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第2章 クリューガー公国との戦い

攻城戦の駆け引き

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 目の前に広がる城壁。これほどのものを、ハルトウィンは今まで見たことがない。転生前にはすでにこのような垂直にそびえる、ほかを圧倒するような城壁は戦術的に無効となっていた時代である。強力な火力の登場が、城壁を無用の長物と化した。
 ようやく火薬の銃が登場し始めた時代。まだ、大砲などというもの自体が存在しない。
(帰ったら、アルセーニエフ先生に研究してもらうのも手かもしれないな)
 荘園に残してきた錬金術師のことを思い出すハルトウィン。そしてすぐ彼女は首を振る。
 大事なことは、今どのようにしてこの都市を攻略するかである。
 クリューガー公爵領最大の商業都市『ハレンスブルク』。四方を強固な城壁に囲まれ、そのそれぞれに鉄の門扉が重々しく備えられている。
「最新の情報かは定かではありませんが、ドレスタンにあった資料では守備兵が2百人ほど常駐しているようです。守備隊長はマインラート=ヒューブナー少佐――」
 カレルがそうハルトウィンに報告する。そして視線をかたわらのレムケ卿におくる。それを察したレムケ卿が、口を開き説明を始める。
「ヒューブナー少佐は――有能、そうとてもまじめな軍人です。何度かあったことがありますが、決して命令に背くお方ではありません」
「それはそれで面倒だな」
 ハルトウィンがつぶやく。いっそ、計算高い人物であれば篭絡する方法はいくらでもあるのだろうが。
「守備部隊の大半は歩兵で専門の弓兵もあまりいないはずです。この都市は何といっても、その先を城塞都市ドレスタンに守られていたので、戦うということにはあまり慣れていません。また、その時でもクリューガー公領首都ミュットフルトから援軍が到達するまで耐えればいいということで......この城壁がその作戦構想のたまものです」
 レムケ卿の的確な説明。特に才走ったところのない中年男ではあるが、ハルトウィンは彼を高く評価していた。常より、首都からドレスタンに発せられる、一貫性のない命令に辟易していたらしい。さらには公太子の扱いのひどさ――『公太子殿下に不利になるようなことは一切しない』。そのハルトウィンの真摯な言葉を信じてくれた人でもある。この戦いが終わったら、厚遇せねばなるまいな、とハルトウィンは心に決めていた。
「いろいろな方法があるでしょうな」
 後ろから、馬に乗ってイェルドがやってくる。
「もちろん、労少なくして功多い策を推しますが」
「ご教授いただけるであろうか、参謀殿」
 参謀、という役職は先日ハルトウィンが設けたものである。彼女にこそふさわしい役職だとハルトウィンは確信していた。見た目は商人姿の少女であるが、その中身は権謀術数あまたの作戦案が渦巻いているに違いない。
 イェルドはその策を説明し始める。この強固な城壁都市を敵味方双方無傷で手に入れる算段を――


 城壁の正門の外に展開する『公太子軍』。いくつもたなびく軍旗は、『クリューガーの薔薇と槍』である。その大半は最も大きな南門の当然敵の間接攻撃――守備側に火砲は存在せず、弓程度の攻撃であったが――を避けるためにある程度の距離をとっていた。逆にその空白の土地がまるで地獄の門のように、不気味に攻守両者の前に広がる形となった。
 自軍の到来に最初ハレンスブルク守備側は当惑していたが、その意図がどうやらこの都市の乗っ取りにあるとわかると、早馬を首都ミュットフルトに走らせ、四方の門を固く閉ざして籠城戦へと転換した。
「教範通りの手順ですね。守備側の隊長――ヒューブナー少佐でしたか。なかなか手堅い能力の持ち主のようですね。大帝国の戦争は天才のひらめきではなく、こういう常識のある士官をそろえることが肝要ですね」
 イェルドが敵の状況を、遠眼鏡で観察しながらそうつぶやく。遠眼鏡から立ち上る魔力の残光。魔法術も利用しての偵察らしい。
「さて、それでは早速攻略とまいりましょう。何といっても商業都市。これを灰燼に帰したり、また兵士たちが戦闘の熱に侵されて略奪などをされては今後の運営に差しさわります。お互いなるべく、被害のない方法で開城されるがよろしいでしょう」
 そういいながら、右手の指輪で水と炎の魔法術を発動させる。空中に浮かび上がる、地図と作戦の概要――イェルドの作戦が始まることとなる――

 深夜。城壁を伝い数人の男性がこっそりとハレンスブルクを抜け出す。身なりはきちんとしたもので逃亡者とも思えない。その下で数人の兵士が待ち構える。合言葉の確認の後に、丁重に彼らを誘導する。誰にもわからないようにこっそりと――自分たちの『主人』のもとへと。
「ハレンスブルク商業参事会副参事代理 オットマール=ボジェクと申します。公太子殿下にはお期限麗しく」
 恭しく礼をする商人姿の男性。帷幕の中。その奥の簡易な席に座っているのは公太子ラディム=フォン=クリューガー。そしてそのそばに控えるのは、当然ハルトウィン=ゼーバルト辺境伯である。
「話したいことがあると」
 ハルトウィンがそうラディムに告げる。頬に手をやり、無言でうなずくラディム。まったくの茶番であるが、ポーズは必要である。あくまでも実権は公太子の手の中にあるというアピールが必要であった。
「われらハレンスブルクの住人は戦いを好みません。外敵というならばいざ知らず、皇太子殿下に弓引く何らの意味もなければ。願わくば、命と財産の保障をもって非武装都市として略奪や破壊の憂き目から救っていただきたく......」
「父上の」
 ラディムはことさらもったいぶりながらそうつぶやく。これもイェルドの入れ知恵であったのだが。
「クリューガー公に対する直接の恩義はないのか。立場的に我々がむしろ反逆者といえないこともないだろうが」
 いえいえ、と大きな声で否定するボジェク。
「領民にも主君を選ぶ自由はあるはずです。我々にとってクリューガー公はあまりいい主君とは言えませんでした。正当な嫡男であられる皇太子殿下がそれを正そうとするのであれば、それに従うのが領民のつとめ。何も恥じるところはございません」
 いろいろと形而上的な話を述べた後、深々と礼をして立ち去る副参事官代理のボシェク。それを見計らって、イェルドが帷幕の中に現れる。
「いかがでしたか?」
 無言で首を振るハルトウィン。それに満足そうにイェルドは頷く。
「あの男は私の知己でして。勘定はきちんとできる男です。信用していただいてよろしいかと」
「父上は......」
 悲しそうにラディムがもらす。
「父上はそんなに暴君であられせられたのか」
 ああ、とイェルドが振り向きながら説明する。
「領民、特に金銭欲の強い商人にとって税金をとる領主は誰でも悪い主君でありましょう。あまり気にせず。いずれ商人の扱い方をお教えいたしますゆえ。まずは――」
 イェルドはウィンクする。それに気づいたハルトウィンは懐からあるものを取り出す。
 銀の鎖のついた、金色の物体。
 それはこの商業都市ハレンスブルクの『北門』の唯一のカギであった――
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