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第3章 月の里
3-4 望郷
しおりを挟む──海は混沌としていた。
水に戻らなくても判る。崖の上からでも解る。
表面上は初冬の光に照らされ穏やかに凪いだ海。けれど龍の目には見えるのだ。波の間に間に揺蕩う異質、増え過ぎた瘴気の淀みが。
海の表面、少なくとも自分が感知できる範囲に青海龍アラナミの気配は無い。
龍長の居なくなった深海の統治はアラナミの手に委ねられているだろうが、アラナミ自身に浄化の力はほぼ無い。そして深海にはミズノワが居る。瘴気に取り憑かれ異形化した小さき友が。
状況を思えば焦燥だけがつのる。
自分が瘴気を喰えない。だから瘴気が減らない。
自分が生きている。だから次の長が生まれない。
自分が弱いから……誰も救えない。
あれから何度も龍化を試した。けれどヒトガタから戻ることはできず、ただひたすら激痛に苛まれるだけだった。意識を失うまで耐えても目覚めたときにはいつもヒトガタで。
潜水も試みたけれど、浅瀬の海底に前脚を突くことすら難しかった。
短い爪では自らを害することも難しく、また滅びに身を投じる地形にも恵まれていなかった。
存在自体が害悪、そんな存在に自らが堕ちるとは。これではまるで……
「ツミ?」
深淵から現実へと引き戻される。
「大丈夫?」
イスカ。岩場に打ち上げられていたという自分を助けたニンゲン。このニンゲンにさえ拾われなければ自分は岩場で朽ち果て今頃は新しい龍長が育っていたものを……
「……ツミ?」
──否。頭を振って不快な思考を振り払う。
悪いのはこのニンゲンでは、イスカではないのだ。
「……オレが弱ぇのが……悪ぃンだ」
口の中だけで呟く。顔を上げ、立ち上がる。
振り向けばイスカはすぐ近くに居た。海の中から空を見上げた景色と同じ、青い瞳をその貌に宿して。
息を吐く。
「……気にすンな。元気だ元気」
腕をぐいぐいと回してみせる。
そう、身体は回復済みなのだ。多少の痛みや違和感はあるものの、問題無く動けるまでには。
龍化だけができない。
イスカはくすりと笑うとその青い視線を海の向こうへ向けた。
「……どうして海は私たちを拒むのかしら」
呟くような声に、瘴気を生むからだろうと答えかけて口を閉じる。これは自分の感情であって事実ではない。地上の生き物はすべからく海中で暮らすことができないし、ニンゲン以外の生物も多少の瘴気は生んでいるのだ。
「何か海に嫌われた心当たりでもあンのかよ」
変に返せず、逆に問いかける。
「特に無いわね」
自分たちが何をしているか知らない、無邪気で無責任な回答。目眩にも似た何かが頭を突き抜けていったけれど、それは無視することにした。
問われた答は返さねばなるまい。
「……海を」
海面の輝きに手を伸ばす。
「海を一度出ちまったからじゃねぇかな……」
寿命の短いニンゲンたちは知らないだろう。かつて生きとし生けるものはみな海中に棲んでいたことを。全ての生物は海から生まれ海へと還っていたことを。
だからきっと理解されない。口に出した途端に虚しさが駆け抜けるけれど、それでも呟かずにはいられなかった。
「最初のものは海が生むンだ。動くものも、動かざるものも」
始まりは、海。
けれど一度海を捨てたものが、海から逃げたものが海に戻ることはない。
「……そうなのね」
予想を裏切り、イスカはあっさりと受け入れた。理解できるのかと聞けば首を振ったが。
「私は陸に住んでいるからよくわからないけれど、龍のあなたがそう言うならきっとそうなのだわ」
それに、と、イスカは続ける。
「一度巣立ったら縁が切れてしまうのは厳しいし寂しいけれど……でも、海がお母様なんて素敵じゃない」
「……オカアサマ……ねぇ」
カゾクというものについては聞いている。オカアサマとは本人を産んだ個体を指すということだから、広い意味では確かにそうかも知れない。
やたら壮大なオカアサマだが。
「まぁ、それはいいとして、だ。なんでまた急に海に嫌われてると思った?食い物もくれるし貝巻いたりもしてンじゃねぇか。好きなんだろ、ソレ」
イスカはよく小さな貝を繋げたカザリを前脚に巻いている。ただの貝殻といえばそれまでだが、こんなふうに繋げただけで少し愛らしさを感じるから不思議だ。
「海はそこに在るだけだ。なンか隔りがあるってンならそこに棲んでるか、そうでないかくらいだろ」
小石を拾って投げてみる。小石は波の上に波紋と水飛沫を描いて海底へと沈んでいった。
こんなにも小さな石ですら、こんなにも簡単に海に還れるというのに。
「……ごめんなさいね、海を悪く言うつもりは無いの。悪く思っているわけでもないのよ?……ただ」
「ただ?」
「海にはこれだけ水が有るのに何故私たちはこの水で生きていけないのかしら」
海風が、イスカの紅い鬣を巻き上げた。
「……ツミ、龍であるあなたにお願いがあるの」
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