妻のち愛人。

ひろか

文字の大きさ
上 下
4 / 10

4

しおりを挟む
「え?」
「ですから、午後からエンリ様がいらっしゃいます」

 エンリが来る? ここに?
 エンリに会える!? エンリの顔が見れる! やっと、来てくれるんだ、やっと、やっと!

「湯浴みの準備ができました」

 なんでお風呂?

「さぁ、早く、エンリ様をお迎えする用意をいたしましょう」
「え……」

 戸惑う私の腕を引っ張られ、無理やり入れられたお風呂で、頭から爪先まで擦られ、産毛まで剃られた。
 風呂から上がれば爪を整えられ、入れ替わり立ち替わりと、使用人たちが部屋を整えて行くのを見ていた。
 そしてベッドを整える姿に、やっと、何の準備をしているのかに、気がついた。

「唇を噛まないでください」

 乱暴に顎を掴まれ、口紅を塗られた。

 そうだ……私はエンリの愛人としてここにいるんだった。

 下着で締め付けられ、レモン色の苦しいドレスを着せられ、髪も固く結われ、一筋も揺れないモノにされた。
 塗りたくられ別人にしか見えないほどの化粧をされ、鼻が曲がりそうなほど濃い花の香りを振りかけられた。
 重く、冷たく、煌びやかな宝石を巻かれ、別人にしか見えない自分の姿に泣きたくなった。

 こんなの私じゃない……。

 その日初めて自分の部屋から出た。エンリを迎えるために。
 いつもガチャバターン!「ロナぁー!」と帰って来るエンリ。あれほど会いたかったはずなのに、なのに、彼も今の私のように別人になっていた。

「…………」

 無言で、無表情で私を見つめるエンリ。

 高級そうな厚い生地の、重そうな装いは、なぜかエンリによく似合っていた。会わなかった間にこんな服装が似合う人になってしまったのかと、寂しかった。
 髪を切ったことに気づいて、エンリの髪を切るのは私の役目だったのにと、寂しかった。
 サラサラ、ふわふわと寝癖がつくと夕方まで跳ねたままの髪には、寝癖なんてなく綺麗に整えられていた。寝ぐせ一つ許されない人になってしまったことが、エンリが遠く感じて悲しかった。

「ロナ様、ご挨拶を」
「いい」

「――っ」

 私の名を呼んだのはエンリの後ろに控える人。でも、身体が震えたのはエンリの聞いたことのない声に。
 しかし、と続ける彼に「黙れハイヤード」エンリの冷たい声。

 これは誰?

「出て行け、呼ぶまで控えてろ」

 この人は本当にエンリ?
 エンリはこんな言い方しないのに。

 ハイヤードと呼ばれた人がエンリに頭を下げる瞬間、私に向けられた鋭い視線に、言われた言葉を思い出した。

 ――ご挨拶。

 でも貴婦人の挨拶なんて知らない、口上も知らない。だから私は黙って頭を下げた。深く、深く、この国の王様に使える八領主の一人、ロウノック家当主へ。

「ロナ」

 私の知るエンリは『ロナぁー』と甘えてぎゅうっと抱きしめてくれてたのに……。

「ロナ、顔を上げて」

 やっと会えたのに、にじむ視界に映るのは、私の知らない人……。
 私は、ゆっくり私の姿を目に映すエンリを眺めていた。

「綺麗だ……」
「っ!」

 カッと血が上がった。

 何が、どこが!
 こんな別人にしか見えないこんな姿なのにっ!

 村では化粧なんてすることなかった。祭りの日に口紅を付けるくらいだった。なのに……、エンリは着飾った女が好きになったっていうの!?
 新しい妻のように、ひらひらと着飾った姿が綺麗だと、そう言うの!?

 綺麗だなんて、村にいた頃は言われたことなかった。
 そりゃ、綺麗なんて言われる格好したことなかったよ!
 でも、でも……、別人のようにならないとエンリはもう好きじゃないの?

 こんな人知らない……。くたびれたシャツで、ふにゃりと笑ってたエンリじゃない。私の好きなエンリじゃない……。

 だから、頬へと伸ばされた手に、嗅いだことのない甘い香りに気づき、振り払ってしまった。

「他の人を抱いたの?」

 信じたかったのに。

 エンリの表情に、そうなのだと理解した。

 信じてたのに。

「触んな……」

 信じたかった。

 無理やり結婚されたんだと、だから、好きでもない人を抱いたりしないと。

 そう思いたかった……。

「ロ、ナ……」

 嘘つき。

「触んな、気持ち悪い」

「!」

 湧くのは嫌悪感だけ。

「他の女を抱いた手で触んな!」

 止まらない、抑えられない。

『他の男と踊るなんて、ダメに決まってるでしょ!』
 村の祭りで他の人とダンスすることにも拗ねたエンリ。
『僕は浮気なんてしないよ!』

 嘘つき。

「ロ……ナ……」

 嘘つき!

「嫌いよ、あんたなんか、大っ嫌い! 顔も見たくない!」

 これ以上一緒にいたくなくて、与えられた部屋へと逃げ帰った。



 気持ち悪い、気持ち悪い。

「もうやだ……」

 涙で擦り、ぐちゃぐちゃになる厚い化粧。

「もうやだ……」

 固く結われた髪からピンを引き抜き、ブチブチと髪が一緒に抜けても、無理矢理引き抜いた。早く自分に戻りたかった。

「帰りたい、村に、帰りたいぃ……」

 こんなところにいたくない!!



***

「エンリ様! おやめください!」

 屋敷に戻られたエンリ様は荒れた。
 感情のままに溢れる魔力はシアン様を襲った。
 胸を押さえ動かなくなったシアン様に覆い被さっても、盾にもならないと、分かっていても。

「エンリ様、どうか……」

 なぜこの方を扱えると思ったのだろう。

「ねぇ、取り替えっこしようよ」

 そう告げるエンリ様は高位術士である証の色を持っていた。

 ロウノック家の血を誰よりも濃く受け継いだ者を……。
 なぜなんの力も扱えないと、思えたのだろう……。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

毒花令嬢の逆襲 ~良い子のふりはもうやめました~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:117,009pt お気に入り:2,697

浮気の認識の違いが結婚式当日に判明しました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,160pt お気に入り:1,219

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:25,510pt お気に入り:3,541

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:13,342pt お気に入り:257

処理中です...