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王の望み
笑顔
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フィルドの話が終わった。
リューは知ったことを受け止めるのに必死で、沈黙が続いた。
(アージュ様はフィルド様の熱意に押されて……。フィルド様も、それがアージュ様のためになるかは分からないけど、アージュ様を想って……)
お互いに想い合う心を感じ、リューは渦巻く感情を鎮められずにいた。
「外が騒がしい。陛下が帰ってきたようですね。それではこれで」
フィルドは立ち上がった。机に体重を預けて支えにして。足をわずかに引きずりながら、テントの出口へと向かう。
そこで振り返った。
「そうそう。話の前に頼んだこと、よろしくお願いしますね」
「は、はい」
今度こそテントを出ようと、フィルドは出口の天幕に手を掛けた。
けれどフィルドの手を擦り抜けて、天幕が開かれた。
「何をしている」
険しい声。声だけで分かる。アージュだ。
背の高い彼の表情は、天幕の中からは見えない。
「出てこい」
フィルドは少し気まずそうな顔をしている。リューにも手招きして、テントから出るように促す。
外で見るアージュの表情は、とても不機嫌なものだった。
「あー……、迂闊でした。男だと思って何も気を回さず……。ご愛妾と二人きりになるものではないですね」
「…………」
アージュは黙ったままだ。その怒気が収まる気配は無い。
「アージュ様……」
リューはアージュに近づく。睨まれて、ビクッと震えたけど、
(フィルド様との約束……!)
アージュの腕にしがみつく。
「リュー……!?」
突然抱きつかれて、アージュは焦る。
「アージュ様の昔のお話を聞いていたんです」
「……私の?」
耳元に口を寄せた。
「政務もできるなんて、格好良いです。頭が良いアージュ様、見たいです……」
そう言って、しがみつく力を緩める。
(フィルド様の指示の通りに言ったけど……大丈夫かな)
アージュはなにやら固まっている。やがて、口を開いた。
「ガグルエに……」
「は、はい!」
「本国に戻ればするさ……」
「え、はい。あの、無理はなさらないでくださいね」
アージュの色々な姿が見たいというのは本当だ。けれど王の仕事とは、それだけではすまない大変な仕事なのでは。
「大したことではない。できる」
「はい……。出過ぎたことを言ってごめんなさい」
「別に」
アージュを不機嫌にさせてしまった。元凶のフィルドをちらりと見ると、満面の笑みを浮かべている。
「陛下が渋々とはいえ了承するとは。これは良い道具を見つけました」
ぼそっと、何か呟いていた。
「それで陛下。首尾はいかがです」
ようやく、今日の戦の話のようだ。
「街は落とした。それから、敵の情報を手に入れた。敵将スクトとリオンスがこちらに向かっている」
「……!」
フィルドが目を丸くした。
「ビビラ将軍が病に臥せった今、オーラリオの筆頭たる二将ではありませんか」
「ああ、オーラリオはこの地に全兵力と言っていいものを投入するつもりだ」
「雪上の持久戦を狙ってくると予想していたのですが、援軍や補給路が整う前に勝負を決める気ですね」
「本当は山越えの前に到着したかったのだろう。セブが数日で落ちるとは、予想していなかったか。雪の季節が終わってから来るものだと思っていたか。何にせよ、最悪の場合を想定していなかった時点で後手に回っている」
「組織を統括していたビビラが病の中、同格の二将を送ってきました。そこに付け込んで足並みを乱すことができればいいのですが」
「戦の外の工作は任せる。ただ、オーラリオは危機を自覚している。容易な罠には乗ってこないぞ」
「分かっていますよ」
リューは訳が分からないまま、二人の会話を聞いていた。
手持ち無沙汰な様子のリューに、アージュが気付く。
「……そういえば、薬草は?」
「集まりましたよ。頑張って、今日の内に全て集めてくれました」
「よくやった」
「……!」
リューの頭を、アージュが撫でた。
