を笑うってこのことね。


『鈴木ならヤラせてくれんじゃね?』

 
 どこの男子かなんてどうでも良かったけれど、聞いた途端ソイツをぶっ殺してやろうかと思った。女子は陰湿で嫌いだけど、男子は頭の足りない馬鹿ばっかりだから嫌い。みんなみんな、嫌い。

 そもそも男子がそういう下世話な話をするせいで、女子にビッチ呼ばわりされるんだ。月が変わるごとに彼氏を変えている女子にそう言われた時は、鏡見て物言えと思ったけれど、こんな暴言心の中でしか言えない。


 数学の教科書を探しに、私は校内を歩き回った。大抵いつもゴミ箱に捨てられているから、いろんな場所のゴミ箱を見て回る。

 図書室のゴミ箱を見に来た私は、先客に気づいた。その人はゴミ箱に手を突っ込んで、数学の教科書を持ち上げていた。

 私の教科書だった。

 持っているのはこの学校の数学教師で、今年はどのクラスの担任にもなっていない人。女子に人気のある先生で、どうして俳優にならなかったんだろうと不思議に思う程、容姿の整っている人だ。


「あ、あの……」


 「それ、私のです」この言葉が出てこなかった。苛められていることを知られたくなかったから。先生に知られて、また無かったことにされたら……。例え期待なんてしていなくても、心をナイフで抉られる気分になる。


「これ、君の?」
「…………はい」
「……なに?苛められてんの?」
「っ!」


 嘘。そう思った。この学校で苛められるようになってから、初めてそんなことを尋ねられた。思わず泣きそうになって、私はそれを必死に堪えた。


「数学の教科書を捨てるとは……俺喧嘩売られてる?」
「え……いや……偶々だと……」
「冗談だよ。俺別に数学好きじゃないし」


 何だろう?今まで抱いていた印象と大分違う。この人、冗談とか言うんだ。

 私がこの数学教師――神坂先生に抱いていた印象は、冷徹である。いつも冷静で、生徒に興味が無さそうな人。だけど授業は分かりやすいし、悪い印象は持っていなかった。


「数学好きじゃないんですか?」
「数学っていうか、勉強がそもそも好きじゃない。必要に迫られたからやったけど、中学まで俺落ちこぼれ生徒だったから」
「へぇ……」


 これも意外だった。きっと神坂先生みたいな人は、産まれた時からの勝ち組で何でもできて、苦労なんてしたこと無いんだろうなと思っていたから。


「それで?苛められてんの?」
「はい……」
「手伝ってあげようか?」
「……何を?」


 手伝うって、なに?神坂先生は、何を言っているんだろう。


「苛めってさ、こう言っちゃ悪いけど根絶できなくて当たり前だから。それを前提に話すと、他人が助けるのってほぼ不可能なんだよね」
「……」


 冷たい言葉だけど、事実だ。これが現実だと、神坂先生は私に突き付けている。


「だから俺に出来るのは、君が君自身でどうにかするのを手助けすることだけ。そりゃあ手段を問わないなら何とか出来ないことも無いけど、ほとんど法に触れちゃうんだよね」
「はぁ……」
「苛めってさ、被害者が決めることだから。その苛めを終わらせるのも、被害者にしかできないんだよね」


 確かにそうだ。と、納得させられてしまった。

 苛めは被害者の主観で、気持ちの問題。ある人にとっては辛くないことでも、ある人にとっては苛めと思えるぐらい苦しいことがある。認識の違いで苛めにもなるし、全く別のものにもなる。

 
「参考までに聞くけど、君はどうなって欲しいの?」
「……嫌がらせが無くなれば、それで……」
「本当に?」
「えっ?」
「本当にそれだけ?殺してやりたいとか思わないわけ?」


 心の中を、覗かれた気分だった。確かに私は何度も、いじめっ子たちを殺してやりたいと思った。同じ目に遭わせてやりたいって。でもそんなこと、本当にしたいと思っている訳じゃない。


「想像は、しますけど。現実で殺したいだなんて、思いません」
「あっそう。じゃあ平和的に解決するか」
「……あの、神坂先生はどうして……関わってくれるんですか?」


 何故か私の答えをつまらなそうに聞いた神坂先生に、最初から抱いていた疑問をぶつけた。今までの先生は苛めに気づいても無視するばかりで、こうやって関わろうとはしてくれなかった。だけど神坂先生は違った。この学校で一番生徒に興味なさそうなこの先生が、初めて関わろうとしてくれた。


「どうしてって……仕事だからだけど?」
「……でも。他の先生は助けてくれませんでした」
「じゃあそいつらが職務怠慢、給料泥棒なだけ。俺は仕事きっちりこなすタイプだから」


 そんな理由?あまりにも腑に落ちない神坂先生の答えに、私は納得がいかなかった。


「そんな理由なんだよ。苛めを無視する理由なんて。そりゃあその人たちの真意なんて知ったこっちゃないけど、要は面倒臭いだけだと思うよ。苛めってデリケートだから解決するとなると、やること増えるし。下手すりゃ教師の責任になるから」
「……勝手ですね」
「そうだね。ま、そういう下らなくて勝手な理由だから、君に問題があるわけじゃ全然ないよ」


