殿下、幼馴染の令嬢を大事にしたい貴方の恋愛ごっこにはもう愛想が尽きました。

和泉鷹央

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第一章 南の塔(悪だくみはここから始まります)

第8話 血だまりの床(でもバッドエンドではありません)

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 ルディは妙に落ち着いた声で質問する。 
 それは五歳児の話し方にしては大人びたものだとジャスミンは感じた。

「どのくらいできたのかな、おば様。僕は奴隷が嫌だと言ったはずだよ」
「そうですねえ……」

 少年の問いかけに乳母は困った顔をする。
 隣に立つ衛士をちらりと見やると、彼はどうしたものか、と視線を返していた。

「僕は奴隷が嫌だと言ったはずなんだ。可哀想だし、首輪なんてされると思うと怖気が立つ。みんなはそうじゃないの?」
「ええ、殿下。そのお優しい御心は国民全員が知っています」

 取り繕うように乳母がそう言った。
 しかし、ルディは嘘つき、と心の中で乳母を糾弾していた。
 軽く、しかし、重たい一撃が机のうえに拳を固めて振り下ろされる。
 置かれていたティーカップがカチャン、と軽く音を立てて跳ね上がった。

「殿下?」

 ジャスミンは彼の豹変ぶりに驚き、まただ、と思った。
 この王太子はときたま、大人顔負けの発言をしたりあざとく他人の本心を見抜こうとするときがある。
 そして何か気に入らないとこうやって行動に出すのだ。
 いまはまだ子供だから許される。
 けれど、このまま大人になったら……。
 そう考えると、乳母はなぜか背筋に寒気を感じてしまうのだった。

「あの時の奴隷の事を思い出すのですか? 彼女はいまは奴隷ではありません。殿下の御意思は尊重されています」
「……うん、そうだね。おば様……」

 それを聞いて落ち着きを取り戻したのか、ルディは拳を開いた。
 獣人とよく似た環境で移民の子供として育ち、農民から近衛衛士にまでなることができた二人の側近がふう、と顔を見合わせた。
 黒人と褐色肌の移民の彼らは、この宮殿ではあまり重用されない。
 ルディの奴隷への怒りの声は自分たちの悲しみを代弁してくれているように、彼らには感じることができた。
 その主が怒った様を見るのは……なによりも辛いものがあったからだ。

 ルディは各塔の間をつないである渡り廊下であった、一月前のある日のことを思い返していた。

「あれは可哀想だった」
「そうでしたね」

 橋に足を踏み入れようとしたとき、あちらの渡り廊下から必死になってこちらに駆けてくる獣人の少女を目にしたのだ。
 酷いありさまでほとんどぼろ布しか身にまとっておらず、頭頂部の獣耳はボロボロに裂けてしまい、もう二度と元に戻らないような、そんな様だった。
 犬の獣人の少女だった。
 黒い毛皮をどこかに残し、体中から切り刻まれたような跡が見えていた。
 血はまだ生乾きで、けがは治り切らないまま次の傷をつけらえている。そんなように見えた。

「助けて、助けてください」

 王国の言葉ではなかった。
 西にすこしばかりいったところにある、獣人の国があるという。
 そこから売られてきたとルディは後から聞いた。
 彼女はお尻からのびた太く立派な尾を小さくして、明らかに怯え、苦しんでいた。
 これから始まる何かのある予感を感じ取っているようだった。

「何があった? どうしてそんな怪我をしている」
「殿下、なりません。危険です」
 
 衛士たちの制止があり、そこから先には歩を進められなかった。
 少女も同じく、橋に足を踏み入れようとして、でもそれができず。
 前も後ろもどちらにも敵しかいない。そんな状況だと自分で理解しているかのように、絶望をその可愛らしい顔に浮かべていた。

 やがて魔導師の塔から人員がやってきて、抵抗する彼女を取り押さえるとそのままどこかに連れ去ってしまった。
 その場にきたなかで年配の、管理職と思える男がルディに気づき、平伏し、挨拶をした。

「あれはなんだ?」
「……殿下にはお知りになられることはございません。ただの実験道具が逃げ出しただけです」
「道具? 言葉をしゃべっていたぞ? 助けてくれと言っていた。僕は助けを求められた」
「それは……こまりましたな」

 奴隷の所有権はその権利を買った者に存在する。
 あの奴隷は魔導師協会が実験動物として一括に購入していて、その代理として管理し・所有する権利はガスモンにあると彼は述べた。
 ルディは魔導師の塔へと歩きながら進み、その話に耳を傾けていた。
 
 あの子、これほどに血を流していたのか。
 さっき獣人の少女がへたりこんでいた場所には、小さな血だまりが点々、と出来ていた。

「すぐに清掃を致します」
「そんなことを言ってるんじゃない」
「どうかお許しください、殿下。お目汚しをしたことにつきましては謝罪致します」
「そんなことはどうでもいい!」

 苛立ちが我慢の限界に達して、ルディは小さく声を荒げた。
 助けを求められたらそれに応じろ。
 父親からはそれが王族の名誉だと教わっていた。
 それに泥を塗るような行いをしたのだ。
 自責の念にルディは駆られていた。

「ねえ」
「は、殿下」
「さっきの話。あの奴隷の持ち主はガスモンと言ったよね?」
「……申しました。ああ、殿下。どうか師には御内密に、私がしかられます」
「お前なんてどうでもいいんだよ。いや、違うか。ならこうしようよ、僕もお前も助かるし嬉しい話だ」

 ルディはなにかを考えつき不安そうな魔導師に対して、あることを命じたのだった。
 魔導師は恭しく挨拶をすると去っていく。
 彼の戻った方向、これから行く方向になんだか嫌悪感を感じつつ、ルディはこの日の授業を休むと他の魔導師に伝えて、自分の塔へと引き返した。

 
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