「これで明日は、安全な場所でじっとしていられるな」
アージュがそっと笑った気がした。リューは目を瞬かせたが、次の瞬間には無表情に戻っていた。
リューは後方部隊と共に、丘の上にいた。戦場を見渡せる場所。
オーラリオ国内でありながら、ガグルエ軍の陣の方が厚い。
鬨の声が上がり、あちこちで兵がぶつかり合う。同程度の兵数がぶつかった時は、異種族中心のガグルエがオーラリオ兵を蹴散らす。
(アージュ様は……)
ガグルエ総大将の旗。陣形のかなり前の方にいる。
リューは胸の前で手を組み、握りしめる。
(大丈夫……。王様のことは、皆守ってくれる……)
手が震える。
どうか、帰ってきてください……。
数時間と持たず、オーラリオの劣勢は、リューから見ても明らかとなった。
少数でありながら、まとまりに欠けたオーラリオ軍。一部の血気盛んな隊が疲労を見せると、見るも無残に総崩れになり、あとはガグルエに狩られるだけとなった。
決戦を終え、その後の進軍には一切の支障はなかった。
半月後、ガグルエはオーラリオ王都を落とした。
神秘的な、青い入り江。
「綺麗……」
あまりの透明度に、リューは水底に吸いこまれそうな気分になった。アージュの愛馬のヴィーも、隣に並んでじっと水底を見ている。
アージュはオーラリオ王都を落とした後、地方の平定の合間を縫い、フィルドを誘って都から馬を走らせた。
どうせ軽いからと、リューもヴィーの背に乗せて。
ヴィーが浅瀬に足先を入れて、すぐに引っ込めた。リューも真似して手を入れて、氷のような冷たさに、一瞬で手を引っ込めた。
凍えた自分の手に、息を吹きかける。ヴィーの足も心配で、水に入れていない方の手で擦り、温めた。
「あっ」
赤い魔力が、リューの手とヴィーの足に巻きつく。ボウッと発光し、熱を帯びだす。振り向くとアージュがいた。
「温かい……。ありがとうございます」
彼は特に何も返さず、少し距離を取った場所で立ち止まった。
(魔力って色々できるんだな)
ヴィーは恩知らずにも、魔力を振り払おうと足踏みしている。アージュはすぐに外した。
後ろで笑い声がした。
「まるで兄弟のようですね」
フィルドが自身の馬を引いて近づいてきた。
(兄弟……)
「……アージュ様。ヴィーって何歳ですか」
「八歳だったと思うが」
「そうなんですね。ありがとうございます!」
(やった。僕の方がお兄さん)
気取った顔で、ヴィーの頭を撫でると、アージュもフィルドも不思議そうな顔をした。
フィルドは眩しげにこの白い砂浜と深き青を眺めている。
「すでにガグルエこそ私の国と思っていましたが、やはり、嬉しいものですね……」
リューもこの美しさに感動したが、それとはまるで違ったものが、彼の中に溢れているのだろう。
飽くことなく入り江を眺めるフィルドを、静かに待つ。
アージュの方を見る。彼は砂浜には下りず、白い岩場に腰掛けた。
(…………)
穏やかな笑みでフィルドを見るアージュ。その姿を、リューは見上げる。
(やっぱり、アージュ様の笑顔……好き……)
綺麗で、ドキドキして、――他のひとに向いているのが、苦しい。
この美しい青い入り江は、アージュの夢ではなく、フィルドの夢。
その夢を叶えて、心からの微笑みを贈れる……優しい人。
ヴィーの陰に隠れ、そっと目元を拭う。
――奴隷のままでいい。
そう思っていた。今のままでも、言葉は冷たくとも、アージュは優しくしてくれる。
けれど……。
(僕も……、アージュ様を笑顔にしたい……)
今のままは嫌だ。
遠出のあと、ヴィーの駆ける揺れの動きに合わせ、リューはうつらうつらと揺れる。雪上の風を頬に受けながら、アージュの温かい腕の中で、眠ってしまった。
久しぶりのあの夢。
凍える寒さに、蔓薔薇は葉を落とし、風を、陽を遮るものは、何もない。
「アージュ様……」
四阿の外にいる王子様に手を伸ばしかけて、リューは手を引っ込めた。
花は落ち、棘だけが残った四阿。小さな小さなここに、彼を招き入れることはできない。
棘だらけの蔓の檻越しに、彼を見上げる。
目に入った寒空は、どこまでもどこまでも、青かった。
眩しくて、涙が出る。
――リュー……?
