陰法師 -捻くれ陰陽師の事件帖-

佐倉みづき

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Case.8 通り悪魔

知らぬが仏

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 深い深い絶望の底に沈んでいた。世界を憎んで、誰よりも己を憎んだ。腹の底に積もった衝動のまま全てを壊そうとした矢先、手を差し伸べられた。
 悪魔との契約だ、と思った。手を取れば引き返せない。けれど、他にすべもない。結局、自分は手を取るしかなかった。
 だから、目の前で狩矢が弾劾されていたとて心など痛まない。良心などとうの昔に捨て去った。自分は文字通りとなったのだから。
「キミもとっくに気づいているだろう? 通り悪魔を生み出していた元凶はいったい誰なのか」
 彼女は最初から目をつけていた。その上で、彼自身に真実を察するよう仕向け、葛藤する様を間近で眺めて愉しんでいた。彼を追い込むために用意周到に張り巡らせた罠は、獲物をじわじわいたぶる蜘蛛の巣だ。
「何を苦しむ? 悪人が悪人を裁き死んでいく。まさしくキミが望んでいた世界じゃないか」
 女狐は嗤う。正義を志し、しかし正義から外れた憐れな男を。
 通り悪魔を祓う方法。狩矢の心の弱さにつけ込み、彼自身に通り悪魔を憑かせて死なせる。いかにも人でなしの霧雨篠が考える方法だ。彼女は自身の目的を達成するためならば他者の犠牲も厭わない。いや、厭わないどころか、他者を平気で踏み躙る。霧雨篠にとって人間とは路傍の雑草に過ぎないのだ。誰を踏み潰したとて、いちいち気に留めることではない。あらゆる策をもって他者を貶めることを得意とする霧雨篠らしい卑劣なやり方だ。
「弟のために世を糺したいと願ったキミは立派だ。誇りに思いたまえ。キミはキミの理想のために死んでいく」
 慈悲なき宣告は、弱りきった心に引き鉄を引かせるには充分だった。狩矢は、自ら頭を撃ち抜いた。中身をぶち撒けた彼は、ぴくりとも動かない。その姿に自身が重なり、霞は目を逸らした。
「さて、これで通り悪魔は二度と現れない。霞、後始末を手伝ってくれるね?」
 霞の心情など解さない霧雨篠は、にこりと妖しく微笑む。問いかけには有無を言わせぬ圧があった。元より断る選択肢など提示されていない。霞は頷いた。頷くしかなかった。その瞬間から、霞は道化と成り果てた。

 × × ×

 神崎を病院に搬送し、霜月を出頭させた霞を御崎署まで出迎えたのは、優雅に微笑む霧雨篠だった。
「やあ霞、お疲れ様」
 嘯く女狐を、フードの下からじろりと睨めつける。
「お前、知ってただろ」
 狩矢だけでなく、弟の霜月のことも。知っていて泳がせていた。あの頃のように。しかし霧雨篠はかぶりを振る。
「まさか。そこまで私も慧眼ではないよ。神崎クンを張っていれば早い段階で犯人に辿り着くと踏んだ、それだけさ」
 彼女の言のどこまでが本心なのか、霞には計り知れない。神崎のことも評価していた訳ではなく、誰のことも信用していないから用心していたに過ぎない。
「ところで、どうして霜月クンを助けたのかな。通り悪魔に呑まれた以上、諸共に滅んだ方が彼にとっても救いだっただろうに」
 匿名掲示板にスレッドを立て、かつての事件を模倣した彼は自覚がないままに新たな通り悪魔を創り出していた。狩矢あにと同じように。彼もまた、兄と同じ轍を踏むはずだった。けれど、霞はそれをよしとしなかった。
「通り悪魔はアイツの影ごとカゲリが喰らったから問題ない。目の前で死なれると迷惑なんだよ」
「おや、私はてっきり彼に情けをかけたのかと思っていたよ。死んだ兄のために復讐に走った霜月クンを誰かさんと重ねていたのかとね」
 霞は答えず、さっさと歩き出した。霧雨篠の世迷言に付き合っている暇はない。
 そう、特に深い意味などない。死んだ人間のために罪を犯し、死を選ぶなど馬鹿げていると思っただけ。霞は己に言い聞かせた。
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