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第一章 南の塔(悪だくみはここから始まります)
第9話 獣人の処遇(才能の芽生えです)
しおりを挟むガスモンはどこか不機嫌だった。
実験道具が逃げ出したと報告を受けたからだ。
「ええい、奴隷一匹すらまともに管理できんのか、情けない!」
「師よ、申し訳ございません」
報告してきた女魔導師にめがけて、ガスモンは手にしていた本を投げつけた。
そこには獣人の国、パルテスの国史がつづられていた。
「あの国の国民は元をただせば、南の大陸からの移民なのだ。この北の大陸に住まう獣人とは異なる能力にたけている。それを見出すために奴隷を大量に購入したというのに! それで、どこに逃げたというのか」
「そっそれが……」
三十代に見える黒髪の樽のように太った女魔導師は口ごもる。
まさか、王族が住まう塔のほうに逃げたなんて、口が裂けてもいえなかった。
それを言えば……自分が獣人に魔法で変えられるかもしれないからだ。
できるかどうかは知らなかったが、ガスモンはそれほど恐れられていた。
「だから、どうした。まさか、王宮の方に向かったのでは……」
「ひっ、いいえ。いえ、本殿の方には向かっておりません。いま渡り廊下の手前で取り押さえたと報告がございました」
「渡り廊下? まあ、それならばよい。王族の方々が住まう塔に向かうにしても、間に二つは渡り廊下がある。まさかそれすら超えたりはせんだろうしな」
「は、はい。師よ。さようでございます」
ただ、と女魔導師は追加の報告をしてきた。
「あの獣人、なにかと能力が高く緊縛の呪いをはねのけ、麻酔すらも短時間で効力を失います。このまま有用な実験体にするには惜しいかと……」
「あん? それは誰が言いだしたのだ? お前の意見か、メスナー?」
「ひぇっ、いえいえ。違います、師よ。ジョナサンが、実験体の管理と監督をしている者の一人でございます」
「ほう……あのジョナサン、が」
グレモンは薄くなった頭をさすり、そのジョナサンが誰かを思い出す。
彼の数多い弟子のなかでもあまり目立たない男だった。
魔法の才能があるわけでもなく、それを探求する筋もあまりよくない。
しかし、何かの管理を任せる……例えば実験動物とか、物品とか、魔法植物を育てている園の管理とか。
そういった方向となると、不思議と水を得た魚のように才覚を開花させる。
律儀で数字に細かく小心者だが、正直で自分の手柄をひけらかしたりしない。
物静かでこれ、といった何かひとつの仕事を任せるには信頼がおける男だった。
「獣人を逃しておいてよくそんなことが言えたものだ」
そうガスモンがぼやくと、メスナーはいいえ、と否定した。
「逃がしたのは彼ではありません、師よ」
「ではどうやって逃げた?」
「ある魔法の……爆発や火焔などの他に、空気を固めて圧力をかけ打ち出す魔法がありますが」
「ああ、それはわかっとる! 弓矢の代わりに筒などにそれを込めて打ち出して敵陣に届けることができないか試せと申し付けていたはずだ!」
少し前のパルテス王国からの救援申請に、イスタシアは応じた。
相手は共に国境を隣にする、大陸の東を支配する帝国だった。
退けることに成功したものの、パルテスはイスタシア側に支援してもらった代価を支払う余裕がなかった。
そこで帝国に占領されていた街や村の獣人たちを奴隷として購入することで話がつき、ガスモンは新たな魔法の実験ができると喜んでいた。
しかし、実験は遅々として進まず、成果も上がらない。
奴隷は日に日に死んでいき、その報告ばかりがもたらされ、このままでは貴重な王国の財産である奴隷を大量に殺したと、女神教の司祭たちから糾弾されるかもしれなかった。
「まったく、どいつもこいつも役に立たん。そんなに回復に長けているならば、もっと効率的に……」
ん、いや待てよ。とガスモンは思いとどまった。
それほどに魔法に耐性のある素材ならば、元から有している魔力量や才能もそれなりに高いのではないか、と。
そう思ったのだ。
「おい、メスナー」
「ひえっ、はい……なんでしょうか」
「ジョナサンがそう言った理由。他にはなかったか?」
「お、教えればよい魔導師になる可能性も高い、と。今いる獣人たちにはそれが共通しているかもしれない、と。そう申しておりました」
それがどうしたのかと理由が分からずメスナーは首を傾げる。
なるほど、とガスモンはジョナサンの提案に心の中で手を打った。
産まれつき魔法の実験に適した素材なら、それが意思を持つ獣人なら。
待遇を変え、王国に。いや、魔導師長である自分に忠誠を誓うようにすれば、ぽっとでのあの忌々しい女神教の連中を王宮から一掃できるかもしれない。
「ふん。真面目一徹の男の意見が、まさか最大の助言になるかもしれんとは、な」
面白い。
ガスモンは早速、メスナーに命じて奴隷たちの処遇を実験動物から、魔導を教える生徒にするように手配させた。
間接的に命を救われた獣人の魔導師たちの王太子への忠誠は、ここから生まれた。
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