心配げな声が、遠くのように、すぐ近くのように聞こえる。
頬に温もりが触れ、目元を拭った。
「アージュ様……」
「どうした?」
いつのまに、僕は檻から出たのだろう。
「アージュ様……」
四つ目の、世界一格好良い王子様が、手の届く場所にいる。リューはその手を握った。大きくて、温かい。
王子様は目に動揺を浮かべた。
幼い頃見た夢より、この王子様は笑顔をくれなくなった。けれど、
「寝ぼけているのか」
撫でる手が、とても優しい。本物のように、温かい。
「ふふ、アージュ様……」
「リュー、お前は……」
離さないように、しがみつく。
――お前が好きなのは……本当は…………。
何か訊ねられた気がしたけど、リューは重たい瞼を開けられなかった。
リューは知ったことを受け止めるのに必死で、沈黙が続いた。
(アージュ様はフィルド様の熱意に押されて……。フィルド様も、それがアージュ様のためになるかは分からないけど、アージュ様を想って……)
お互いに想い合う心を感じ、リューは渦巻く感情を鎮められずにいた。
「外が騒がしい。陛下が帰ってきたようですね。それではこれで」
フィルドは立ち上がった。机に体重を預けて支えにして。足をわずかに引きずりながら、テントの出口へと向かう。
そこで振り返った。
「そうそう。話の前に頼んだこと、よろしくお願いしますね」
「は、はい」
今度こそテントを出ようと、フィルドは出口の天幕に手を掛けた。
けれどフィルドの手を擦り抜けて、天幕が開かれた。
「何をしている」
険しい声。声だけで分かる。アージュだ。
背の高い彼の表情は、天幕の中からは見えない。
「出てこい」
フィルドは少し気まずそうな顔をしている。リューにも手招きして、テントから出るように促す。
外で見るアージュの表情は、とても不機嫌なものだった。
「あー……、迂闊でした。男だと思って何も気を回さず……。ご愛妾と二人きりになるものではないですね」
「…………」
アージュは黙ったままだ。その怒気が収まる気配は無い。
「アージュ様……」
リューはアージュに近づく。睨まれて、ビクッと震えたけど、
(フィルド様との約束……!)
アージュの腕にしがみつく。
「リュー……!?」
突然抱きつかれて、アージュは焦る。
「アージュ様の昔のお話を聞いていたんです」
「……私の?」
耳元に口を寄せた。
「政務もできるなんて、格好良いです。頭が良いアージュ様、見たいです……」
そう言って、しがみつく力を緩める。
(フィルド様の指示の通りに言ったけど……大丈夫かな)
アージュはなにやら固まっている。やがて、口を開いた。
「ガグルエに……」
「は、はい!」
「本国に戻ればするさ……」
「え、はい。あの、無理はなさらないでくださいね」
アージュの色々な姿が見たいというのは本当だ。けれど王の仕事とは、それだけではすまない大変な仕事なのでは。
「大したことではない。できる」
「はい……。出過ぎたことを言ってごめんなさい」
「別に」
アージュを不機嫌にさせてしまった。元凶のフィルドをちらりと見ると、満面の笑みを浮かべている。
「陛下が渋々とはいえ了承するとは。これは良い道具を見つけました」
ぼそっと、何か呟いていた。
「それで陛下。首尾はいかがです」
ようやく、今日の戦の話のようだ。
「街は落とした。それから、敵の情報を手に入れた。敵将スクトとリオンスがこちらに向かっている」
「……!」
フィルドが目を丸くした。
「ビビラ将軍が病に臥せった今、オーラリオの筆頭たる二将ではありませんか」
「ああ、オーラリオはこの地に全兵力と言っていいものを投入するつもりだ」
「雪上の持久戦を狙ってくると予想していたのですが、援軍や補給路が整う前に勝負を決める気ですね」
「本当は山越えの前に到着したかったのだろう。セブが数日で落ちるとは、予想していなかったか。雪の季節が終わってから来るものだと思っていたか。何にせよ、最悪の場合を想定していなかった時点で後手に回っている」
「組織を統括していたビビラが病の中、同格の二将を送ってきました。そこに付け込んで足並みを乱すことができればいいのですが」
「戦の外の工作は任せる。ただ、オーラリオは危機を自覚している。容易な罠には乗ってこないぞ」
「分かっていますよ」
リューは訳が分からないまま、二人の会話を聞いていた。
手持ち無沙汰な様子のリューに、アージュが気付く。
「……そういえば、薬草は?」
「集まりましたよ。頑張って、今日の内に全て集めてくれました」
「よくやった」
「……!」
リューの頭を、アージュが撫でた。
「これで明日は、安全な場所でじっとしていられるな」
アージュがそっと笑った気がした。リューは目を瞬かせたが、次の瞬間には無表情に戻っていた。
