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第一章

第8話 溶岩と獣人

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 一つ下の階層にやつらがいる。
 連中に召喚され、魔獣を焼き尽くして消えようとしていた炎の精霊が教えてくれたそいつらは、人間の男女、四人組だということだった。

 高い魔法の能力と攻撃性を持ち、遊び半分でガーゴイルを焼き殺すように命じたという。
 精霊は召喚されたから仕方なくそうしたが、とても良い気持ちになれなかったらしい。ついでに、可哀想な眷属を救ってやってくれ、と爺は頼まれたと俺に言う。

「眷属って、何? 爺みたいな炎の属性ってこと?」
「いいえ、そこまでは詳しく語りませんでした。ですが――語るよりも」

 と、再び幻想の炎で身を包んだ爺は、床石の間を溶けるようにすり抜けていく。
 幻炎はこの世に存在しないものだから、それで身を覆うと、ほんの少しだけ世界の理から逸脱できるらしい。いつだつ? なんだそれ、と当時の俺には意味不明だったがとりあえず、転移魔法よりも確実に被害者の元へとたどり着けるものだと解釈して詳しくは触れなかった。

 俺たちが敵に見つからないように、階層の隅から下の階層へと移動を果たしたときだった。
 メシッ、と何かがきしむ音がしたのは。

「うわあっ!」
「イニス様!」

 気づくと足場が崩落していた。
 重力から瞬間的に解放された俺の身体が、空中に放り出される。

 慌ててスキルを展開した爺のお陰で、俺はそのまま下の階層にある同じような作りをした闘技場の階段状の床に叩き付けられずに済んだ。

 一気に二階層を移動したことによる、感覚的なダメージは思ったよりも大きくて、俺は二度、三度とふわふわと浮いたような感覚に襲われて、吐きそうになる。
 だが、それを我慢せざるを得ない状況が、目前で展開していた。

 男たちがいる、こちらに気づいてはいなくて、あちらは更に上にある場所から、闘技場の上を見下ろしていた。
 中には女の姿もちらほらと混じって見える。
 俺と爺は舞台でいえば観客席の一般席に降り立ったようなものだ。

 あちらは特等席。
 壁から突き出したテラスの上から、一人の少女が逃げ惑う様を楽しそうにげらげらと品のない笑いをあげて観戦していた。

「あいつら……弱者になんということを」

 爺が苛立ちの混じった表情を見せる。
 かつて名うての冒険者だったその過去が、非道な行いを許せないのだろう。
 俺も同じで、ぎゅっと怒りに拳を固めたら、また左腕に妙な感覚が流れる。

「あれ?」
「どうしました……銀環が輝いておりますな」
「これって、どういうこと?」

 爺は闘技場の上で逃げ惑う少女をどうしたものか、と悩みながら俺の腕と交互に見比べて言った。

「イニス様がおっしゃった通りでしょう。あの魔獣、もしくは少女、或いはあの連中のスキルをイニス様のスキル【消去者】が欲している。簡単に言えば、消し去ってやりたいと感じているのではないのでしょうか」
「……俺の意思には関係なく?」
「そこには深い別の意思が関わっているかもしれません」

 爺は俺に腕輪をかざすように言った。
 すると腕輪は俺が順に認識した相手に向かい、反応する。

 少女、まるで反応なし。
 爺、まるで反応なし。

 男たち、強く反応している。
 魔獣、少しだけ反応している。

「……スキルを消去するスキルですからな。魔獣は生まれながらに属性そのものを身に宿して生まれてきます。スキルを使うのとは少しばかり、意味が違うのか、と」
「なるほど」

 そう言っている間にも、彼女は逃げ惑っていた。
 しかし、その逃げっぷりはどこか余裕があり、どこか切なげで、すぐに駆けつけなければならないというものでもないように思えた。

 ここぞ、というところで魔獣が放つ一撃を、俺よりも上手に魔法を使って回避しては態勢を整える。
 どうもこういう目に何度も遭わされているかのような、逃げっぷりだった。

「助けないと」
「いえ、それがその」

 と、爺は彼女の首元を指差した。
 少女は人間ではなく、獣人だ。

 遠目からでもよく分かる、金髪碧眼、金色の猫耳に白い内毛。
 藍色のサイズの合わないシャツをワンピースのようにして着ており、時折、裾が捲れるその内側からはほっそりとした長くて細い足と、きゃしゃな腰つき、そして下に履いている革の短パンが見え隠れしていた。

 暗闇のなかに迷宮のぼんやりとした薄紫色の灯りが映し出すその光景は、どことなく妖しげな雰囲気をまとっている。
 彼女が一撃でも当たれば即死するだろう状況の中で、紙一重のところで魔獣の攻撃を避ける度に、上から拍手と喝采と、卑猥な煽り文句が落ちてくる。

「さっさとやられちまえよ、この役立たず!」
「あんたに幾らかけたと思ってるのアニー! さっさと死になよ!」
「ああくそ、あいつまた逃げた。たまたま買った奴隷にしてはいい動き擂るよな、おい?」
「うるっせえ! 獣人が死ななきゃ今夜の賭けは俺の負けなんだよ! くそったれ! 二匹目だってのに!」

 なんてやり取りで、少女の名前がアニー。アニー、なんとか。今夜は二匹目……一匹目はあのガーゴイルだろうことは想像に難くない。

「奴隷って……」
「正式に購入した奴隷なら、飼い主がどのように扱っても、法律は裁けません」
「そんなっ――」

 爺は左右に首を振り、しかし、と続けた。

「ですが、それは合法の場合。このような違法な賭け事に利用されたら、保護をすることが正しいかと」
「爺ッ!」

 さすが、俺の爺だ。嬉しくなりそう叫んだ時だった。
 ぎしっ、とまた嫌な音がした。

 今度は天井の方から鳴ったそれは、同時にごぼっと底が抜けて、大量の水が落ちてくるときのような音を立てていた。
 見上げたら何もないはずの空間が歪み、裂け、あちら側にはごうごうと燃え盛る、岩に咲いた炎の花壇が見えた。
 溶岩だ――。

 天井が溶岩の熱で崩れたわけではない。
 そこは地上から数十メートル下にある地下迷宮の最中だが、地震で地盤が軋み、溶岩が吹き出たということでもない。

 悲鳴を上げて逃げていた少女をいたぶっていた男たち。その一人のスキルによるものだった。
 俺の左腕にある銀環が激しく瞬いて、彼のスキルを欲しがっている。

 しゅん、と世界が、足元が鏡のようになった気がした。
 あのときと同じ光景だった。神殿で俺がスキルを覚醒したあの時と――。

 今度は天井や周囲を囲む鏡は出現せず、ただ瞬きをする間に青い閃光が俺の周囲に向けて放たれただけだった。
 でも、爺や男たちにはそれは見えないものらしい。
 光が瞬き、消えた後。俺に分かったことは、光を照射された対象のスキルがどんなものかという情報を、読み解き俺に教えてくれるというものだった。

 そのときはあくまで断片的な物だったが。
 まず、いま溶岩を召喚した男。

 彼は溶岩を、炎を、自在に召喚し扱うことができるスキルに恵まれているのだ。
 そして溶岩は――少女と、それを屠ろうとする魔獣に向かい、真上から注がれていた。
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