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Case.9 笛吹き男
開錠・4
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――ああ、そうか。
全てを取り戻した思考は冴え冴えとして明瞭だ。今やるべきことも、これからどうするべきかも、よく解る。
「どう? 嫌なこと思い出したでしょ。自分が死んどけばよかったって思った?」
何も知らない偽者は言う。おれは頷いた。
「……そうだな。お前のおかげで全部思い出せたよ、ありがとう」
「礼には及ばないわ。今から望みを叶えてあげるから」
「お前の言う通りだ。確かに安倍はロクでもない家だった。あんな家潰れちまえばいい。だけど、それをやるのはお前じゃない。おれが壊す。だから、お前は邪魔だ」
じろりと睥睨すると、おれの返答を想定していなかったのか、偽者はたじろいだ。
「殺すを好む――睚眦」
口の中で唱えると、犲の顔を持つ龍が現れた。今まで椒図で封じていた一体。〈殺すを好む〉通り、相手を殺し尽くすまで止まることはない。扱うのにも危険が伴うため、記憶を失う前から封じていたほど凶暴な式鬼。
「アイツを殺せ」
おれは睚眦に命じた。自分でも驚くほど冷たい声だった。地鳴りのような低い唸り声を上げた睚眦は、顔を強張らせて固まった偽者目掛けて突進する。
「よせ雫――!」
誰かの叫び声が轟いた。睚眦の大きく開いた口が届く直前、偽者が突き飛ばされて睚眦の前から消えた。人体を容易く破壊する凶悪な牙は、代わりに現れた影を噛み砕いた。それは、二度おれの前に現れた影の男。違う。フード付きのマントを纏った姿は、幼い頃、家から抜け出す際にシーツを器用に巻きつけてマント代わりに見せてくれたひとと重なる。
――これを被れば誰も俺達に気づかない。
「にいさま……?」
兄は死んではいなかった。何度も、おれの前に現れて忠告してくれていたというのに、おれは気づけなかった!
「椒図! 睚眦を閉じ込めろ!」
叫ぶと、二対の巻き貝がついた扉が空中に現れた。戸はひとりでに開き、息の根を止めるまで蹂躙しようとする睚眦を中に吸い込むと静かに閉じて消えた。
廃ビルに静寂が訪れる。おれはもつれる足を引き摺って兄様の元へ駆け寄った。
「兄様……」
「……思い出したのか」
おれは俯いて頷いた。込み上げたものが頬を濡らし、ぽろぽろと零れ落ちる。
「ごめんなさい……おれ、おれは」
「バカだな。一人で抱え込まないで、全部俺に任せてくれればよかったんだよ……」
絶え絶えにそれだけ呟くと、兄様は瞼を閉じた。意識を失ったようだ。睚眦に噛まれて骨は砕けているし、出血も酷い。応急処置なんてできないし、この怪我では救急車を呼んでも病院まで保つか怪しい。
死んじゃうのかな。嫌だ。せっかく思い出したのに。せっかく再会できたのに。偽者は兄様に突き飛ばされて尻餅をついたまま、腰を抜かしてしまっている。誰も助けてくれない。おれは、どうすればいい? 子供らしく何もできずに、ただ兄様に守られるだけなのか? そんなの嫌だ。
「助けてあげようか」
場違いなほど涼やかで、凛と張った声が耳朶を震わす。顔を上げると、いつの間に現れたのか、かつて霧雨と名乗った女が佇んでいた。
全てを取り戻した思考は冴え冴えとして明瞭だ。今やるべきことも、これからどうするべきかも、よく解る。
「どう? 嫌なこと思い出したでしょ。自分が死んどけばよかったって思った?」
何も知らない偽者は言う。おれは頷いた。
「……そうだな。お前のおかげで全部思い出せたよ、ありがとう」
「礼には及ばないわ。今から望みを叶えてあげるから」
「お前の言う通りだ。確かに安倍はロクでもない家だった。あんな家潰れちまえばいい。だけど、それをやるのはお前じゃない。おれが壊す。だから、お前は邪魔だ」
じろりと睥睨すると、おれの返答を想定していなかったのか、偽者はたじろいだ。
「殺すを好む――睚眦」
口の中で唱えると、犲の顔を持つ龍が現れた。今まで椒図で封じていた一体。〈殺すを好む〉通り、相手を殺し尽くすまで止まることはない。扱うのにも危険が伴うため、記憶を失う前から封じていたほど凶暴な式鬼。
「アイツを殺せ」
おれは睚眦に命じた。自分でも驚くほど冷たい声だった。地鳴りのような低い唸り声を上げた睚眦は、顔を強張らせて固まった偽者目掛けて突進する。
「よせ雫――!」
誰かの叫び声が轟いた。睚眦の大きく開いた口が届く直前、偽者が突き飛ばされて睚眦の前から消えた。人体を容易く破壊する凶悪な牙は、代わりに現れた影を噛み砕いた。それは、二度おれの前に現れた影の男。違う。フード付きのマントを纏った姿は、幼い頃、家から抜け出す際にシーツを器用に巻きつけてマント代わりに見せてくれたひとと重なる。
――これを被れば誰も俺達に気づかない。
「にいさま……?」
兄は死んではいなかった。何度も、おれの前に現れて忠告してくれていたというのに、おれは気づけなかった!
「椒図! 睚眦を閉じ込めろ!」
叫ぶと、二対の巻き貝がついた扉が空中に現れた。戸はひとりでに開き、息の根を止めるまで蹂躙しようとする睚眦を中に吸い込むと静かに閉じて消えた。
廃ビルに静寂が訪れる。おれはもつれる足を引き摺って兄様の元へ駆け寄った。
「兄様……」
「……思い出したのか」
おれは俯いて頷いた。込み上げたものが頬を濡らし、ぽろぽろと零れ落ちる。
「ごめんなさい……おれ、おれは」
「バカだな。一人で抱え込まないで、全部俺に任せてくれればよかったんだよ……」
絶え絶えにそれだけ呟くと、兄様は瞼を閉じた。意識を失ったようだ。睚眦に噛まれて骨は砕けているし、出血も酷い。応急処置なんてできないし、この怪我では救急車を呼んでも病院まで保つか怪しい。
死んじゃうのかな。嫌だ。せっかく思い出したのに。せっかく再会できたのに。偽者は兄様に突き飛ばされて尻餅をついたまま、腰を抜かしてしまっている。誰も助けてくれない。おれは、どうすればいい? 子供らしく何もできずに、ただ兄様に守られるだけなのか? そんなの嫌だ。
「助けてあげようか」
場違いなほど涼やかで、凛と張った声が耳朶を震わす。顔を上げると、いつの間に現れたのか、かつて霧雨と名乗った女が佇んでいた。
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