お菓子の船と迷子の鳩

緋宮閑流

文字の大きさ
上 下
22 / 26
第4章

#05

しおりを挟む

浜辺は賑わっているようだった。

交流会は打診を受けた翌々日の夕方に実現された。
先に代表者同士での話し合いが有ったのも重要ではあるが、何より漁村に暮らす人々は存外に人懐っこく親切だった。こちらが珍しい品々を携えているということも手伝ってか交流は順調に進んでいるように見える。
互いに霧の壁を挟んでそれぞれ違う文化を築いてきた異邦人同士。しかし一方で同じ人間の姿をしている以上は食べて、寝て、屋根の下に住み、衣服を身につけるという基本の生活は恐らく変わらないだろう。交流のしかたも恐らくは大差無い筈だ。
現に両者は互いの用意した飲食物を口にし、持ち寄った楽器で楽の音を楽しんでいる。

プラリネは双眼鏡を下ろした。双眼鏡はカラクリの一種なので見通す力は遠見の魔具に及ばないが、純度の高い硝子を使った一級品。湾から浜辺程度の距離、数人が入る程度の視界であれば十分鮮明に見ることができる。
そして双眼鏡を外した視界いっぱいに広がる人の群れ。湾全体を見遣れば浜辺からはみ出して小舟で海面まで使った大宴会の場が広がっていた。
たった数隻、船団のキャンプより規模が小さいとはいえそれぞれ船員の半数ほども降りれば数十名になるのだから人が溢れるのは当たり前だった。漁村の人口が倍近くに増えたようなものなのだから。
しかしこの人数でも予想以上のトラブルは無いようで、せいぜい数人の酔っ払いが拙い喧嘩を始めるのを周りが止める程度で済んでいる。概ね穏やかな交流会だった。

「……楽しそうで良かったわ」
思わず笑みが漏れる。
「……ガナッシュも見られれば良かったのに」
テーブルに並んだ菓子や甘パンは子供たちを中心に好評なようだった。船の菓子が未知の土地でも受け入れられ歓迎されている光景はきっと兄を元気付けただろうに……
「本当にね、お嬢さん」
背後に、否、ただ背後というにはあまりにも近い位置に、体温。
不意の訪問者に肩が強張った。
振り向く動作を制するようにぬるりと伸びてきた手が手すりの上で硬直した指と重なる。
「海神への誓いで船を降りられないお嬢さんも……つまらないだろう?」
この声、この香水は。
「……お戯れが過ぎましてよ?」
すっかりと油断していた。
「ジョーゼット船長」
「なに、戯れなどではないよ。本気の誘いを戯れとは呼ばないだろう」
何が本気だというのか。奥歯を噛み締める。
指先をなぞる指が不快だ。
髪を弄ぶ逆の手が不快だ。
頭を振って髪を揺さぶり、重ねられた手を押し退けようとするが上手くいかない。焦って浮いた手を逆に握られてしまい、不快感はますますつのる。
──助けて──
ぎゅっ、と目を閉じる。
──助けてガナッシュ……ガレットさん……!──
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
今は二人に頼れない。伝声管も見えてはいるが、今後のことも考えれば安易に人を呼ぶのも賢明とは言い難い。
自ら乗り切るしか、無い。
「……ご冗談を」
「冗談に聞こえるなら残念だな」
耳元で囁かれてぞわりと悪寒が背筋を駆け上がった。皮膚の表面が泡立ち羽一枚一枚の根元が震えて翼が膨らむ。
平静を装い上手く躱さねばならないことは承知しているが、あまりの気色悪さに怖気が走った。咄嗟に逃れようと開きかけた翼がやんわりと、しかし否応無しに背へと押し戻される。
「貴族のご令嬢が小鳥を飼うときは」
風切羽の表面を大きな手のひらが撫でる。
「小鳥が逃げないよう風切羽の先を切るというね……?」
全身から血の気が引いた。体の表面が一気に冷えて心臓が早鐘を打つ。視界が狭まり浜辺の灯がぼやけて広がる。

嫌だ。
脳裏に蘇る、四角いだけの部屋。
嫌だ。
飛び出すことのできない小さすぎる窓。
嫌だ。
蜜蝋を丸めただけの蝋燭が映し出す檻の影。
嫌だ。
助けて。
いくら懸命に羽ばたこうとも風を切ることの無い、風切羽を絶たれた翼。

金属が擦れぶつかり合うけたたましい音と獣の咆哮。絶叫と激痛、そして──────


「っき……っ」
「いらっしゃいませお客様。宴にてお酒でも過ごされましたかな?」


憎悪する記憶のフラッシュバックに『声』を上げようとしたその瞬間、割り込んだ声に息を呑む。


「手狭ですので高いところから失礼。当船は小船ゆえ、物見台は少々揺れまする。酔い覚ましには不向きでございますよ」
しおりを挟む

処理中です...