 ふと唐突に降ってきた先生の励ましの言葉に、私は大袈裟ではなく救われた気がした。心がふわっと浮上して、酷い安心感があった。ずっと思っていた。私の何がいけなかったんだろう。何を間違えたんだろうって。

 だけど神坂先生はそれをきっぱりと否定してくれた。清々しい気分だった。


「そもそも君が原因で生徒たちが徒党を組んだり、教師がクズに成り下がるとか無いから。たまたまだから。元々そいつらが腐ってるだけだから」
「……先生って、ちょっと意地悪ですね」


 良いことを言ったかと思えば、突然毒を吐いて気持ちを下げてきた神坂先生に、私は顔を顰めてしまう。


「よく言われる……じゃあこれから君に、苛めが解決するいい方法を教えてあげる」
「……そんな方法……」
「いくらでもあるよ」


 そんな方法あるわけない。そう言おうとした私の声を遮って、神坂先生は破顔して言ってのけた。何だか有無を言わさぬ説得力があって、先生の言う方法が少し気になった。


「そうだなぁ。例えば苛められている現場を俺が隠し撮りしてネットに上げるとか。いじめっ子の名前と顔出せば、そいつらもう終わりだね。あぁ、それか相手の弱み握って脅すのも良いね。そっちの方がまだ平和的かな?」
「……そ、そんなこと」


 出来ない。そんなこと出来る訳がない。っていうか、何で神坂先生はそんな平然としていられるの?何でも無い様な顔で淡々と話す神坂先生に、私は狂気を感じた。


「出来ない?なんで?」
「だ、だって。が、学校だって、迷惑でしょう?問題になっちゃうし」
「そんなの気にする必要ないよ。自業自得なんだから。面倒臭がらずに対処していればこんなことになってないんだから」
「で、でも……それって犯罪じゃ……」
「…………あぁ。そうだね。そうかもしれない」


 そうかもしれないって……。この人、勉強できるだけのただの馬鹿なんじゃないかと思えてくる。さっき法に触れるから助けられないとか言ってたくせに、この人は何を言っているんだろう。


「じゃあ苛め返せば?」
「……えっ?」
「やられたらやり返す的なあれだよ。あっちが苛めてるんだから、逆に苛められる覚悟持ってもらわないと困るよね」


 神坂先生の提案はどれも突飛すぎて、私はなかなか理解が追いつかない。やり返したって、そんなの根本的な解決にはならない。相手の苛めが酷くなって、泥沼にはまっていくだけだ。


「あの……もっと普通の、根本的な解決になる方法、無いんですか?」
「あれも嫌これも嫌って、君我が儘だね」


 そう言わざるを得ない手段しか提案してこない神坂先生が悪いんじゃないか。私は物凄くイラっとしたけれど、初めて話を聞いてくれた恩人だったので必死に抑えた。


「うーん……よし分かった。さっき助けないとか言ったけど前言撤回。法に触れないレベルで何とかしてみせるから。ちょっと待っててよ」
「え……出来るんですか?」
「うん。今妙案を思いついたから」


 今までの話の流れではとても信用できないけれど、何故か神坂先生には本当に何とか出来てしまいそうな説得力があった。

 だけどその時神坂先生が浮かべた不敵な笑みが、とても怖いもののように見えてしまって、私は一瞬尻込みしそうになる。だけどこれ以上苛めに苦しむのは嫌だったし、先生が嘘をついているとも思えなかったから、私は神坂先生を信じてみることにした。

 ********

 結論から言うと、苛めは消えた。

 どうしてかというと、私を苛めていた生徒たちが全員停学処分になったから。停学の理由は、飲酒と煙草。学校の体育倉庫でコッソリ屯していたところを先生に見つかったようだ。

 今学校ではその子たちの誹謗中傷が飛び交っている。私を苛めていたグループは、みんな親がお金持ちで厳しかったらしく、こういう問題には敏感だから多分全員転校させられるだろうって噂されている。

 鳥肌が止まらなかった。神坂先生がこの状況を作り出した。そうとしか思えなかったから。

 この状況を作り出した方法だとか、そんなことはどうでも良かった。ただ私は、神坂先生が〝仕事だから〟という理由だけでこんなことを仕出かしたという事実が信じられなくて、ただシンプルに怖かった。

 一時間目の授業のチャイムがズカズカと足踏みするように鳴り響く。今日の一時間目は数学の授業だ。女子生徒たちが呑気な黄色い声を上げてその人の訪れを知らせる。

 教室に入ってきた神坂先生が一瞬だけ私に視線を送ってきて、目が合った。

 神坂先生は、私の心の揺らぎを全て見透かしているように。不敵に笑って見せると、そっと人差し指を口元に運んだ。まるで私にだけ伝わる様に。「秘密ですよ」と囁くように。

 そうしていとも簡単に、彼は私の呼吸を止めるのだった。




 アクトコーナー  ――return――

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