紅き鬣と真珠の鱗

緋宮閑流

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第1章 はじまり

1-2 暗雲2

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「……ワ……」
「『月の若長』」
名を呼ばれる前に役職名で呼んでやる。面倒なヤツに捕まった。
龍の航路となる龍雲は丁寧に編めば丁寧に編むほど快適だが、次からはもっと急いで創るべきか。
「………『瘴気喰い』」
呼ばれる役職名に満足しつつ、それでも舌打ち混じりに振り向けば銀の鱗に目を焼かれた。
未成熟とはいえ立派な龍型だ。こんな姿を見せられれば嫌でも自分の貧相な龍型を自覚しないわけにはいかなかった。
だから会いたくなどなかったのに。
「んだよ……眩しくて鬱陶しいから話しかけんな」
「ご挨拶だなぁ………じゃないや、さっきの問答は無いだろ。心証が悪くなるじゃない」
いつものお節介か…銀の鱗に乗っかった揺らめく星河の鬣が靡く程に盛大な溜息をついてみせる。
「へいへい、次期月光龍サマ。御忠告痛み入ります」
「いやいやいや、今は君のほうが僕より霊格高いんだからね?」
「ほざけ。どうせ幾夜も経たんうちにでっかくなって上座で踏ん反り返るくせに」
吐き捨ててやると銀の鱗の幼馴染は幼生の頃から変わらない、少し困ったような顔で小首を傾げた。
幼馴染のこの顔は、苦手だ。
「………言うことがそれだけなら、帰る」
「………『瘴気喰い』………」
編んだ龍雲は少しほつれて乱れていたけれど、繕わずに飛び乗った。
「あっ…まって、僕も海側だから一緒に…」
「ばーか。遠回りになンだろ」
「だよなぁ?深海のチビは俺と帰るんだもんなぁ?」
割り込んできた声に面倒な輩が増えたことを悟って嘆息する。
「アンタとも帰りませんよ『青海龍』。別に今一緒に帰らなくてもどうせまた来るんだろうし」
他の龍に見られれば大海原を司る大龍になんという不遜をとお咎めを受けそうではあるが、自分にとっては単なる近所の兄ちゃんである。幼馴染を崇拝する趣味は自分には無かった。
ついでに、ほぼ白一色で鬣が紅いのだけが救いという乏しい容姿の自分が、どこまでも蒼く遊色を煌かせる美しい鱗と延々並んでいたいわけもなく。
「なぁんで放っといてくんねーんですかねアンタらは」
「つれねぇなぁ深海のは」
「ねっ、ねっ、僕もそっちから帰るから待っ…あっ、失敗…っ!」
もういっそ振り切って帰ろうと身構える目の前に現れた、さぞかし乗り心地も悪かろうと想像に難くないごちゃついた龍雲に頭の中の何かがキレた。
「…っだあああぁぁぁ!こンのブキッチョ坊主!お前いつになったらマトモに編めるようになんだよ!」
「ゆっくりならできるんだよ!」
「うっせーよ莫迦!お前置いてくぜってー置いてく」
口をついて出るのは完全に悪態のはずなのに、何故かこの手に美意識のカケラすら感じられない龍雲が握られてしまっているのも腹立たしい。
美しくない。ホンっト美しくない!
わしゃわしゃと雲を解してゆく。流石は月光龍族のものと納得できる、こんなに綺麗な雲なのに。
あー、勿体無い。ホント勿体無い。
横を見ればゲラゲラ笑う青海龍に編まれた波状の龍雲はざっくりおおらか大雑把で。
どいつもこいつも……
解す度にきらきらと零れ落ちる月光の粒に奥歯を噛み締める。
いつもそうだ。美しいものは皆地上に在るのに。光も、波も、風も、何もかも。こちらは望んでも手に入ることは無いというのに。
「編み直し」
しっかりカタマリ無く解した雲は最後まで面倒を見ずに投げて返した。
「夜空に安息の龍雲引くのもお前の仕事だろ。それじゃ月光龍の仕事になんねぇよ」
八つ当たりだ。
解っている。『月の若長』がゆっくり丁寧に編んだ龍雲がどんなに美しいか、『青海龍』の編んだ龍雲がどれだけ頑丈か知っている。
知ってはいるのだけれど。
「あとは自分でやれ」
わざとぞんざいに言い捨てて、満足するには若干足りない自分の龍雲に飛び乗る。
「…『瘴気喰い』、今度はいつ会えるかな」
「さあな」
いつ会えるかなど判らない。他の動物達よりも格段に長い寿命を持ちながら自分達の持ち場を離れることすら稀な龍族の長に次の約束なぞ取り付けられるわけがない。そうでなくとも…
小さく息をつく。
将来上座につくことを約束された、銀の龍。夜の世界をあまねく見渡し守護する役目は厳しく尊いものだが、この優しげな、しかし芯の強い幼馴染ならばそつなく果たしてみせることだろう。
『青海龍』だってそうだ。現役で大海原を統べる逞しき統治者。海が澱まぬよう流れを作り、空に浄化を終えた水の恵みを受け渡す大役を果たしながら地上で生きることのできない大型生物を受け入れる懐の深さ広さには頭が下がる。
──つまり、こんな自分と共に居るべき相手ではないのだ。この龍達は。
「見事にバラバラにされちまったなぁ、月の」
『月の若長』を揶揄う巨体に目をやる。
「……アンタも。早く帰らねーと波のちんまいのが騒がしいンじゃないですかね」
「あー、まぁ波の娘っ子達は気まぐれだからなぁ」
「ムスメッコ達がいるのになんでオレにばっかり構うかなぁ…」
スキだからに決まってんだろぉ~、などとのたまう気色の悪い冗談は聞かなかったふりをすることにした。
名残惜しげな別れの挨拶を背に、宙へと滑り出す。返事はしない。

これから、永劫の闇に囚われた深海へ帰るのだ。地上に棲まうことを許されたきらきらしい者達とは違い、暗き海溝の底が自分の本来居るべき場所なのだから。
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