リューは後方部隊と共に、丘の上にいた。戦場を見渡せる場所。
オーラリオ国内でありながら、ガグルエ軍の陣の方が厚い。
鬨の声が上がり、あちこちで兵がぶつかり合う。同程度の兵数がぶつかった時は、異種族中心のガグルエがオーラリオ兵を蹴散らす。
(アージュ様は……)
ガグルエ総大将の旗。陣形のかなり前の方にいる。
リューは胸の前で手を組み、握りしめる。
(大丈夫……。王様のことは、皆守ってくれる……)
手が震える。
どうか、帰ってきてください……。
数時間と持たず、オーラリオの劣勢は、リューから見ても明らかとなった。
少数でありながら、まとまりに欠けたオーラリオ軍。一部の血気盛んな隊が疲労を見せると、見るも無残に総崩れになり、あとはガグルエに狩られるだけとなった。
決戦を終え、その後の進軍には一切の支障はなかった。
半月後、ガグルエはオーラリオ王都を落とした。
神秘的な、青い入り江。
「綺麗……」
あまりの透明度に、リューは水底に吸いこまれそうな気分になった。アージュの愛馬のヴィーも、隣に並んでじっと水底を見ている。
アージュはオーラリオ王都を落とした後、地方の平定の合間を縫い、フィルドを誘って都から馬を走らせた。
どうせ軽いからと、リューもヴィーの背に乗せて。
ヴィーが浅瀬に足先を入れて、すぐに引っ込めた。リューも真似して手を入れて、氷のような冷たさに、一瞬で手を引っ込めた。
凍えた自分の手に、息を吹きかける。ヴィーの足も心配で、水に入れていない方の手で擦り、温めた。
「あっ」
赤い魔力が、リューの手とヴィーの足に巻きつく。ボウッと発光し、熱を帯びだす。振り向くとアージュがいた。
「温かい……。ありがとうございます」
彼は特に何も返さず、少し距離を取った場所で立ち止まった。
(魔力って色々できるんだな)
ヴィーは恩知らずにも、魔力を振り払おうと足踏みしている。アージュはすぐに外した。
後ろで笑い声がした。
「まるで兄弟のようですね」
フィルドが自身の馬を引いて近づいてきた。
(兄弟……)
「……アージュ様。ヴィーって何歳ですか」
「八歳だったと思うが」
「そうなんですね。ありがとうございます!」
(やった。僕の方がお兄さん)
気取った顔で、ヴィーの頭を撫でると、アージュもフィルドも不思議そうな顔をした。
フィルドは眩しげにこの白い砂浜と深き青を眺めている。
「すでにガグルエこそ私の国と思っていましたが、やはり、嬉しいものですね……」
リューもこの美しさに感動したが、それとはまるで違ったものが、彼の中に溢れているのだろう。
飽くことなく入り江を眺めるフィルドを、静かに待つ。
アージュの方を見る。彼は砂浜には下りず、白い岩場に腰掛けた。
(…………)
穏やかな笑みでフィルドを見るアージュ。その姿を、リューは見上げる。
(やっぱり、アージュ様の笑顔……好き……)
綺麗で、ドキドキして、――他のひとに向いているのが、苦しい。
この美しい青い入り江は、アージュの夢ではなく、フィルドの夢。
その夢を叶えて、心からの微笑みを贈れる……優しい人。
ヴィーの陰に隠れ、そっと目元を拭う。
――奴隷のままでいい。
そう思っていた。今のままでも、言葉は冷たくとも、アージュは優しくしてくれる。
けれど……。
(僕も……、アージュ様を笑顔にしたい……)
今のままは嫌だ。
遠出のあと、ヴィーの駆ける揺れの動きに合わせ、リューはうつらうつらと揺れる。雪上の風を頬に受けながら、アージュの温かい腕の中で、眠ってしまった。
久しぶりのあの夢。
凍える寒さに、蔓薔薇は葉を落とし、風を、陽を遮るものは、何もない。
「アージュ様……」
四阿の外にいる王子様に手を伸ばしかけて、リューは手を引っ込めた。
花は落ち、棘だけが残った四阿。小さな小さなここに、彼を招き入れることはできない。
棘だらけの蔓の檻越しに、彼を見上げる。
目に入った寒空は、どこまでもどこまでも、青かった。
眩しくて、涙が出る。
――リュー……?
心配げな声が、遠くのように、すぐ近くのように聞こえる。
頬に温もりが触れ、目元を拭った。
「アージュ様……」
「どうした?」
いつのまに、僕は檻から出たのだろう。
「アージュ様……」
四つ目の、世界一格好良い王子様が、手の届く場所にいる。リューはその手を握った。大きくて、温かい。
王子様は目に動揺を浮かべた。
幼い頃見た夢より、この王子様は笑顔をくれなくなった。けれど、
「寝ぼけているのか」
撫でる手が、とても優しい。本物のように、温かい。
「ふふ、アージュ様……」
「リュー、お前は……」
離さないように、しがみつく。
――お前が好きなのは……本当は…………。
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