お菓子の船と迷子の鳩

緋宮閑流

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第1章

#05

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ギィ……ギィ……

船の軋む音。凪いだ海の、穏やかな音。
嵐を抜けた後の航海は拍子抜けするほど静かなものだった。
けれど。
汗で頬に張り付いた巻き毛を払う。

確かに誰かを呼んでいた。
確かに誰かが応えていた。
けれど、伸ばした指は一度も触れ合うことは無く……

「……急に……なんなんだか……」
物心ついた頃から見続けているとはいえ、殆ど形の無いぼんやりとした夢だった筈だ。それが最近は鮮明さを増しつつあった。しかも、急激に。
久々に見知らぬ海へ来た緊張感ゆえ……だろうか。旅慣れて久しい自分がそんな状態に有るとは思えないのだが。

水瓶を煽る。

順調にいけば半日後にも到着するはずだった。停泊すべき湾は既に確認され、先行している調査隊にも商船団代表から連絡済みだと聞いている。港らしい港は見当たらないようだが泊地としてはどうなのだろう。

「……まぁ、風呂は期待できそうにねぇな」

港が無いということは暫く陸の商人との商談も無いだろうが、同時にその恩恵も期待できないということだ。酒場も、公衆浴場も、客さえも。
「しょうがねぇな…上陸前にちょっくら湯でも貰うか…」
空になった水瓶を片手に立ち上がる。

十年ほど前、カラクリによる海水の濾過装置が発明され普及してきたものの、船上の真水は未だそれなりに貴重品だ。高価な魔石や魔具が買える裕福な船ならそんなことも無いのだろうが残念ながらそこまでの収益は無い。この船に存在する魔具といえば、せいぜい船倉に設置された氷柱結晶やクルーに配られている安価な灯明石のランプ程度だった。

そして、もうひとつ。

機関室のドアを開ける。室内からは微かに薪のはぜるような音が聞こえるがこの部屋に火の気は無い。

ソレは部屋の奥、開かれたドアの正面に鎮座ましましていた。あえて形容するなら積み上がった金属屑を飲み込んだ銀色の粘性生物。何故だかその周囲はほんのりと暖かく、時々揺らめく本体の中央に丸い窓が付いている。
窓は透明度の高いガラス質の物体ではあるのだが、いかんせん内部に籠もった翠の霧が邪魔で奥まで見通すことはできなかった。

「よぉ、グランマ」
こつこつ、と窓を叩く。
「調子はどうだ?」
『ワルクハ ナイ』
返事が返った。
幼い声を金属管に何度も通したような音は確かに言語を紡いでいる。

これがキャンディストライク号における最大の魔具、生ける動力炉『グランマ』だ。

「湯を貰いにきたんだ」
良いかい?と水瓶を掲げると銀の本体がふるふるふるりと揺れた。
『ドウゾ』
バルブが付いたパイプのひとつ、その側面に嵌め込まれたガラス粒がぼんやりとした緑色に光る。
「ありがとな」
バルブを捻ると持ってきた水瓶にちょうど一杯分ほどの湯がパイプから落ちてきた。貴重な水をこぼさないようコルクの栓を……

『……リクニ アガルノ?』
「ん?ああ」
グランマのほうから質問が来るのは珍しい。

「これから新大陸に上がる。調査隊に同行して辺りを探索してくるよ」
窓にそっと手を添えて返答すると窓の向こうにわだかまる霧が渦巻き、揺らめいた。
「……キヲツケテ ホシイ。イヤナ ヨカンガ スル」
「……奇遇だな。俺もだよ」
鮮明になってゆく夢と、僅かな不安。いつになく饒舌なグランマに体内の昏い炎が煽られるけれどそんなことを言ってもいられない。

「そんなに心配しなくていい。引き際は心得ているつもりだよ」
温かい窓をポンポンと叩き、笑う。
「行ってくる。星神のご加護を」
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